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6.sei
sei 〈井上side〉-3
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束の間の静寂が訪れる。久しぶりに会う母だが、特段話すことはない。だが今日だけは、どうしても確認したいことがあった。今まで自分が目を背けていたことを。
「それで? あなたがここに来てお酒を飲むくらいなんだから、何か聞きたいことがあるんでしょう?」
「お見通しというわけですね」
私が生まれる前からずっと接客業をしていたのだから、これくらいは容易いのだろう。
母は高校卒業後料亭で仲居をしていた。二十一で私を産んだあとも仕事を続け、三十でこの店を開店させたのだ。
「これでも母親ですから。いったい何の話かしら?」
「ずっと不思議だったんです」
箸を置くと、息を吐き母に顔を向ける。母は不思議そうな表情を浮かべていた。
「この店の売り上げだけで、私を大学まで出したこと。いったい……誰に援助を受けていたんですか?」
母は息子の私から見ても美しい人だと思う。若くしてこの店を切り盛りする母の元には、独り身ということもあり不埒なことを言って迫るものもいた。幼い頃はそれがどんな意味なのかわからずにいたが、今となれば呆れるような話ばかりだ。
『愛人にならないか?』
『パトロンになっていい思いをさせてやろう』
それを母はそれとなく往なしていたように思う。けれど、男の影がなかったわけではない。思春期にはそんな母を不快に感じることはあったが、今考えれば、まだまだ女盛りの年齢でそんな相手が一人もいないはずもない。それでも腑に落ちないことはあった。儲かっていないわけではないが、そう余裕があるわけではないこの状況で、どうやって学費を捻出したのか。
大学入学前、私は奨学金を借りることを考えていた。だが母は頑なにそれを反対した。学費は心配しなくていいからと。そして母が言うように、その後も学費で困ることは一度もなかった。
母は視線を外すと軽く息を吐く。
「そんなこと、今更気にすることじゃないでしょう? 昔の話じゃない」
「確かにそうです。知らぬふりをしておこうと思いました。けれど……。自分の仮説が正しいのか、知りたくもなりました」
「仮説、ね。あなたは相変わらず難しいことを言うのね」
重ねた皿を盆に乗せると母は呆れたように言う。
「いったい誰に似たんでしょうね。……父でしょうか?」
母はそれに口元を緩めフフッと声を漏らした。
「あの人はそんな小難しいこと言わなかったわよ。……今日は泊まっていくんでしょう? 先に片付けてしまうから、寝床の用意は自分でなさい?」
「そうですね。話しはまだ終わっていませんし」
「心配しなくても、ちゃんとするわ」
「聞くまでは帰れません。ではお先に失礼します」
片付けを始めた母を店に残し奥に進む。自宅へ通じる扉を開けると、仄かに薫る香の匂いに懐かしさを覚えた。
家を出てもう十数年が経つ。だが、昔自室だった場所は今でも変わらずそこにあった。物置きにでも、と言っておいたが『そんなに置くものはないわよ』と当時笑って返された。
部屋に入るとさすがに熱気がこもっている。湿気を帯びた温い空気が入ってくるだけだが、せめて空気の入れ替えだけでもと窓を開ける。ふと部屋の上を見ると、いつのまにかエアコンが新しいものに変わっていた。
(滅多に帰ることはないのに……)
ほんの少し罪悪感が湧き、溜め息が漏れた。
前から置いてあった、数少ない着替えを取り出しそれに着替える。押し入れから布団を出し敷くと風呂の用意に向かう。そうしているうちに、母が店から戻ってきた。
「風呂、用意してる。先に入ったら?」
「泰史が先に入ればいいわよ」
「俺はあとでいい……」
ぶっきらぼうに答えると、母は嬉しそうにフフッと笑った。
「素の泰史を見るのは久しぶりね」
「……茶化さないでくれ」
決まりが悪くなり顔を背ける。母はまだ笑みを浮かべているようだ。
「着替えてくるわ。居間でお茶でも飲みながら待ってて。飲みたいならお酒でもいいわよ」
踵を返し廊下を進む母に言われ「お茶でいい」と返すと居間に向かった。
「それで? あなたがここに来てお酒を飲むくらいなんだから、何か聞きたいことがあるんでしょう?」
「お見通しというわけですね」
私が生まれる前からずっと接客業をしていたのだから、これくらいは容易いのだろう。
母は高校卒業後料亭で仲居をしていた。二十一で私を産んだあとも仕事を続け、三十でこの店を開店させたのだ。
「これでも母親ですから。いったい何の話かしら?」
「ずっと不思議だったんです」
箸を置くと、息を吐き母に顔を向ける。母は不思議そうな表情を浮かべていた。
「この店の売り上げだけで、私を大学まで出したこと。いったい……誰に援助を受けていたんですか?」
母は息子の私から見ても美しい人だと思う。若くしてこの店を切り盛りする母の元には、独り身ということもあり不埒なことを言って迫るものもいた。幼い頃はそれがどんな意味なのかわからずにいたが、今となれば呆れるような話ばかりだ。
『愛人にならないか?』
『パトロンになっていい思いをさせてやろう』
それを母はそれとなく往なしていたように思う。けれど、男の影がなかったわけではない。思春期にはそんな母を不快に感じることはあったが、今考えれば、まだまだ女盛りの年齢でそんな相手が一人もいないはずもない。それでも腑に落ちないことはあった。儲かっていないわけではないが、そう余裕があるわけではないこの状況で、どうやって学費を捻出したのか。
大学入学前、私は奨学金を借りることを考えていた。だが母は頑なにそれを反対した。学費は心配しなくていいからと。そして母が言うように、その後も学費で困ることは一度もなかった。
母は視線を外すと軽く息を吐く。
「そんなこと、今更気にすることじゃないでしょう? 昔の話じゃない」
「確かにそうです。知らぬふりをしておこうと思いました。けれど……。自分の仮説が正しいのか、知りたくもなりました」
「仮説、ね。あなたは相変わらず難しいことを言うのね」
重ねた皿を盆に乗せると母は呆れたように言う。
「いったい誰に似たんでしょうね。……父でしょうか?」
母はそれに口元を緩めフフッと声を漏らした。
「あの人はそんな小難しいこと言わなかったわよ。……今日は泊まっていくんでしょう? 先に片付けてしまうから、寝床の用意は自分でなさい?」
「そうですね。話しはまだ終わっていませんし」
「心配しなくても、ちゃんとするわ」
「聞くまでは帰れません。ではお先に失礼します」
片付けを始めた母を店に残し奥に進む。自宅へ通じる扉を開けると、仄かに薫る香の匂いに懐かしさを覚えた。
家を出てもう十数年が経つ。だが、昔自室だった場所は今でも変わらずそこにあった。物置きにでも、と言っておいたが『そんなに置くものはないわよ』と当時笑って返された。
部屋に入るとさすがに熱気がこもっている。湿気を帯びた温い空気が入ってくるだけだが、せめて空気の入れ替えだけでもと窓を開ける。ふと部屋の上を見ると、いつのまにかエアコンが新しいものに変わっていた。
(滅多に帰ることはないのに……)
ほんの少し罪悪感が湧き、溜め息が漏れた。
前から置いてあった、数少ない着替えを取り出しそれに着替える。押し入れから布団を出し敷くと風呂の用意に向かう。そうしているうちに、母が店から戻ってきた。
「風呂、用意してる。先に入ったら?」
「泰史が先に入ればいいわよ」
「俺はあとでいい……」
ぶっきらぼうに答えると、母は嬉しそうにフフッと笑った。
「素の泰史を見るのは久しぶりね」
「……茶化さないでくれ」
決まりが悪くなり顔を背ける。母はまだ笑みを浮かべているようだ。
「着替えてくるわ。居間でお茶でも飲みながら待ってて。飲みたいならお酒でもいいわよ」
踵を返し廊下を進む母に言われ「お茶でいい」と返すと居間に向かった。
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