46 / 81
5.cinque
cinque-6
しおりを挟む
「昨日来られたわよ。亜夜の熱烈ファン」
茶化すように真砂子に言われたのは、八月に入ってすぐの金曜日。今日は珍しく同じ時間帯のシフトで、二人で遅い昼食を取っていた。
「高田様? 熱烈ファンって、私のじゃなくて店の、だよ!」
「そお? のわりには亜夜がいないって知ったら落胆されてたわよ? あのおじいちゃま」
「そんなことないって……」
決まりの悪い思いをしながらサンドイッチを齧る。
高田様が最初に来店されてから二週間と少し。その間に来店されたのはもう四度目。二度目はあれからすぐの土曜日。家でもコーヒーを飲みたいからと豆をお求めになった。その次は先週。せっかくだから違うものも試してみたいと、最初とは違う種類のコーヒーを飲んでいらした。そして昨日、だ。
「いい人っぽいよね。いつも笑顔で」
「うん。ついついお話しが弾んじゃって」
「わかる! 気がつけば色々話してる!」
真砂子も同じ賄い用のサンドイッチを食べ終えると、アイスコーヒーを口に運んだ。グラスからコーヒーが消えていくのを眺めていると、ストローから口を離した真砂子は「知ってる?」と顔を上げた。
「何が?」
「高田様のお孫さん。実はコーヒーショップで働いてるんだって」
「そうなの? じゃあなんでわざわざセレーノに?」
私は目を丸くしてしまう。探していたコーヒーは珍しいものではない。お孫さんに聞けば難なく見つかるはずだ。
「自分が行ってもいい顔しないだろうから、だって。お孫さんと仲悪いのかな?」
家族だから、血が繋がっているからと言って、誰もがわかり合えるとは限らない。それは自分自身が身に染みてわかっている。誰にでも、高田様にも、他人には分からない何かがあるのだろう。
「……人には色々あるわよ」
「まあ、そうだよね」
真砂子は納得したように短く言うと、残りのアイスコーヒーを飲み干した。
「真砂子さん、亜夜さん。高田様が来店されましたよ」
桃ちゃんが事務所に顔を覗かせる。私たちが顔を見合わすと、「あ、いつもの女性のほうです」と付け加えた。
「いらっしゃいませ、高田様」
待っていらしたのはご高齢の女性。月に一回ほど来店される、前からの常連様。お付き合いも気づけば数年だ。目尻に皺を寄せ柔らかな笑顔を見せる彼女は、とてもチャーミングなかただ。
「桝田さん、こんにちは」
「お暑いなかお越しいただき、ありがとうございます」
「今日はね、水出しコーヒーっていうの? テレビで見てね、作ってみようかと思って」
お年を召してもその可愛らしい表情が微笑ましい。今もそうだけど、お若い頃はさぞかしお綺麗なかただっただろう。
「そうなんですね。実は最近人気が上がってきたので、今年から水出し用のパックを置き始めたんです」
今までは水出しコーヒー用の豆だけを置いていたけれど、『もっと手軽に作りたい』と以前からお客様の要望もあり、今年商品化に漕ぎつけたのだ。
「それはちょうど良かったわ」
「とてもまろやかで飲みやすいものになると思います。ご主人様とお楽しみください」
それから私は簡単に作り方を説明した。それに高田様は相槌を打ちながら聞いてくれていた。
それももう少しで終わり、というとき背中側から聞き覚えのあるカツンという音が聞こえた。それに顔を上げたのは高田様だ。私の向こう側を見た彼女の瞳は、みるみるうちに開かれた。
「清鷹さん? 清鷹さんじゃありませんか」
彼女は私の横を通り後ろに回る。私はそれを目で追うように振り返った。
(……お知り合い……だったの?)
高田様が駆け寄った先にいらっしゃったのは男性の高田様。その表情は、少なからず驚いているように見えた。
「こんなところでお会いするなんて。お元気にされていらっしゃいましたか?」
「おかげさまで。美子さんこそ、変わらぬようで安心したよ」
どうやら久しぶりに会ったようだ。けれど、美子さんが懐かしそうに明るくお話しされているのに比べ、清鷹さんの表情は少し硬い。少し離れた場所で、不躾にならないようその様子を伺った。
「姉ももう三十三回忌。あれから三十年ですか。早いものですね」
「そう……ですな」
聞かないほうがいいのかも知れない。そう思っても、なぜか足が床に張り付いたように動かない。美子さんは背を向けていて、私の様子が目に入るはずもなく、気にすることもなく話を続けた。
「姉が嫁ぐとき、正直心配しておりました。けれど、穂積の家で大事にしていただいた。今も感謝しております」
(穂積……? どういう……こと?)
すうっと血の気が引いていくような感覚がする。なぜその名が彼女の口から出てきたのか、理解が追いつかないでいた。
茶化すように真砂子に言われたのは、八月に入ってすぐの金曜日。今日は珍しく同じ時間帯のシフトで、二人で遅い昼食を取っていた。
「高田様? 熱烈ファンって、私のじゃなくて店の、だよ!」
「そお? のわりには亜夜がいないって知ったら落胆されてたわよ? あのおじいちゃま」
「そんなことないって……」
決まりの悪い思いをしながらサンドイッチを齧る。
高田様が最初に来店されてから二週間と少し。その間に来店されたのはもう四度目。二度目はあれからすぐの土曜日。家でもコーヒーを飲みたいからと豆をお求めになった。その次は先週。せっかくだから違うものも試してみたいと、最初とは違う種類のコーヒーを飲んでいらした。そして昨日、だ。
「いい人っぽいよね。いつも笑顔で」
「うん。ついついお話しが弾んじゃって」
「わかる! 気がつけば色々話してる!」
真砂子も同じ賄い用のサンドイッチを食べ終えると、アイスコーヒーを口に運んだ。グラスからコーヒーが消えていくのを眺めていると、ストローから口を離した真砂子は「知ってる?」と顔を上げた。
「何が?」
「高田様のお孫さん。実はコーヒーショップで働いてるんだって」
「そうなの? じゃあなんでわざわざセレーノに?」
私は目を丸くしてしまう。探していたコーヒーは珍しいものではない。お孫さんに聞けば難なく見つかるはずだ。
「自分が行ってもいい顔しないだろうから、だって。お孫さんと仲悪いのかな?」
家族だから、血が繋がっているからと言って、誰もがわかり合えるとは限らない。それは自分自身が身に染みてわかっている。誰にでも、高田様にも、他人には分からない何かがあるのだろう。
「……人には色々あるわよ」
「まあ、そうだよね」
真砂子は納得したように短く言うと、残りのアイスコーヒーを飲み干した。
「真砂子さん、亜夜さん。高田様が来店されましたよ」
桃ちゃんが事務所に顔を覗かせる。私たちが顔を見合わすと、「あ、いつもの女性のほうです」と付け加えた。
「いらっしゃいませ、高田様」
待っていらしたのはご高齢の女性。月に一回ほど来店される、前からの常連様。お付き合いも気づけば数年だ。目尻に皺を寄せ柔らかな笑顔を見せる彼女は、とてもチャーミングなかただ。
「桝田さん、こんにちは」
「お暑いなかお越しいただき、ありがとうございます」
「今日はね、水出しコーヒーっていうの? テレビで見てね、作ってみようかと思って」
お年を召してもその可愛らしい表情が微笑ましい。今もそうだけど、お若い頃はさぞかしお綺麗なかただっただろう。
「そうなんですね。実は最近人気が上がってきたので、今年から水出し用のパックを置き始めたんです」
今までは水出しコーヒー用の豆だけを置いていたけれど、『もっと手軽に作りたい』と以前からお客様の要望もあり、今年商品化に漕ぎつけたのだ。
「それはちょうど良かったわ」
「とてもまろやかで飲みやすいものになると思います。ご主人様とお楽しみください」
それから私は簡単に作り方を説明した。それに高田様は相槌を打ちながら聞いてくれていた。
それももう少しで終わり、というとき背中側から聞き覚えのあるカツンという音が聞こえた。それに顔を上げたのは高田様だ。私の向こう側を見た彼女の瞳は、みるみるうちに開かれた。
「清鷹さん? 清鷹さんじゃありませんか」
彼女は私の横を通り後ろに回る。私はそれを目で追うように振り返った。
(……お知り合い……だったの?)
高田様が駆け寄った先にいらっしゃったのは男性の高田様。その表情は、少なからず驚いているように見えた。
「こんなところでお会いするなんて。お元気にされていらっしゃいましたか?」
「おかげさまで。美子さんこそ、変わらぬようで安心したよ」
どうやら久しぶりに会ったようだ。けれど、美子さんが懐かしそうに明るくお話しされているのに比べ、清鷹さんの表情は少し硬い。少し離れた場所で、不躾にならないようその様子を伺った。
「姉ももう三十三回忌。あれから三十年ですか。早いものですね」
「そう……ですな」
聞かないほうがいいのかも知れない。そう思っても、なぜか足が床に張り付いたように動かない。美子さんは背を向けていて、私の様子が目に入るはずもなく、気にすることもなく話を続けた。
「姉が嫁ぐとき、正直心配しておりました。けれど、穂積の家で大事にしていただいた。今も感謝しております」
(穂積……? どういう……こと?)
すうっと血の気が引いていくような感覚がする。なぜその名が彼女の口から出てきたのか、理解が追いつかないでいた。
26
お気に入りに追加
91
あなたにおすすめの小説
出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
玖羽 望月
恋愛
親族に代々議員を輩出するような家に生まれ育った鷹柳実乃莉は、意に沿わぬお見合いをさせられる。
なんとか相手から断ってもらおうとイメージチェンジをし待ち合わせのレストランに向かった。
そこで案内された席にいたのは皆上龍だった。
が、それがすでに間違いの始まりだった。
鷹柳 実乃莉【たかやなぎ みのり】22才
何事も控えめにと育てられてきたお嬢様。
皆上 龍【みなかみ りょう】 33才
自分で一から始めた会社の社長。
作中に登場する職業や内容はまったくの想像です。実際とはかけ離れているかと思います。ご了承ください。
初出はエブリスタにて。
2023.4.24〜2023.8.9
月城副社長うっかり結婚する 〜仮面夫婦は背中で泣く〜
白亜凛
恋愛
佐藤弥衣 25歳
yayoi
×
月城尊 29歳
takeru
母が亡くなり、失意の中現れた謎の御曹司
彼は、母が持っていた指輪を探しているという。
指輪を巡る秘密を探し、
私、弥衣は、愛のない結婚をしようと思います。

俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜
ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。
そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、
理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。
しかも理樹には婚約者がいたのである。
全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。
二人は結婚出来るのであろうか。
あまやかしても、いいですか?
藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。
「俺ね、ダメなんだ」
「あーもう、キスしたい」
「それこそだめです」
甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の
契約結婚生活とはこれいかに。
契約書は婚姻届
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「契約続行はお嬢さんと私の結婚が、条件です」
突然、降って湧いた結婚の話。
しかも、父親の工場と引き替えに。
「この条件がのめない場合は当初の予定通り、契約は打ち切りということで」
突きつけられる契約書という名の婚姻届。
父親の工場を救えるのは自分ひとり。
「わかりました。
あなたと結婚します」
はじまった契約結婚生活があまー……いはずがない!?
若園朋香、26歳
ごくごく普通の、町工場の社長の娘
×
押部尚一郎、36歳
日本屈指の医療グループ、オシベの御曹司
さらに
自分もグループ会社のひとつの社長
さらに
ドイツ人ハーフの金髪碧眼銀縁眼鏡
そして
極度の溺愛体質??
******
表紙は瀬木尚史@相沢蒼依さん(Twitter@tonaoto4)から。

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

あなたが居なくなった後
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの専業主婦。
まだ生後1か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。
朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。
乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。
会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願う宏樹。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる