想い出は珈琲の薫りとともに

玻璃美月

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「昨日来られたわよ。亜夜の熱烈ファン」

 茶化すように真砂子に言われたのは、八月に入ってすぐの金曜日。今日は珍しく同じ時間帯のシフトで、二人で遅い昼食を取っていた。

「高田様? 熱烈ファンって、私のじゃなくて店の、だよ!」
「そお? のわりには亜夜がいないって知ったら落胆されてたわよ? あのおじいちゃま」
「そんなことないって……」

 決まりの悪い思いをしながらサンドイッチを齧る。
 高田様が最初に来店されてから二週間と少し。その間に来店されたのはもう四度目。二度目はあれからすぐの土曜日。家でもコーヒーを飲みたいからと豆をお求めになった。その次は先週。せっかくだから違うものも試してみたいと、最初とは違う種類のコーヒーを飲んでいらした。そして昨日、だ。

「いい人っぽいよね。いつも笑顔で」
「うん。ついついお話しが弾んじゃって」
「わかる! 気がつけば色々話してる!」

 真砂子も同じ賄い用のサンドイッチを食べ終えると、アイスコーヒーを口に運んだ。グラスからコーヒーが消えていくのを眺めていると、ストローから口を離した真砂子は「知ってる?」と顔を上げた。

「何が?」
「高田様のお孫さん。実はコーヒーショップで働いてるんだって」
「そうなの? じゃあなんでわざわざセレーノうちに?」

 私は目を丸くしてしまう。探していたコーヒーは珍しいものではない。お孫さんに聞けば難なく見つかるはずだ。

「自分が行ってもいい顔しないだろうから、だって。お孫さんと仲悪いのかな?」

 家族だから、血が繋がっているからと言って、誰もがわかり合えるとは限らない。それは自分自身が身に染みてわかっている。誰にでも、高田様にも、他人には分からない何かがあるのだろう。

「……人には色々あるわよ」
「まあ、そうだよね」

 真砂子は納得したように短く言うと、残りのアイスコーヒーを飲み干した。

「真砂子さん、亜夜さん。高田様が来店されましたよ」

 桃ちゃんが事務所に顔を覗かせる。私たちが顔を見合わすと、「あ、いつもの女性のほうです」と付け加えた。

「いらっしゃいませ、高田様」
 
 待っていらしたのはご高齢の女性。月に一回ほど来店される、前からの常連様。お付き合いも気づけば数年だ。目尻に皺を寄せ柔らかな笑顔を見せる彼女は、とてもチャーミングなかただ。

「桝田さん、こんにちは」
「お暑いなかお越しいただき、ありがとうございます」
「今日はね、水出しコーヒーっていうの? テレビで見てね、作ってみようかと思って」
 
 お年を召してもその可愛らしい表情が微笑ましい。今もそうだけど、お若い頃はさぞかしお綺麗なかただっただろう。

「そうなんですね。実は最近人気が上がってきたので、今年から水出し用のパックを置き始めたんです」

 今までは水出しコーヒー用の豆だけを置いていたけれど、『もっと手軽に作りたい』と以前からお客様の要望もあり、今年商品化に漕ぎつけたのだ。

「それはちょうど良かったわ」
「とてもまろやかで飲みやすいものになると思います。ご主人様とお楽しみください」

 それから私は簡単に作り方を説明した。それに高田様は相槌を打ちながら聞いてくれていた。
 それももう少しで終わり、というとき背中側から聞き覚えのあるカツンという音が聞こえた。それに顔を上げたのは高田様だ。私の向こう側を見た彼女の瞳は、みるみるうちに開かれた。

清鷹きよたかさん? 清鷹さんじゃありませんか」

 彼女は私の横を通り後ろに回る。私はそれを目で追うように振り返った。

(……お知り合い……だったの?)

 高田様が駆け寄った先にいらっしゃったのは男性の高田様。その表情は、少なからず驚いているように見えた。

「こんなところでお会いするなんて。お元気にされていらっしゃいましたか?」
「おかげさまで。美子よしこさんこそ、変わらぬようで安心したよ」

 どうやら久しぶりに会ったようだ。けれど、美子さんが懐かしそうに明るくお話しされているのに比べ、清鷹さんの表情は少し硬い。少し離れた場所で、不躾にならないようその様子を伺った。

「姉ももう三十三回忌。あれから三十年ですか。早いものですね」
「そう……ですな」

 聞かないほうがいいのかも知れない。そう思っても、なぜか足が床に張り付いたように動かない。美子さんは背を向けていて、私の様子が目に入るはずもなく、気にすることもなく話を続けた。

「姉が嫁ぐとき、正直心配しておりました。けれど、穂積の家で大事にしていただいた。今も感謝しております」

(穂積……? どういう……こと?)

 すうっと血の気が引いていくような感覚がする。なぜその名が彼女の口から出てきたのか、理解が追いつかないでいた。
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