45 / 81
5.cinque
cinque-5
しおりを挟む
梅雨は明け、本格的に夏がやってくると店にも活気が戻ってきた。今日も外は三十度を超える暑さ。お客様は涼を求め来店されるかたも多い。
「亜夜さん、お客様対応お願いできませんか?」
この時間、カウンター業務から外れていた私の元へ桃ちゃんがやってくる。
「うん。わかった」
今日は火曜日で真砂子は固定休日の日。バリスタは他にもいるが、案内は私に回ってくることが多い。
「お待たせいたしました」
オーダーカウンターの脇に立つ男性に笑顔で話しかける。
お幾つくらいだろうか。七十代後半、もしかしたら八十代に入られているかも知れない。涼しげなグレーのジャケットの下は白いポロシャツ。この年代のかたにしては背が高いほうだろう。姿勢良く立たれている姿は若々しい。
その人は私を見ると表情を緩めた。
「すまないね。こういう店にはあまり来ないものだから、何がいいかわからなくて」
「とんでもない。気に入っていただける一杯をお探しするお手伝いをします」
先にオーダーするシステムだから、どうしても立ち話になってしまうのが申し訳ない。ふとその手に杖が握られているのを見て先日のことを思い出しドキリとする。そんなこととは露知らずお客様は続けた。
「昔、妻と飲んでいたコーヒーが飲みたいんだが、名前も知らないんだ。聞こうにも、本人はとうの昔に旅立ってしまったものだから」
懐かしそうな、寂しそうな表情をお客様は浮かべている。なんと返していいのかわからず、薄らと微笑むと話を切り出した。
「では、風味や飲み口が似たようなものをお探ししましょうか。例えば……」
酸味や苦味の度合い、キレがあるのかコクがあるのか、少しずつ尋ねていくと、興味深そうに頷きながら考えていらした。最終的に近いものをお選びできたはずだ。
「ではこちらになさいますか?」
メニューシートを指差すとお客様は満足気に頷く。会計を済ませカウンターの前に待っていたお客様に、「お待たせしました」と出来上がったコーヒーを差し出した。
「いい香りだ。これは楽しみだよ。えーと……」
カップを受け取りながら口籠ると、私の胸に付いているローマ字で書かれた名札を確認したようだ。
「ますださん、だね。ありがとう」
お客様は笑みを浮かべる。ありがとう、と言われるのはいつだって嬉しい。
杖を手にカップを運ぶのは大変だろう。
「お席までお運びしますね。どちらの席になさいますか?」
「あぁ、これはすまないね。では、あの窓際でもいいかな?」
「はい。かしこまりました」
お客様に先に進んでもらい窓際に向かう。後ろから見ると、やはり歩きかたはぎこちない。歩くたびに杖がコツっと床を叩く音がした。
「ではこちらで」
一番窓側のカウンター席まで来るとお客様は席に座る。
「はい。お帰りの際はそのままで。スタッフにお声かけください」
「ご親切に。助かるよ」
人当たりの良さそうな柔らかな表情をお客様は返してくれた。
「では、ゆっくりなさってください」
(素敵な人……)
自分の家族と否が応でも比べてしまう。何かされても当たり前で、お礼を言われた記憶などない。接客をしていると嫌な思いをすることもあるけれど、こうやって素敵なお客様に出会えることもある。
(喜んでいただけたらいいな)
そんなことを思いながら振り返り、その人の背中を見つめた。
しばらくすると退勤時間を迎え、店を出る。通用口を出て大通りに面した歩道に出ると、少し先に店の出入口がある。そこからちょうど、先程のお客様が出てきて目が合い会釈を返す。
自分の提案したものがどうだったのか聞きたい。そんな思いが湧き上がる。弾かれたように駆け出すと、お客様の元へ向かった。
「お帰りですかな?」
「はい。もう上がりの時間で。……あの。先程のコーヒーは、いかがでしたか?」
不躾だと思いつつ恐る恐る尋ねると、お客様は顔を綻ばせた。
「懐かしい味だった。昔を思い出すほどに。とても美味かったよ」
「そうなんですね。喜んでいただけてよかったです」
安堵の息を漏らすと自然に笑顔になる。
「ますださんが親身になってくれたおかげだ。また寄らせてもらおうかな」
「ありがとうございます。……えっと」
お客様に名前を尋ねることなど基本的にはない。話の流れなどで、常連のお客様の名前を知ることはあっても。言いよどむと、それを察したのか、お客様は先に切り出す。
「…………。高田……と申します」
「高田様……?」
偶然なのか、前からの常連様と同じ苗字。足がお悪いという高田様の旦那様かと一瞬考えたが、目の前にいるかたは奥様を昔亡くされているのだから別人だ。
「では高田様。またのお越しをお待ちしております」
「あぁ。楽しみにしているよ」
ほんの些細な出来事。それでも幸せな気分になる。そう言えば、お世話になったカフェの奥さんが言っていた。
『お客様の笑顔が何より嬉しいし、美味しかったって言われただけで元気が出るのよね』
(本当にそうだな……)
懐かしいその顔を思い出しながら思う。実家には帰れなくても、あの店にはまた寄りたい。そのときには、薫さんと風香も一緒に。私は今、幸せですって伝えたい。そんなことを考えながら帰路についた。
「亜夜さん、お客様対応お願いできませんか?」
この時間、カウンター業務から外れていた私の元へ桃ちゃんがやってくる。
「うん。わかった」
今日は火曜日で真砂子は固定休日の日。バリスタは他にもいるが、案内は私に回ってくることが多い。
「お待たせいたしました」
オーダーカウンターの脇に立つ男性に笑顔で話しかける。
お幾つくらいだろうか。七十代後半、もしかしたら八十代に入られているかも知れない。涼しげなグレーのジャケットの下は白いポロシャツ。この年代のかたにしては背が高いほうだろう。姿勢良く立たれている姿は若々しい。
その人は私を見ると表情を緩めた。
「すまないね。こういう店にはあまり来ないものだから、何がいいかわからなくて」
「とんでもない。気に入っていただける一杯をお探しするお手伝いをします」
先にオーダーするシステムだから、どうしても立ち話になってしまうのが申し訳ない。ふとその手に杖が握られているのを見て先日のことを思い出しドキリとする。そんなこととは露知らずお客様は続けた。
「昔、妻と飲んでいたコーヒーが飲みたいんだが、名前も知らないんだ。聞こうにも、本人はとうの昔に旅立ってしまったものだから」
懐かしそうな、寂しそうな表情をお客様は浮かべている。なんと返していいのかわからず、薄らと微笑むと話を切り出した。
「では、風味や飲み口が似たようなものをお探ししましょうか。例えば……」
酸味や苦味の度合い、キレがあるのかコクがあるのか、少しずつ尋ねていくと、興味深そうに頷きながら考えていらした。最終的に近いものをお選びできたはずだ。
「ではこちらになさいますか?」
メニューシートを指差すとお客様は満足気に頷く。会計を済ませカウンターの前に待っていたお客様に、「お待たせしました」と出来上がったコーヒーを差し出した。
「いい香りだ。これは楽しみだよ。えーと……」
カップを受け取りながら口籠ると、私の胸に付いているローマ字で書かれた名札を確認したようだ。
「ますださん、だね。ありがとう」
お客様は笑みを浮かべる。ありがとう、と言われるのはいつだって嬉しい。
杖を手にカップを運ぶのは大変だろう。
「お席までお運びしますね。どちらの席になさいますか?」
「あぁ、これはすまないね。では、あの窓際でもいいかな?」
「はい。かしこまりました」
お客様に先に進んでもらい窓際に向かう。後ろから見ると、やはり歩きかたはぎこちない。歩くたびに杖がコツっと床を叩く音がした。
「ではこちらで」
一番窓側のカウンター席まで来るとお客様は席に座る。
「はい。お帰りの際はそのままで。スタッフにお声かけください」
「ご親切に。助かるよ」
人当たりの良さそうな柔らかな表情をお客様は返してくれた。
「では、ゆっくりなさってください」
(素敵な人……)
自分の家族と否が応でも比べてしまう。何かされても当たり前で、お礼を言われた記憶などない。接客をしていると嫌な思いをすることもあるけれど、こうやって素敵なお客様に出会えることもある。
(喜んでいただけたらいいな)
そんなことを思いながら振り返り、その人の背中を見つめた。
しばらくすると退勤時間を迎え、店を出る。通用口を出て大通りに面した歩道に出ると、少し先に店の出入口がある。そこからちょうど、先程のお客様が出てきて目が合い会釈を返す。
自分の提案したものがどうだったのか聞きたい。そんな思いが湧き上がる。弾かれたように駆け出すと、お客様の元へ向かった。
「お帰りですかな?」
「はい。もう上がりの時間で。……あの。先程のコーヒーは、いかがでしたか?」
不躾だと思いつつ恐る恐る尋ねると、お客様は顔を綻ばせた。
「懐かしい味だった。昔を思い出すほどに。とても美味かったよ」
「そうなんですね。喜んでいただけてよかったです」
安堵の息を漏らすと自然に笑顔になる。
「ますださんが親身になってくれたおかげだ。また寄らせてもらおうかな」
「ありがとうございます。……えっと」
お客様に名前を尋ねることなど基本的にはない。話の流れなどで、常連のお客様の名前を知ることはあっても。言いよどむと、それを察したのか、お客様は先に切り出す。
「…………。高田……と申します」
「高田様……?」
偶然なのか、前からの常連様と同じ苗字。足がお悪いという高田様の旦那様かと一瞬考えたが、目の前にいるかたは奥様を昔亡くされているのだから別人だ。
「では高田様。またのお越しをお待ちしております」
「あぁ。楽しみにしているよ」
ほんの些細な出来事。それでも幸せな気分になる。そう言えば、お世話になったカフェの奥さんが言っていた。
『お客様の笑顔が何より嬉しいし、美味しかったって言われただけで元気が出るのよね』
(本当にそうだな……)
懐かしいその顔を思い出しながら思う。実家には帰れなくても、あの店にはまた寄りたい。そのときには、薫さんと風香も一緒に。私は今、幸せですって伝えたい。そんなことを考えながら帰路についた。
24
お気に入りに追加
91
あなたにおすすめの小説
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!
めーぷる
恋愛
見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。
秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。
呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――
地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。
ちょっとだけ三角関係もあるかも?
・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。
・毎日11時に投稿予定です。
・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。
・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。
月城副社長うっかり結婚する 〜仮面夫婦は背中で泣く〜
白亜凛
恋愛
佐藤弥衣 25歳
yayoi
×
月城尊 29歳
takeru
母が亡くなり、失意の中現れた謎の御曹司
彼は、母が持っていた指輪を探しているという。
指輪を巡る秘密を探し、
私、弥衣は、愛のない結婚をしようと思います。

アラフォー×バツ1×IT社長と週末婚
日下奈緒
恋愛
仕事の契約を打ち切られ、年末をあと1か月残して就職活動に入ったつむぎ。ある日街で車に轢かれそうになるところを助けて貰ったのだが、突然週末婚を持ち出され……

俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜
ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。
そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、
理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。
しかも理樹には婚約者がいたのである。
全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。
二人は結婚出来るのであろうか。
貧乏大家族の私が御曹司と偽装結婚⁈
玖羽 望月
恋愛
朝木 与織子(あさぎ よりこ) 22歳
大学を卒業し、やっと憧れの都会での生活が始まった!と思いきや、突然降って湧いたお見合い話。
でも、これはただのお見合いではないらしい。
初出はエブリスタ様にて。
また番外編を追加する予定です。
シリーズ作品「恋をするのに理由はいらない」公開中です。
表紙は、「かんたん表紙メーカー」様https://sscard.monokakitools.net/covermaker.htmlで作成しました。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる