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4.quattro
quattro-9
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「ようやく、ここがスタートラインですね。おわかりでしょうが、ここから様々なハードル……いえ、壁、が現れるでしょう」
最初に会ったときのような鋭い視線。改めて言われると、その壁の高さに息を呑んでしまう。
「あぁ。もちろんだ。そのための根回し、手伝ってくれるんだろう?」
井上さんにとっては、ただ仕える社長のプライベートな事柄。けれど、薫さんは少し笑みを浮かべ、あたりまえのように言った。
(それくらい井上さんのこと、信頼してるんだ……)
それはきっと井上さんも同じだ。今、なんとなく嬉しそうに微笑んでいた。
それにしても、改めて二人が並んでいるところを見ると、似ている気がする。体格だけじゃなく、醸し出す雰囲気が。安藤さんとは再従兄弟だと言っていたけど、井上さんも親戚だと言われても、なんら驚かない。
「薫さんはいずれ、タイミングを見計らってあの方の元へ出向かれますよね」
「そうだな。筋を通さなければならないだろうな」
二人の表情がこころなしか険しくなる。
きっと、薫さんの……穂積家の誰かを指しているのだろう。そう考えたとき、ふとローマでの会話を思い出した。
(御大って……。もしかして……)
そういえばオーナーが読んでいた雑誌で見かけたことがある。日本にいくつもある穂積の名を持つ企業。そのグループトップは、今でも退いたはずの会長なのだと。その会長は、おそらく彼の祖父なのだろう。
「承知しました。動向は探っておきます。それから……。そのときには、私もご一緒させてください」
薫さんは少し目を開き驚いているようだ。けれどしばらくすると表情を緩めていた。
「あぁ。そのときは頼む」
井上さんは、浮かべた笑みを返事の代わりにしているようだ。
「では私はこれで。よい休日を」
そこまで言って踵を返そうとした井上さんは、ふと足を止めた。
「来週一週間のスケジュールなら、まだ調整がききます。中旬には忙しくなりますから、変更があればお早めに」
「そうだな……。亜夜、次の休みはいつだい?」
突然振られ、考える間もなく「明日の次は木曜日です」と答えてしまう。
それに目尻を下げた薫さんは井上さんに向いた。
「木曜日のスケジュール調整を」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げる井上さんに、「私のためにお休みなんて!」と慌てて口を挟む。そんな私にニコリと笑うと井上さんは続けた。
「いいんですよ。ちょうど会社でも休みを取ったらどうかとお話ししていたところです」
「でも……」
戸惑う私に、今度は薫さんが口を開いた。
「大丈夫だ。それに、突然予定を変更できるのは来週くらいなんだ。少しくらい一緒にいる時間があってもいいだろう?」
「それは……そうですけど……」
甘い顔に甘い声で言われてしまうと、だめですとも言えないどころか胸が弾んで抑えるのが大変だ。耳まで熱くなるのを嫌でも自覚してしまう。
「では決まりですね。それでは」
今度こそ井上さんは車に乗り込み、私たちはそれが走り去るのを見送った。
「じゃあ、これからどうする?」
ベビーカーに手をかけた私に薫さんは尋ねる。
「ふうも飽きてきちゃったので、公園をお散歩してもいいですか?」
「ああ、もちろん。君の住む町を案内してくれないか?」
薫さんは隣りで穏やかに笑う。さっき流れた不穏な空気などなかったように。だから、私もそれに倣う。
「はい。ぜひ」
(今は……この幸せを感じていたい)
ただ、そう思っていた。
最初に会ったときのような鋭い視線。改めて言われると、その壁の高さに息を呑んでしまう。
「あぁ。もちろんだ。そのための根回し、手伝ってくれるんだろう?」
井上さんにとっては、ただ仕える社長のプライベートな事柄。けれど、薫さんは少し笑みを浮かべ、あたりまえのように言った。
(それくらい井上さんのこと、信頼してるんだ……)
それはきっと井上さんも同じだ。今、なんとなく嬉しそうに微笑んでいた。
それにしても、改めて二人が並んでいるところを見ると、似ている気がする。体格だけじゃなく、醸し出す雰囲気が。安藤さんとは再従兄弟だと言っていたけど、井上さんも親戚だと言われても、なんら驚かない。
「薫さんはいずれ、タイミングを見計らってあの方の元へ出向かれますよね」
「そうだな。筋を通さなければならないだろうな」
二人の表情がこころなしか険しくなる。
きっと、薫さんの……穂積家の誰かを指しているのだろう。そう考えたとき、ふとローマでの会話を思い出した。
(御大って……。もしかして……)
そういえばオーナーが読んでいた雑誌で見かけたことがある。日本にいくつもある穂積の名を持つ企業。そのグループトップは、今でも退いたはずの会長なのだと。その会長は、おそらく彼の祖父なのだろう。
「承知しました。動向は探っておきます。それから……。そのときには、私もご一緒させてください」
薫さんは少し目を開き驚いているようだ。けれどしばらくすると表情を緩めていた。
「あぁ。そのときは頼む」
井上さんは、浮かべた笑みを返事の代わりにしているようだ。
「では私はこれで。よい休日を」
そこまで言って踵を返そうとした井上さんは、ふと足を止めた。
「来週一週間のスケジュールなら、まだ調整がききます。中旬には忙しくなりますから、変更があればお早めに」
「そうだな……。亜夜、次の休みはいつだい?」
突然振られ、考える間もなく「明日の次は木曜日です」と答えてしまう。
それに目尻を下げた薫さんは井上さんに向いた。
「木曜日のスケジュール調整を」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げる井上さんに、「私のためにお休みなんて!」と慌てて口を挟む。そんな私にニコリと笑うと井上さんは続けた。
「いいんですよ。ちょうど会社でも休みを取ったらどうかとお話ししていたところです」
「でも……」
戸惑う私に、今度は薫さんが口を開いた。
「大丈夫だ。それに、突然予定を変更できるのは来週くらいなんだ。少しくらい一緒にいる時間があってもいいだろう?」
「それは……そうですけど……」
甘い顔に甘い声で言われてしまうと、だめですとも言えないどころか胸が弾んで抑えるのが大変だ。耳まで熱くなるのを嫌でも自覚してしまう。
「では決まりですね。それでは」
今度こそ井上さんは車に乗り込み、私たちはそれが走り去るのを見送った。
「じゃあ、これからどうする?」
ベビーカーに手をかけた私に薫さんは尋ねる。
「ふうも飽きてきちゃったので、公園をお散歩してもいいですか?」
「ああ、もちろん。君の住む町を案内してくれないか?」
薫さんは隣りで穏やかに笑う。さっき流れた不穏な空気などなかったように。だから、私もそれに倣う。
「はい。ぜひ」
(今は……この幸せを感じていたい)
ただ、そう思っていた。
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