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4.quattro
quattro-8
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「それ……」
井上さんが抱えているもの見て驚く。前に尋ねたときは……。
「井上さん。レンタルしたって……」
風香を連れて車に乗せてもらったとき、当然のように用意してあったチャイルドシート。そのときは確かにレンタルしてきたと言っていたはずだ。
「すみません。気になさると思って。レンタルしようと思っていたのは本当です。ただ空きがなかったので買ったほうが早いと思いまして」
ニッコリと笑う井上さんに唖然としてしまう。レンタル代を出すと言っても受け取ってくれなかったばかりか、実は買っていたなんて。
「薫さん。取り付けて参ります。鍵を」
井上さんが手を差し出すと、薫さんはポケットから鍵を取り出して渡す。
「代金はあとで支払う」
「少し遅れた、ご出産祝いだと思ってください」
素っ気なく言う薫さんに笑いかけると、涼しい顔で井上さんは答える。
「では、ありがたくいただく」
「ええ。そうしてください」
それだけ言うと井上さんはパーキングに入って行った。
そうしているうちに、風香が腕の中でモゾモゾ動き出す。さすがに八kgを超え、最近はずっと抱っこしているのも大変だ。
「ふう? そろそろベビーカーに戻ろうか。もうすぐお散歩に行くからね」
少しだけ嫌がる素振りを見せたが、ベビーカーに乗せられると付けてある玩具に気が向き、遊びだす。その小さな頭を一撫でして顔を上げると、薫さんはジッと私たちを見ていた。
「どうかされましたか?」
「……いや……」
どことなく寂しそうな表情を見せ薫さんは押し黙る。ふと、昨日彼が後悔したと言っていたことが頭をよぎった。
(成長を歓び合えなかったって……)
「私……意地をはらずに言えばよかったですよね」
後悔なんてしないと思っていた。でも今となっては、罪悪感に苛まれてしまっていた。薫さんを見ることができず、俯いていた私のそばに近づくと、彼はそっと私の手を握った。
「もう止そう。過去を悔やむのは」
自分に言い聞かせるような、静かな声が耳に届き、徐に顔を上げた。
「過去は変えられない。けれどこれから先はいくらでも変えられる。変えたい、と願っている」
握られた手に、その決意を表すように力が入る。最初は冷たく感じたその手は、だんだんと熱を帯びてきていた。
「ですね……。風香の成長だって、これからいくらでもお見せできます。だから、もう後悔するのはおしまいです。薫さんも」
「そうだね。これからは未来のことを考えよう」
緩やかに笑みを浮かべる薫さんの手を、私は握り返した。
「はい」
笑顔を返すと、突然横から服を引っ張られる。見ると風香が、着ているカーディガンの裾を握っていた。
「ふう! びっくりするじゃない」
風香は無邪気に笑いながら見上げている。それから、私の横に立つ薫さんを神妙な顔でじっと見つめた。しばらくすると、風香は突然ニコリと笑う。薫さんを見てだ。
「ふう……」
嬉しくて泣きそうだった。ベビーカーの横にしゃがむと、風香に語りかける。
「ふう、パパだよ?」
知ってか知らずか、風香は薫さんを見たまま明るく声を上げている。薫さんの表情が緩むと、隣にしゃがみ込んだ。
「初めてまして。穂積薫です。よろしく、風香」
握手を求めるように手を差し出す彼がとても微笑ましい。風香はその手を掴み握っていた。
「よかったね、ふう」
昨日から涙腺は緩みっぱなしだ。泣き笑いする私の肩を、薫さんはそっと抱き寄せてくれた。
「ありがとう、亜夜。こんなにも愛らしい存在を私に与えてくれて」
目を細め、風香を見つめながら彼は言う。その表情に胸がいっぱいになった。
「こちらこそ、ありがとうございます。幸せです。風香もきっとそう思ってます」
零れる涙は頰を伝いポトリと膝に落ちる。薫さんはまだ流れる涙を、指で掬ってくれた。
「よかったですね。お二人とも」
しばらく風香の前でその相手をしていると、いつのまにか井上さんが近くに戻っていた。
「助かったよ、井上。チャイルドシートなんて、そこまで気が回らなかった」
「どういたしまして」
「本当に、ありがとうございます。井上さん」
穏やかな口調で返す井上さんに、私も立ち上がりお礼を伝える。
「無駄にならずよかったです」
井上さんは口角を上げ言った。そして一呼吸置くと、まっすぐ薫さんを見据えた。
井上さんが抱えているもの見て驚く。前に尋ねたときは……。
「井上さん。レンタルしたって……」
風香を連れて車に乗せてもらったとき、当然のように用意してあったチャイルドシート。そのときは確かにレンタルしてきたと言っていたはずだ。
「すみません。気になさると思って。レンタルしようと思っていたのは本当です。ただ空きがなかったので買ったほうが早いと思いまして」
ニッコリと笑う井上さんに唖然としてしまう。レンタル代を出すと言っても受け取ってくれなかったばかりか、実は買っていたなんて。
「薫さん。取り付けて参ります。鍵を」
井上さんが手を差し出すと、薫さんはポケットから鍵を取り出して渡す。
「代金はあとで支払う」
「少し遅れた、ご出産祝いだと思ってください」
素っ気なく言う薫さんに笑いかけると、涼しい顔で井上さんは答える。
「では、ありがたくいただく」
「ええ。そうしてください」
それだけ言うと井上さんはパーキングに入って行った。
そうしているうちに、風香が腕の中でモゾモゾ動き出す。さすがに八kgを超え、最近はずっと抱っこしているのも大変だ。
「ふう? そろそろベビーカーに戻ろうか。もうすぐお散歩に行くからね」
少しだけ嫌がる素振りを見せたが、ベビーカーに乗せられると付けてある玩具に気が向き、遊びだす。その小さな頭を一撫でして顔を上げると、薫さんはジッと私たちを見ていた。
「どうかされましたか?」
「……いや……」
どことなく寂しそうな表情を見せ薫さんは押し黙る。ふと、昨日彼が後悔したと言っていたことが頭をよぎった。
(成長を歓び合えなかったって……)
「私……意地をはらずに言えばよかったですよね」
後悔なんてしないと思っていた。でも今となっては、罪悪感に苛まれてしまっていた。薫さんを見ることができず、俯いていた私のそばに近づくと、彼はそっと私の手を握った。
「もう止そう。過去を悔やむのは」
自分に言い聞かせるような、静かな声が耳に届き、徐に顔を上げた。
「過去は変えられない。けれどこれから先はいくらでも変えられる。変えたい、と願っている」
握られた手に、その決意を表すように力が入る。最初は冷たく感じたその手は、だんだんと熱を帯びてきていた。
「ですね……。風香の成長だって、これからいくらでもお見せできます。だから、もう後悔するのはおしまいです。薫さんも」
「そうだね。これからは未来のことを考えよう」
緩やかに笑みを浮かべる薫さんの手を、私は握り返した。
「はい」
笑顔を返すと、突然横から服を引っ張られる。見ると風香が、着ているカーディガンの裾を握っていた。
「ふう! びっくりするじゃない」
風香は無邪気に笑いながら見上げている。それから、私の横に立つ薫さんを神妙な顔でじっと見つめた。しばらくすると、風香は突然ニコリと笑う。薫さんを見てだ。
「ふう……」
嬉しくて泣きそうだった。ベビーカーの横にしゃがむと、風香に語りかける。
「ふう、パパだよ?」
知ってか知らずか、風香は薫さんを見たまま明るく声を上げている。薫さんの表情が緩むと、隣にしゃがみ込んだ。
「初めてまして。穂積薫です。よろしく、風香」
握手を求めるように手を差し出す彼がとても微笑ましい。風香はその手を掴み握っていた。
「よかったね、ふう」
昨日から涙腺は緩みっぱなしだ。泣き笑いする私の肩を、薫さんはそっと抱き寄せてくれた。
「ありがとう、亜夜。こんなにも愛らしい存在を私に与えてくれて」
目を細め、風香を見つめながら彼は言う。その表情に胸がいっぱいになった。
「こちらこそ、ありがとうございます。幸せです。風香もきっとそう思ってます」
零れる涙は頰を伝いポトリと膝に落ちる。薫さんはまだ流れる涙を、指で掬ってくれた。
「よかったですね。お二人とも」
しばらく風香の前でその相手をしていると、いつのまにか井上さんが近くに戻っていた。
「助かったよ、井上。チャイルドシートなんて、そこまで気が回らなかった」
「どういたしまして」
「本当に、ありがとうございます。井上さん」
穏やかな口調で返す井上さんに、私も立ち上がりお礼を伝える。
「無駄にならずよかったです」
井上さんは口角を上げ言った。そして一呼吸置くと、まっすぐ薫さんを見据えた。
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