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4.quattro
quattro-4
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薫さんはスッと腕を伸ばすと、私の髪を撫でる。美しいと褒めてくれた長い髪は、もう短くなってしまったけれど、あのときと同じように、優しい温もりが私に伝ってきた。
「私は臆病者です。彼女のように、何もかも投げ打つ覚悟で君を追いかけることはできなかった……」
自分を蔑むように言うその顔は、悲哀に満ちていた。それだけで、薫さんがどんな気持ちでいてくれたかを察してしまう。井上さんから聞いた『忘れていない』が、自分と同じくらい重いものだったのだと。
「わかってます。薫さんには成し遂げなくてはいけないことがあった。そして成し遂げた。私を追いかけている余裕なんてなかったはずです」
キッパリと答える私に、薫さんは目を見張り驚いている。
「……井上から聞いたのか?」
私は「はい」と小さく返事をしながら頷く。
「そうか。井上は……私には何も言わなかった。彼はちゃんと、君との約束を守っていたようだ」
「すみません。さっきは取り乱して。井上さんは……私と風香の幸せを願ってると言ってくれました。すごく嬉しかった」
髪を撫でていた手を止め、薫さんは少し複雑そうな表情を浮かべ「そうか……」と呟く。
「なので……。風香を認知してとは言いません、ただ、父親としてたまには顔を見せて――」
最後まで言い切る前に、彼に力の限り抱きしめられていた。
「駄目だ。そんなことは……」
耳の後ろから、余裕のない声がする。苦しいほど抱きしめられ、身動ぎできないでいた。
「私は……もう君を、君たちを離したくない。ずっとそばにいたいんだ。お願いだ。全てのものから守る。だから……そばにいさせてくれ」
懇願するような切ない声に、またじわりと瞳が熱くなっていく。
「愛してるんだ……君を」
溢れていく涙も、想いも、もう止めることはできなかった。涙には、浄化作用があると聞いたことがある。今、本当にその通りだと思った。頑なだった心は、涙が溢れるたびに溶けていくようだ。
幼い頃は泣くことができず、悲しいことも辛いことも、ただ自分の中に閉じ込めてきた。泣いてもいいんだと教えてくれたのは真砂子だ。感情豊かな彼女は、悲しいドラマを見たときも、感動する話を聞いたときも、涙を流した。それを見て、自分の感情に正直になっていいんだと気づいたのだ。
そんな真砂子の前でも、こんなに泣いたことなどない。子どものように泣きじゃくり、嗚咽を上げる私の背中を、薫さんはずっと撫でてくれていた。
「落ち着いたかい?」
どのくらいそうしていたのだろう。ゆったりとした口調の薫さんに尋ねられた。
「……すみません。上着を余計に汚してしまって……」
ゆるゆると体を持ち上げ目の前を見ると、零した涙の跡が肩口に点々と付いていた。
「亜夜はすぐ謝る。泣かしてしまったのは私だ」
「薫さんだって! すぐ自分のせいにしてます」
顔を上げると視線がぶつかり合う。薫さんは、異を唱える私を見て口元を緩めていた。
「笑わないでください」
「笑っていないよ」
そう言いながらも、口からフフッ息が漏れている。釣られるように笑みを零すと優しく抱き寄せられた。
「やっと笑ってくれた」
薫さんの穏やかな声色が、耳に心地よく届き、体に伝わる温もりは心を落ち着かせた。ときおり漂う香りは前と同じで、不意にあの夜を思い出してしまった。
(なんか……。恥ずかしい……)
だんだんと自分の心臓の鼓動が早くなっていくのを感じる。『愛してる』と言われたことが嬉しいのに、胸が高鳴り何も言えないでいた。
「もうこんな時間か」
腕時計を確認したのか、カチャリと金属音が響く。帰宅してからどのくらい時間が経ったのか分からないが、それなりの時間になっているはずだ。急に寂しくなり、掴んでいた彼の腕に力を入れていた。
「お腹が空いただろう? 何か買ってこよう」
少し笑みを零すように言うと、薫さんは私の額に口付けた。
「私は臆病者です。彼女のように、何もかも投げ打つ覚悟で君を追いかけることはできなかった……」
自分を蔑むように言うその顔は、悲哀に満ちていた。それだけで、薫さんがどんな気持ちでいてくれたかを察してしまう。井上さんから聞いた『忘れていない』が、自分と同じくらい重いものだったのだと。
「わかってます。薫さんには成し遂げなくてはいけないことがあった。そして成し遂げた。私を追いかけている余裕なんてなかったはずです」
キッパリと答える私に、薫さんは目を見張り驚いている。
「……井上から聞いたのか?」
私は「はい」と小さく返事をしながら頷く。
「そうか。井上は……私には何も言わなかった。彼はちゃんと、君との約束を守っていたようだ」
「すみません。さっきは取り乱して。井上さんは……私と風香の幸せを願ってると言ってくれました。すごく嬉しかった」
髪を撫でていた手を止め、薫さんは少し複雑そうな表情を浮かべ「そうか……」と呟く。
「なので……。風香を認知してとは言いません、ただ、父親としてたまには顔を見せて――」
最後まで言い切る前に、彼に力の限り抱きしめられていた。
「駄目だ。そんなことは……」
耳の後ろから、余裕のない声がする。苦しいほど抱きしめられ、身動ぎできないでいた。
「私は……もう君を、君たちを離したくない。ずっとそばにいたいんだ。お願いだ。全てのものから守る。だから……そばにいさせてくれ」
懇願するような切ない声に、またじわりと瞳が熱くなっていく。
「愛してるんだ……君を」
溢れていく涙も、想いも、もう止めることはできなかった。涙には、浄化作用があると聞いたことがある。今、本当にその通りだと思った。頑なだった心は、涙が溢れるたびに溶けていくようだ。
幼い頃は泣くことができず、悲しいことも辛いことも、ただ自分の中に閉じ込めてきた。泣いてもいいんだと教えてくれたのは真砂子だ。感情豊かな彼女は、悲しいドラマを見たときも、感動する話を聞いたときも、涙を流した。それを見て、自分の感情に正直になっていいんだと気づいたのだ。
そんな真砂子の前でも、こんなに泣いたことなどない。子どものように泣きじゃくり、嗚咽を上げる私の背中を、薫さんはずっと撫でてくれていた。
「落ち着いたかい?」
どのくらいそうしていたのだろう。ゆったりとした口調の薫さんに尋ねられた。
「……すみません。上着を余計に汚してしまって……」
ゆるゆると体を持ち上げ目の前を見ると、零した涙の跡が肩口に点々と付いていた。
「亜夜はすぐ謝る。泣かしてしまったのは私だ」
「薫さんだって! すぐ自分のせいにしてます」
顔を上げると視線がぶつかり合う。薫さんは、異を唱える私を見て口元を緩めていた。
「笑わないでください」
「笑っていないよ」
そう言いながらも、口からフフッ息が漏れている。釣られるように笑みを零すと優しく抱き寄せられた。
「やっと笑ってくれた」
薫さんの穏やかな声色が、耳に心地よく届き、体に伝わる温もりは心を落ち着かせた。ときおり漂う香りは前と同じで、不意にあの夜を思い出してしまった。
(なんか……。恥ずかしい……)
だんだんと自分の心臓の鼓動が早くなっていくのを感じる。『愛してる』と言われたことが嬉しいのに、胸が高鳴り何も言えないでいた。
「もうこんな時間か」
腕時計を確認したのか、カチャリと金属音が響く。帰宅してからどのくらい時間が経ったのか分からないが、それなりの時間になっているはずだ。急に寂しくなり、掴んでいた彼の腕に力を入れていた。
「お腹が空いただろう? 何か買ってこよう」
少し笑みを零すように言うと、薫さんは私の額に口付けた。
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