想い出は珈琲の薫りとともに

玻璃美月

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4.quattro

quattro-1

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 六月に入ってすぐの金曜日午後。最近はすっかり汗ばむ日も増え、アイスコーヒーが多く出始めたことに季節を感じていた。
 昨日は休みで、明日は仕事だ。だからなのか、週末という気がしないでいた。

「亜夜。ちょっと」

 少し客足も落ち着いてきて、カウンターの端で周りを整頓していると、真砂子は手招きしながら小声で呼んだ。

「何? どうしたの?」
「物販のお客様……。なんだけど……」
 
 言いづらそうに口籠ると、真砂子は決まりの悪そうな表情を浮かべる。なんだろうと物販コーナーを覗き見ると、商品を眺めるライトグレーのスーツを着た男性の姿が見えた。

「ほんとゴメンっ!」
 
 お客様からはあまり見えないカウンターの隅で、真砂子は突然手を合わせた。

「亜夜のこと、勝手に喋っちゃって!」

 もしかして、先に井上さんから謝罪されたのだろうか。彼も真砂子のことを気にしていたから。真砂子は真砂子で、引け目を感じていたのかも知れない。あまりにも必死に謝る真砂子の姿に、こちらのほうが逆に申し訳ない気持ちになった。それに私も、井上さんと何度か会っていることを、なんとなく言えないままだ。

「謝ることじゃないって。気を遣わせてごめん。大丈夫だから心配しないで」
「なら……いいんだけど」

 まだ安心できない、と言いたげな表情のまま、真砂子は私との距離を縮め囁いた。

「あの人……ふうのパパ、じゃないよね?」

 真砂子には、風香の父親はローマで知り合った日本人だとしか伝えていない。薫さんと撮った写真すら見せてはいないのだ。

「違うって。そんなわけないでしょ? ただの知り合い。私、ご対応してくるね」
 
 明るく返し、手を軽く振りながらその場を離れる。私が向かうと、それに気づいた井上さんが笑みを浮かべていた。
 会社用だと以前買い求めてくれた豆。それがもう無くなりそうだと穏やかに話すと、井上さんはまた同じものを購入してくれた。

「お挽きしなくてよかったんですか?」
 
  棚にあったものを全部欲しいと言われて、それを紙袋に入れながら尋ねる。

「ええ。実は会社に電動ミルがあるんです。アルテミス開業前は、職場で試飲することも多かったもので」
「さすが……。本格的ですね」
 
 もう井上さんに会っても緊張することはない。昔からの常連さんのように笑顔で話ができるようになった。そして軽口すら言えるように。

「社員さんたちにうちのコーヒーが好評なのは嬉しいです。ぜひ店の宣伝もお願いしますね! ショップカードならいくらでもお渡ししますよ?」

 物販コーナーの隅にあるカードを数枚取ると、わざとらしく掲げて見せる。井上さんはそんな私を見てクスクスと笑っていた。

「亜夜さんは商売上手だ。そうですね。教えることにしましょうか」

(今度……?)
 
 笑みを浮かべた彼に手を差し出され、不思議に思いながらカードを手渡す。

「……亜夜さん」
 
 その顔は急に神妙な顔付きに変わり私の名を呼んだ。

「どうかされましたか?」
「約束してください。ご自分と、そしてなにより、風香さんが幸せだと思う道を選ぶと」

 なんの前触れもなくそう言われ、私は驚いてその顔を見つめた。

「私は、お二人が幸せになることを願っています」

 憂いを帯びた表情。どうしてそんな顔をするんだろう。そう考えたとき、前に聞いた言葉を思い出した。

(そういえば……父親の顔を知らないって……)
 
 もしかしたら、私たちに自分を重ねているのかも知れない。だから、こんなにも気にかけてくれているのだろう。

「ありがとうございます。こんな素敵な友人がいるんです。私は幸せですよ」
 
 これが正解の答えなのかわからない。それを聞いて、井上さんは切なげに薄らと微笑んでいた。
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