想い出は珈琲の薫りとともに

玻璃美月

文字の大きさ
上 下
27 / 81
3.tre ー薫sideー

tre-4

しおりを挟む
――穂積家は、旧財閥系の流れを組む、経済界では名の知れた家だった。
 
 現在の当主は『御大』と呼ばれている祖父、清鷹きよたか。誰であろうがこの人には逆らえず、手のひらの上で転がされている。自分は幼いころからそんなことを思っていた。
 祖父には二人の息子がいた。自分はその二番目の息子の元に生まれた二番目の息子。家督争いからは外れているように見えても、祖父は『穂積』の名を名乗るものには容赦なかった。
 完全な実力主義。長男だろうが次男だろうが、実力が無ければ切られ、有れば持ち上げられる。そんな世界に身を置かれた。
 そんななかで生きてきたからか、いつしか自分を出すことを忘れていた。楽しいと思うことも、哀しいと思うことも、表に出してはいけないと無意識に閉じ込めていたのかも知れない。
 だが、そんな私に少しだけ人間らしさを取り戻してくれたのは、遠縁の安藤和希かずきだった。
 和希と初めて会ったのは、先代の法要だ。先代に可愛がられていたという、祖父の妹。すでに穂積の家から外れた者だが、先代の遺言で、存命のうちは法要に参加する権利を与えられていたらしい。その孫が和希だ。
 まだ当時小学校に上がる前だった和希は、長い法要のあいだに飽きてきたのかグズリだした。見かねた私が、『面倒を見る』と連れ出した。そのとき六年生だった自分も、正直なところ大人の集まりに息が詰まっていて、ていよく抜け出せたというところだったが。

「薫くん、あっちに池あったよ。見にいこうよ!」

 私の手を取り屈託なく笑う和希に、自分にないものを求めていたのかも知れない。そう思った。
 そんな和希とは、父同士が仕事の付き合いがあったこともあり、親戚のなかでは一番交流があった。父も、穂積の名から外れた者で自分たちの家督争いには関係のない人物だったからか、付き合うことをとやかく言うことはなかった。

「なあ。薫くんさ~。将来なりたいものとかないの?」

 そんなことを尋ねられたのは、和希が高校受験を前にして、勉強を見てやっていたときだ。

 (なりたいものなど……あるわけがない)

 幼いころからときおり尋ねられる質問に、私はいつも答えを詰まらせていた。穂積の名のつく会社で経営者として手腕を振るう。それが当たり前のように教え込まれていたからだ。
 和希に尋ねられたこのとき、私は大学三年生。周りが就活の話題をするなか、自分はすでに父の経営する会社に入ることが決まっていた。そして、数年ののち、その事業の一部を切り離し、その会社の社長として就任することも。

「和希には……あるのかい?」

 質問に質問で返すようで気がひけるが私は尋ねた。

「ん~……。実はない。けど将来、薫くんの会社で雇って欲しい」

 和希はそう言うとのように屈託なく笑った。
 面食らった私は、また和希に尋ねる。

「なぜそう思う?」

 もう大人の域に差し掛かったその顔で笑顔を見せると和希は答える。

「薫くんさ、絶対誤解されやすいと思うんだよな。俺がいたら通訳できるでしょ? 何考えてるかの!」

 そんなふうに将来を語るのは、まだ中学生の特権なのかも知れない。けれど、こんな自分のことを思っていてくれるのは嬉しいと、このとき思った。

 大学卒業後、言われていた通りに父の会社に、役員として入った。
 周りからは『親の七光り』と陰口を叩かれることは少なくなかった。だが、私はそんなことを気になどしていられない。父はもちろん、祖父からも、ここが始まりだと言わんばかりの重圧を感じていたからだ。与えられたものに期待以上の成果を出さなければならない毎日。社内に敵もそういないが味方も多くない、そんなふうに過ごしていた。

 そんななかで出会ったのが井上だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜

玖羽 望月
恋愛
 親族に代々議員を輩出するような家に生まれ育った鷹柳実乃莉は、意に沿わぬお見合いをさせられる。  なんとか相手から断ってもらおうとイメージチェンジをし待ち合わせのレストランに向かった。  そこで案内された席にいたのは皆上龍だった。  が、それがすでに間違いの始まりだった。 鷹柳 実乃莉【たかやなぎ みのり】22才  何事も控えめにと育てられてきたお嬢様。 皆上 龍【みなかみ りょう】 33才 自分で一から始めた会社の社長。  作中に登場する職業や内容はまったくの想像です。実際とはかけ離れているかと思います。ご了承ください。 初出はエブリスタにて。 2023.4.24〜2023.8.9

月城副社長うっかり結婚する 〜仮面夫婦は背中で泣く〜

白亜凛
恋愛
佐藤弥衣 25歳 yayoi × 月城尊 29歳 takeru 母が亡くなり、失意の中現れた謎の御曹司 彼は、母が持っていた指輪を探しているという。 指輪を巡る秘密を探し、 私、弥衣は、愛のない結婚をしようと思います。

俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜

ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。 そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、 理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。 しかも理樹には婚約者がいたのである。 全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。 二人は結婚出来るのであろうか。

あまやかしても、いいですか?

藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。 「俺ね、ダメなんだ」 「あーもう、キスしたい」 「それこそだめです」  甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の 契約結婚生活とはこれいかに。

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~ その後

菱沼あゆ
恋愛
その後のみんなの日記です。

契約書は婚姻届

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「契約続行はお嬢さんと私の結婚が、条件です」 突然、降って湧いた結婚の話。 しかも、父親の工場と引き替えに。 「この条件がのめない場合は当初の予定通り、契約は打ち切りということで」 突きつけられる契約書という名の婚姻届。 父親の工場を救えるのは自分ひとり。 「わかりました。 あなたと結婚します」 はじまった契約結婚生活があまー……いはずがない!? 若園朋香、26歳 ごくごく普通の、町工場の社長の娘 × 押部尚一郎、36歳 日本屈指の医療グループ、オシベの御曹司 さらに 自分もグループ会社のひとつの社長 さらに ドイツ人ハーフの金髪碧眼銀縁眼鏡 そして 極度の溺愛体質?? ****** 表紙は瀬木尚史@相沢蒼依さん(Twitter@tonaoto4)から。

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~

吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。 結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。 何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

あなたが居なくなった後

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの専業主婦。 まだ生後1か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。 朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。 乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。 会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願う宏樹。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……。

処理中です...