14 / 81
2.due
due-3
しおりを挟む
ローマ留学から帰ってしばらくして、私は自分の体調の異変に気がついた。
留学時には生理をコントロールするためピルを使用していた。だから、そんなはずはないと自分に言い聞かせて、恐る恐る検査キットを使った。そこに表示されたラインに愕然としながら、今度は病院を受診した。結果は妊娠7週目。医者の見立てでは、ピルがなんらかの事情でうまく作用しなかったのでは、ということだった。
『手術するなら早めに……』
未婚なうえ、明らかな避妊の失敗。医者が事務的に言うのを、私は強い口調で遮った。
『産みます。誰がなんと言おうと、絶対に』
けれど、現実は厳しい。
留学で貯金のほとんどを使い果たしていた私に押し寄せる不安。そのうえホルモンのバランスが崩れ、ナーバスになっていた。そんな私の変化に真っ先に気がついたのは真砂子だった。
『私、妊娠したの。相手には言えないけど、でも産みたい……』
泣きながら真砂子に告白したのは、あと数分で年も明けるという大晦日だった。
『亜夜の子どもなら、私の子どもも同然!』
明るく冗談めかして言う真砂子に、私は救われていた。
次に、オーナーに話をした。
体調を崩して店に迷惑をかけてしまうかも知れない。だから、話さないわけにはいかなかった。
オーナーは驚きながらも、『できる限りのサポートをするよ』と言ってくれた。色々と制度を調べて支援してくれて、育児休業も気兼ねなく取らせてもらえることになった。
それから、真砂子のお母さんにも支えてもらった。
真砂子が小さいころにご主人と死別したおばさんは、小児科で看護師をしている。片親の苦労を知ったうえで、『頼れるものには頼ったらいいの。だから私に甘えなさい』と言ってくれた。涙が出た。この人が自分の母親だったらどんなに幸せだっただろう。私は何度もそう思った。実家にも母にも、頼ることはできなかったから。
実家には、安定期に入ってから電話をした。元々母しか電話を取ることはないが、それでも母しかいないだろう時間を狙って。
『結婚はしていないけど、子どもができたの。予定日は八月』
久しぶりの会話が弾むこともなく、淡々と告げる私に返ってきたのは『勝手にしなさい』の一言だけ。そう言われるのも、無理はない。渋々入学させてもらった専門学校を卒業後、当然田舎に帰るはずの私が、両親の反対を押し切ってそのまま東京に残ったのだから。
はなから良いとは言えなかった両親との関係は、途絶えまま今も何の連絡もない。けれど、娘には可愛がってくれる人がたくさんいる。たとえ血がつながっていなくとも。
(父親に会わせてあげることができなくても、そのぶん私がたくさん愛情を注ぐから……)
私を見上げるその愛らしい顔は、だんだんと父親に似てきていた。
「ねぇねえ、亜夜ぁ」
復帰して数日。今日は初めて真砂子と同じシフトだ。保育園の前で待ち合わせして一緒に通勤する途中、真砂子が思い出したように私に話しかけてきた。
「なぁに? どうしたの?」
「ほら、店の近くにホテルできたでしょ?」
「うん。テレビで見たけど、すごいねぇ」
私たちが使う路線とは違う駅の前。そこに今年の二月の終わりにできたのは、外資系ラグジュアリーホテル。
休みのあいだ、お昼の情報系バラエティー番組で何度か見かけたが、内装から調度品、レストランなど、全てがゴージャスで、庶民が気軽に足を踏み入れる場所じゃないなと眺めていた。
「私も一回だけ見に行ってみたんだけど、もう、ザ高級! って感じ」
「だよね。テレビの画面見てても思ったもん。で、そこがどうしたの?」
「それが、ロビーラウンジのコーヒー! すっごく美味しいんだって。もちろん値段もそれなりに……だけど。だから亜夜。来週の休み、ちょうど同じ日じゃない? 行ってみようよ!」
地下鉄から地上に上がり、店まで歩きながら真砂子は言う。
「うーん……。興味はあるけど、ふうを連れて行くのは……」
仕事が休みの日は、保育園には預けられない決まりだ。こんな街中まで風香を連れて来たことがなく心配だった。
「私もついてるし、暖かくなってきたから、ふうもたまにはお出かけしようよ! ね?」
期待に満ちた眼差しの真砂子に、大人が二人いればなんとかなるかと「分かった」と頷いた。
留学時には生理をコントロールするためピルを使用していた。だから、そんなはずはないと自分に言い聞かせて、恐る恐る検査キットを使った。そこに表示されたラインに愕然としながら、今度は病院を受診した。結果は妊娠7週目。医者の見立てでは、ピルがなんらかの事情でうまく作用しなかったのでは、ということだった。
『手術するなら早めに……』
未婚なうえ、明らかな避妊の失敗。医者が事務的に言うのを、私は強い口調で遮った。
『産みます。誰がなんと言おうと、絶対に』
けれど、現実は厳しい。
留学で貯金のほとんどを使い果たしていた私に押し寄せる不安。そのうえホルモンのバランスが崩れ、ナーバスになっていた。そんな私の変化に真っ先に気がついたのは真砂子だった。
『私、妊娠したの。相手には言えないけど、でも産みたい……』
泣きながら真砂子に告白したのは、あと数分で年も明けるという大晦日だった。
『亜夜の子どもなら、私の子どもも同然!』
明るく冗談めかして言う真砂子に、私は救われていた。
次に、オーナーに話をした。
体調を崩して店に迷惑をかけてしまうかも知れない。だから、話さないわけにはいかなかった。
オーナーは驚きながらも、『できる限りのサポートをするよ』と言ってくれた。色々と制度を調べて支援してくれて、育児休業も気兼ねなく取らせてもらえることになった。
それから、真砂子のお母さんにも支えてもらった。
真砂子が小さいころにご主人と死別したおばさんは、小児科で看護師をしている。片親の苦労を知ったうえで、『頼れるものには頼ったらいいの。だから私に甘えなさい』と言ってくれた。涙が出た。この人が自分の母親だったらどんなに幸せだっただろう。私は何度もそう思った。実家にも母にも、頼ることはできなかったから。
実家には、安定期に入ってから電話をした。元々母しか電話を取ることはないが、それでも母しかいないだろう時間を狙って。
『結婚はしていないけど、子どもができたの。予定日は八月』
久しぶりの会話が弾むこともなく、淡々と告げる私に返ってきたのは『勝手にしなさい』の一言だけ。そう言われるのも、無理はない。渋々入学させてもらった専門学校を卒業後、当然田舎に帰るはずの私が、両親の反対を押し切ってそのまま東京に残ったのだから。
はなから良いとは言えなかった両親との関係は、途絶えまま今も何の連絡もない。けれど、娘には可愛がってくれる人がたくさんいる。たとえ血がつながっていなくとも。
(父親に会わせてあげることができなくても、そのぶん私がたくさん愛情を注ぐから……)
私を見上げるその愛らしい顔は、だんだんと父親に似てきていた。
「ねぇねえ、亜夜ぁ」
復帰して数日。今日は初めて真砂子と同じシフトだ。保育園の前で待ち合わせして一緒に通勤する途中、真砂子が思い出したように私に話しかけてきた。
「なぁに? どうしたの?」
「ほら、店の近くにホテルできたでしょ?」
「うん。テレビで見たけど、すごいねぇ」
私たちが使う路線とは違う駅の前。そこに今年の二月の終わりにできたのは、外資系ラグジュアリーホテル。
休みのあいだ、お昼の情報系バラエティー番組で何度か見かけたが、内装から調度品、レストランなど、全てがゴージャスで、庶民が気軽に足を踏み入れる場所じゃないなと眺めていた。
「私も一回だけ見に行ってみたんだけど、もう、ザ高級! って感じ」
「だよね。テレビの画面見てても思ったもん。で、そこがどうしたの?」
「それが、ロビーラウンジのコーヒー! すっごく美味しいんだって。もちろん値段もそれなりに……だけど。だから亜夜。来週の休み、ちょうど同じ日じゃない? 行ってみようよ!」
地下鉄から地上に上がり、店まで歩きながら真砂子は言う。
「うーん……。興味はあるけど、ふうを連れて行くのは……」
仕事が休みの日は、保育園には預けられない決まりだ。こんな街中まで風香を連れて来たことがなく心配だった。
「私もついてるし、暖かくなってきたから、ふうもたまにはお出かけしようよ! ね?」
期待に満ちた眼差しの真砂子に、大人が二人いればなんとかなるかと「分かった」と頷いた。
34
お気に入りに追加
91
あなたにおすすめの小説
出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
玖羽 望月
恋愛
親族に代々議員を輩出するような家に生まれ育った鷹柳実乃莉は、意に沿わぬお見合いをさせられる。
なんとか相手から断ってもらおうとイメージチェンジをし待ち合わせのレストランに向かった。
そこで案内された席にいたのは皆上龍だった。
が、それがすでに間違いの始まりだった。
鷹柳 実乃莉【たかやなぎ みのり】22才
何事も控えめにと育てられてきたお嬢様。
皆上 龍【みなかみ りょう】 33才
自分で一から始めた会社の社長。
作中に登場する職業や内容はまったくの想像です。実際とはかけ離れているかと思います。ご了承ください。
初出はエブリスタにて。
2023.4.24〜2023.8.9
月城副社長うっかり結婚する 〜仮面夫婦は背中で泣く〜
白亜凛
恋愛
佐藤弥衣 25歳
yayoi
×
月城尊 29歳
takeru
母が亡くなり、失意の中現れた謎の御曹司
彼は、母が持っていた指輪を探しているという。
指輪を巡る秘密を探し、
私、弥衣は、愛のない結婚をしようと思います。

俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜
ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。
そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、
理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。
しかも理樹には婚約者がいたのである。
全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。
二人は結婚出来るのであろうか。
あまやかしても、いいですか?
藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。
「俺ね、ダメなんだ」
「あーもう、キスしたい」
「それこそだめです」
甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の
契約結婚生活とはこれいかに。
契約書は婚姻届
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「契約続行はお嬢さんと私の結婚が、条件です」
突然、降って湧いた結婚の話。
しかも、父親の工場と引き替えに。
「この条件がのめない場合は当初の予定通り、契約は打ち切りということで」
突きつけられる契約書という名の婚姻届。
父親の工場を救えるのは自分ひとり。
「わかりました。
あなたと結婚します」
はじまった契約結婚生活があまー……いはずがない!?
若園朋香、26歳
ごくごく普通の、町工場の社長の娘
×
押部尚一郎、36歳
日本屈指の医療グループ、オシベの御曹司
さらに
自分もグループ会社のひとつの社長
さらに
ドイツ人ハーフの金髪碧眼銀縁眼鏡
そして
極度の溺愛体質??
******
表紙は瀬木尚史@相沢蒼依さん(Twitter@tonaoto4)から。

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

あなたが居なくなった後
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの専業主婦。
まだ生後1か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。
朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。
乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。
会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願う宏樹。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる