想い出は珈琲の薫りとともに

玻璃美月

文字の大きさ
上 下
9 / 81
1.uno

uno-9

しおりを挟む
 それからしばらく、エドとコーヒーの話に花を咲かせた。話が合うことでつい調子に乗ってしまい、この留学中に訪れた店の話やそこで感じた印象を語っていると、エドはそれを顔を綻ばせて聞いてくれていた。
 しばらくし、薫さんを置き去りにして話している自分に気がついて、その顔を見上げるとまた目が合う。その顔はどこか楽しそうにも見えた。

「アヤ! Meraviglioso素晴らしい! どうだい? 私のパートナーにならないかね?」
 
 パチンとウインクして戯けたように言うエドは、まさにイタリア男性という感じだ。もちろん、その言葉は軽い冗談だと思うけれど。

 「お褒めにあずり光栄です。ですが……」

 さすがに今日、ここにいる理由は忘れていない。私にはすでにパートナーがいます、と言おうとしたところで、隣から腰をグッと引き寄せられた。

「亜夜は私の婚約者ですよ? この月の女神は誰にも渡すことはできません」

 薫さんの艶やかな声が私の耳まで届いたかと思うと、そのままこめかみに口づけされる。傍目から見ても、きっと完璧な婚約者同士に見えるだろう。内心焦りながらも、とにかく冷静に見えるようにそれを受け止めた。

「そうかそうか。亜夜は愛されているな。良いことだ」

 ご満悦な様子のエドとは、その場で挨拶を交わし別れる。その後ろ姿が遠ざかるのを確認し、ホッと息を吐いた。
 
(なんとか……やりきった?)

 共通の話題も見つかり会話は弾んだ。少なくとも粗相はしていないはずだ。けれど、普通なら会うことのないの相手に緊張していたのか、今ごろになって手が震えだした。

「パーティーを楽しんでいくかい?」

 自分の手を握りしめ思い返していると、腰に回ったその手の温もりに、現実に引き戻される。私の顔を覗き込むのは、穏やかな表情の薫さんだ。

「あ……。すみません。そんな余裕は残ってないみたいで。薫さんは楽しんでいらしたら……」
「亜夜がいなければ楽しめそうにない。よければ私の部屋で食事でもどうだろう?」

 本物の婚約者には、こんなふうに接していないのだろうか。薫さんは冷たく見えるけれど、優しい瞳を私に向けている。

「……はい。喜んで」

 もう二人きりでも緊張することはないだろう。こんな夢のようなひとときをもうしばらく味わっていたい。薫さんにリードされ、賑わうパーティー会場からゆっくり離れた。

 会場から部屋に戻る途中にあるロビーには、安藤さんと井上さんが落ち着かない様子で待ち構えていて、私たちの姿を見つけると足早に向かってきた。

「エドアルド氏とはお会いになれましたか?」
「ああ。亜夜のおかげで会話も弾んだよ。次のステップに移行できそうだ」

 薫さんに問いかけた井上さんは、その答えに少なからず驚いているようだ。もしかするとこのパーティーは、何かビジネスに関係していたのかも知れない。事前に聞いていたら、エドとあんな風に気軽に話しができていなかっただろう。改めて粗相をしていなくてよかったと胸を撫でおろした。

「君たちはもう休んでくれ。この数日、まともに休んでいないだろう?」
「ありがとうございます。では、亜夜さんをお送りして参ります」

 やった、と嬉しそうに声を上げる安藤さんを横目に、いたって真面目に井上さんは薫さんに告げる。その井上さんに、薫さんは軽く首を振った。

「今から二人で食事でもと誘っている。そのあとは私が送るよ」

 その言葉に、井上さんは眼鏡の奥にある切れ長の一重瞼をピクリと動かした。

「薫さんが……ですか?」

 井上さんは、どこか思うことがあるような、釈然としない表情を一瞬見せたが、すぐにいつもの冷静な表情に戻った。

「では、お言葉に甘えこれで失礼します。安藤、行こうか」

 井上さんは、隣で肩の荷を下ろしたのか両腕を振り上げ伸びをする安藤さんを促した。安藤さんは、腕を下ろすと嬉しそうにこちらへ笑顔を向ける。

「じゃ、亜夜ちゃん。謝礼はすぐに手配しておくから! 楽しみにしといて」
「はい。ありがとうございます」
「亜夜さん。今日はありがとうございました。また何かありましたら連絡してください」
「こちらこそ。お役に立ててよかったです」

 短い会話を交わすと、二人はビジネスライクに素っ気なく踵を返す。
 僅かな淋しさを感じながら、もう会うことはないだろう二人の背中を見送った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜

玖羽 望月
恋愛
 親族に代々議員を輩出するような家に生まれ育った鷹柳実乃莉は、意に沿わぬお見合いをさせられる。  なんとか相手から断ってもらおうとイメージチェンジをし待ち合わせのレストランに向かった。  そこで案内された席にいたのは皆上龍だった。  が、それがすでに間違いの始まりだった。 鷹柳 実乃莉【たかやなぎ みのり】22才  何事も控えめにと育てられてきたお嬢様。 皆上 龍【みなかみ りょう】 33才 自分で一から始めた会社の社長。  作中に登場する職業や内容はまったくの想像です。実際とはかけ離れているかと思います。ご了承ください。 初出はエブリスタにて。 2023.4.24〜2023.8.9

月城副社長うっかり結婚する 〜仮面夫婦は背中で泣く〜

白亜凛
恋愛
佐藤弥衣 25歳 yayoi × 月城尊 29歳 takeru 母が亡くなり、失意の中現れた謎の御曹司 彼は、母が持っていた指輪を探しているという。 指輪を巡る秘密を探し、 私、弥衣は、愛のない結婚をしようと思います。

俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜

ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。 そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、 理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。 しかも理樹には婚約者がいたのである。 全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。 二人は結婚出来るのであろうか。

あまやかしても、いいですか?

藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。 「俺ね、ダメなんだ」 「あーもう、キスしたい」 「それこそだめです」  甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の 契約結婚生活とはこれいかに。

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~ その後

菱沼あゆ
恋愛
その後のみんなの日記です。

契約書は婚姻届

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「契約続行はお嬢さんと私の結婚が、条件です」 突然、降って湧いた結婚の話。 しかも、父親の工場と引き替えに。 「この条件がのめない場合は当初の予定通り、契約は打ち切りということで」 突きつけられる契約書という名の婚姻届。 父親の工場を救えるのは自分ひとり。 「わかりました。 あなたと結婚します」 はじまった契約結婚生活があまー……いはずがない!? 若園朋香、26歳 ごくごく普通の、町工場の社長の娘 × 押部尚一郎、36歳 日本屈指の医療グループ、オシベの御曹司 さらに 自分もグループ会社のひとつの社長 さらに ドイツ人ハーフの金髪碧眼銀縁眼鏡 そして 極度の溺愛体質?? ****** 表紙は瀬木尚史@相沢蒼依さん(Twitter@tonaoto4)から。

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~

吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。 結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。 何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

あなたが居なくなった後

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの専業主婦。 まだ生後1か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。 朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。 乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。 会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願う宏樹。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……。

処理中です...