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1.uno
uno-9
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それからしばらく、エドとコーヒーの話に花を咲かせた。話が合うことでつい調子に乗ってしまい、この留学中に訪れた店の話やそこで感じた印象を語っていると、エドはそれを顔を綻ばせて聞いてくれていた。
しばらくし、薫さんを置き去りにして話している自分に気がついて、その顔を見上げるとまた目が合う。その顔はどこか楽しそうにも見えた。
「アヤ! Meraviglioso! どうだい? 私のパートナーにならないかね?」
パチンとウインクして戯けたように言うエドは、まさにイタリア男性という感じだ。もちろん、その言葉は軽い冗談だと思うけれど。
「お褒めにあずり光栄です。ですが……」
さすがに今日、ここにいる理由は忘れていない。私にはすでにパートナーがいます、と言おうとしたところで、隣から腰をグッと引き寄せられた。
「亜夜は私の婚約者ですよ? この月の女神は誰にも渡すことはできません」
薫さんの艶やかな声が私の耳まで届いたかと思うと、そのままこめかみに口づけされる。傍目から見ても、きっと完璧な婚約者同士に見えるだろう。内心焦りながらも、とにかく冷静に見えるようにそれを受け止めた。
「そうかそうか。亜夜は愛されているな。良いことだ」
ご満悦な様子のエドとは、その場で挨拶を交わし別れる。その後ろ姿が遠ざかるのを確認し、ホッと息を吐いた。
(なんとか……やりきった?)
共通の話題も見つかり会話は弾んだ。少なくとも粗相はしていないはずだ。けれど、普通なら会うことのないの相手に緊張していたのか、今ごろになって手が震えだした。
「パーティーを楽しんでいくかい?」
自分の手を握りしめ思い返していると、腰に回ったその手の温もりに、現実に引き戻される。私の顔を覗き込むのは、穏やかな表情の薫さんだ。
「あ……。すみません。そんな余裕は残ってないみたいで。薫さんは楽しんでいらしたら……」
「亜夜がいなければ楽しめそうにない。よければ私の部屋で食事でもどうだろう?」
本物の婚約者には、こんなふうに接していないのだろうか。薫さんは冷たく見えるけれど、優しい瞳を私に向けている。
「……はい。喜んで」
もう二人きりでも緊張することはないだろう。こんな夢のようなひとときをもうしばらく味わっていたい。薫さんにリードされ、賑わうパーティー会場からゆっくり離れた。
会場から部屋に戻る途中にあるロビーには、安藤さんと井上さんが落ち着かない様子で待ち構えていて、私たちの姿を見つけると足早に向かってきた。
「エドアルド氏とはお会いになれましたか?」
「ああ。亜夜のおかげで会話も弾んだよ。次のステップに移行できそうだ」
薫さんに問いかけた井上さんは、その答えに少なからず驚いているようだ。もしかするとこのパーティーは、何かビジネスに関係していたのかも知れない。事前に聞いていたら、エドとあんな風に気軽に話しができていなかっただろう。改めて粗相をしていなくてよかったと胸を撫でおろした。
「君たちはもう休んでくれ。この数日、まともに休んでいないだろう?」
「ありがとうございます。では、亜夜さんをお送りして参ります」
やった、と嬉しそうに声を上げる安藤さんを横目に、いたって真面目に井上さんは薫さんに告げる。その井上さんに、薫さんは軽く首を振った。
「今から二人で食事でもと誘っている。そのあとは私が送るよ」
その言葉に、井上さんは眼鏡の奥にある切れ長の一重瞼をピクリと動かした。
「薫さんが……ですか?」
井上さんは、どこか思うことがあるような、釈然としない表情を一瞬見せたが、すぐにいつもの冷静な表情に戻った。
「では、お言葉に甘えこれで失礼します。安藤、行こうか」
井上さんは、隣で肩の荷を下ろしたのか両腕を振り上げ伸びをする安藤さんを促した。安藤さんは、腕を下ろすと嬉しそうにこちらへ笑顔を向ける。
「じゃ、亜夜ちゃん。謝礼はすぐに手配しておくから! 楽しみにしといて」
「はい。ありがとうございます」
「亜夜さん。今日はありがとうございました。また何かありましたら連絡してください」
「こちらこそ。お役に立ててよかったです」
短い会話を交わすと、二人はビジネスライクに素っ気なく踵を返す。
僅かな淋しさを感じながら、もう会うことはないだろう二人の背中を見送った。
しばらくし、薫さんを置き去りにして話している自分に気がついて、その顔を見上げるとまた目が合う。その顔はどこか楽しそうにも見えた。
「アヤ! Meraviglioso! どうだい? 私のパートナーにならないかね?」
パチンとウインクして戯けたように言うエドは、まさにイタリア男性という感じだ。もちろん、その言葉は軽い冗談だと思うけれど。
「お褒めにあずり光栄です。ですが……」
さすがに今日、ここにいる理由は忘れていない。私にはすでにパートナーがいます、と言おうとしたところで、隣から腰をグッと引き寄せられた。
「亜夜は私の婚約者ですよ? この月の女神は誰にも渡すことはできません」
薫さんの艶やかな声が私の耳まで届いたかと思うと、そのままこめかみに口づけされる。傍目から見ても、きっと完璧な婚約者同士に見えるだろう。内心焦りながらも、とにかく冷静に見えるようにそれを受け止めた。
「そうかそうか。亜夜は愛されているな。良いことだ」
ご満悦な様子のエドとは、その場で挨拶を交わし別れる。その後ろ姿が遠ざかるのを確認し、ホッと息を吐いた。
(なんとか……やりきった?)
共通の話題も見つかり会話は弾んだ。少なくとも粗相はしていないはずだ。けれど、普通なら会うことのないの相手に緊張していたのか、今ごろになって手が震えだした。
「パーティーを楽しんでいくかい?」
自分の手を握りしめ思い返していると、腰に回ったその手の温もりに、現実に引き戻される。私の顔を覗き込むのは、穏やかな表情の薫さんだ。
「あ……。すみません。そんな余裕は残ってないみたいで。薫さんは楽しんでいらしたら……」
「亜夜がいなければ楽しめそうにない。よければ私の部屋で食事でもどうだろう?」
本物の婚約者には、こんなふうに接していないのだろうか。薫さんは冷たく見えるけれど、優しい瞳を私に向けている。
「……はい。喜んで」
もう二人きりでも緊張することはないだろう。こんな夢のようなひとときをもうしばらく味わっていたい。薫さんにリードされ、賑わうパーティー会場からゆっくり離れた。
会場から部屋に戻る途中にあるロビーには、安藤さんと井上さんが落ち着かない様子で待ち構えていて、私たちの姿を見つけると足早に向かってきた。
「エドアルド氏とはお会いになれましたか?」
「ああ。亜夜のおかげで会話も弾んだよ。次のステップに移行できそうだ」
薫さんに問いかけた井上さんは、その答えに少なからず驚いているようだ。もしかするとこのパーティーは、何かビジネスに関係していたのかも知れない。事前に聞いていたら、エドとあんな風に気軽に話しができていなかっただろう。改めて粗相をしていなくてよかったと胸を撫でおろした。
「君たちはもう休んでくれ。この数日、まともに休んでいないだろう?」
「ありがとうございます。では、亜夜さんをお送りして参ります」
やった、と嬉しそうに声を上げる安藤さんを横目に、いたって真面目に井上さんは薫さんに告げる。その井上さんに、薫さんは軽く首を振った。
「今から二人で食事でもと誘っている。そのあとは私が送るよ」
その言葉に、井上さんは眼鏡の奥にある切れ長の一重瞼をピクリと動かした。
「薫さんが……ですか?」
井上さんは、どこか思うことがあるような、釈然としない表情を一瞬見せたが、すぐにいつもの冷静な表情に戻った。
「では、お言葉に甘えこれで失礼します。安藤、行こうか」
井上さんは、隣で肩の荷を下ろしたのか両腕を振り上げ伸びをする安藤さんを促した。安藤さんは、腕を下ろすと嬉しそうにこちらへ笑顔を向ける。
「じゃ、亜夜ちゃん。謝礼はすぐに手配しておくから! 楽しみにしといて」
「はい。ありがとうございます」
「亜夜さん。今日はありがとうございました。また何かありましたら連絡してください」
「こちらこそ。お役に立ててよかったです」
短い会話を交わすと、二人はビジネスライクに素っ気なく踵を返す。
僅かな淋しさを感じながら、もう会うことはないだろう二人の背中を見送った。
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