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1.uno
uno-8
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ウェイターの運んできたシャンパングラスを受け取ると、それを片手に薫さんはオーナーの様子を伺っている。用事があるのは、きっとこのパーティーの主役だけなのだろう。会話を交わすことなく、私は婚約者に見えるよう隣に寄り添った。
「……亜夜」
名前を呼ばれて顔を上げると目配せされる。ちょうど向こうは、いったん人の波が途切れたようだ。優雅に歩く薫さんにエスコートされ歩みを寄せると、彼はこちらに気づいたようだ。
「Ciao! カオル。今日はまた美しい女神を連れているな!」
「Buonasera、エドアルド。貴方に紹介しようと連れてきました。私の……婚約者です」
薫さんは流暢にイタリア語でそう言って彼と挨拶を交わしている。私もそれに倣いイタリア語で続いた。
「Piacere! 亜夜と申します。お会いできて光栄です」
握手を交わすとエドアルドはニコニコと陽気な笑みを浮かべた。
「やぁ、アヤ。エドと呼んでくれ。それにしても、君はまるで月の女神のように美しい。カオルはどこで見つけてきたんだ?」
大袈裟に言いながら、エドは体を揺らし豪快に笑う。それに対し、薫さんは少しだけ口角を上げる。
「それは言えません。彼女が月に帰ってしまってはいけないので」
「ほう。それはそれで興味深い」
エドは年齢を重ね威厳のあるその顔をほころばせる。大輪のひまわりのような明るい表情だ。
「失礼いたします」
会話が落ち着くのを見計らっていたのか、私たちの元へトレーを持ったウェイターがやって来て恭しく頭を下げる。
「 Grazie」
エドはそのトレーから、小さなデミタスカップを持ち上げた。その大きさから中身は察しがつく。少し離れた自分の元へもふわりとエスプレッソの香りが届いた。
「私はアルコールよりもっぱらこれでね。アヤはもう飲んだかい?」
「こちらではまだ……。市内の店はいくつか訪れたのですが」
「じゃあせっかくだ。うちのも飲んでみてくれ」
エドがウェイターに合図すると、耳打ちされたその人はすぐに去って行った。
それからしばらく、薫さんはエドと談笑していた。私はそばで立っていただけで、難しい経済の話には参加できなかったが、エドは薫さんのことをしきりに褒めていた。ここに着いたときは硬い表情をしていた薫さんも、今は柔らかで穏やかな空気を纏っていた。
「お待たせいたしました」
さきほどのウェイターがトレーにニつ、デミタスカップを乗せ戻って来た。
「では、いただきましょう」
カップから立ち昇る香り。それだけでこのエスプレッソに期待が持てる。ウェイターの持つトレーにはシュガーポットが乗せてあり、そこからお砂糖をすくった。
「私のにも入れてくれるかい?」
「はい。もちろん」
私は顔を上げ微笑む。彼は、エスプレッソにはお砂糖を入れるのが当たり前だと知っているようだ。
トレーに並んだニつのカップにお砂糖を入れる。美しい泡の上に乗ったお砂糖は、そのあとゆっくり沈んでいく。それを確かめたあとスプーンで混ぜ、カップを薫さんに差し出す。
「どうぞ」
「ありがとう」
少しだけ口の端を上げると薫さんはそれを受け取る。私ももう一つを手に取ると、カップを口元へ運んだ。その芳醇な香りはいうまでもなく最高のものだ。嗅ぐだけで心が落ち着くような癒される香り。そして期待を膨らませ、その黄金色の泡が浮かぶ液体を一口、口に含む。
「……美味しい! このエスプレッソ、本当に美味しいです」
思わず目を見張ると薫さんを見る。顔を輝かせた私に、彼から「そうだね」と穏やかな表情が返ってきた。
「気に入ってくれたようだね」
そばで様子を眺めていたエドは満足そうな様子だ。
「はい。とても。今までで一番です。ただ……」
エドにそう伝えてから口ごもる。一つだけ気になったことがあり、それを口にしていいものかとためらっていた。
「どうかしたかね?」
エドはそんな私の表情を読み取ったのか、いぶかしむように尋ねた。
「こんなことを言っては失礼かと思いますが、先日訪れたバールのものに似ていて……」
恐る恐る口にすると、「ほう? どこの店だい?」彼は興味深そうに尋ねた。柔和な顔なのにその眼光は鋭く、この高級ホテルのオーナーという地位はさすがに伊達じゃない。一瞬ひるんでしまう。
けれどいったん口に出してしまったものを取り戻すことはできず、意を決してその、一昨日井上さんと安藤さんと出会った店の名前をエドに告げた。
「これはこれは……」
エドは驚いたように目を開き言うと、そのあと豪快に声を上げて笑い出した。
「この月の女神は相当な味覚の持ち主のようだ! あの店のオーナーとは幼なじみでね。うちのエスプレッソは彼が監修しているんだよ。知られてはいないがね」
(よかった……。薫さんに恥をかかせなくて)
ホッとしながらその様子を眺めたあと薫さんをちらりと見る。そんなに不躾に見たつもりはなかったのに、目が合うとほんのりと微笑まれ、気恥ずかしくて思わず顔を逸らしてしまった。
「……亜夜」
名前を呼ばれて顔を上げると目配せされる。ちょうど向こうは、いったん人の波が途切れたようだ。優雅に歩く薫さんにエスコートされ歩みを寄せると、彼はこちらに気づいたようだ。
「Ciao! カオル。今日はまた美しい女神を連れているな!」
「Buonasera、エドアルド。貴方に紹介しようと連れてきました。私の……婚約者です」
薫さんは流暢にイタリア語でそう言って彼と挨拶を交わしている。私もそれに倣いイタリア語で続いた。
「Piacere! 亜夜と申します。お会いできて光栄です」
握手を交わすとエドアルドはニコニコと陽気な笑みを浮かべた。
「やぁ、アヤ。エドと呼んでくれ。それにしても、君はまるで月の女神のように美しい。カオルはどこで見つけてきたんだ?」
大袈裟に言いながら、エドは体を揺らし豪快に笑う。それに対し、薫さんは少しだけ口角を上げる。
「それは言えません。彼女が月に帰ってしまってはいけないので」
「ほう。それはそれで興味深い」
エドは年齢を重ね威厳のあるその顔をほころばせる。大輪のひまわりのような明るい表情だ。
「失礼いたします」
会話が落ち着くのを見計らっていたのか、私たちの元へトレーを持ったウェイターがやって来て恭しく頭を下げる。
「 Grazie」
エドはそのトレーから、小さなデミタスカップを持ち上げた。その大きさから中身は察しがつく。少し離れた自分の元へもふわりとエスプレッソの香りが届いた。
「私はアルコールよりもっぱらこれでね。アヤはもう飲んだかい?」
「こちらではまだ……。市内の店はいくつか訪れたのですが」
「じゃあせっかくだ。うちのも飲んでみてくれ」
エドがウェイターに合図すると、耳打ちされたその人はすぐに去って行った。
それからしばらく、薫さんはエドと談笑していた。私はそばで立っていただけで、難しい経済の話には参加できなかったが、エドは薫さんのことをしきりに褒めていた。ここに着いたときは硬い表情をしていた薫さんも、今は柔らかで穏やかな空気を纏っていた。
「お待たせいたしました」
さきほどのウェイターがトレーにニつ、デミタスカップを乗せ戻って来た。
「では、いただきましょう」
カップから立ち昇る香り。それだけでこのエスプレッソに期待が持てる。ウェイターの持つトレーにはシュガーポットが乗せてあり、そこからお砂糖をすくった。
「私のにも入れてくれるかい?」
「はい。もちろん」
私は顔を上げ微笑む。彼は、エスプレッソにはお砂糖を入れるのが当たり前だと知っているようだ。
トレーに並んだニつのカップにお砂糖を入れる。美しい泡の上に乗ったお砂糖は、そのあとゆっくり沈んでいく。それを確かめたあとスプーンで混ぜ、カップを薫さんに差し出す。
「どうぞ」
「ありがとう」
少しだけ口の端を上げると薫さんはそれを受け取る。私ももう一つを手に取ると、カップを口元へ運んだ。その芳醇な香りはいうまでもなく最高のものだ。嗅ぐだけで心が落ち着くような癒される香り。そして期待を膨らませ、その黄金色の泡が浮かぶ液体を一口、口に含む。
「……美味しい! このエスプレッソ、本当に美味しいです」
思わず目を見張ると薫さんを見る。顔を輝かせた私に、彼から「そうだね」と穏やかな表情が返ってきた。
「気に入ってくれたようだね」
そばで様子を眺めていたエドは満足そうな様子だ。
「はい。とても。今までで一番です。ただ……」
エドにそう伝えてから口ごもる。一つだけ気になったことがあり、それを口にしていいものかとためらっていた。
「どうかしたかね?」
エドはそんな私の表情を読み取ったのか、いぶかしむように尋ねた。
「こんなことを言っては失礼かと思いますが、先日訪れたバールのものに似ていて……」
恐る恐る口にすると、「ほう? どこの店だい?」彼は興味深そうに尋ねた。柔和な顔なのにその眼光は鋭く、この高級ホテルのオーナーという地位はさすがに伊達じゃない。一瞬ひるんでしまう。
けれどいったん口に出してしまったものを取り戻すことはできず、意を決してその、一昨日井上さんと安藤さんと出会った店の名前をエドに告げた。
「これはこれは……」
エドは驚いたように目を開き言うと、そのあと豪快に声を上げて笑い出した。
「この月の女神は相当な味覚の持ち主のようだ! あの店のオーナーとは幼なじみでね。うちのエスプレッソは彼が監修しているんだよ。知られてはいないがね」
(よかった……。薫さんに恥をかかせなくて)
ホッとしながらその様子を眺めたあと薫さんをちらりと見る。そんなに不躾に見たつもりはなかったのに、目が合うとほんのりと微笑まれ、気恥ずかしくて思わず顔を逸らしてしまった。
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