上 下
5 / 81
1.uno

uno-5

しおりを挟む
「専門商社、ですよ。主に食材を扱っています。……安藤は、それくらいすぐ説明できるようになってください」

 安藤さんはバツの悪そうな表情で「そう言やいいのか。なんか難しく考えた」と頭を掻く。井上さんはそんな安藤さんを見て、何度目かの溜め息を吐きながらこちらに向いた。

「薫さんは私たちの上司、というより、社長なんです。私は第一秘書。安藤は第二秘書です」

 社長、と教えられ、驚いて薫さんを見る。薫さんは、特に表情を崩すこともなく、「私はたいしたことはありません。優秀な社員に支えられていますから」と低めで艶のある声でそう答えた。

「そ、うなんですね……」

 言われてみれば、このローマ市内では最上級クラスのホテルに泊まっていて、身につけているものも上質なものばかり。社長と言われてもなんら不思議ではない。

「やった! 薫さんに褒められた~!」

 唖然としたままの私を置いて、隣では安藤さんがはしゃいでいる。
 それに視線を送る薫さんは、「別に和希を褒めたつもりはないが?」と真顔で返していた。

「え~? 酷いなぁ。俺、薫さんのためにいっつも頑張ってるのに!」
 安藤さんが頬を膨らませながら言うと、薫さんは「冗談だ」と少し口元を緩めた。

 (今……笑った? それに、冗談って……)

 あまり表情を出さない薫さんの意外な姿に、少し親近感が湧いてしまう。

「どうか、されましたか?」

 あまりにも露骨に薫さんを見つめてしまったからか、不思議そうな表情の井上さんに尋ねられた。

「い、いえ。薫さんも笑うんだなって。って、すみません! 失礼なこと言って!」

 思ったことを口に出してしまってから慌てて謝ると、今度は私以外の三人が意外そうに、こちらにじっと視線を寄越した。

「亜夜さんは、薫さんが笑ったことに気づいたんですか?」

 少し驚いたように井上さんにそう投げかけられ、何故そんなことを聞くのだろう? と思いながら小さく頷く。

「はい……。何か変でしたか?」

 そう返すと、少し間が開いてから、今度は薫さんが口を開いた。

「私はかなり表情が乏しいらしくてね。何を考えているかわからないとよく周りから叱られるんだよ」

 その声に抑揚はほとんどなく、ただ淡々している。けれど何故だろう? 私には、少し喜んでいるように感じた。

「あの。間違っていたらすみません。もしかして、薫さんは今……嬉しいと思っていますか?」

 それに薫さんは、口を閉じたままほんの少し瞳を揺らした。

「亜夜ちゃん、マジすげぇ! ガキの頃から知ってる俺でも、やっと分かるこの無表情っぷりで、そこまでわかるんだ!」

 安藤さんは感心したようにそんな声を上げている。

「安藤さん、薫さんとはそんな頃からのお付き合いなんですか?」
「えーと。親戚っつうか、はとこってやつ? 親が従兄弟同士なんだよね」
「はとこ……」

 ニ人があまりにも雰囲気が違いすぎて、とても親戚には見えない、なんて思いながらつい二人の顔を見比べる。けれど、秘書というだけでは説明できない距離感には納得してしまう。

「亜夜は……」

 薫さんと目が合うと、不意に名前を呼ばれてドキリとする。

「はい」
「カフェでは接客をしているのか?」

 また表情のない淡々とした口調で薫さんは尋ねる。

「そう……ですね。修行中ですが、バリスタをしています。うちの店は、もちろん気軽に飲めるオリジナルブレンドなども用意しているのですが、お客様のその日の気分や好みをお聞きしてコーヒーを選んだりもしています」

 真っ直ぐに薫さんを見てそう答えると、彼はまたほんの少し表情を緩めていた。

「だから、なのかも知れないね。客と言っても千差万別。自分の思いをすんなり口に出せるものもいれば、そうでないものもいる。そのなかで君は、自然に相手の機微を読み取っているのだろう」

 まるで市場調査の分析結果でも話すかのように、淡々と薫さんは話す。けれどそれは的を射ていて、彼の優秀さを物語っているようだった。
 カフェに来てくださるお客様は様々だ。自分の好みをはっきり言葉にできるかたもいれば、うまく言葉にできないかたもいる。その中で色々と聞き取りしながら、喜んでいただける一杯を提供できるよう、日々努力しているつもりだ。もっと腕を磨いて、もっと美味しいコーヒーを楽しんでもらいたい。それが自分の願いで、この留学の目的でもあった。

「はい……。おっしゃる……通りです」

 驚いたようにたどたどしく返すと、「へ~っ」という安藤さんの感嘆の声が聞こえてきた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

恋煩いの幸せレシピ ~社長と秘密の恋始めます~

神原オホカミ【書籍発売中】
恋愛
会社に内緒でダブルワークをしている芽生は、アルバイト先の居酒屋で自身が勤める会社の社長に遭遇。 一般社員の顔なんて覚えていないはずと思っていたのが間違いで、気が付けば、クビの代わりに週末に家政婦の仕事をすることに!? 美味しいご飯と家族と仕事と夢。 能天気色気無し女子が、横暴な俺様社長と繰り広げる、お料理恋愛ラブコメ。 ※注意※ 2020年執筆作品 ◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。 ◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。 ◆大変申し訳ありませんが不定期更新です。また、予告なく非公開にすることがあります。 ◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。 ◆カクヨムさん/エブリスタさん/なろうさんでも掲載してます。

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

地味女で喪女でもよく濡れる。~俺様海運王に開発されました~

あこや(亜胡夜カイ)
恋愛
新米学芸員の工藤貴奈(くどうあてな)は、自他ともに認める地味女で喪女だが、素敵な思い出がある。卒業旅行で訪れたギリシャで出会った美麗な男とのワンナイトラブだ。文字通り「ワンナイト」のつもりだったのに、なぜか貴奈に執着した男は日本へやってきた。貴奈が所属する博物館を含むグループ企業を丸ごと買収、CEOとして乗り込んできたのだ。「お前は俺が開発する」と宣言して、貴奈を学芸員兼秘書として側に置くという。彼氏いない歴=年齢、好きな相手は壁画の住人、「だったはず」の貴奈は、昼も夜も彼の執着に翻弄され、やがて体が応えるように……

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

不埒な一級建築士と一夜を過ごしたら、溺愛が待っていました

入海月子
恋愛
有本瑞希 仕事に燃える設計士 27歳 × 黒瀬諒 飄々として軽い一級建築士 35歳 女たらしと嫌厭していた黒瀬と一緒に働くことになった瑞希。 彼の言動は軽いけど、腕は確かで、真摯な仕事ぶりに惹かれていく。 ある日、同僚のミスが発覚して――。

絶体絶命!!天敵天才外科医と一夜限りの過ち犯したら猛烈求愛されちゃいました

鳴宮鶉子
恋愛
絶体絶命!!天敵天才外科医と一夜限りの過ち犯したら猛烈求愛されちゃいました

処理中です...