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1.uno
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「専門商社、ですよ。主に食材を扱っています。……安藤は、それくらいすぐ説明できるようになってください」
安藤さんはバツの悪そうな表情で「そう言やいいのか。なんか難しく考えた」と頭を掻く。井上さんはそんな安藤さんを見て、何度目かの溜め息を吐きながらこちらに向いた。
「薫さんは私たちの上司、というより、社長なんです。私は第一秘書。安藤は第二秘書です」
社長、と教えられ、驚いて薫さんを見る。薫さんは、特に表情を崩すこともなく、「私はたいしたことはありません。優秀な社員に支えられていますから」と低めで艶のある声でそう答えた。
「そ、うなんですね……」
言われてみれば、このローマ市内では最上級クラスのホテルに泊まっていて、身につけているものも上質なものばかり。社長と言われてもなんら不思議ではない。
「やった! 薫さんに褒められた~!」
唖然としたままの私を置いて、隣では安藤さんがはしゃいでいる。
それに視線を送る薫さんは、「別に和希を褒めたつもりはないが?」と真顔で返していた。
「え~? 酷いなぁ。俺、薫さんのためにいっつも頑張ってるのに!」
安藤さんが頬を膨らませながら言うと、薫さんは「冗談だ」と少し口元を緩めた。
(今……笑った? それに、冗談って……)
あまり表情を出さない薫さんの意外な姿に、少し親近感が湧いてしまう。
「どうか、されましたか?」
あまりにも露骨に薫さんを見つめてしまったからか、不思議そうな表情の井上さんに尋ねられた。
「い、いえ。薫さんも笑うんだなって。って、すみません! 失礼なこと言って!」
思ったことを口に出してしまってから慌てて謝ると、今度は私以外の三人が意外そうに、こちらにじっと視線を寄越した。
「亜夜さんは、薫さんが笑ったことに気づいたんですか?」
少し驚いたように井上さんにそう投げかけられ、何故そんなことを聞くのだろう? と思いながら小さく頷く。
「はい……。何か変でしたか?」
そう返すと、少し間が開いてから、今度は薫さんが口を開いた。
「私はかなり表情が乏しいらしくてね。何を考えているかわからないとよく周りから叱られるんだよ」
その声に抑揚はほとんどなく、ただ淡々している。けれど何故だろう? 私には、少し喜んでいるように感じた。
「あの。間違っていたらすみません。もしかして、薫さんは今……嬉しいと思っていますか?」
それに薫さんは、口を閉じたままほんの少し瞳を揺らした。
「亜夜ちゃん、マジすげぇ! ガキの頃から知ってる俺でも、やっと分かるこの無表情っぷりで、そこまでわかるんだ!」
安藤さんは感心したようにそんな声を上げている。
「安藤さん、薫さんとはそんな頃からのお付き合いなんですか?」
「えーと。親戚っつうか、はとこってやつ? 親が従兄弟同士なんだよね」
「はとこ……」
ニ人があまりにも雰囲気が違いすぎて、とても親戚には見えない、なんて思いながらつい二人の顔を見比べる。けれど、秘書というだけでは説明できない距離感には納得してしまう。
「亜夜は……」
薫さんと目が合うと、不意に名前を呼ばれてドキリとする。
「はい」
「カフェでは接客をしているのか?」
また表情のない淡々とした口調で薫さんは尋ねる。
「そう……ですね。修行中ですが、バリスタをしています。うちの店は、もちろん気軽に飲めるオリジナルブレンドなども用意しているのですが、お客様のその日の気分や好みをお聞きしてコーヒーを選んだりもしています」
真っ直ぐに薫さんを見てそう答えると、彼はまたほんの少し表情を緩めていた。
「だから、なのかも知れないね。客と言っても千差万別。自分の思いをすんなり口に出せるものもいれば、そうでないものもいる。そのなかで君は、自然に相手の機微を読み取っているのだろう」
まるで市場調査の分析結果でも話すかのように、淡々と薫さんは話す。けれどそれは的を射ていて、彼の優秀さを物語っているようだった。
カフェに来てくださるお客様は様々だ。自分の好みをはっきり言葉にできるかたもいれば、うまく言葉にできないかたもいる。その中で色々と聞き取りしながら、喜んでいただける一杯を提供できるよう、日々努力しているつもりだ。もっと腕を磨いて、もっと美味しいコーヒーを楽しんでもらいたい。それが自分の願いで、この留学の目的でもあった。
「はい……。おっしゃる……通りです」
驚いたようにたどたどしく返すと、「へ~っ」という安藤さんの感嘆の声が聞こえてきた。
安藤さんはバツの悪そうな表情で「そう言やいいのか。なんか難しく考えた」と頭を掻く。井上さんはそんな安藤さんを見て、何度目かの溜め息を吐きながらこちらに向いた。
「薫さんは私たちの上司、というより、社長なんです。私は第一秘書。安藤は第二秘書です」
社長、と教えられ、驚いて薫さんを見る。薫さんは、特に表情を崩すこともなく、「私はたいしたことはありません。優秀な社員に支えられていますから」と低めで艶のある声でそう答えた。
「そ、うなんですね……」
言われてみれば、このローマ市内では最上級クラスのホテルに泊まっていて、身につけているものも上質なものばかり。社長と言われてもなんら不思議ではない。
「やった! 薫さんに褒められた~!」
唖然としたままの私を置いて、隣では安藤さんがはしゃいでいる。
それに視線を送る薫さんは、「別に和希を褒めたつもりはないが?」と真顔で返していた。
「え~? 酷いなぁ。俺、薫さんのためにいっつも頑張ってるのに!」
安藤さんが頬を膨らませながら言うと、薫さんは「冗談だ」と少し口元を緩めた。
(今……笑った? それに、冗談って……)
あまり表情を出さない薫さんの意外な姿に、少し親近感が湧いてしまう。
「どうか、されましたか?」
あまりにも露骨に薫さんを見つめてしまったからか、不思議そうな表情の井上さんに尋ねられた。
「い、いえ。薫さんも笑うんだなって。って、すみません! 失礼なこと言って!」
思ったことを口に出してしまってから慌てて謝ると、今度は私以外の三人が意外そうに、こちらにじっと視線を寄越した。
「亜夜さんは、薫さんが笑ったことに気づいたんですか?」
少し驚いたように井上さんにそう投げかけられ、何故そんなことを聞くのだろう? と思いながら小さく頷く。
「はい……。何か変でしたか?」
そう返すと、少し間が開いてから、今度は薫さんが口を開いた。
「私はかなり表情が乏しいらしくてね。何を考えているかわからないとよく周りから叱られるんだよ」
その声に抑揚はほとんどなく、ただ淡々している。けれど何故だろう? 私には、少し喜んでいるように感じた。
「あの。間違っていたらすみません。もしかして、薫さんは今……嬉しいと思っていますか?」
それに薫さんは、口を閉じたままほんの少し瞳を揺らした。
「亜夜ちゃん、マジすげぇ! ガキの頃から知ってる俺でも、やっと分かるこの無表情っぷりで、そこまでわかるんだ!」
安藤さんは感心したようにそんな声を上げている。
「安藤さん、薫さんとはそんな頃からのお付き合いなんですか?」
「えーと。親戚っつうか、はとこってやつ? 親が従兄弟同士なんだよね」
「はとこ……」
ニ人があまりにも雰囲気が違いすぎて、とても親戚には見えない、なんて思いながらつい二人の顔を見比べる。けれど、秘書というだけでは説明できない距離感には納得してしまう。
「亜夜は……」
薫さんと目が合うと、不意に名前を呼ばれてドキリとする。
「はい」
「カフェでは接客をしているのか?」
また表情のない淡々とした口調で薫さんは尋ねる。
「そう……ですね。修行中ですが、バリスタをしています。うちの店は、もちろん気軽に飲めるオリジナルブレンドなども用意しているのですが、お客様のその日の気分や好みをお聞きしてコーヒーを選んだりもしています」
真っ直ぐに薫さんを見てそう答えると、彼はまたほんの少し表情を緩めていた。
「だから、なのかも知れないね。客と言っても千差万別。自分の思いをすんなり口に出せるものもいれば、そうでないものもいる。そのなかで君は、自然に相手の機微を読み取っているのだろう」
まるで市場調査の分析結果でも話すかのように、淡々と薫さんは話す。けれどそれは的を射ていて、彼の優秀さを物語っているようだった。
カフェに来てくださるお客様は様々だ。自分の好みをはっきり言葉にできるかたもいれば、うまく言葉にできないかたもいる。その中で色々と聞き取りしながら、喜んでいただける一杯を提供できるよう、日々努力しているつもりだ。もっと腕を磨いて、もっと美味しいコーヒーを楽しんでもらいたい。それが自分の願いで、この留学の目的でもあった。
「はい……。おっしゃる……通りです」
驚いたようにたどたどしく返すと、「へ~っ」という安藤さんの感嘆の声が聞こえてきた。
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