第二王子は憂鬱~divine femto~ 学園都市ピオニール編

霜條

文字の大きさ
上 下
82 / 83

間奏曲 ――直流と傍流――

しおりを挟む
 先に休んでいいと伝えられたが、随分とお疲れなご様子の主を置いて部屋を後にすることは、やや後ろ髪を引かれるものがあった。
 もうひとり、主が残した相手は恐らく休息のために引き留めたのだろう。一昨日の出来事を思い出せば、殿下も頼りにしていた。
 予定通り親しくされている、悪いことではないはずだ。
 ただ、どこか普段とご様子が違うことが気になった。――――『どこが』、と考えても漠然としたもので、もやがかかったかのような視界の悪さが心に絡み、釈然しないものを残している。
 今日一日だけでも色んなことがあった。気になる違和感が、その疲労から来るものかもしれない。引き続き観察が必要だろう。
 思案しながら階段を降りれば、階下に誰ががいる気配がした。こちらの到来を待っていたのか、その人影が忙しなく動くも、どこか躊躇ためらっているようにも見える。
 気にせず降りていけば、良く知る人物がそこにいた。
「どうかされたのですか、コルネウス様――だ?」
 ノイエシュタイン家のご子息であらせられる、コルネウス様だった。
 殿下と同じほどの身長に、鎖骨まで伸びた黒髪を緩やかに肩で結びらしている。
 そろそろお休みになる時間でもあるためか、羽織を肩にかけ緩やかな格好をされていた。
 高潔さを身にまとい、家の誇りを大事になさっている、本家直流の嫡子であり従兄弟でもある方だ。十歳のときにアルブレヒト家に奉公として召し上げられ、顔を合わせる機会はほぼなかった。恐らく自分のことを知っていたかどうか、分からないくらいには接点がなかった相手だ。
 主がこの学園に来てからは、ディアス様を慕っていることもありよく声を掛けられた。
 同じ家の名を冠する者同士助け合えれば、ということだったが、人の面倒を見るのが好きな御仁だ。――思っていたよりもずっと、親身に自分のことも気にかけて下さる方でもあった。
「………………もしかして聞いたか?」
 周囲には誰もいないが、低く躊躇いがちな声で尋ねられる。
「何をでしょうか?」
 ふと何かに気付いたようで周囲を見回し、緊張した面持ちになった。
「あの御仁は……? どうして君ひとりなんだ――」
「フィフスのことでしょうか。殿下が少しお話されたいようでして、まだ部屋に」
 余程ショックだったらしく愕然がくぜんとした顔になり、数歩よろめけば頭を抱えられた。
「――終わった……」
「何がでしょうか?」
「いや、いいんだ……。これは己が今まで道を違えていた罰だと思えば、それを受け入れよう」
 決断と共に何かを飲み込んだようで、自己完結と共に身なりを整えた。
 少々お話が一方通行気味になるところが玉に瑕だが、基本悪い人ではないのだ。
 だが、主はこの一方通行なところがお好きではない。出来うる限り主の味方ではありたいが、コルネウス様の良いところも知って頂けたらいいと、かすかに願っていた。
「……フィフスが騎士見習いを誤解していたと話はしていましたが、それ以上は特に聞いておりません。殿下たちもその迷惑な方の方を気にかけていらしたので、コルネウス様たちのことを根掘り聞くようなことはされないかと……」
 残念ながら、主はそこまでコルネウス様のことは関心がないだろう。傷付けないよう遠回しに伝えた。
「……そうか」
 気が抜けたかのように返事をすれば、深くため息をつかれた。どんな話をされたのかは分からないものの、ご自身のことを深くさらけ出したのかもと気付く。
 不思議だ。――先ほどから取り乱されているコルネウス様もそうだが、周りに心を開かない殿下すら、フィフスは開いてしまった。
 あの飾らぬ態度がそうさせるのだろうか。
 以前二人で話したことを思い出せば分からなくもないが、やはり不思議に思えた。
「……少々言葉がストレートだったり、勘違いをよくされていますが、根は素直な方かと。それに今はオクタヴィア様のご許可のもと、殿下の側にいる方です。ゆえあってのことですし、ピオニールのこともラウルスのことも良くしたいと、そう考えているのを側にいて感じます」
 ふと似たようなことを思い出す。
「……そういえば、私と殿下も危ないところを助けていただきましたが、名乗ったらロイヤル詐欺だと誤解されました。――あの時はすぐに誤解は解けましたが」
 口にしてみればやはり似たような状況だ。詐欺とストーカー、どちらがマシか分からないが似たり寄ったりだろう。
「――――は? ……君たちを……? ものを知らないにも限度があるだろう……! やはり彼には別途教育が必要じゃないか、――あぁ、直々にこの私が彼に教えてやろう!」
「ですが、殿下はそういうのは望まれないかと。好きにさせてあげてくれと、そう私も伝えられました」
 コルネウス様も先ほどフィフスに注意をしようとしたら、殿下に『必要ない』と断られていた。――同じ家の者同士、言い方は違えども、似たようなことを主に言われた状況になんだか可笑しさが湧いてくる。
 だがその感情を共有してくれる人はここにおらず、コルネウス様は怒りを沈めるかのように静かに息を吐いた。
「……そうか、ならとやかく言うことはやめておこう。これ以上失態は重ねたくないからな」
 ひどく静かになる目の前の従兄弟君に少しだけ動揺した。――普段であれば、主に良いところを見せようと躍起やっきになるからだ。
 これだけ素直に引くところは初めて見た。
「……こちらで何があったんですか?」
 ディートヘルム様の女性の好みまで話せるほど時間があったように思えなかったし、どうしてそんな流れになったのか見当がつかなかった。
 部屋に来て良いと許可を出してから30分程度だ。――従兄弟君の様子もそうだが、ここで何があったのか興味がわずかばかりだがあった。
 きびすを返そうとしていたが、従兄弟君が躊躇いがちにこちらへ身体を向ける。
「まぁ、いいだろう。――万一にも殿下のお耳に入るなら、どうせ君にも伝わるだろうしな。……少し座って話そうか」
 階段の近くにある小さな歓談スペースへ案内され、二人で座る。――立場が違えど、話すときは対等に接してくれるところもコルネウス様の好ましいところだ。
 歳が近いのもあるが、後から来た殿下や自分の先達として何度もこうして助言を頂いた。――しばしの懐かしさに、暖かなものが胸に込み上げる。

 ソファに二人で腰掛ければ、重いものを吐き出すように息をついた。
「……先の決闘のあと、ここで殿下に言われたことを考えていたんだ」
 階段を上がればすぐの場所だ。上階へ向かう途中であれば、否が応でも目につくだろう。――彼が声を掛けたというのも、すぐに納得がいった。
「そしたら、制服姿のあの御仁が目の前にいてな……。何故、と思ったが殿下のご友人であり、勝者でもある。……ご丁寧に負け犬を嘲笑いに来たのかと、そう思ったんだ」
 コルネウス様の中で、フィフスという人物がそう見えるらしい。
 殿下の友人という看板を下げているのに、この評価が気になりつつも静かに聞き入った。
「だから睨みつけてやれば、気にせずこちらに来てな……。敗者らしく好きに罵倒でもされてやろうと思ったら、……『殿下と仲良くなりたいのか』、と尋ねられてな……」
 深く息を吐き、その時のことを思い出しているのだろうか、切れ長の黒瞳を深く落とした。
「小馬鹿にされていると思って言い返せば、あの御仁は気にした風もなく、――『どうしてそう言わないんだ?』と恥ずかしげもなく聞いてきた。仲良くだと? 子供じゃないんだ。お慕いこそすれ見返りなどは不要だ。いずれ、……ディアス様だけではないが、王位継承権を持つ方がご立派になられることこそ、我らにとって史上の喜びだ。……決して遊びであの方々をお慕いしている訳じゃない」
 従兄弟君の言葉に頷き、静かに聞き入る。
 この国がおこってから絶対不動の王冠を戴くアルブレヒト家。――――過去王位簒奪さんだつを企てた者もあったが、そのことごとくを退け、今日こんにちまでラウルスを平穏無事に守り抜いてきた。
 そして、この国で最も神に愛されている一族でもある。
 その証にオクタヴィア様は、神の啓示を受けた。――数年から数百年に一度、気まぐれに神は王に『啓示』を与える。
 神は王の前にしか現れない。――故にこの国の絶対王者はアルブレヒト家であり、人々が神の真意と恩寵を受けるためにはアルブレヒト家を擁し支え、在るべき道を時には敷き、時には追従していった過去がある。
 王家に仕える一門はそう教えられる――。
「そう伝えたら、――殿下を慕っている者はここにはたくさんいるが、あの方が好きなものや大事にしているものが何か知っているのか? 知っていても、先のことを考えすぎていま目の前で踏みつけてはいないか? ……一方的に好意を寄せられても、互いに気持ちを通わせなければ結局ディアス様は孤独のままだ、それは寂しいことじゃないのかと、さとされた……」
 彼の口から、飾らぬ言葉が出るのは分かるが、――――思った以上に直接的な話をしていたようだ。
 諦めと落胆、失意と失望、そんなものが滲む声だが、こちらに向けられる表情はすっきりとしていた。
「君にも再三言われていたが、……殿下にも勝手にこちらの期待を押し付けるなと言われた言葉の意味が、恥ずかしながらようやく分かった気がした。――お役に立ちたい、良くしたいという気持ちが先走り、見返りも要らないからと話を聞かず、……なんと嫌な先達だったことだろう」
「コルネウス様……」
 自嘲気味に笑われる。
 昨夜この方たちの事を知り、主と彼らについて一言二言程度しか聞いていなかったと思うが、少しの出会いにも関わらず核心を突くのかと関心する。
 同時に兄君の件もやはりどうにかしてくれるのではと、期待が高まる。
「……頂きに在る人は孤独である、という本質を忘れていた。――孤高であることは尊いものだと思っていたが、ゼルディウス様がご不在になられてからふさいでおられたのを、気付かないフリをしていた……」
「――そうですね」
 訂正をいれるなら、その前からゼルディウス様を毀損きそんするような言動のせいもあると伝えたいが、今は言葉を飲む。コルネウス様を追い詰めたい訳ではないので。
 階段の向こうにある窓は真っ暗だ。この階も階下も人の気配はだいぶ引き、静けさだけがこの場を支配する。
「殿下と仲良くなりたい訳ではない。――だが、慕う方のお気持ちに寄り添えない者であれば、それこそいくら数が揃おうが手入れのされていない庭と同じ。……無意味なだけで、見る者の心をより荒れさすだけだ」
 もうひとつ深く呼吸をすれば、その顔に強い意思が戻ってくる。
「やり直しの機会が与えられなくてもいい。『気付いた時が最も早いタイミング』だというのなら、改めて一から身の振り方を考え、己の在り方を決めようと思う」
 こちらに向けられる決意と黒い瞳に宿る力強さ、そして聞き覚えのある言葉にかの友人の影を見た。
 ようやく静かになった暗闇の中、またひとつ明かりが見える。

 混沌を認める神は人々に多くの選択肢と可能性を与えた。
 だがあまりにも多すぎる道に、生涯彷徨い続ける者も多い。
 だから人々は助け合い、ひとりでは進めぬ道を互いに手を取り、己が道を見つけ進むことを示した。
 それが創生神アクロウェルの教えである。
 たったいま、異教徒である彼がここにその道標みちしるべを残して行ったように思えた――。

「それがひとつめのやり取りだ。――ディートヘルムもその時ここにいてな、ふるい立たせてくれたはいいが、殿下が我々のことをしつこいと思っていると伝えられた。……話しを聞かず、こちらの気持ちを押し付けていた件については反省するしかないが、身に覚えのないことを言われたんだ。流石に二人で反論すれば、騎士道はそういうもの・・・・・・じゃないのか、とかの御仁が言うじゃないか」
「……それは聞きました。随分と……、横暴な方がいるんですね」
「あぁ、――どうやらあの御仁も最初騎士にならないかと誘われたこともあるらしく、断っても相変わらず振りかざされれば辟易へきえきもするだろう。……さすがにそのような横暴な行為、騎士道にもとる行いだ。それを全てと受け取ってくれるなと話をした」
 周囲へ示すべき道を恣意しいに振りかざす者へ、憎々しげな眼差しを送っている。
 あのご友人が騎士か――。殿下たちの寝具のサイズを嬉々として測るような方から、何を見出したのか若干気になるところだ。
「……だがまぁ、『あの人』は若干思い込みが強いところがあるからな。きっと何かあったのだろう」
「ご存知なのですか?」
「……あぁ。悪い方ではないんだ。きっと何かひとかたならぬ事情があるに違いない。そうでもなければ、そんな横暴なことをされる人ではないんだ……」
 幾重にもかばうような言動に、親しい方なのだと分かる。
「ノルベルト卿以外にも、どなたか聖国にいらっしゃるのですか?」
 騎士見習いであり、女王陛下の推薦すいせんということであれば、すでに成人されている六大貴族の一門でもある彼が思いつい。
 だが、恐らく違うだろう。
 なにより、悪い噂を聞かない御仁だ。武の研鑽けんさんのために聖国にいると聞いているだけに、問題を起こすとも思えなかった。
「……その件については明言を避けていいだろうか。同胞を悪く言いたくはない」
 目をおおい、顔を伏せている。触れない方がいい話題だったようだ。
「承知しました。ただの好奇心でお尋ねしただけですので、どうかお気になさらず」
「感謝する。……だいたいそんなところだ」
 従兄弟君は深くため息をつき、前傾にしていた身体をソファの背に預けた。――お休みになる前だからだろうか、いつもより力が抜けているようにも見えた。
「……そんな風に話をしたものだから、てっきり我々と約束を果たすために来たんだと思っていたんだ。――あの場で次の約束を取り次ぐこともしなかったものだから」
「確かに……、あの時は問答無用で連れて行かれましたからね」
 あっという間に連れ去るような手際の良さに、慣れたもの感じていた。
 きっと自由すぎるから、師団長殿はそうしたのだろう。
 まるで子どものような扱いで、殿下も随分と呆気あっけに取られていた。
 ふと殿下がお小さい頃に何度か、お運びしたことを思い出す。――いまや背を抜かれ、御立派になられたことを思えば、幾年の月日の流れに感慨かんがい深さを覚える。その健やかなるご成長に少しでも携われたことは、無上の喜びでもあると、じんわりと目頭を熱くさせた。
 もうすぐ御生誕の日でもある。――毎年盛大にお祝いされるものの、今年は特別だ。その件についてはあまり前向きではないが、責務と思ってなんとかこなされるだろう。
 アストリッド様とゼルディウス様の時もそうだった。レティシア様のときは、あのご性格からお二人の時よりも一層楽しげに幾人いくにんもの人をはべらせていたものだ。
 別に誕生日に踊るからといって、特別な何かがある訳ではない。
 だから気負うことは決してないのだが、社交の場があまり得意ではない主にとっては憂鬱ゆううつなのだろう。
 それにしても――――、せっかくできたくだんの友人はその前に帰国する。それこそ、お寂しいものになるというものではないだろうか。
 少しだけ、帰国を伸ばしてもらうことは出来ないだろうか――――。
「……それで、皆に改めてあの御仁を紹介している際に、ディートヘルムがシューシャへ避暑へ訪れた時の話をしていたんだ。ネーベルから近いということもあり、近年行く者が増えていると聞く。――君も耳にしたことはあるか?」
「海洋研究のための施設があるとか。ここの博物館で展示をしており、先日殿下たちと拝見いたしました。……海を割った写真を目にしましたが、にわかには信じられませんでしたね」
 東方天――、幾度となくその名も姿も見たことはあった。主が幼い頃にお世話になった方だそうで、直接お会いしたことはないもののその存在があの方にとって大きいことは側にいて知っている。同い年でありながらすでに国を負い、使命を持って前線に立つ方だ。
 その方をお慕いすることは、良いことなのか分からない。――気落ちされることもあるため精神衛生上良ろしくないし、聖国から離れられない方だ。殿下のことも覚えてないと聞いている以上、執心しゅうしんしてもご自身が辛くなるのではとはたから見て感じていた。
 ふと、フィフスに会ったら言わねばならないことを思い出す。おそらく彼が読まないと、あの溜まる新聞に殿下は手をつけないつもりなのかもしれない――――。
「どうやらディートヘルムのやつが、そこでひとりの女性を気に入ったそうなんだ。それが蒼家の方だそうで、ご友人殿の身内だったらしい。元々派手好きだとは知っていたが、――そろそろ付き合いを考えるべきかもしれない」
 据えた目でここにいないご友人のことを考えている。――お二人は家は違うものの幼馴染で、昔から親しいご関係だ。学園に来てからもずっと一緒にいるところを見ているだけに、決定的ななにかがあったのか――。
「……こればかりは個人の自由だし、君の耳に入れるに及ばぬ話だったな。すまない、忘れてくれ」
 そう言って席を立った。
「――アイベル、何故先に戻ったんだ。」
 第三者の声がして辺りを探せば、上階から身を乗り出しこちらに不満げに声をかける者があった。――渦中かちゅうの人物だ。
 軽い足取りで階段を降り、悠然とこちらに来る。――先ほど会った時よりも冷たい声に、注意されているのだと気付いた。
 慌てて席を立ち、近付くフィフスへと足を近付ける。
「アイツを守るのはお前の役目だろう、前にもそう言ったはずだ。ゾフィならば、決して他人に主人のことをゆだねたりしない。私に気を許しすぎだ。」
「……申し訳ありません」
 もっともな話に反省するしかなかった。下がれと言われて、主人の無事を確かめず去るなど不用心にも程がある。
 他意のない方ではあるが、秘密のある方だ。――万が一殿下に何かあれば、すぐに守りに行けないのは侍従として失格だろう。
「主人の言うことを全て聞くのが良い侍従ではないだろう。忘れているようだからもう一度言う。――私を信用するな。私はあくまでも一時的にここにいるだけの人間に過ぎない。大事なものはお前たち自身が守れ。」
 そう言いながら、なぜか隣のコルネウス様にも指を突き立てていた。――何度か見ていたが、気付けばすぐ近くの人を巻き込む。
「……私にも言ってるのか?」
「そうだ。お前もディアスたちが大事なのだろう? なら私のような一時いっときしかいないような、不誠実な人間に全てをゆだねるな。」
 きっぱりと自身の立場を明らかにすれば、殿下の友人という看板を背負っていてもおごる気がないことが分かる。
 線引きをしっかり引かれるところに誠実さが見えるものの、同時に冷たい壁も見えた。――この人は気付いていないのだろうか。
「私なら大事なものは確信できる相手にしか委ねない。……信頼に応えるつもりではいるが、それはずっとじゃない。成すべきことを果たせば、私は居なくなる人間だ。ここで必要な責任は果たすつもりだが、それ以上は請け負えない。――言っていることが分かるか?」
「――そのような心持ちで、殿下に近付かないでくれるか」
 彼の言葉にコルネウス様が怒りを見せた。お慕いしているからこそ、不誠実な態度に見えるのだろう。
 フィフスから伝えられていることだが、口止めもされている以上どちらの肩を持つことも出来なかった。
「それは無理だ。ディアスと約束したからな。……では果たせない分は、たくそう。――例えばお前とか。」
 さらりと手のひらを差し出し、隣に立つコルネウス様を示す。
「バカを言うな……。すでに信頼もないというのに」
「ならさっさと信頼を得るよう、カッコつけてないで近付いてやれ。アイツはお前たちの在り方を、自分のために変えさせるようなヤツじゃない。そうだろ?」
 同意を求められ、二人して面食らう。
 確かにフィフスにはそういう態度だが、今まで殿下の在り方を思うに周囲への関心が薄い。
 『興味がない』と、言い切っても差し支えないだろう。
 でもそれは仕方のないことだ。――――ディアス様にとって、大事にする人は皆手の届かないところに行ってしまうことが多すぎた。
 気安く誰かに心を渡して見せるのが、難しいのだろう。
「簡単に言ってくれるな。今までどれだけお側で見てきたと……」
「私なんかまだ四日しかアイツのことを知らない。そんなヤツにお前たちが負けてどうする?」
 煽る、というよりは真剣にこちらをおもんぱかっているのだろう。真剣な眼差しが、我々を見据えている。――いまいちどういう立場でいるのか分からないが、時折見せるこの毅然きぜんとした態度が、それなりの立場にある者の振る舞いだと分かる。
 蒼家の御曹司という言葉を何度か耳にしたが、立場的には主と同じようなものなのかもしれない。
「今から始めるんだ。これ以上失うものがないのは僥倖ぎょうこうじゃないか。あとは前に進むしかないんだ、失敗しても開き直って行け。」
 腕を組み事もなく言い放つ姿が傲慢にも見えるが、幾度となく間違えや勘違いをさらしても動じないところは、見習うものがある気がする。――――だが、
「できれば殿下にフォローされてばかりになるのは、やめていただけないでしょうか」
「でも迷惑をかけてもいいと了解を得ている。」
「いつの間に……」
 けろりと言い放つ友人に呆れるしかなかった。
 二人で話していた時だろうか。なんでも許しているだけに、了承を取ったと言われれば可能性がありそうで肩が落ちる。
 もう一度正面から見れば、意志の強い青い瞳に黒い前髪が薄くかかる。細い首元に一本引かれたチョーカーが目につく制服姿で、金色の剣を腰から下げた御仁。
 学生の姿をしながらも、ここの誰とも違う空気を身に纏う。
 気やすさと素直さがありながら、毅然とした態度で人をいさめ、危機を救いにどこからともなく駆け付けてくれる正義感がある。誰彼構わず力試ししたい好戦的な性格も見せるのに、冷静に五人の騎士見習いたちを軽くいなしてしまうなど、どことないアンバランスさが目につく人だ。
 先ほどもここの生徒たちに囲まれていたが、中でも一等華奢きゃしゃに思えた。背が低いということを抜いても、頼りなさがどこか見える。――そういうところを主は案じておられるのかもしれない。
 ため息をつく。
「フィフス、気付いてないかもしれませんが、だいぶ貴方は特別待遇ですよ。……あまりコルネウス様をあおるのはやめてください」
「そうなのか?」
「えぇ、……あと、聖国ではどうなのか分かりませんが、人の部屋に夜訪れるものではありません」
「そうなのか……? 私も周りにいる連中もよくやってるし、考えたこともなかった。……明日も来てくれと頼まれたんだが、もしかしてやめておいた方がいいのか?」
 二人で息を呑み、顔を見合わせ、もう一度目の前の御仁に目を向ける。
 武人らしく隙のない立ち居振る舞いだからだろうか、なにひとつ読めない。
「……できれば、そう言うことは軽率に言わない方がいい」
「殿下のお頼みであれば……。聖国ではよくあると言うことですが、どういうものなんですか? 後学のために教えていただけないでしょうか」
 こちらでは逢瀬おうせの意味する。もしかしたらこの学園の習わしなのかもしれないが、不用意に他人の部屋には訪れないと皆心に留めている。
「基本は呼び出しだな。夜間でも用があれば誰でも部屋に来る。――あとは家族や友人と過ごしたり、刺客が来たり……。それくらいか?」
 『仕事』に『プライベート』に『刺客』、並列で見ても理解が追いつかない。公私の区分以上に何かが欠けている。
「……そうですか」
 もしかして冗談だったかもしれないが、真面目な顔に尋ねるのはやめた。――コルネウス様も同じように思ったのか、今の話を飲み込めずにいる。
 秩序と調和の神を奉る国の人が無秩序アナーキーすぎて、個人で対応するには少々ハードルが高すぎる。
 主もその辺の緩さが物珍しくて、彼のことを見守っているのかもしれないが、一介の侍従たるこの身ではとても受け止めきれそうにない。
 それをなんでも受け入れる器の大きさに、主への崇敬すうけいの念が一層強まった。
「こちらは友人とか夜間に部屋を行き来しないのか? ここの卒業生たちもよく、部屋で友人たちと集まって朝まで談義したと云う話を耳にしたのだが……。」
 考え込むように腕を組んで、我々二人を見比べた。――コルネウス様がひとつ息をつき、彼の前に一歩出た。
「……確かに過去そのような交流の仕方もあったと聞くが、近年は互いの部屋に軽率に訪わないのが慣例となっている。好奇心から風紀を乱す者が後を絶たなくてな。……妙な噂になることもあるから、部屋で個別に会うことはあまり良い目で見られないんだ」
「ふぅん、そうなのか。」
 男子寮ここに来た時に同じようにコルネウス様に教えていただいた話だ。最初はその意味が分からなかったが、すぐにその理由が分かった。
 憂えるようにため息をつき、コルネウス様は腕を組んだ。
「あぁ、――ヴァイス卿の教えが熱心すぎて、試してみたくなる者が多いんだ。好奇心に勝てる者など少ないからな」
「――ヴァイス卿が……」
 目の前で毅然とした態度だったその人の表情がおもむろに変わる。――憧れと尊敬、そんな憧憬を宿した顔だ。
 幼さも見える純然たる表情に、嫌な予感がした。
「――頼むから、殿下に近付かないでくれるか……?」
 フィフスの両肩を掴み、念入りに言い聞かせるように従兄弟君が必死に伝えた。
 幾度となくヴァイス卿を慕っているところを目にしたが、あの方とは対極にいるように思える。――――ヴァイス卿に比べ、フィフスは清廉過ぎる。コルネウス様の心配は無用だろう。
「アイベル……、この御仁と殿下を二人きりにさせるな――!」
「……殿下のご意向になるべく沿う形で努力いたします」
 そういう知識がなさそうだし、白昼堂々ヴィアス卿に部屋に誘われていたのを殿下が止めていたことを思い出す。――無知であるのなら、彼の講義を受ければどうなるか。
 殿下はヴァイス卿の話を苦手にしていることから、何かあった際止めねばならないだろう。――理由をつけてなるべくお側を離れないようにせねばと、決意を新たにした。
「……すまない、そろそろ戻らないといけないようだ。」
 肩をつかむ手をそっと外させ、フィフスがこの場を後にしようとした。
「この話はまた今度頼む。――――仕事の時間だ。」
 冷たい声に戻れば、きびすを返し階段を降りて行った。――急激な変化に置いていかれ、やり場のない空気だけが二人の間に残された。
「……もう夜も遅いと言うのに、彼は仕事なのか?」
「えぇ、……この学園の警備のチェックを彼が請け負っております」
 真っ暗な窓に当たるものが見えた。――どうやら雨が降ってきたらしい。
 出会った時も暗い雨の中だった。またあの中に戻って行ったという実感が、住む世界が違うのだとそういう気持ちにさせる。
「彼は、……随分と自由というか厄介な御仁だな。我々では手に余る」
「アストリッド様もそう口にされておりました」
 似たようなことを方々で言われている彼を、唯一側に置いているのがディアス様だけということに苦笑する。
 困ったお方だ――――。
「一度殿下の部屋に戻ります。コルネウス様もどうかお休みくださいませ」
「あぁ、――久しぶりにゆっくり話せてよかった。役に立てることは、……あまりないかもしれないが、なにか困った際は相談してくれ」
「はい。おやすみなさいませ」
 もしこの前のように先に休んでいるのなら、部屋の鍵も閉められなかっただろう。――フィフスの忠言を再度心に刻み、従兄弟君の後ろ姿を見送り階上へと向かった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

奇妙な日常

廣瀬純一
大衆娯楽
新婚夫婦の体が入れ替わる話

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

処理中です...