第二王子は憂鬱~divine femto~ 学園都市ピオニール編

霜條

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51.開幕は蒼穹の『剣舞』より①

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 10月4日月曜日――――。新しい一日の始まりは晴れだった。
 この辺りは周囲が広大な森林に囲まれており、比較的湿度の高い地域ゆえ霧や雨になることも多い。晴れが続くことは少し珍しいことであった。
 もしかしたらあの人がいるからなのかと、窓の向こうの景色に温かい気持ちになる。
「……殿下、少々お伝えしたいことがあります」
 いつも通り身支度を整えていれば、遠慮がちにアイベルが声を掛けた。上着に袖を通し終わるり、顔をそちらに向ける。顔を合わせた時から普段と変わらない様子だっただけに、このタイミングで声を掛ける理由が分からなかった。
「……どうかしたのか?」
 躊躇ためらってはいるものの、その顔は曇ってはいなかった。
「……実は昨夜階下へ向かった際、フィフスがコルネウス様たちから決闘の申し出が受けているところに遭遇致そうぐういたしました」
「――――コルネウスが……」
 あの人に決闘の申し出があったこと、よく知る名を耳にしたことで感情が相殺そうさいされて呆気あっけにとられた。
 コルネウス、――――コルネウス・フォン・ノイエシュタインはこの学園にいる六大貴族のひとりで、アイベルの本家筋の人間になる。二つ上の学年に属しているのだが、昔から何かと気に入られているようで声を掛けられることも多い。
 だが正直話が合わなくて苦手なひとりでもあった。
 彼の関心はまだ見えぬ将来さきのことであって、自分ではない。
『どこのどいつに因縁いんねんを付けられようとも、必ず返り討ちにしておくから私の事は心配しなくていい。』
 昨夜伝えられた言葉が鼓膜の奥でよみがえり、苦笑が漏れた。
「本当に因縁をつけられるなんて――」
 無知とは恐ろしい――――。一体どこの誰に勝負を挑んだのか彼は知らないのだろう。そうでなくても聖国から来た人であることは知っていただろうに、わざわざやぶを突きに来るなど無謀というより他ない。
 寝室のもうひとつの窓際にある机の側へいき、そこの椅子へと腰かける。――普段勉強や執務、個人的な用を行う際に使用しているものだ。
 座ればアイベルが髪をき始めた。――髪を伸ばしているのは伝統のため。濡れ羽色の豊かな黒髪を伸ばすことは王族の象徴でもある。
 とはいえ兄も弟も髪を短く整えており、伝統も別に必要以上に守ることはない。特にこだわりがある訳ではないが、アイベルもこの髪の手入れをすることが楽しみのひとつらしいので、そのまま伸ばしている。
「心配は無用とのことです。……どういったやり取りをされていたのかは分からないのですが、何かふたつほど互いに要求をしているそうです。もし殿下たちが彼らに要求をしたいことがあるなら、その権利を譲ると仰っていました」
 一通り梳き終わると毛先をリボンでまとめる。
 授業の際は髪をまとめていることが多い。人が多く、移動も多いため邪魔になることがあるからだ。
「そうか」
 喉の奥で押し殺すように笑いながら席を立ち、寝室を後にした。
 言葉通り、彼らは返り討ちにされるのだろうと思えば、憐憫れんびんの情すら湧いてくる。
 後ろから今日使うものを持ちアイベルが静かに追いつくも、歩みを進めそのまま扉を開けた。
 授業のある朝はエミリオと共に過ごすことが多い。この寮の一階に食堂もあるのだが、七階にも会食の場として使える部屋があるためそこを普段は使っている。
 末弟はたまに友人と食事を共にすることもあるが、それも学園生活の醍醐味だいごみのひとつだろう。その時は事前に知らせがあるので好きにさせているし、今日は知らせがないことから普段通りいるはずだ。
「……あまりご心配はされていないのですね」
 廊下を歩いているとアイベルが、感想ともといとも言えない声色で話し掛けてきた。もしかしたら独り言かもしれないが、自分でもそんなに心配していないことは気付いていた。
「決闘を申し込まれただけなんだろう? それなら心配することなんてない」
 コルネウスにもアイベルにも悪いが、勝つのはあの人だろう。聖国最強の名をほしいままにしている人だ。そんな人が負けるなんてこと、少なくともこの学園ではないと信じている。
「……要求をふたつ持出しているといっていたが、向こうは何を?」
「どうやら侮辱したことへの謝罪と、殿下に近寄らないことを条件にしているようです」
「侮辱……?」
 言葉を飾らない人だ。きっと何か齟齬そごがあったのだろうと思うが、ふたつめの要求に眉をひそめる。
 ――――何故彼にそんな権限があると思っているのか、まさに傲慢とはこのことだろう。
 陰鬱いんうつとしたものが胸中に湧き、深くため息をつく。
「申し訳ありません……。そのような言葉、やめていただくよう再三さいさん伝えてはいるのですが――」
「アイベルのせいじゃないことは分かっている。それで、決闘はいつどこで?」
「本日の17時に『栄光の黒薔薇グロリウーズロサノワール』の拠点とのことです」
 西棟にある屋内競技場か、と小さく口の中で反芻はんすうする。
 彼らの活動拠点であり、魔術の使用許可を得ている数少ない場所でもある。
「……ロサノワの決闘って、武器だけで行うものだったか」
「魔術での対決をされるときもあるので一概には……」
 精霊術と魔術、性質が根本から違うため互いの術を完全に防ぐことが難しいと伝え聞く。大戦では防御、防衛が大事にされていた一方、専用の防具でなければ個人の力だけで防ぐことは不可能に近かったそうだ。今世いまよでは精霊術と魔術の衝突は禁止しているため、恐らく武器だけでの対決になるかと思うが、コルネウスの性格を思えば少々不安になる。
「ただ、フィフスがこの件を既にオクタヴィア様に報告されており、立会人にヨアヒム様をお呼び立てするとゾフィ様から伺っております」
「――――流石だな」
 既に対策を取っていることに安堵する。ただ興味本位から動くだけでないところに信頼が募る。――――さすがのコルネウスも叔父の前で家名を汚すようなことはしないだろう。
「……それから、他にもディートヘルム様も参戦されるそうです。他にも腕に覚えがある者を三名程選出すると聞きました」
「ディートヘルムも――?」
 ディートヘルム・フォン・ニュルンベルク――、彼も六大貴族のひとりだ。ニュルンベルク家は古来より主神を奉る行事には必ず出てくるため、何かとアルブレヒト家王家と親密な関係ではある。
 もちろん個人的な付き合いはない。
 コルネウスとは同輩で、彼と同じようにどうやら自分の事を気に入っているらしい。どちらの理由も分かっている。――それゆえ兄を軽んじるところがあり、苦手な人であった。
 両人とも腕は立つ方で、階下の貴族たちを主に束ねているのもこの二人だ。所属する『栄光の黒薔薇グロリウーズロサノワール』では腕が立つようで、興味はなくとも話を耳にしないことはなかった。
 他にも六大貴族ではジュール・フォン・ハイデルベルクがいるが、あれは外にいるため寮内の者たちとはまた別の派閥となっている。――――山の手エリアにはいくつか貴族たちが使っている館があり、自前の館もあれば貸し出している館もあるらしい。半年前の出来事に、ここを出た者も幾人かいたそうだが、そんなことに興味はなかった。
 気付けば寮内はなぜか自分を推す者が多く、兄にとってはさぞかし居心地の悪い場所であっただろう。そのことを思えば暗澹あんたんとした気持ちが湧くが、今回彼らが相手にしている人はいつもと違う。
「……他に何か、あの人は言ってなかったか?」
 目的の場所に付き足を止めた。振り返りアイベルを見れば、一瞬、躊躇ためらうように視線を下にらしたが、もう一度まっすぐとこちらを見つめ返した。
「この件についてコルネウス様たちから、殿下だけでなくエミリオ様やアストリッド様たちにも話が来るのではないかと、懸念けねんされているようでした」
 コルネウスのことだ、可能性は大いにあるだろう。憂鬱な気持ちが、暗い影を落とす。
「それから――――、彼らの申し出について、言いたいことを言い合える仲がいいと言っており、それで受けたのかと思います。……貴族である彼らには興味はないということや、必ず殿下に勝利をお見せする。そのようなことを仰っていました」
 決闘の申し出を随分ずいぶんとポジティブに受け取っていることに、小さく笑う。――だがあの人らしいと、心地よさが胸に帰ってきた。
「そうか、では見に行かねばいけないな。――きっと場所も知らないから案内役も必要だろう」
「はい。――――正直、私もあの方たちの言動には思うところがありましたので、フィフスの言葉に胸のすく思いがあります」
 アイベルも珍しく晴れやかな顔をしている。
 ずっとそばにいるからこそ、思うところもあったのだろう。アイベルの様子にふと気が緩むも、少々気になっていたことを尋ねてみた。
「どうしてフィフスに少し強気な態度なんだ?」
「……そんなつもりはなかったのですが――? ……しいて理由を挙げるなら、少々自由すぎるところが気になりつい口調が強くなってしまっているかもしれません」
 思い惑いながらそう口にした。
「あまりとがめなくていい。好きにさせてあげてくれ」
 ただでさえ不便をいられた中にいるのだ。自分の名を出すことも、本来の姿でいることも出来ないのにこちらのルールばかり押し付けることは躊躇ためらわれる。
「承知しました」
 若干承服しかねる顔をしつつも、了承してくれたことに口角を小さく上げる。主の顔を見たアイベルは困った顔ながらもひとつ笑うと、そのまま扉を開けた。
「おはようございます、兄さま」
 案の定先にいた弟が元気に声を掛けてくれた。
「おはよう。昨日はひとりにして悪かった」
 部屋に入り彼の隣の席へと進む。キールが椅子を引き待機していたので、そのまま座った。
「大丈夫です。――姉さまと皆さんのお手伝いに行かれたんですよね。お二人がついて下さったならフィフスたちも安心ですね」
 あの人自身はそれほど助けを必要としていない気もしたので、役に立てたのかやや疑問が残るが弟にはそうだなと返事をした。
 いくつかの新聞と軽食、紅茶を目の前に用意されながら、弟が朝食に手を付け始めた。
「……それと、兄上の、――ゼルの話をしたんだ」
 久方振りに出された名に、エミリオが手を止めこちらに顔を向けた。
「タイミングが良くなかったな、すまない。……昨日、姉上と話しをしてフィフスに相談してみたんだ。――帰ってきて欲しいと俺も姉上も思っているんだが、――エミリオはどう思っている?」
 兄とのことで小さな弟を巻き込むことに、ずっと後ろめたい気持ちがあった。
 もちろん姉もいとこたちに対してもだ。自責で重くなる視線を持ちあげると、小さく口を開けてこちらを見ていた。徐々にその目が大きくなっていく。
「……僕も、」
 手にしていた食器を机に置き、椅子を降り抱き着いてきた。
「――ゼルディウス兄さまにお帰り頂きたいと、ずっと思っていました」
 顔が見えないが震える声から、今までずっと言葉に出来ないものを抱えさせていたのだと気付いた。
 ――――それもそうだ。ずっと近くにいながら何も言わない相手に誰が相談なんかできよう。まして兄を想い悩ます存在だと、周囲の様子から薄々弟も気付いていただろう。
 それでもこうして信頼してくれるのだから大事な存在だ。小さな背を撫でてみるが、昨日の事を思い出しそっと実践してみる。
「……今まで寂しい思いをさせてすまなかった」
 あの人よりも小さな背中だ。腕を回してみると、顔を横に振る仕草をしたので止める。
「いいえ……、兄さまもお寂しかったのではと思っていました。あんなに仲が良かったのに……」
「……あぁ、そうだな」
 首を振ったのは否定のためだった。ずっと小さいのにこちらの心配までさせていたことに情けなくなる。優しい心遣いにそっと抱き留め返した。
「心配をかけてすまなかったな」
「……ふふ、兄さま謝ってばかりですね。僕は大丈夫です。お話しして下さりありがとうございます」
 笑いながら弟が顔を上げた。涙のあとが残っていたが、満面の笑みに安堵する。
「エミリオにもずっと悪いと思っていたんだ。ずっと、何も言わなくてすまなかった」
 キールがハンカチを持ち、弟の顔をそっと拭いた。
「僕は大丈夫です。こうしてお話してくれただけで、嬉しいです。フィフスがゼル兄さまのこと、どうにかしてくれるんですか?」
「いや、兄上が戻る手助けをしてくれることになった。姉弟のことだから、俺や姉上が兄上に戻っていただくように動かないといけなくて、エミリオにも協力して欲しいから話したんだ」
 そっと離れながらこちらの話に耳を傾けていると、『協力して欲しい』という言葉に弟の目が輝いた。
「もちろんです。僕でお役に立てることがあれば、なんでもいたします」
「あぁ、頼りにしている」
「はい! お任せください」
 嬉しそうに満面の笑みを浮かべ、キールにうながされて席に戻った。
 いつもと同じ穏やかな時間が戻ってくる。どことなくスッキリした空気を纏っているのは、心の中のわだかまりが少しずつなくなっているからだろう。――あの人が来てくれてよかった。
 ぽつりぽつりと末弟に昨日の事を説明しながら、部屋の奥にある窓から見える淡い空色が目に入った。皆の心にあった何かが、空に淡く溶けていっているような気がした。
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