第二王子は憂鬱~divine femto~ 学園都市ピオニール編

霜條

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49.色葉散る宵の口で⑧

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 宿舎を出れれば馬車が外に止められており、姉とリタ、エリーチェが乗りこむとそのまま去るのを見送った。――どうやらあれは聖国の馬車らしい。普段こちらで使うものより大きくシンプルなデザインに見えた。
 既に日が落ち、雲一つない空が星々で埋め尽くされていた。あまりこの時間まで外にいることがないので、なんだか見慣れたはずの景色なのだがどこか新鮮だった。――夜まで外にいる予定はなかったので、流石に昼間と同じ格好では冷える。
 こちらの様子を見かねてディーノがディアスとアイベルにコートを持ってきてくれたのだが、一足先にアイベルが寮へと戻ってしまった。――どうやら朝出かけたままにした部屋が気になるらしく、主が戻る前になんとかしたいからとフィフスに後を頼んでいた。アイベルも随分とフィフスに気を許しているようだが、そのような頼みをするとは思わなかった。
 だが先に行く彼の気持ちも分かるので、目をつむる。――もし気安く頼んだ相手が何者か知ったら、彼はどういう反応をするのかと考えて、少しだけ意地の悪い気持ちが湧き小さく笑う。
 代わりにとフィフスに差し出しているが、その人はそれを断っていた。近場だし邪魔だから不要とのことらしく、遠慮する姿にディーノは苦笑していた。
 もう一台用意されていた馬車に乗り込む。――男子寮は別に馬車で移動するほどの距離ではないのだが、せっかく用意してくれたもを無碍むげにすることもできず乗り込んだ。
「ディアスを送ってくる。帰りが遅くなるかもしれないから、何かあれば連絡してくれ。」
 見送りに来たディーノにそう伝えると、フィフスが乗り込んだ。向かい合って座ると、二人きりになったのは一昨日振りだと思い出し、ふと心がざわめく。
「さて、行くか。――朝から晩まで何かと付き合わせてしまったな」
 扉が閉まると馬車が走り出す。――馬車の中は天井が高く、黒のベルベット生地のソファが柔らかい。細かな装飾はないものの無駄のない洗練されたデザインが素材に合わせて組まれており、座席の左右についた明かりがほのかに室内を照らしている。
 車内をぐるりと視線を巡らせてみるが、何か心を落ち着かせるものはなかった。ひとつ腹を決め正面に向き合うと、扉についた窓から外を見ていた。横顔は柔らかな表情をしており、リラックスしているようにも見えた。
「――朝からお邪魔してばかりだったな。その、時間は大丈夫だろうか」
 遠慮がちに尋ねると、こちらに顔が向けられる。
「あぁ、今日のやるべきことは粗方済んでいるから問題はない。それよりもお前だ。帰ったら早速練習してもらうぞ。」
 何か楽しいことを思いついているのか、真剣な物言いの半面ご機嫌そうな顔につられて口元が緩む。
「秘策と言ってたが、もしかして大変なことなのか?」
「それはそうだ。お前の覚悟が試されるんだからな。本来であれば姉弟たちの間で完結してもいいんだが、きっとそれだけじゃ足りない。人を巻き込んでお前たちにとって兄が大事だと、相手にも周りにも分からせないといけないだろう。」
「……確かに、なんだか大変そうだ」
 人を巻き込むなどと、話が大きくなったことに自分で負える役目なのかと心許なくなる。
「だがやることは簡単だ。できればそれを自然体で行えるまでにしたい。――意識してやろうとすれば、その不自然さが相手に伝わるからな。それは遠慮しやすいやつには無理をさせていると誤解を与えかねない。そうじゃないと分かってもらうことだけ考えておけば、きっと大丈夫だろう。」
「……貴方はそれを使ったことがあるのか?」
 どういうものなのかはっきりと教えてくれる気配がないことから尋ねてみた。一瞬きょとんとした顔になるも、少し考えて苦笑した。
「いや、私はされた側だな。――だから確信している。きっとお前の兄弟にも有効な一打となるってな。」
 自信ありげな顔がまっすぐとこちらに向けられる。――なんだか姉たちと話し合ってから表情も態度も軽くなっている気がした。それだけ気を許してくれているということであれば嬉しいが――。
「……一体俺はどんなことをすればいいんだ?」
「それは部屋に行ってからだ。最初は勢いが大事だからな、――先に聞いて躊躇ためらわれては困る。」
 躊躇われるようなことなのかと、思わず眉根が寄る。こちらの様子に小さく笑う顔が先ほどと同じような屈託のないものに見え、つい魅入ってしまう。
「そういえば、なんで私に相談してみようと思ったんだ? 女王と話しをして、そんな気を起させたとは思えないんだが。――もしかしてお前に謝罪でもしたのか?」
「謝罪……?」
 わざわざ謝ってもらうことなどなにも思いつかなかったので、何の話なのか分からなかった。
「なんだ違うのか。……初日に人前で無駄にお前を糾弾きゅうだんしただろ? あれについて何かあったのかと思っていた。」
「……あの時軽率な行動をしたからたしなめられて当然だ。謝っていただくことなど……」
 もう気にするのはやめていたことを掘り起こされて言葉に詰まっていると、今度は向こうが眉根をひそめている。
「お前にもそういう態度なのか。深刻だな……。」
 何か思案しているようで、明後日の方向を見ながら呟いていた。
「分かった。――だが、女王に対して卑屈になる必要なんかないからな。お前は悪くないことは私が知っている。」
 真剣な眼差しが向けられ、祖母からの扱いに怒ってくれているようだった。
「……ありがとう」
 少し呆気に取られるも、親身になってもらえたことがくすぐったかった。
 馬車が止まり、寮に着いたようだった。フィフスがドアを開けて先に外に出ると、振り返り手を差し伸べられる。
「早速部屋に戻ったらお前に秘策を伝授しよう。」
 頼もしい笑みにいざなわれその手を取れば、小さくも数多の困難を乗り越えてきたであろう硬さのある手の平だった。地に降り立つも、伝わる感触が気になりその手を寮の入口に灯る明かりに照らしてみる。
 フィフスがもう一つの手でドアを閉めると、音に合わせて馬車が走っていく。
「……どうかしたか?」
 離す気がないと分かったからか、不思議そうに声を掛けられる。
「随分と硬いと思って」
「……日頃から剣を握っているからな。お前たちの手とは違う。」
 指で触れてみれば繰り返し握られていたのであろう箇所が硬化しており、姉や自分の手とは全然違うものだと分かる。――どれだけの修練をすればこのような手になるのか。
「貴方の強さがここにあるのかと思ったんだ――」
 壁を越え、国を跨ぎ、この地まで名が轟く強さを誇っているこの人が自分にとって希望だった。そのお陰で遠く離れていても、この人の話題を目にすることが出来たのだから――。
 もう一度確かめるように握り、ゆっくりと離す。
「……勝手に触れてすまない。いい手だと思ったんだ」
 離した手の平にひんやりと夜風が当たる。今のぬくもりが抜けてしまいそうな名残惜しさから手を握った。
「それは、どうも。――この手は命を奪う忌まわしい手だ。……お前に軽率に触れるべきじゃなかったな。」
 バツが悪そうに笑いながら先ほど掴んでいた手を後ろに隠した。離れて進もうとしたのでもう一度手を取る。
「どうした?」
「俺は気に入っている――」
 掴んだまま寮へと向かう。寮の前にいる守衛が敬礼し扉が開かれる。
「なに、なんだ? ――おい、歩けるから放してくれないか」
 寮のエントランスに何人かいて振り返ってこちらを見ていた。寮内で面倒を起こすつもりがないようでフィフスは静かになるが、構うことなく正面の階段まで進みようやくそこで離した。強く掴んでいたつもりはないが、突然のことに驚いたフィフスが掴んでいた手をさすっている。
「急になんなんだ……。しゃくさわったのなら謝るが、少し横暴じゃないか……」
 呆れたような声で抗議されるが、そっぽを向く。
「そんなつまらない理由で勝手に避けらたら困る。貴方がなんであれ俺は大切な友人だと思っているし、勝手に離れて欲しくない」
「いや、そんな理由って……。良くないだろ、外聞が悪く不吉だと思うが……」
「俺にはどうでもいい。――早く部屋へ行こう」
 階段に足をかけ、フィフスを促す。この人の手は今日こんにちまでの積み重ねてきたもので出来ている。――たとえ望んだものでも、望んでいなかったものでもどれもが自分には大事に思えた。それを否定するような仕草が、自分勝手ではあるのだがなんだか許せなかった。
「……やっぱりお前も王家の人間なんだな」
 呆れ果てているようでそんなことを呟きながら付いてきた。なんとなく言いたいことは分かるも、今はその言葉も満更でもないものに思えた。
 しばし階段を言葉もなく登っていたが、三階に来るとフィフスが呼び止めた。
「なぁ、ディアスはアイベルの部屋に行ったことはあるのか?」
 振り返ると、そこには好奇心が浮かぶ青い瞳がこちらに向いていた。
「……ないけど、」
「三階が侍従たちの部屋だと聞いた。――お前の部屋よりは小さいと聞いたが、どんなものか気になってな。」
 いつも通り過ぎるだけの場所だ。――部屋があることは知っていたが、深く気にしたことがなかった。フロアを見渡せば、今は誰もいないようで静かだ。
「この上は貴族が使っているんだろ? そっちも気になるが、見に行ったら流石にまずいだろうか。」
「駄目だ。上の階は特に絶対行かないでくれ」
 アイベルと何の話をしていたのかと、気持ちがすすける。
「……フィフス、ここは少し特殊な場所なんだ。万が一貴方に何かあったら困る――」
 貴族のほとんどが見知った者だ。だからこそ知っていることもある。――男が男に劣情を抱く者もいる。『力』があるからこそ自由気ままに振る舞う者も多く、女子を連れ込む話などのかんばしくない噂も耳にすることだってあった。
 だがこの人にそのことを伝えるのがはばかられ、曖昧な言葉で濁す。
「わかった、上の階には行かない。――だから今度一緒にアイベルの部屋を見に行こう。」
 理由を聞かないでくれて助かったものの、最初の件は有効だと思っているようだ。くすぶる気持ちに拍車が掛かるが、楽し気な様子をこれ以上水を差すのは少し躊躇われた。
「――昨夜、アイベルとはどんな話しをしてたんだ?」
「そうだな……、強くなりたいとか、警備の事とかがほとんどだったか。――あとこの寮のことや、ヴァイス卿のこと、学園生活のことと、……ココとモモのことなんかを教えてもらった。」
 思ったよりいろんな話をしていたようだ。――聞いていない話に複雑な心中だが、それだけいろんなことを話したせいでアイベルもこの人に心を開いているのかと渋々納得した。
「ココとモモって女王が飼っているんだと思ったが、エミリオが可愛がっているそうだな。……ディアスも可愛がっているのか?」
 ココとモモとは一昨年ほど前に祖母が知人から貰った贈り物だった。――魔狼フローズヴィトニルという白銀色の体毛が美しい狼型の魔力を持つ種だ。成獣になると体長三メートル近くになり、強靭きょうじんな魔力と高い知性を持ち、従順とは言い難いが使役することができればそれだけで名が上がるからと、多くが望んで手にしようとしていた過去がある。
 見た目の壮麗そうれいさと魔力の高さも人気の証なのだが、今の時代はそんなことをしても特に披露する場もないため、さすがに手にする者も減ってきているそうだ。
 だが、フローズヴィトニルの人気はまだあるので、近年はそれを品種改良し小型化させなんとか愛玩動物として手元に置けないかと研究している者がいるようで、完成品である二匹を祖母が貰い受けていた。
 言うことは聞かないものの子犬のように始終遊びたがるため、顔を出せば駆け寄ってくるところがあった。警戒心も低く、誰が来てもそんな態度なので愛玩動物としてある意味完成されているだろう。――もちろんばんをさせるには向かない。
 それを見たエミリオが可愛がり、名付けた上で祖母のいるピオニール城に置いていたのだが、少し前から王都へ引き取られていた。――調教だか訓練だかでしばし預けることになったそうだ。
「エミリオと一緒に面倒を見ることはあったな。……人懐っこいところがあるから、貴方が会ってもきっと逃げないんじゃないか」
 今は20センチほどのサイズしかないが、元は魔狼だ。――この人相手でも遊びたがるのではないだろうか。ふとそんなことを思って微笑ましく思うも、相手を見ればなんだか複雑そうな顔をして腕組をしていた。
「そうだな……。そうだといいが。」
「今は王都にいるが、もうすぐ帰ってくるはずだ。――その時は紹介しよう」
「……楽しみにしている。」
 弱気な語気に、もしあの二匹もこの人から逃げようとするのであればどんな感じなのかと考えながら、また二人で階段を上っていく。
 狼の名も影もなくなったあの二匹が、どのような態度をするのか――――。もし懐くようであれば、小さな生き物と『友人フィフス』がどう接するのかも気になる。
 階上へと進むと、まばらながら廊下に人がおり幾人いくにんかに見られた。――きっといつもはアイベルと一緒なのに、今は別の人間が傍にいることが周囲の気を引くのだろう。
 しかも学生服を着た青い眼の人間となれば、この学園でも珍しい部類だ。――――自分もそうだが、貴族の多くも制服を着用している者は少ない。一般の学生がなぜここに、とでも思っているだろう。
 そんな空気を気にした風もなく、フィフスが彼らを一瞥いちべつし気安く挨拶しようとしたので止める。振ろうとした手を引いて先へと急いだ。
「……ダメだったか?」
「不用意に愛想を振りまかない方がいい。……貴方が目を付けられたら俺が困る」
 ただでさえ自分と一緒にいることで注目を集めているのだ。これ以上彼らの余計な気を引きたくはなかった。
因縁いんねんか――! お前の代わりに返り討ちにするから任せておけ。」
 先程と違い手を引いても止める様子はなく、隣に並ぶと自信満々に何かを勘違いしてくれている。
「……なんで嬉しそうなの?」
「こちらから手を出すのは止められているが、向こうから手を出して来たら正当防衛になるだろ? ――この学園の者がどの程度の力量なのか正直気になっててな。」
 宝石のように目を惹くそれは自信ありげに輝かせている。――握った手の先に触れる感触を改める。そうやってこの手は幾人もの人を返り討ちにしてきたのだろうか。好戦的な様子に苦笑していると、ふとあることが思いつく。
「――セーレは知っているのか? 貴方が男子寮にいることは」
 なかなか聖都に帰れないときは電話でやり取りをしていたはずだ。王都に帰ったときにその様子を見かけたことも、話を聞いたこともあった。――この学園に来てからも連絡を取っているのだろうか。そんなことを考えているとすぐ隣を歩くその人が足を止め、好奇心に満ちた顔色がすっと冷静なものに戻り手を放された。
 どうやら考え込んでいるようだった。
「……そういえば、歩き回るのはダメだと言われていた。――だが今は大事な用があるからセーフ、だろうか……?」
 何かを確かめるようにこちらに確認を取られる。――想像通り連絡は取っていたようだが、きっとこの好奇心も見越していたのだろう。きちんと釘を刺していたようだった。
 そんなことに想いを馳せていると、真剣な眼差しを向けている顔がこちらの判断を待っているようだった。何故その判断もこちらにゆだねてくれるのか分からないが、信頼されているようでかすかな満足感があった。
「……そうだな。でもその言い方だと、アイベルの部屋に行くのはやめた方がいいんじゃないのか」
「お前の侍従だからセーフかと思ったが、そうか……。今回は諦めるか。」
 どうでもいいことを二人で話しながら一歩一歩階段を上る今の時間が、先ほど思い出した過去の情景をなぞっているようだった。隣を歩く友人が先ほどから楽しげなのは、探検でもしているような気分なのだろうか。
 半年程前にエミリオを案内した時もこんな感じだったなと思い出す。――あの日は兄もいてくれたが、途中で人目を気にしていなくなってしまった。エミリオには何があったか伝えていなかったため、忙しいのだと納得していたがそのまま会えない日が続き、いつまでも心許ない時を過ごさせているのではないかと気がかりだった。
 かげりはじめた気持ちに横を見れば、満更でもない様子で隣を歩くその人がいることにほっとする。
 同時に今後なにか困った際はセーレの名を出せば何とかなりそうだとも気付き、便利な切り札が手に入ったことに小さな満足感があった。
 さらに歩みを進めながら、さやかな雑談に興じているとレティシアの件を蒸し返された。
「あの後皆で相談したんだが、また対処出来かねる場合は逃げようと思う。」
「逃げる?」
「あぁ、戦略的撤退というやつだな。」
 にやりという効果音がしそうないい笑顔をしていた。
「……普通に断ってくれてよかったのに」
 そういえばと、あの時困ったようにしていたのは少し意外だった。拒否くらいは普通にしてくれそうな気がしたのだが、断るのが苦手とかなのだろうか。――初日もゾフィに付き合ってわざわざ部屋まで訪ねに来ていた。
「それはそうなのだが……、私にとってはどんな小さなことでも断るのは難しい。――断ることと引き受けることの線引きが曖昧になるからな。普段なら周りの者が引き受けてくれることだから、あの場ではどうしたものかと迷ったんだ。」
 悩まし気に伝えられる言葉から諦めにも似た感情がにじむ。――きっとこれは本人の性質ではなく、役目としての振る舞いなのだろうと気付く。
「とりあえず次からはその場を離れて、ほとぼりの冷めた頃戻ればいいだろう。」
 当然と言わんばかりにさらりと言われる言葉に心が騒めく。
「……次そういう時があれば俺が止めるから、どこかへ勝手に行かないでくれないか。……目の前で人がいなくなるのは苦手なんだ」
 胸を襲う喪失感が指先まで冷えるようだった。――大事にしているものがまた遠い存在になってしまったら、次もまた暗い気持ちの中でどこへも行けなくなるだろう。階段の途中で止まる足に思い出したくない記憶たちがどろりと纏わりつくように重さを感じ、自ずと項垂うなだれ手すりに腕をつく。――髪がさらりと顔を隠した。
「別にそんなに遠くへ行くわけじゃないし、すぐに戻ってくるつもりだ――――」
 階段を上り、段差を使って心配そうに傍へと近付く気配がした。
「……いや、兄弟が去ったやつに言うべきじゃなかったな。軽率なことを言ってすまなかった。」
 肩に手を置かれる。――伸ばされた腕を辿たどり顔上げれば、すぐ近くにこちらの心中を案じるような憂愁ゆうしゅうに沈む顔があった。――憂いをはらんだ濃い青色にまた酔うような恍惚感こうこつかんに襲われ、思わず目をらし片手で覆う。
 一体どうしてしまったというのか。
 情緒不安定にでもなっているのだろうか。乱れる気持ちをなんとかやり過ごし、姿勢を正して大きく息を吐いた。
「心配させてすまない。……貴方を困らせたい訳じゃないんだ」
 なんとか乱れる気持ちを押し隠し、平静を取り繕う。姿勢を正した弾みで一歩離れたフィフスは戸惑った様子だが、それもそうだろう。こちらも自分で自分が分からなくなっているんだ。――――戸惑うのも仕方がないことだろう。
「そうか。――何かあれば今のようにハッキリ言ってくれると有難い。私も以後気を付けよう。」
 先ほどのような緩んだ気配が引き、真面目な調子で伝えられた。気分の良かった空気を壊してしまってことに、わずかばかりの後悔が積もる。
「あと少し上がれば七階だ。……本当にお前たちは毎日これを上り降りしているのか? 実は近道とかあったりしないのか?」
 怪訝けげんな顔でまだ続く階段を見上げながらフィフスが言った。つられて上を見る。あといくつか上がれば自分の部屋がある階にたどり着く。
「……過去には転移魔術使う人もいたそうだが、あれは複雑な術だから怪我や事故が絶えなくて、今では使用を禁止しているそうだ」
 転移魔術。――空間を飛び越える術だが、その術の複雑さから個人で使うとしても数十メートルが限界だ。間に障害物があるとさらに成功の確率が下がるため、陣や装置を用い移動の安全性を高めることが多い。
 また、警備の面からは不安なこともあり、この寮には置かれていない。
 校舎内では転移陣が敷かれている場所もあるが、学生の使用はやはり禁止されている。――よほどやんちゃをした先達がいたのだろう。
「後世の人間が割を食うのはどこでも一緒なんだな……。それってお前は使えるのか?」
「一応理論は学んでいるが、使ったことはない」
 魔術を学ぶ機会は多くあるが、大戦終結以降は多くの術が理論を学ぶのみになっており使われなくなったものも多い。――とはいえ、技術を廃れさせることを忌避きひする動きもあり、一部の人間や成績の良い者、将来研究職へ進む者など伝える人間を限定している。それは安易に使用して何か問題が起こることを避けるための措置だと聞いている。
「難しい術なのか……。――もしかしたら楽が出来ると思ったが残念だ。」
 残念そうな声に、苦笑する。
「貴方にそんな弱点があると思わなかった」
「誰でも面倒は嫌いだろう。……仕方がない。鍛錬だと思って諦めるか。」
 渋々と階段を上っていく姿を追う。腰にいている剣の他に、昨夜見せて貰った装備を今も付けているのであれば、もしかしたらそれなりの重さがありそうだが、足取りは先ほどの残念そうな声とは裏腹に軽快なものに見える。
「――――お帰りなさいませ、殿下」
 少し目線を上げれば、アイベルが階下へ来ようとしていたところだった。こちらが気付くとさらに傍まで降りてきた。
「先に戻らせていただきありがとうございました。フィフスも殿下をお任せしてすみません、助かりました」
「大したことはしていない。……しいて言うならやはり今後は窓から出入りさせてほしいんだが。」
「それは許可出来かねます。危険ですし、そのような行為を他の者に見られたら殿下が困ります」
 遠慮もなにもなくきっぱりと断るアイベルに、取り付く島を無くしたフィフスが諦めたような顔で分かったと返事をしていた。普段もこうだったかと傍らに立つ侍従を見る。
「俺は別に気にしないが……」
「お言葉ですが、窓は出入り口ではありませんので、軽率に出入りしてもらうのはやはりよろしくないかと」
 譲るつもりがないようで静かにいさめられた。――なんだかいつもよりも強気な態度に見えるが、昨日見た時よりもフィフスに遠慮のない物言いのせいかもしれない。
「お部屋の準備は整っております。どうぞ」
「……何か準備させていたのか?」
 先に行くよう促されるが、数段先に立つその人を見た。
「何も頼んでないが。」
「片付けをしただけです。お部屋も暖まっておりますので不足はないかと。――何かご入り用でしたか?」
 アイベルが両人を見比べるが、どちらも何も言わないので少し困惑しているようだった。止めていた足を進め、先に行くことにした。
「――なんでもない」
 何か躊躇うようなことを教えて貰うらしいので、アイベルの言葉に何か部屋にあるのかと一瞬警戒していたが、どうやらそうではないようだ。
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