第二王子は憂鬱~divine femto~ 学園都市ピオニール編

霜條

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47.色葉散る宵の口で⑥

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 朝に使わせてもらった部屋は使っているようなので、このまま客間で食事をすることとなった。フィフスたちと侍女のブランシェとアイベルが食事を持ってくるというので、先ほどと同じように大人しく部屋で待つこととなった。
「彼、全然読めないわね」
「えぇ、そこが面白くて俺も気に入っています」
 気に入っている、と自分で口にしながら心が弾んだ。ただそれだけで心が軽くなるのだから、普段よりも単純になる気持ちがなんだか不思議だ。
 机の端に寄せられた先ほどのアルバムが視界の端に入った。――エリーチェは本人のカバンにアレを入れて持ち歩く気なのだろうか。この宿舎の中から出てきたが、まさか本人に持たせていたのだろうか。
「確かにね。なんだか毒気もないから信用したくなっちゃうわね」
 先ほど渡された挨拶文に目を通せば、演説のような真面目な堅い文章から読み物のような作品まであり、何をしに来たのか途中で忘れそうになる。
「聖国の代表として今回来ているのよね。……真面目なスピーチがいいと思うのだけれど、これとかやってみて欲しくなるわね」
 MC風と書かれていた文章を指さす。MCが何かわからないが、内容はまともなのに砕けた文章が特徴のそれが気になっているようだった。
 これも先ほどの彼が作ったのだろうか。線の細さから武官というより文官と呼んだ方が適切なのかもしれないが、多才なのだとこの短い挨拶文から伝わる。
「なんだか興味深いわね。……聖国ではこういうものが多いのかしら」
「どうでしょう……。あの人がこういうスピーチをしているところが想像できませんが」
 手を伸ばしても届かない場所にあるそれを見る。姉も何を見ているのか気付いたようで、リタが片付けたそれを取ろうか迷っているようだった。
「……布教用ってどういうことかしら? 四方天さまのことを布教するってこと?」
 先ほどの様子からそれ以外に思いつかなかった。
「ジゼル、取ってくれる? ――せっかくだから他のも見てみましょう。皆さんがどのような感じか気になるわ。きっとエリーチェなら勝手に手にしても怒らないわよね」
 悪戯っぽく笑うと、姉の侍女が角に置かれたものを一式こちらに持ってきた。東方天と書かれたそれを見たい気持ちはあるが、本人が戻ってきている今、それを手にするのは躊躇ためらわれた。――だが、昨日目にした垂れ幕を思い出せば、大して気にしない気もする。
 考えているうちに、姉が南方天の名が書かれたそのアルバムを手にした。昨日も大きな垂れ幕で姿を見たが、歴史上で何度も名が出てきているような荒々しい雰囲気はどこにもなかった。
 長い波打つ濡羽色ぬればねいろの髪と比較して、身を包む白いゆったりとした服の色と同じような肌の白さを持つその人は、暖炉に灯る炎のように暖かな表情をしており、ヴァイスよりも澄んだ赤い色の瞳を穏やかにどこかへ向けていた。――すらりとした四肢ししは露出が多く、女性だと言われても確かに納得しそうな様相だ。男性的に振る舞う『友人』とは真逆に見える。
「可愛らしい方ね。えっと、男性なのよね……?」
「そうですね。……昨日フィフスも可愛いと口にしていましたが――」
 一番可愛いと言っていた気がする。――こういうのが好みなのだろうか。
「『修羅憑き』って言うから、とても怖い感じなのかと思った。――なんでそう呼ばれているのかしら」
 大戦時はそうせざるを得なかったのだろうか。どこのページを見ても平和的で穏やかな空気が伝わる。――初日に南方天の加護が込められた紙を借り受けていたが、この人がくれたものだったのだろうか。
 コンコンと扉が叩かれると、先ほど部屋を後にした皆が帰ってきた。
「ただいまー。あ! それ見てるんだ。いいでしょ~? 欲しいのがあったらあげるよ」
 エリーチェが入りしなに気付いたようで、こちらに駆け寄り二人が座るソファの背もたれに手をついて嬉しそうに言った。
「あげるって……?」
「それ、ブロマイドだよ。向こうでは人気なんだよね~。あげるとみんな喜んでくれるからよく持ち歩いてるんだ」
「……布教用ってそういうこと?」
「ほら……、二人とも困っているじゃない。あなたからも何か言って止めさせてあげなさいよ」
 呆れすぎて言葉もなくしたのかリタが隣にいるフィフスに伝えた。
「エリーチェ、押し付けはよくない。」
「はいはーい。徐々に布教していくしかないかぁ」
「だいたい、そんな写真をアストリッド様たちが持っていたら、周りに何か誤解されるかもしれないでしょ」
 侍女たちが彼らの会話に気に留めることなく、配膳台で運んできたものを机の上に少しずつ取り分けている。
「これってエリーチェが撮影したものなの?」
「ううん。カイさんって出版社の人が作ったやつだよ。だからどれもいい顔してるでしょ?」
 ご機嫌そうに微笑むエリーチェとは別に、微かだがその名前を昨日どこかで耳にした記憶が蘇る。――確か教会だったか。
「売り物なんだ? ――こういうのってどこも変わらないのね。よく女の子たちがお気に入りの役者の写真とかを持っているのを見たことがあるわ」
「そうそう。こっちでそういう風に流行っているから、聖国でもその人が作ってみたんだよね。――アズのもディアス様のも聖都で人気があるよ~」
 エリーチェの言葉に二人で彼女を見た。自分たちのもあるとは知らなかったのだが、今の説明がなんだか昨日の話を想起させた。
「……もしかして、昨日言ってたシャッツ社の?」
「そうそう。聖国あっちじゃブロマイドってなかったから、今すごく流行ってるんだ。特にお土産とかお守りとして買ってく人が多いかなー」
 もう一度姉の手の中にあるその写真を見る。――よくよく観察してみればどれも被写体をしっかりと映しており、背景がぼやけて視線が向かないようになっているものある。構図や背景も考えられて撮影されているようだった。
 現物は見ていないが、大人しくこういう撮影にこの人も付き合うのかと少し意外に思った。顔を上げれば配膳台の側で立って食事をしているフィフスの皿に、リタが食事を盛っていた。――何度も注意をしている姿を見ていたが、意外と世話を焼く場面もあるようだった。
 彼の行儀の悪さを侍女のブランシェが手を止め厳しい目つきで見ていることに二人が気付くと、フィフスが大人しく近くの席に座った。――そこまでお腹が空いていたのか。
 隣のソファに座り、一足先に食事を進めている彼に尋ねてみた。
「……フィフスは聖都に来る前まで家で学んでいたそうだが、そこではどんな感じだったんだ?」
 ちょうどフォークを口に運んだタイミングだったため、すぐに口を開けられず目線を左上方向に向けていた。
「基本的に身に付くまでやらされていたな。他の家は知らないが、うちは始終そんな感じだ。」
「一日中ってこと?」
「一日中、だったのか――。師も周りも時間に拘る人じゃなかったんで、正直時間の感覚はよく分からないな。――もしかしたら日をまたいでたかもしれない。」
 自分で変な言い方をしながらくすりと笑っていた。
「……昼夜問わず学んでいたということか?」
「昼夜の感覚も外に出るまでよく分かっていなかったな。――聖都に来て務めを果たすようになってから、時間はあっという間に過ぎるんだと気付いたくらいだ。」
「――なんで昼夜の感覚が分からないんだ?」
 時計が置かれていないために時間の感覚がないという可能性はあるだろうが、少なくとも昼夜くらいは分かるものではないのか。
「……蒼家の家元は海の底にあってな。そこまで陽が届くことは少ないし、窓もあってないようなものだから時間を知る機会がなかったんだ。――時間に追われるということがない分、皆じっくり教えてくれた。」
 思ってもみなかった場所に驚く。――気付くと三徹くらいは平気でする、というのは元から時間を気にしない習慣のせいだったのか。
 本家に行った話をセーレがしたとき、いる場所が分かっているのに会いに行かないのかと尋ねたことがあった。あの時言葉に詰まったのか返事がもらえなかったのは、家との関係が良くないからだと思っていた。――まさか物理的にも難しい場所だったのだと今頃知る。
 知らなかったとはいえ、随分と酷なことを尋ねてしまっていたようだ。後悔先に立たずとは、まさにこのことだろう――。
「さっきも予定表を目にしたが、ここは随分短い時間で学ぶんだな。――学生は大変だな。」
 先ほどエリーチェが謝っていたが、元の生活から考えると確かに時間で区切られた生活というものは分からない感覚なのかもしれない。リタが呆れた顔をしている。
「……海の底に家があるの? ――それって空気とかどうなってるの? 家に水とか入らないのかしら?」
 今の話を耳にした姉が矢継ぎ早に尋ねていた。
「空気は普通にある。窓でも扉でも開けても別に水は入らないし、過去にも浸水したことはないんじゃないか? 外に行くのが面倒、ということ以外は外敵に狙われることもない世界で一番安全な場所だろう。」
「どうやって出入りするの? ――エリーチェたちのお家もそんな感じなの?」
「変な場所にあるのはうちだけだ。他は普通に地上にあるし交通の便もいい。逆に蒼家うちは精霊術を体得しないと出れない。家から出たいのであれば文字通り死ぬ気で覚えるしかない。未熟だと死ぬからな。」
 ふっと不敵な笑みを見せているが、笑えないほど過酷な環境に眉をひそめる。
「それ以外だと、本家と聖都に転移装置があるからそこからだな。――でも家の者以外の立ち入りは禁止しているから、残念ながら紹介する機会はないだろう。」
「海の中で暮らすって、なんだかロマンチックね」
 姉が夢見がちに何かを思い描いているようだった。その向こうにいるエリーチェは気にせず食事をしている姿が目に入る。いつの間にかそこに座っていたようだ。
「そうか? 食料には困らないことくらいしかメリットがないと思うが……。」
「カナタもよくお土産頼むよね~」
 エリーチェが皿のものをつつきながらそんな言葉を口にする。
「鮫くらいならその辺にいるから全然捕まえてくるが、もうちょい上の方にいるやつだと面倒だからやめて欲しい。」
「……鮫を捕まえてくるの?」
 心底迷惑そうな顔をしたフィフスに尋ねた。昨日博物館にも鮫の写真があったが、あれはこの人が捕まえたものだったのだろうか。――結構な大きさのあるサイズだったが、顔をみれば余裕の見える青い瞳が自信ありげにこちらを向いている。
「あぁ。家の近くを竜や鯨も通ることもあるが、鮫や海獣などの領域争いをする生物もいるから、手合わせするには丁度良い。」
「……海の中って過酷なのね。少し夢が壊れたわ」
 憧れが霧散むさんした姉は、力なくソファにもたれ掛かった。
「でも貴方のマイペースな理由がなんとなく分かったわ。――ディアス、頑張ってね」
 ぽんと背中に手を置かれる。
「釘を刺してくれるのではなかったのですか」
 あの時は二人でここに来るための方便で言ったのだろうが、珍しく丸投げする姉に苦笑する。
「貴方たち二人とエリーチェに任せるわ」
「……もしかしてなにか忠告しにきたの?」
 エリーチェの隣に腰を下ろそうとしたリタが、不安そうにこちらを見ていた。
「違うわ。おばあ様から先ほどお話があったのだけれど、私たちにも気を抜くなと注意されたの。――その中でディアスとコレットがあなた達と同じクラスになることを少し心配されていて、……でもなんだか大丈夫そうだから弟に任せることにするわ」
 先ほどまでの祖母たちとのやり取りを思い出す。物々しい雰囲気に始終飲まれていたが、あの部屋を後にしてみれば大げさな話だったのではないかと緩んだ気持ちが出てきたためか姉も安心しきった顔をしている。
「そうか。……だが年長者の忠告はきちんと覚えておくといい。お前たちの事を想って伝えたことだ、決して軽んじてはいけない。」
 アストリッドとディアスを見つめ、真剣な面持ちでフィフスが忠告してきた。――あれだけ祖母に対し遠慮がなかったのに、今の言葉からは微塵もその気配がない。
「大方私に対しての忠告があったのだろう。――もちろんこの国に対してもお前たちに対しても、害するつもりも仇成あだなすつもりもない。お前たちの信頼には応えるつもりだが、それでも互いに違う立場だ。こちらにとって都合がいいことでも、お前たちにとって都合が悪くなることなどいくらでもあるだろう。……当然その逆も然りだ。」
 一気に空気が変わるが、祖母の時と違って静かで穏やかだった。
「お前たちのその人の好いところや素直なところは美徳だ。出会って日は浅いがそのことはよく分かる。周囲の人間もいい人なのだろう。――だが悪人は大抵普通の顔をしてやってくる。最初は分からなくても、徐々に歯車が狂ってしまうことなんてよくある話だ。……そういう先々のことを考えて行動せよ、と伝えたのではないのか。」
「……そう、だったのかしら」
「憶測で話したから、もし違うなら忘れてくれ。」
 ふっと笑うと、机の上にあるカップを手にする。
「――とはいえだ。別にここにいる限り道を間違えても誤ってもいいだろう。ここは『学園』だ。――学び、知識を得、思考実験をいくらしようと許され、迷うことがあれば道を指し示してくれる者もたくさんいる。……それでもまだ足りない場合は、最終的にお前たちを守るのはあの女王だろう。大いに使ってやれ。」
 柔らかく、だがやはり不敵な笑みに見える自信のある青い瞳がこちらに向けられる。祖母と似たようなことを言うが、考え方の違うその言葉が妙にしっくりと心に収まった。姉も最初は驚いていたが、穏やかな物言いに安堵したからか同じような顔をしていた。
「……おばあ様に対してそう言えるのは貴方くらいね」
「ここで学園の運営に携わるでもないのは女王だけだろ? ヨアヒム殿下やお前たちを案じて傍にいるのだと思っていたが。」
「……そんな風に考えたことがなかったな」
 もし今の言葉の通りだったら、先ほどの態度はどういうことなのだろうか。ただ好意的に見てくれているだけな気がして、今はその言葉をそのまま受け取るのはやめにした。
「アナタ、本当に陛下に対して失礼すぎるわよ……」
 言葉を選ばないフィフスに呆れたリタだったが、アストリッドもディアスも気にした様子がないことにエリーチェが嬉しげに見ていた。
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