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42.色葉散る宵の口で①

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「……どうしたらよかったのかしら」
 ぽつりとソファに座る姉が、どこへともなくつぶやいた。
 叔父と共に弟達の元へ行く途中、姉に引き止められた。
 一足先に四階にある談話室で一息つくことにしたのだ。
 学園の四階には誰でも使える談話室がいくつかあり、そのうちのひとつをよく身内で使用している。誰でも使っていいはずの場所だが、空いていることが多いのだ。
 今日は日曜だから使う者が少ないのは当然なのだが、いつでも安心してつどえる場所のひとつとなっていた。
 なじみ深いこの場所で、侍女たちがお茶の準備をしている。順番に目の前のティーカップへと、紅茶がそそがれたところのセリフだった。
 先ほどの荒れた出来事について、姉は反芻はんすうしているのだろう。
「……大丈夫ですか、姉上」
 どう触れていいか分からないなりに、当たりさわりのない言葉を掛ける。
「――フィフスは迅速じんそくに対応してくれたわ。困っている人の元へ駆けつけてくれて、止めてくれたことには感謝しているの」
 気遣われていることに気付くと、すぐ気丈な笑顔に変わる。
 いつも通り、一番上の姉として頼れる姿を見せてくれている。
 だが他人もいないこの場所で、気丈に振る舞わなくてもいいのに――――。
 今は姉の気持ちをみ、言葉を飲んだ。
「ディアスたちのところへ来た時も、あんな感じだったの?」
「……気付いたら、アイベルの前に立っていました」
 一昨日の出来事についてだろう。
 思い出してみるもあの時の記憶は曖昧あいまいで、いつどうやって現れたのか正直分からなかった。
「あの時、上空から降ってきたように見受けられました。雨で視界も悪く、上方に注意を払っていなかったので、もしかしたら違うかもしれませんが……、少なくとも気付いたときにはちゅう狼男ライカンスロープをトランクで殴っておりました」
「……トランク?」
「腰にいている剣は軽率に抜けないそうで、手持ちのトランクで応戦されたのだと思います。――そこに手当の道具が入っていたのは、今思うと扱いが適当すぎるとあきれてしまいますが」
 苦笑をまじえたアイベルが、戸惑う姉に説明していた。手当道具の他に、灯りやストール、カップや雑誌に精霊術で使用していた布まで入っていたと思うと、何でも出てくる魔法のトランクのようにも思えた。そんな大層なものを武器として振り回すなど、無頓着むとんちゃくというか、豪胆ごうたんというか――――。小さく笑みがあふれた。
 先ほどの出来事もそうだ。小事しょうじなどと口にしていたが、相手が何者であれ一直線に躊躇ためらうこともなく声を掛けに行った。
 末弟と同じくらいの小さな子であれ、心を組み取り助けを求めさせた。
 おそわれていた少女を真っ先に助けることも出来たが、あの小さな友人をすくい上げるため、彼女自身の言葉を待ったのだろう。
 ひとり立ち去る背を思い出し、せめて見送ればよかったとやり切れない想いが心に残った。
 今の話に姉が少し笑うと、ティーカップに口をつける。が、一瞬迷いを見せていた。
「……もっと前にいてくれたら、あの子・・・のこともうまくかばってくれたかしら」
 すっと心に冷たいものが落ちる。──姉の顔を見るも、視線を合わせようとはしなかった。
「……あなたに言うべきじゃなかったわね、ごめんなさい」
 紅茶を口にし、今の空気をごまかすように笑った。
 言いたいことは分かる。何もできなかったのは自分も同じだ。
 ずっと背を向けていたことに触れるのは、まだ勇気がいる。
 だが、姉が話せるのは、きっと自分しかいない。
 頼りのない弟だろうとも、どちら・・・も大切な姉弟だ。なかったことにしてはいけないだろう――。
「……今日、叔父上の説明を聞きながら姉上たちと、――兄上・・が一緒に案内してくれたときのことを思い出しました」
 たったひとりの、大事な兄だ。
 小さく口に出した思い出と共に、落ち着かない気持ちが指先に現れる。――――迷う指先で、左の袖口に隠れたブレスレットに触れた。
 細身の白銀色のそれは、裏表にそれぞれ模様が描かれており、内側に魔石が小さくはめてある。
 姉弟で持っているそろいのものだ。
 この学園に来るよりもずっと前から、姉の提案で身に着けている。末弟が入学する前に同じものを贈ったが、四人で揃ってつけていたのは、ほんの少しの間だけになってしまった。
 ちらりと袖口から銀の光が見えたからか、姉も同じく自分の左手首にあるであろうそれを自分の手で押さえた。
「俺がしっかりしていれば、……兄上が出ていかれることもなかったと――」
 愛想を振りまくタイプではないものの、周囲に気配りができる優しい人だった。姉と同じくひとつしか変わらないけれど、細やかな変化に気付く度に味方でいてくれた。
 何か言葉をくれる訳ではないが、そばにいてくれることが嬉しくて、安心できる場所になっていた。
 だからよく一緒にいたのだが、それが逆に兄にとって負担になっていた。――誰かから無遠慮に比較され、勝手に失望される。
 自分が側にいればもっと傷付けてしまう。それは互いが生まれた時からそうだった。
 父は分けへだてなく姉弟を愛してくれていたが、同じように考えてくれる人は少なかった。
「……ディアスだけの責任じゃないわ。私こそ、一緒にいたのにどうしてあげれば分からなかったのよ。――レティシアも何とかしようとしてくれてたけど、……彼みたいに周りを強く黙らせるだけの力がなかったな、って思ってしまったの」
 苦笑しつつ、ようやくこちらを向く顔がわずかだが穏やかなものに見えた。
「……やっぱり、帰ってきてはくれないのかな」
 うつむきがちに漏れ出た言葉が消え入りそうだった。生まれた日は違えどもずっと一緒にいた姉にとって、兄が姿を消してしまったことに心を痛めていた。エミリオがいる手前ずっとそんな顔をしても不安にさせるだけだったので、ただ帰りを待つことしかできなかった。
「――きっとお二人が望まれるなら、フィフスが力になってくれると思います」
 後ろから強くはっきりとした言葉がかけられ、思わず振り返った。
「先ほども『求めなければ応じることはできない』とおっしゃっていました。……相談すれば殿下たちのお力になってくれるのではないでしょうか」
 胸に手を当て、真剣な眼差しでアイベルがディアスとアストリッドに語り掛けた。
 普段からあまり口を挟む方ではないので、少々違和感を覚える。――――まだ侍従は『友人フィフス』と出会って間もない。
 自分たちの危機を救ったこと、怪我を治したこと、今の身分や立場が明らかになったとしても、そこまで急に全幅ぜんぷくの信頼を寄せることが出来るのだろうか。
「……なにかあるのか?」
 今朝から感じる小さな違和感が思い出される。昨夜何かあったのだろうか。
 アイベルに正体を明かすようなことでもあったとでもいうのか。
「――いえ。ただ今までの彼の行動や先ほどの言葉を聞いて、彼ならばゼルディウス様のことも親身になって下さるのではと期待を致しました」
 まっすぐとこちらに目を向けるが、アイベルのげんに納得がいかずしばし沈黙が訪れる。
 こちらの様子に気付いていない姉が口元に手を当て考えている。
「そうかしら……。ディアスはどう思う? たった数日だけれども、貴方が一番傍にいるでしょう?」
「…………きっと、あの人なら親身になってくれると思います」
 そういう人だ。昔からずっと、会ってからもそう時間が経っていなくても、そうだと確信するほどに思ってしまう。――だが、どう説明すればいいだろう。
「そうなんだ……。ディアスでもそう思うなら、彼はそういう人なのね」
 淡い笑みを浮かべ、二番目に一緒にいる弟を信頼してくれている。
「ただ、二週間しかいらっしゃらないので時間があるかは……」
 短い期間に成すべきことがあり、あの人がしたいと思っていることが出来るだけの時間はあるのだろうか。
 そんな中、自分の不始末に時間を取らせてしまって良いものなのか、心が迷った。
「話しだけでもしてみてはいかがでしょうか。直接お会いにならずとも、宿舎の電話番号を聞いております。殿下たちのお時間のある時にご相談になってみては」
 ジャケットの内側ポケットから、一枚の小さなメモを取り出し机の上に差し出した。表面に掛かれた数字は確かに電話番号のようだった。
「……宿舎の電話なんていつの間に?」
「昨日頂戴しました。何かあればこちらにいつでも電話するといい、と。ご本人が不在でも誰かにことづけすれば伝わると伺っております」
「俺は聞いてない」
 思わず口にしてしまう。
「申し訳ありません……。今朝は落ち着いてお伝えする時間がありませんでしたので、後の報告になってしまいました。殿下にも何か用があれば呼ぶよう伝えていると伺ったので、てっきりご存知だったのかと……」
「それは、……聞いている」
 あの時発せられた言葉のニュアンスに少々問題があったので止めてしまったが、電話を教えてくれるつもりだったのだろうか。そうでなくても代わりにアイベルに伝えたと思えば確かに筋は通る。
 だというのに腑に落ちないのはなぜなのか――――。少々強引にも見える侍従の提案のせいだろうか。
「どうかしたの、ディアス? ……何か気になることでもあるのかしら」
 普段と違う弟の様子に、アイベルと見比べ姉が尋ねた。
「殿下がお休みになられた後、少しお話をしたのですが――――」
 扉を叩く音がした。なんともタイミングの良い来訪者なのか――――。一瞬眉根をひそめるが、来る相手は分かっている。姉が侍女たちに扉を開けるよう指示をした。
「この話はまた後でね」
 開かれた扉から叔父の姿が現れる。ため息とともに、今の心のもやをなんとか忘れようとする。
 どうして心がざわめくのか分からなった。――机の上のメモは姉が制服のポケットにしまっていた。
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