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34.隣の部屋⑤

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「待たせてすまなかった。もうディアスは休んでいる。一応確認してくれないか?」
 先ほど一瞬賑やかになった寝室から、フィフス殿が戻ってくる。
「ありがとうございます。……その、殿下に何をされたんですか?」
「心配しなくていい、ただのハグだ。――ついでによく眠れるようにしているだけだ。」
 ついでにという言葉が気になるが、今は殿下の様子が一番気がかりだった。彼の横を通り寝室を確認しに行く。
 ベッドの端で確かに寝息を立てて深く眠っているようだった。なにかよくないものかとも一瞬考えたが、昨日ゾフィ様もいて、この行為を知っているのであれば危険はないのかもと少しだけ思い直す。
 端から少し身体を移動させ、布団をかける。
 朝のゾフィ様の話から余計な邪推じゃすいが働き、殿下を怒らせる失言をしてしまった。――彼が自分を許し、話題を変えてくれたからまた殿下の機嫌が元に戻ったことを思い出す。
 悪い人ではないのだろう。
『貴方は決して彼らを信用してはなりません。心を許さないようくれぐれも注意なさい』
 先ほど当人からあった、情報を渡すなという話があったが、それに掛かっているのだろうか――。だがもし護衛であれば、抜剣ばっけんできない者を傍に置く理由はなんなのか。
 朝二人組でいたのに、教会についてから姿を消した彼はなんなのか。この鍵について、何をするつもりなのかなど疑問は尽きない。
 殿下について問題のないことを確認が済むと、明かりのある隣の部屋に足早で戻る。
 先ほど話した位置に先ほどと変わらぬ姿勢で待っているようだった。
「怪我はもう平気か?」
 こちらに背を向けて問う。
「はい、おかげさまで。――治してくださりありがとうございました」
「本当は朝一で治しに行くつもりだった。行き違いになって、何かと不便にさせて悪かったな。」
 振り返ると先ほどの温和な表情はなく、一番最初に会ったときと同じように淡々とした表情に変わっていた。――こちらが本性なのだろうか。
「ここで話すのはディアスに悪い。――ここの『隣の部屋』の鍵をお前が持っていると聞いた。案内をしてくれないだろうか。」
「――承知致しょうちいたしました」
 確かに、安らかに眠っている主の部屋で話せることではない。この部屋を後にすべく、明かりを消して部屋を出る。
「……一応伝えておくが、別にお前たちに危害を加えるつもりはない。お前も聞きたいことがあれば何でも聞くといい。こたえらえる範囲のことであれば応えよう。――あと、敬称もつけなくていい。堅苦しいのは正直面倒だ……。」
 不安と緊張でいっぱいだったのを見抜かれたのだろう。ため息交じりに彼が言った。
「この部屋を見たいのは、に何があったか知りたいからだ。――本来であれば姉弟たちに聞くべきだろうが、今はまだその時ではない。この状態で聞いてもいいことはないだろう。……だから、比較的そばで見て来たお前に聞きたいんだ。」
「……殿下達に親しくしてほしいとおっしゃったのはそれが理由で?」
「それもある。――もう少し詳しいことを話したいから、部屋に入れてくれるか? ディアスは明日まで寝ているだろうが、もしエミリオに聞かれると不安にさせかねない。そういう状態を今は作りたくない。」
 本当にご姉弟きょうだいのことを案じてくれている様子が分かり、無用な警戒を手放す。
 首にかけた鍵を取り出し、半年間使用者がいなくなった殿下の隣の部屋の扉を開く。――いつでもこの部屋の主が戻ってきていいように清掃はしていたが、久しく誰かを招き入れることはなかった部屋だ。
「明かりはつけなくていい。話をするだけだからな。」
 カーテンが閉め切られ、外からの明かりも入らず閑散かんさんとし、冷え切った寂しい空気がただよう。感傷かんしょうひたっているとシャッと鋭い音と共にカーテンが開かれ、かすかに外の明かりが入る。
 いつの間にか、彼は窓際に行っていたようだ。
「昨日お前たちをおそった犯人だが、今日近衛このえの宿舎内で守衛しゅえいと一緒に殺された。」
「…………え?」
 唐突な知らせだった。窓を背にしているから表情はより一層読めない。
「今女王やヨアヒム殿下が対応をしている。――恐らくお前には明日この話があるかもしれないが、外に出すのはもう少し後になるだろう。……まして王子たちに伝わるのもすぐではない。」
 犯人が昨夜のうちに捕まったのは知っていたが、まさか昨日の今日でこのような事態になっているとは誰が考えただろう。
「何故か知らないが、どうやらディアスが狙われている。――以前からお前たちの周りで不審ふしんなことがあったと聞いたが、そうなのか?」
「はい……。昨日ももしかしたらと思っていたのですが……」
「まぁ、狙われる原因としてひとりでいるからだろうが。――あとは、この学園で一番魔力が高いと聞いたが、そうなのか?」
「確かにそう言われております。……王家の血を引く方は、もともと高い魔力をお持ちですから」
第一王子・・・・もか?」
 久しくその存在を誰もが口にしなかったため、耳に入ったその言葉にショックを受ける。――皆口にしたくないわけではない。誰もが彼に心を痛めておりどう話せばいいかわからず、いつの間にか彼の存在を皆が口にできなくなってしまったのだ。
 彼のことを、――殿下の兄君について考えるとアイベルもかなしい気持ちになる。
「――どちらかというと、ご姉弟の中では一番少ないかと……」
「周囲から第一王子が軽んじられていたとも聞いたが、それはなぜだ?」 
「周囲、というより貴族からです。……くだらない雑談のひとつでよく誰が次王位を継ぐかと話があるようで、第一王子であるゼルディウス様が一番魔力も少ないことから軽んじられておりました。――陛下もご姉弟も、ご親戚の皆様だって、誰もそんな風に思ったことはないのに」
 どうでもいい話の種にされるのも我慢ならないが、勝手に彼らに優劣をつける行為を思い出すたび暗い気持ちが湧きあがる。それがご本人やご姉弟の耳に入るたび、彼らが嫌な気持ちになることなど分からないのだろうか――。
「……だから注目されるのを嫌がったのか。なら第一王子も含めて姉弟仲は悪くないんだな。」
「少なくとも、私はそう思っています……。あの、貴方はディアス様を狙っているのがゼルディウス様だとお考えなのですか?」
 ゼルディウス・フィリクス・アルブレヒト。――アストリッド様と同い年で、ディアス殿下とエミリオ殿下の兄にあたる第一王子に位置する方だ。
 昨日殿下がおそわれたとき、最悪なことに一瞬彼の名がよぎったことを苦々しく思い出す。
「いや、第一王子はやっていない。お前たちを不仲にしたいやつの仕業だろ。」
 あっさりと告げられ、敵わない気持ちでいっぱいになる。昨日来たばかりのこの人物の方が、ゼルディウス様を信じているのだから。
「なぜ……?」
「それは第一王子がその立場を利用されているだけだからだ。半年前にあった事件もそう。――お前は聞いていないのか?」
 過去の事件に触れられ、驚く。何をどこまで知っているのだろうか――。夕方、ヨアヒム様に教えられた話をふと思い出す。
「――『貴院きいん解散の神勅しんちょく』とは……、どうやってしたんでしょうか?」
「それか。――別に10人で全てを成したわけじゃない。私たちは人も条件も全て揃ったからできただけで、過去に何人もの人が現状を良くしようと願い、しいたげられた人たちの想いを残した人たちがいた。その人たちの想いに応えただけで、何か特別な奇跡があった訳じゃない。人々の地道な願いと、爪痕つめあとの結果をやっと表に出せたと言うだけの話だ。――今回もいろいろと知っているのは、その時と同じ状況だからだ。」
 おごることなく淡々と伝えるその様子こそ、信頼に値できるのではないかとすがりたくなってしまう。
「半年前のことも聞いている。――学園内で以前から第一王子が第二王子を目の敵にしていると噂が流れ、二人が廊下で鉢合はちあわせした際、廊下の窓ガラスが派手に割られたんだろ? まるで第一王子が喧嘩を仕掛けたように見せかけてな。――調査の結果が出るよりも前に、ここにいるのが耐えられなくなって王子は出奔しゅっぽん、今はジュール・フォン・ハイデルベルクの屋敷にいると。」
「そうです……。それだけ知っているのに、なぜ……」
「そのジュール・フォン・ハイデルベルクがお前たちの不仲を作り出し、第一王子を抱き込もうとしている。」
 初耳だった。――その名は知っているし、ゼルディウス殿下がいる場所も分かっていた。だがその彼に居場所を与えている者が、彼をおとしめているとは思わなかった。
「この話はまだ誰にもするなよ。――誰かに伝えたところで、第一王子がすぐに戻る訳じゃないからな。」
 窓から離れ、こちらに近付く。
「――我々は彼を聖国へ連れていくために派遣された。」
 思わぬ話に息を飲む。――近くで見える顔は、先ほどと同じように淡々とした表情の読めない顔だった。
「お前たちに知らされた仕事はどれも本当だが、伏せられた任務のひとつがこれだ。――こちらに居場所がないなら、ピオニールないしラウルスから離した方がいいだろうと、既に女王と話がついている。」
「そんな……」
「だが、正直私は気が進まない。――彼の安全を確保できる場として、聖国に居場所を作ることはできる。権力争いに巻き込まれることもないし、向こうにはラウルスの者もいる。学校は大したものがないものの、聖都には四方天を含め同い年くらいの連中が多いから寂しい思いはしないかもしれない。別にこちらに戻りたければいつでも帰っていい。」
 気が進まないと口にしてから、心底やる気のない態度に変わる。淡々としていたのは気乗りしない話をしなければならなかったからかもしれない。――こういうところも素直なのかと、脱力する。
 おそらくこの本音を隠さないところが、殿下も心を許している部分なのかと類推るいすいした。――先ほど邪推した件について、本当にやらかしてしまったと後悔が頭に重くのしかかる。
「その……、近衛の詰め所で殺されたのは、ハイデルベルク家の仕業、ということでしょうか」
「実は一概いちがいにそう言えなくなってな。恐らくジュール・フォン・ハイデルベルクは知らないのだろう。――手を組んではならない者と組んでしまったため、そいつもお前たちも余計なことに巻き込まれている。」
 先ほどの様子と打って変わり厳しい眼差しに変わる。
「その連中は青龍商会を警戒している。我々に関与されたくなくて奴らを口封じしたのだろう。――だから王子たちと仲良くして奴らの邪魔をするつもりだ。ディアスが狙えなくなれば、自ずと私が標的ひょうてきになる。――そのためにお前が王子を守るんだ。」
 朝も言われた言葉だった。己の使命を果たせと。
「だから何があっても私に情を掛けるな。危なくなってもお前はお前の本分を全うしろ。――必ずお前たちに降りかかる火の粉は私が払う。」
 冷たくも力強い言葉に身を引き締める。――朝の話はこういうことだったのかとやっと理解した。
「そしてお前はディアスの大切な侍従だ。彼の心を支えるのはお前の役目だろう。――怪我をしても、死にかけるようなことがあっても私が必ずお前を治そう。だから迷わず主人のために尽くせ。」
「承知、いたしました――」
 返事をするも、少し不安になる。――殿下はこの人にだいぶ心を開いているのだ。もし、陰ながら彼が盾になろうとしていることについて、後で知ったらどうなるだろうかと……。
「あと、第一王子を連れて行く話は保留だ。――もし連れて行って欲しくないのであれば、協力しろ。私もどうするか考えるし、姉弟たちの信頼がある程度得られるのなら手はある。」
「そ、それは本当に――?」
 ゼルディウス様がお戻りになる可能性があるということに、胸の奥で小さな明かりが灯る。
「あぁ。うまくいくかは保障できないが、お前たちが望むならそのための筋道すじみちは用意しよう。」
 真剣な言葉と澄んだ青い眼差しが、強い希望を見据えているように思えた。

 この部屋の鍵は今夜使われた。
 ずっと誰も触れられなかったものだ。
 ずっと閉じられた部屋を、彼が元に戻そうとしている――。
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