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19.『策士』は雨上がりと共に④
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バルシュミーデ通りが馬車の中からでも見える位置に到着した。――それなりに道幅はあるものの、道の先が見えなくなるほどの人で溢れていた。賑わいが少し離れた馬車の中でも伝わってくるようだ。
このような無秩序に人が集まっている場所に来たのは初めてだった。道中楽しみにしていたエミリオですら、人の多さに不安になっているようだった。
「お前たちは街に降りたことはないのか?」
馬車の外では二人の侍従が扉の前で待機しており、周囲を警戒している。
「……行く用がない」
「まぁそうか。――別に今まで庶民をいじめるようなことはしてないんだろ?」
「そ、そんなことはしていません!」
「なら大丈夫だ。絶対お前たちのことは守る。任せてくれ。」
事も無げに言うフィフスは落ち着いており、慣れない場所に来たこちらの心が決まるのを待っているようだった。
昨日も身分を明かしたクリスが言っていた時の言葉を思い出す。――お前にかかる火の粉は必ず振り払うと約束しよう。そう言っていた。
『二人』からの何も飾らないストレートな言葉をかみしめた。少し勇気の足りない心は彼に預けよう。――隣に座る小さな弟の背を支え、せめて彼にだけは兄らしくあろうとした。
二人の様子を見て、扉側に座っていた左翼が先に外へと降り立った。
「兄さま……」
「エミリオ、きっと大丈夫だ。一緒にいこう」
弟に何の根拠も示せなかったが、兄を見て心を固めたのか、「はい!」と元気を振り絞ったのか力強く返事をしてくれた。ステップに足をかけ、弟に続きディアスも降り立つ。二人の間を秋風がかろやかに吹き抜けていった。
最後にフィフスが降りると、御者の元へ行き何かを伝えている。扉を左翼が閉めると、そのまま御者が馬車を連れて行った。
後ろに何もなくなってしまうと、このような場所に現れるはずもない人物たちの登場にぽつりぽつりと人の足が止まり始めた。止まる足並みに連鎖して注意がこちらに集まり、賑わいを見せていた通りも次第に停滞していくのが視界に入り、思わず身体が強張った。
立場上人から見られる機会は多い。今後も自分が王族である以上そういう機会は途切れることはないだろう。……だからこんなところで怖気づいている場合ではない。――とは思うものの、身体はずっと正直だった。
エミリオも周りの様子に気圧されたのか手を握り、隣にぴたりとついた。侍従たちは二人を庇うように前に出た。
「ディアス、大丈夫か?」
異変に気付いたフィフスが傍に来て顔を覗き込んできた。
「お前たちにも無理はして欲しくないんだが……。もしかして、人混みが苦手だったか?」
こちらが何も伝えなかったために困惑させてしまった。心配そうに眉尻が下がっているものの、澄み切った玻璃のような双眸が綺麗だった。
小さく迷ってから本音を伝えた。
「……少しだけ、人の目が苦手で」
「そうだったのか。――では場所を変えるか。向こうに合流してもいい。」
「場所はこのままで大丈夫。――フィフスが傍にいてくれれば、心強い」
心配そうに覗き込んでいた顔が一瞬驚くも、すぐに自信に満ちた顔に変わった。
「なら任せておくといい。――お前たちも離れるなよ。」
不安の芽はまだあるものの、弱る心を支えてくれる人が今はいる。静かに深呼吸をし、強張る身体に新しい空気を入れた。
馬車内で見ていた雑誌はまたフィフスの背中にしまわれた。どうやら背中とボトムスの隙間に本をねじ込んでいるらしい。器用なものだ。上着の生地が厚いからか、動いていてもその背中に本があるとは不思議と思えなかった。
「早速見て回るか。気になるものがあったら教えてくれ。」
そう言って歩き始めると、固まった人だかりに近付くたび、彼らが下がるため自然と道が形成されていった。近くを通るたび、学生たちの忍び声が波音のように届く。彼らがどのような顔をして、何を話しているのか明らかにしたくなくて、なるべく遠くへ意識をやった。――周りよりも高い身長のおかげで、道の先まで見えるのは幸いか。割れる人並みのおかげで同行者と不用意に離れる心配がないのも幸運だろう。
弟も初めての場所に緊張しているものの、徐々に興味が勝ってきたようできょろきょろと人波の向こうを見ようとしていた。
下町の散策とはこういうものなのだろうか。
「なぁ、ちょっといいか?」
数歩前を進むフィフスが足を止め、近くにいる学生に声をかけた。
「えっ? あ、な、なんでしょう……?」
まじまじとこちらを見ていたひとりで、声を掛けられた彼は突然のことにしどろもどろになっていた。侍従たちが警戒し、周囲のざわめきも何が始まるのかと様子を伺うように静まり返る。
「急に声をかけてすまないな。手に持っているそれはなんだろうか。――友人と遊びに来たんだが、この辺りは初めてだから教えて欲しいんだ。」
彼の手には黄色と紫色の玉状の何かが刺さった串を持っていた。
「えっと、……これは、最近この辺りで流行っているルンデボーネってやつで、すぐそこの店で買いました」
「へ~。流行っているということはほかにも店があるのか。」
「……はい。甘薯をペースト状にして揚げたものなんですが、必ず丸く膨らむのが面白くて……」
「丸く膨らむのか? 最初からその形じゃないのか?」
「その、……丸くしているお店もありますが、ここのは最初は円筒状で、揚げるとこうなります。――揚げるときに潰すんですが、それでも丸くなるので調理工程も変わってて面白いかと……」
学生は説明しながらも、チラチラとフィフスの後ろを気にしていた。この場に似つかわしくない人物たちの方が気になるようで、落ち着きがないようだ。一方学生の様子を気にすることなく、深く関心しながら話を聞いているフィフスとはひどく対照的だった。
「……フィフスの知り合いですか?」
「いや、今そこにいたから声を掛けただけだ。――教えてくれてありがとな。」
串を持つ学生ににこやかに礼を伝えると、こちらを振り返った。
「他にも持ってるやつがいたから気になったんだが、どうやらあの団子が流行っているようだな。――せっかくだからどこか覗いてみないか?」
警戒をしていた侍従たちは少し肩透かしを食らったようで、若干気持ちのやり場に困っているようだった。
「あの――」
さきほど話しかけた学生の近くにいる人物から声が上がる。
「友人って、その、……そちらにいらっしゃる方たちのことですか……?」
「そうだ。何か問題が?」
静かだった周りが再び騒めく。
「あ、いえ、その……、問題とかではなく、気になっただけでして……」
「もしかして何かルールでもあったのか? 友人とここに来るには誰かに認めてもらうとか、ドレスコードがあるとか、書類が必要だとか、許可制だったりとか?」
周囲のざわめきに負けないくらい徐々に声が大きくなり、深刻そうなフィフスの様子に尋ねた学生が慌てていた。
「め、めめめめ滅相もありません! ――殿下たちが視察か何かでいらしたのかと思っただけで、ここにはそのようなルールはな、ないと思います――!」
心底哀れになるほど恐縮しきっている学生の様子に、周囲の人はその学生を庇うようにそんな決まりはないと援護していた。ざわめきの間から、視察じゃないのか、ただ遊びに来ているだけなのかなどの声が聞こえて来た。
「そうだったか。せっかく楽しく友人と過ごそうと思っただけなのに、さっそく面倒を起こしたかと焦ってしまった。――皆も驚かせてしまいすまなかった。」
二人の王子と侍従にそれぞれ微苦笑すると、彼らがここにいる理由が大したものでないと判明したからか、周囲の空気が変わっていく。止まっていた人波に少しずつ流れが生じた。
「どうやらみんな二人の登場に驚いてただけのようだな。せっかくの休みに仕事なんてある訳ないのにな。」
本来の姿に戻っていく街の様子に胸を撫でおろす。
「……貴方がそれを言うの?」
「はは、なんのことだか。」
仕事中毒な友人は気まずいのか、笑ってはいるが顔をこちらに向けようとせず、明後日の方向を向いている。
侍従たちはすっかり毒気を抜かれ、末弟も緊張が解けたようでくすくすと笑っていた。――思っていたよりも周囲の目は苦手なそれでなかったと分かり、ようやく肩の力をぬくことが出来て少しだけ笑った。
このような無秩序に人が集まっている場所に来たのは初めてだった。道中楽しみにしていたエミリオですら、人の多さに不安になっているようだった。
「お前たちは街に降りたことはないのか?」
馬車の外では二人の侍従が扉の前で待機しており、周囲を警戒している。
「……行く用がない」
「まぁそうか。――別に今まで庶民をいじめるようなことはしてないんだろ?」
「そ、そんなことはしていません!」
「なら大丈夫だ。絶対お前たちのことは守る。任せてくれ。」
事も無げに言うフィフスは落ち着いており、慣れない場所に来たこちらの心が決まるのを待っているようだった。
昨日も身分を明かしたクリスが言っていた時の言葉を思い出す。――お前にかかる火の粉は必ず振り払うと約束しよう。そう言っていた。
『二人』からの何も飾らないストレートな言葉をかみしめた。少し勇気の足りない心は彼に預けよう。――隣に座る小さな弟の背を支え、せめて彼にだけは兄らしくあろうとした。
二人の様子を見て、扉側に座っていた左翼が先に外へと降り立った。
「兄さま……」
「エミリオ、きっと大丈夫だ。一緒にいこう」
弟に何の根拠も示せなかったが、兄を見て心を固めたのか、「はい!」と元気を振り絞ったのか力強く返事をしてくれた。ステップに足をかけ、弟に続きディアスも降り立つ。二人の間を秋風がかろやかに吹き抜けていった。
最後にフィフスが降りると、御者の元へ行き何かを伝えている。扉を左翼が閉めると、そのまま御者が馬車を連れて行った。
後ろに何もなくなってしまうと、このような場所に現れるはずもない人物たちの登場にぽつりぽつりと人の足が止まり始めた。止まる足並みに連鎖して注意がこちらに集まり、賑わいを見せていた通りも次第に停滞していくのが視界に入り、思わず身体が強張った。
立場上人から見られる機会は多い。今後も自分が王族である以上そういう機会は途切れることはないだろう。……だからこんなところで怖気づいている場合ではない。――とは思うものの、身体はずっと正直だった。
エミリオも周りの様子に気圧されたのか手を握り、隣にぴたりとついた。侍従たちは二人を庇うように前に出た。
「ディアス、大丈夫か?」
異変に気付いたフィフスが傍に来て顔を覗き込んできた。
「お前たちにも無理はして欲しくないんだが……。もしかして、人混みが苦手だったか?」
こちらが何も伝えなかったために困惑させてしまった。心配そうに眉尻が下がっているものの、澄み切った玻璃のような双眸が綺麗だった。
小さく迷ってから本音を伝えた。
「……少しだけ、人の目が苦手で」
「そうだったのか。――では場所を変えるか。向こうに合流してもいい。」
「場所はこのままで大丈夫。――フィフスが傍にいてくれれば、心強い」
心配そうに覗き込んでいた顔が一瞬驚くも、すぐに自信に満ちた顔に変わった。
「なら任せておくといい。――お前たちも離れるなよ。」
不安の芽はまだあるものの、弱る心を支えてくれる人が今はいる。静かに深呼吸をし、強張る身体に新しい空気を入れた。
馬車内で見ていた雑誌はまたフィフスの背中にしまわれた。どうやら背中とボトムスの隙間に本をねじ込んでいるらしい。器用なものだ。上着の生地が厚いからか、動いていてもその背中に本があるとは不思議と思えなかった。
「早速見て回るか。気になるものがあったら教えてくれ。」
そう言って歩き始めると、固まった人だかりに近付くたび、彼らが下がるため自然と道が形成されていった。近くを通るたび、学生たちの忍び声が波音のように届く。彼らがどのような顔をして、何を話しているのか明らかにしたくなくて、なるべく遠くへ意識をやった。――周りよりも高い身長のおかげで、道の先まで見えるのは幸いか。割れる人並みのおかげで同行者と不用意に離れる心配がないのも幸運だろう。
弟も初めての場所に緊張しているものの、徐々に興味が勝ってきたようできょろきょろと人波の向こうを見ようとしていた。
下町の散策とはこういうものなのだろうか。
「なぁ、ちょっといいか?」
数歩前を進むフィフスが足を止め、近くにいる学生に声をかけた。
「えっ? あ、な、なんでしょう……?」
まじまじとこちらを見ていたひとりで、声を掛けられた彼は突然のことにしどろもどろになっていた。侍従たちが警戒し、周囲のざわめきも何が始まるのかと様子を伺うように静まり返る。
「急に声をかけてすまないな。手に持っているそれはなんだろうか。――友人と遊びに来たんだが、この辺りは初めてだから教えて欲しいんだ。」
彼の手には黄色と紫色の玉状の何かが刺さった串を持っていた。
「えっと、……これは、最近この辺りで流行っているルンデボーネってやつで、すぐそこの店で買いました」
「へ~。流行っているということはほかにも店があるのか。」
「……はい。甘薯をペースト状にして揚げたものなんですが、必ず丸く膨らむのが面白くて……」
「丸く膨らむのか? 最初からその形じゃないのか?」
「その、……丸くしているお店もありますが、ここのは最初は円筒状で、揚げるとこうなります。――揚げるときに潰すんですが、それでも丸くなるので調理工程も変わってて面白いかと……」
学生は説明しながらも、チラチラとフィフスの後ろを気にしていた。この場に似つかわしくない人物たちの方が気になるようで、落ち着きがないようだ。一方学生の様子を気にすることなく、深く関心しながら話を聞いているフィフスとはひどく対照的だった。
「……フィフスの知り合いですか?」
「いや、今そこにいたから声を掛けただけだ。――教えてくれてありがとな。」
串を持つ学生ににこやかに礼を伝えると、こちらを振り返った。
「他にも持ってるやつがいたから気になったんだが、どうやらあの団子が流行っているようだな。――せっかくだからどこか覗いてみないか?」
警戒をしていた侍従たちは少し肩透かしを食らったようで、若干気持ちのやり場に困っているようだった。
「あの――」
さきほど話しかけた学生の近くにいる人物から声が上がる。
「友人って、その、……そちらにいらっしゃる方たちのことですか……?」
「そうだ。何か問題が?」
静かだった周りが再び騒めく。
「あ、いえ、その……、問題とかではなく、気になっただけでして……」
「もしかして何かルールでもあったのか? 友人とここに来るには誰かに認めてもらうとか、ドレスコードがあるとか、書類が必要だとか、許可制だったりとか?」
周囲のざわめきに負けないくらい徐々に声が大きくなり、深刻そうなフィフスの様子に尋ねた学生が慌てていた。
「め、めめめめ滅相もありません! ――殿下たちが視察か何かでいらしたのかと思っただけで、ここにはそのようなルールはな、ないと思います――!」
心底哀れになるほど恐縮しきっている学生の様子に、周囲の人はその学生を庇うようにそんな決まりはないと援護していた。ざわめきの間から、視察じゃないのか、ただ遊びに来ているだけなのかなどの声が聞こえて来た。
「そうだったか。せっかく楽しく友人と過ごそうと思っただけなのに、さっそく面倒を起こしたかと焦ってしまった。――皆も驚かせてしまいすまなかった。」
二人の王子と侍従にそれぞれ微苦笑すると、彼らがここにいる理由が大したものでないと判明したからか、周囲の空気が変わっていく。止まっていた人波に少しずつ流れが生じた。
「どうやらみんな二人の登場に驚いてただけのようだな。せっかくの休みに仕事なんてある訳ないのにな。」
本来の姿に戻っていく街の様子に胸を撫でおろす。
「……貴方がそれを言うの?」
「はは、なんのことだか。」
仕事中毒な友人は気まずいのか、笑ってはいるが顔をこちらに向けようとせず、明後日の方向を向いている。
侍従たちはすっかり毒気を抜かれ、末弟も緊張が解けたようでくすくすと笑っていた。――思っていたよりも周囲の目は苦手なそれでなかったと分かり、ようやく肩の力をぬくことが出来て少しだけ笑った。
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