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14.『再会』と『新来』⑨
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時は戻り――。
雨はまだ降り続いているようで、暖炉が灯っている暖かな部屋に染み入るような音がかすかに届く。
まだ湯気が揺蕩うティーカップからは芳醇な紅茶の香りが漂う。華奢なハンドルをつまみ、ヴァイスの茶番に乱された心を落ち着けようと一口飲んだ。
「……ずいぶんお気に召したようだねぇ、暖かいもんねそれ」
ヴァイスがにやにやと笑い、自分の肩を指差し何かを伝えてくると、廃墟からずっと肩にかけていたストールの存在を今更ながら思い出した。
雨で身体が冷えていた、返すタイミングを逃したから、などと彼に言い訳するのも嫌だったので、何も言わず留め具を外し、ストールを肩から外し軽く畳んで机の上に置いた。
「ちなみにそれ、兄さんがあげたやつだから気に入ってももらえないと思うよ」
さらりと妙なことを言われ、少し手が止まる。もらい受けるなど考えてすらいなかったが、見知った顔が浮かびなんとなく気まずい気持ちになった。その気まずい気持ちも一緒に机の上に置いておくことにした。
いつ来客があるか分からない今、ヴァイスの遊びに付き合う気はない。漠然とした聞き方だと真面目に返す気はないのかもしれないと考え、慎重に言葉を選ぶ。
「……なぜあんな責めるような言い方をしたんだ」
馬車での出来事を思い返す。責任感から『守る』と約束してくれたのだろうか。『友人』が何も責任に思うことなど、ないというのに――。ヴァイスの冗談交じりの非難すら額面通り受け止めていた様子を思い返す。普段もあぁなのだろうか。
「責めるとは心外な。僕なりのユーモアだったんだけど、そう聞こえていたなら申し訳なかったね。――でもまぁ、あぁいう言い方をした方が、仕事のこと以外にも目を向けてくれるかと思ったんだよ」
「……護衛まで申し出てくれたのは、その言い方のせいじゃないのか?」
責任も許しも必要ないものだ。そんなものより、『友人』が少しでも安寧であればいいとだけ願っていた。
「おやおやおや~? まさか護衛って朝から晩まで付き添ってくれると、殿下は思ってるのかな~?」
ニヤニヤと心底意地の悪い顔をしながらヴァイスは扇子を広げて、口元を隠しながら言ってきた。
「お仕事のついでに護衛もするってだけだし、誰かを守るのはあの子の得意分野でね。――それともずっとそばで護衛してくれるよう頼んでみましょうか? あ、でも他に仕事があるから難しいかな~」
こちらの誤解をこれでもかと面白がる様子が心底憎たらしい。――また、そういう意味だったと知り誤解していたことに思わず眉間を抑えた。確かに連続学徒失踪事件の調査をするなら四六時中ついててくれる訳はないだろう。冷静に考えればわかったはずだ。
「……正直いろんなことが起こりすぎて、もうなにがなんだか分からない」
「あはは、それもそうか。からかいすぎたよ、ごめんごめん。――まぁ、シンプルに言うなら、ちょっとクリスくんも落ち込んでて、今は何かしてないと落ち着かないんだよ」
やっと本題を話し始めたヴァイスが、ローテーブルにティーカップに手を伸ばす。
「クリスくんの気分転換のために、蒼の当代さまが陛下に提案してくれてね。仕事を理由に僕やセーレの母校であるピオニールに来ることができるし、こちらとしても問題が解決できればこれほどいいことはないしと、お互い損がないだろ? そういう意味で来ることになったんだよね」
「……気分転換のためなのか」
「そうだよ。有名人だからおいそれとそのままじゃ来れないし、誰にも気兼ねなくのびのび過ごしてもらうために、正体を隠しているの。――東方天業務はお休み中って訳さ」
「……落ち込むって、――まさかこの前の?」
「聖都襲撃事件のこと? どうやらその前からっぽいんだよねぇ。詳しくは教えて貰えなかったけど、珍しくかなり落ち込んでて、聖都中がそわそわしているよ。――さっきもずっとテンション低くて、思っていた以上に重症だねぇ」
大きなため息をひとつついて、困った顔をしている。テンションが低いとは、もしかして始終淡々とした様子のことを指しているのだろうか――。
「ディアスくんは聖都の新聞読んでるんでしょ? どれだけ落ち込んでいるか見ればわかると思うよ。――気付いてないのかな?」
また冷やかすような笑みが口角に現れる。眉根を寄せ、最近目にした新聞の内容を思い返す。だがそんな話が載っていただろうか――?
「あんなにわかりやすいのに。ふふっ、天下の東方天さまも大変だ。クリスくんも気にかけられるのは嫌だろうから、気付いてないならそのままの方がいいかもね」
くるくるとカップを揺らし、立ち上るかすかな湯気と共に香りを弄んでいる。
「そういう訳だから、ディアスくんが良ければお友だち兼クラスメイトとして、クリスくんの気分転換に少しでもいいから付き合ってくれないかな。――仕事の方はひとりで全部やる訳じゃないから、自由時間は結構あると思うよ。じゃないと気分転換としてここに来る意味がないからね」
「……締結式には参加しないのか?」
締結式は月末にあるが、調査期限は二週間のみ――クリスがここにいられるのは今月半ば迄のようだ。いつも方天と王の立ち合いの元行われる締結式は、五年前は祖母であるオクタヴィア女王が聖国に赴いて行われた。
今回はこの国で行われるにあたり、方天をひとり招くことにはなっている。
「今のところ北方天のカナタ太子がいらっしゃる予定だね。だから玄家の方が来たわけで、――彼は少し繊細なところがあるから、警備上の問題がないように青龍商会が派遣されていると言ってもいいかもね」
くいっと手にしたティーカップの中身を飲み干し、空になった様子のティーカップを元に戻した。
「さて、他に何か気になることはあるかな? 時間はあるんだから別の機会に聞いてくれてもいいけど」
「……、その伏せられたティーカップは誰の――」
コンコンと扉をたたく音が響いた。普段この部屋に訪問するものは少ないので、急な訪問の気配に緊張する。
「おや、お客さんだよ。どうする? 出ようか?」
ヴァイスの軽い言葉に調子が狂う。
「……お前が呼んだんじゃないのか」
「さて、――それはどうでしょう」
答えをはぐらかし、彼は扉に近付いた。――両開きの扉のひとつを開けると、隙間から見覚えのある人影が見えた。
「夜分遅くに失礼いたします。アイベルに代わり、殿下のご就寝のお仕度に参りました」
ヴァイスより少しだけ背の高いその人は、艶やかな黒髪を後ろにまとめ上げ、白と黒を基調にした張りのある清潔感のあるメイド服を着用している、祖母の侍女であるゾフィだった。――ここは男子寮なので本来女性の立ち入りを禁じている。が、彼はメイド服を着ているだけなので問題はなかった。噂では女王に尽くすために男性であることをやめたとも聞くが、真偽は知らない。また、祖母よりも年上と聞くが、年齢を感じさせない謎の若々しさがあり昔から年齢不詳だ。
幼少の頃から知っている人物の登場に拍子抜けする。
「そうか……。よろしく頼む」
扉の外で会釈すると、ゾフィに付き従った三人の執事が現れそれぞれが準備をするために部屋に入る。
「あれー? 執事にでも転職でもしたのかい? 君って多忙だねぇ」
「……いえ、ゾフィの案内で来ただけです。ヴァイス卿がいたとは存じませんでした。」
ヴァイスの軽口がまだ扉の外にいる人物に話しかけていた。姿は見えないが、あの声から察するに予想通りの人物が来ていたようだった――。
「卿がいらっしゃるならよかった。用はなくなりましたので、これで失礼します。」
「え、もう帰るの?」
「えぇ、様子を見に来ただけですので。」
「見てないじゃん」
「卿がご覧になっているようですので、私が見なくても問題ないかと。」
「僕への信頼が厚い~」
部屋のすぐ外で繰り広げられる小気味よい会話に、どうしたものかと悩んでいると、近くにゾフィがやってくる。
「殿下の様子を見ておきたいとオクタヴィア様に申し出られましてここまで案内したのですが、――いかがいたしますか?」
いかがするかなどと聞かれても、――帰ろうとしているところを止めてもいいものなのか迷う。
「まぁいいや。せっかく会ったんだからお休みのハグでもしようじゃないか」
ばっと扉の内側で両手を広げ、相手が出てくるのを待ち構えている。少し間が空き扉の影から黒髪の少年が現れヴァイスにハグをしていた。仲睦まじい様子ではあるが、先ほどまでの憎たらしいヴァイスのことを思うとなにか黒いものが心に湧いてくる。
――いつまでくっついているのか、しばらく両者は離れる様子がなかった。
「ねぇ知ってるかい? この部屋は殿下が使う前は兄さんが使ってたんだよ」
ハグをしながら、ヴァイスはトリビアを披露し始めた。初耳だ。
「ちなみに僕はこの隣の、今エミリオ殿下が使ってる部屋を使ってたんだ。――このフロアは王族専用なんだけど、部屋が余ってるし、あの時は女王陛下のお招きでここに来たから、特別に使用させてもらってたんだけど、懐かしいなぁ~」
ヴァイスが思い出に浸りながら語り、片手でフィフスの頭を撫でている。肝心のフィフスは微動だにしない。
「調度品も殿下はそのまま使ってくれてるから、あの頃と変わらなくてさー。いまだにこの部屋にくると、学生時代の兄さんを思い出して思わず感傷に浸っちゃうんだよね~」
余計な情報に思わず顔をしかめそうになる。――恐らく自分の父のことに関心があるのだろう。何度かセーレの話をする二人のことを思い出し、様子を伺う。
「殿下に頼めば見学させてもらえるかもよ。それに今なら僕の解説付きだ。――それでも帰るのかい?」
ようやく二人は離れた。先ほどの話を聞いたからだろうか、なんとなく先ほど会った時よりも元気がないように感じる。
「いや……、興味はありますが、彼も疲れているでしょうし無理はさせられません。」
「少しくらいならお話されてもよいのではないでしょうか。殿下はいかがですか? ――湯の準備にはもうしばらく時間がかかりそうですし、それまでのお時間であれば、なにかお話しされるのも気分が紛れるかと」
隣で控えるゾフィからの思わぬ提案に驚く。温和な笑みを崩さずいつも親切にしてくれる人ではあったが、このような時分に客人を留めようとするとは意外だった。――もしかしたら正体を知っているのかもしれない。そのため彼にあまり気を使わせないようにしているのかもと思い至る。ヴァイスも恐らく自分が返事をするまで引き止めるつもりなのかと気付くと、二人の思惑に乗せられざるを得ない状況にひとつ息をついた。
「――フィフスに時間があるなら、部屋を見てくれてかまわない」
せめて二人きりなら周りに気も使わなくて済むのにと、少しこの状況を恨めしく思う。
「いや、問題ない。充分拝見した。では――」
誘いも許しもバッサリと断り、踵を返し頑なに帰ろうとするフィフスの腕をヴァイスが掴んだ。
「どうしたの? なんか元気ないね。――まさかゾフィにいじめられたのかい?」
「元気は、普通です。ゾフィとも特に何もありません。」
「なら女王陛下になにか言われたのかい?」
「別に何も。女王とは仕事の話しかしていません。」
「――ヴァイス卿、少しよろしいでしょうか。……殿下、大変申し訳ないのですが少しの間フィフス様のお相手をお願いできますか?」
二人のやり取りを見かねたのか、間に入ろうとヴァイスの側に向かった。――温和な様子は少しも変わっていないものの、頑なに引き止めるゾフィに不信が募る。先ほど祖母から庇ってくれたが、あの後何かあったのだろうか。
疲労で重くなった身体をソファから引き離し、まっすぐ扉の前に集まる人たちに向けて命じる。
「ゾフィ、今日はもういいから連れて来た者も合わせて帰ってくれ。ヴァイスにも用があるならそのまま連れて行ってくれ」
彼らの思惑に付き合うことに少し抵抗はあるものの、『友人』をそのまま返すには心が痛んだ。
「――フィフス、貴方に話したいことがあるから、俺に少し時間をくれないだろうか」
表情の読めない淡々とした顔がこちらに向けられた。少し逡巡したようだが二度も断るのは気が引けたのか、今度こそ部屋に入ることに同意してくれた。
雨はまだ降り続いているようで、暖炉が灯っている暖かな部屋に染み入るような音がかすかに届く。
まだ湯気が揺蕩うティーカップからは芳醇な紅茶の香りが漂う。華奢なハンドルをつまみ、ヴァイスの茶番に乱された心を落ち着けようと一口飲んだ。
「……ずいぶんお気に召したようだねぇ、暖かいもんねそれ」
ヴァイスがにやにやと笑い、自分の肩を指差し何かを伝えてくると、廃墟からずっと肩にかけていたストールの存在を今更ながら思い出した。
雨で身体が冷えていた、返すタイミングを逃したから、などと彼に言い訳するのも嫌だったので、何も言わず留め具を外し、ストールを肩から外し軽く畳んで机の上に置いた。
「ちなみにそれ、兄さんがあげたやつだから気に入ってももらえないと思うよ」
さらりと妙なことを言われ、少し手が止まる。もらい受けるなど考えてすらいなかったが、見知った顔が浮かびなんとなく気まずい気持ちになった。その気まずい気持ちも一緒に机の上に置いておくことにした。
いつ来客があるか分からない今、ヴァイスの遊びに付き合う気はない。漠然とした聞き方だと真面目に返す気はないのかもしれないと考え、慎重に言葉を選ぶ。
「……なぜあんな責めるような言い方をしたんだ」
馬車での出来事を思い返す。責任感から『守る』と約束してくれたのだろうか。『友人』が何も責任に思うことなど、ないというのに――。ヴァイスの冗談交じりの非難すら額面通り受け止めていた様子を思い返す。普段もあぁなのだろうか。
「責めるとは心外な。僕なりのユーモアだったんだけど、そう聞こえていたなら申し訳なかったね。――でもまぁ、あぁいう言い方をした方が、仕事のこと以外にも目を向けてくれるかと思ったんだよ」
「……護衛まで申し出てくれたのは、その言い方のせいじゃないのか?」
責任も許しも必要ないものだ。そんなものより、『友人』が少しでも安寧であればいいとだけ願っていた。
「おやおやおや~? まさか護衛って朝から晩まで付き添ってくれると、殿下は思ってるのかな~?」
ニヤニヤと心底意地の悪い顔をしながらヴァイスは扇子を広げて、口元を隠しながら言ってきた。
「お仕事のついでに護衛もするってだけだし、誰かを守るのはあの子の得意分野でね。――それともずっとそばで護衛してくれるよう頼んでみましょうか? あ、でも他に仕事があるから難しいかな~」
こちらの誤解をこれでもかと面白がる様子が心底憎たらしい。――また、そういう意味だったと知り誤解していたことに思わず眉間を抑えた。確かに連続学徒失踪事件の調査をするなら四六時中ついててくれる訳はないだろう。冷静に考えればわかったはずだ。
「……正直いろんなことが起こりすぎて、もうなにがなんだか分からない」
「あはは、それもそうか。からかいすぎたよ、ごめんごめん。――まぁ、シンプルに言うなら、ちょっとクリスくんも落ち込んでて、今は何かしてないと落ち着かないんだよ」
やっと本題を話し始めたヴァイスが、ローテーブルにティーカップに手を伸ばす。
「クリスくんの気分転換のために、蒼の当代さまが陛下に提案してくれてね。仕事を理由に僕やセーレの母校であるピオニールに来ることができるし、こちらとしても問題が解決できればこれほどいいことはないしと、お互い損がないだろ? そういう意味で来ることになったんだよね」
「……気分転換のためなのか」
「そうだよ。有名人だからおいそれとそのままじゃ来れないし、誰にも気兼ねなくのびのび過ごしてもらうために、正体を隠しているの。――東方天業務はお休み中って訳さ」
「……落ち込むって、――まさかこの前の?」
「聖都襲撃事件のこと? どうやらその前からっぽいんだよねぇ。詳しくは教えて貰えなかったけど、珍しくかなり落ち込んでて、聖都中がそわそわしているよ。――さっきもずっとテンション低くて、思っていた以上に重症だねぇ」
大きなため息をひとつついて、困った顔をしている。テンションが低いとは、もしかして始終淡々とした様子のことを指しているのだろうか――。
「ディアスくんは聖都の新聞読んでるんでしょ? どれだけ落ち込んでいるか見ればわかると思うよ。――気付いてないのかな?」
また冷やかすような笑みが口角に現れる。眉根を寄せ、最近目にした新聞の内容を思い返す。だがそんな話が載っていただろうか――?
「あんなにわかりやすいのに。ふふっ、天下の東方天さまも大変だ。クリスくんも気にかけられるのは嫌だろうから、気付いてないならそのままの方がいいかもね」
くるくるとカップを揺らし、立ち上るかすかな湯気と共に香りを弄んでいる。
「そういう訳だから、ディアスくんが良ければお友だち兼クラスメイトとして、クリスくんの気分転換に少しでもいいから付き合ってくれないかな。――仕事の方はひとりで全部やる訳じゃないから、自由時間は結構あると思うよ。じゃないと気分転換としてここに来る意味がないからね」
「……締結式には参加しないのか?」
締結式は月末にあるが、調査期限は二週間のみ――クリスがここにいられるのは今月半ば迄のようだ。いつも方天と王の立ち合いの元行われる締結式は、五年前は祖母であるオクタヴィア女王が聖国に赴いて行われた。
今回はこの国で行われるにあたり、方天をひとり招くことにはなっている。
「今のところ北方天のカナタ太子がいらっしゃる予定だね。だから玄家の方が来たわけで、――彼は少し繊細なところがあるから、警備上の問題がないように青龍商会が派遣されていると言ってもいいかもね」
くいっと手にしたティーカップの中身を飲み干し、空になった様子のティーカップを元に戻した。
「さて、他に何か気になることはあるかな? 時間はあるんだから別の機会に聞いてくれてもいいけど」
「……、その伏せられたティーカップは誰の――」
コンコンと扉をたたく音が響いた。普段この部屋に訪問するものは少ないので、急な訪問の気配に緊張する。
「おや、お客さんだよ。どうする? 出ようか?」
ヴァイスの軽い言葉に調子が狂う。
「……お前が呼んだんじゃないのか」
「さて、――それはどうでしょう」
答えをはぐらかし、彼は扉に近付いた。――両開きの扉のひとつを開けると、隙間から見覚えのある人影が見えた。
「夜分遅くに失礼いたします。アイベルに代わり、殿下のご就寝のお仕度に参りました」
ヴァイスより少しだけ背の高いその人は、艶やかな黒髪を後ろにまとめ上げ、白と黒を基調にした張りのある清潔感のあるメイド服を着用している、祖母の侍女であるゾフィだった。――ここは男子寮なので本来女性の立ち入りを禁じている。が、彼はメイド服を着ているだけなので問題はなかった。噂では女王に尽くすために男性であることをやめたとも聞くが、真偽は知らない。また、祖母よりも年上と聞くが、年齢を感じさせない謎の若々しさがあり昔から年齢不詳だ。
幼少の頃から知っている人物の登場に拍子抜けする。
「そうか……。よろしく頼む」
扉の外で会釈すると、ゾフィに付き従った三人の執事が現れそれぞれが準備をするために部屋に入る。
「あれー? 執事にでも転職でもしたのかい? 君って多忙だねぇ」
「……いえ、ゾフィの案内で来ただけです。ヴァイス卿がいたとは存じませんでした。」
ヴァイスの軽口がまだ扉の外にいる人物に話しかけていた。姿は見えないが、あの声から察するに予想通りの人物が来ていたようだった――。
「卿がいらっしゃるならよかった。用はなくなりましたので、これで失礼します。」
「え、もう帰るの?」
「えぇ、様子を見に来ただけですので。」
「見てないじゃん」
「卿がご覧になっているようですので、私が見なくても問題ないかと。」
「僕への信頼が厚い~」
部屋のすぐ外で繰り広げられる小気味よい会話に、どうしたものかと悩んでいると、近くにゾフィがやってくる。
「殿下の様子を見ておきたいとオクタヴィア様に申し出られましてここまで案内したのですが、――いかがいたしますか?」
いかがするかなどと聞かれても、――帰ろうとしているところを止めてもいいものなのか迷う。
「まぁいいや。せっかく会ったんだからお休みのハグでもしようじゃないか」
ばっと扉の内側で両手を広げ、相手が出てくるのを待ち構えている。少し間が空き扉の影から黒髪の少年が現れヴァイスにハグをしていた。仲睦まじい様子ではあるが、先ほどまでの憎たらしいヴァイスのことを思うとなにか黒いものが心に湧いてくる。
――いつまでくっついているのか、しばらく両者は離れる様子がなかった。
「ねぇ知ってるかい? この部屋は殿下が使う前は兄さんが使ってたんだよ」
ハグをしながら、ヴァイスはトリビアを披露し始めた。初耳だ。
「ちなみに僕はこの隣の、今エミリオ殿下が使ってる部屋を使ってたんだ。――このフロアは王族専用なんだけど、部屋が余ってるし、あの時は女王陛下のお招きでここに来たから、特別に使用させてもらってたんだけど、懐かしいなぁ~」
ヴァイスが思い出に浸りながら語り、片手でフィフスの頭を撫でている。肝心のフィフスは微動だにしない。
「調度品も殿下はそのまま使ってくれてるから、あの頃と変わらなくてさー。いまだにこの部屋にくると、学生時代の兄さんを思い出して思わず感傷に浸っちゃうんだよね~」
余計な情報に思わず顔をしかめそうになる。――恐らく自分の父のことに関心があるのだろう。何度かセーレの話をする二人のことを思い出し、様子を伺う。
「殿下に頼めば見学させてもらえるかもよ。それに今なら僕の解説付きだ。――それでも帰るのかい?」
ようやく二人は離れた。先ほどの話を聞いたからだろうか、なんとなく先ほど会った時よりも元気がないように感じる。
「いや……、興味はありますが、彼も疲れているでしょうし無理はさせられません。」
「少しくらいならお話されてもよいのではないでしょうか。殿下はいかがですか? ――湯の準備にはもうしばらく時間がかかりそうですし、それまでのお時間であれば、なにかお話しされるのも気分が紛れるかと」
隣で控えるゾフィからの思わぬ提案に驚く。温和な笑みを崩さずいつも親切にしてくれる人ではあったが、このような時分に客人を留めようとするとは意外だった。――もしかしたら正体を知っているのかもしれない。そのため彼にあまり気を使わせないようにしているのかもと思い至る。ヴァイスも恐らく自分が返事をするまで引き止めるつもりなのかと気付くと、二人の思惑に乗せられざるを得ない状況にひとつ息をついた。
「――フィフスに時間があるなら、部屋を見てくれてかまわない」
せめて二人きりなら周りに気も使わなくて済むのにと、少しこの状況を恨めしく思う。
「いや、問題ない。充分拝見した。では――」
誘いも許しもバッサリと断り、踵を返し頑なに帰ろうとするフィフスの腕をヴァイスが掴んだ。
「どうしたの? なんか元気ないね。――まさかゾフィにいじめられたのかい?」
「元気は、普通です。ゾフィとも特に何もありません。」
「なら女王陛下になにか言われたのかい?」
「別に何も。女王とは仕事の話しかしていません。」
「――ヴァイス卿、少しよろしいでしょうか。……殿下、大変申し訳ないのですが少しの間フィフス様のお相手をお願いできますか?」
二人のやり取りを見かねたのか、間に入ろうとヴァイスの側に向かった。――温和な様子は少しも変わっていないものの、頑なに引き止めるゾフィに不信が募る。先ほど祖母から庇ってくれたが、あの後何かあったのだろうか。
疲労で重くなった身体をソファから引き離し、まっすぐ扉の前に集まる人たちに向けて命じる。
「ゾフィ、今日はもういいから連れて来た者も合わせて帰ってくれ。ヴァイスにも用があるならそのまま連れて行ってくれ」
彼らの思惑に付き合うことに少し抵抗はあるものの、『友人』をそのまま返すには心が痛んだ。
「――フィフス、貴方に話したいことがあるから、俺に少し時間をくれないだろうか」
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