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5.長い一日⑤

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「疑って悪かった。決断を下せるだけの材料がない以上疑うのが私のやり方でな。ヴァイス卿のあのご様子から察するに、お前たちが真に王家の者であると理解した。」
 どうやら確信がなかったゆえの言動だったようだ。アイベルも彼がわざと疑っていたわけではないとわかり、脱力したようだった。――いや、さすがに疲れているのかもしれない。応答しようと彼が顔を上げたので、片手を上げて制止させる。
「誤解が解けてこちらも安心しました」
「あぁ。あとヴァイス卿から親睦を深めるよう指示があったな。」
 指示、というよりも迎えが来るまでの時間を過ごすための方便ほうべんにも聞こえたが、彼はヴァイスの言をかなり真面目に受け取っているようだ。何を話すかと少し考えている様子を見せていた。
「……お二人はヴァイスのお知り合いなのですか?」
 彼等のやり取りが少し意外だった。ヴァイスが自分に対して気安いのは昔からの関係だからだが、ソリュード家と蒼家はあまり関係が良好でないことは、昔からうわさされる程度には有名な話だ。
 なのでフィフスがヴァイスを尊重した態度をとっていたことが不思議に見えた。
「長いこと両国の和平に尽力しているソリュード家には、特に最大限の礼を尽くすよう当代とうだいから命令されている。」
 『当代』、聞きなれない呼び名だがふとひとりの人物が思い出される。少ない期間ではあったが、昔友人になった人物だ。――ただ、その人は自分のことはもう覚えていないとも聞いている。
「左翼、お前の外套がいとうを貸してくれ。」
「なぜ」
「彼が寒そうだから。」
 き上がる思慮しりょになど気付かない様子で、フィフスが左翼から外套を借り受け、アイベルの肩に掛けている。
「当代、というのは……」
「ん? ヒルトのことか?」
 知らない名前だった。
 フィフスは少し考えた様子で、
「性格は悪いが、あいつはあいつなりにソリュード家のことを気に入ってる。先代と違って両国間の和平と今後の発展にも関心があるし、ラウルスとも良好な関係を築いていきたいと少なからず考えている。――性格は悪いが。」
「念押しするな」
 淡々と話す兄弟に思ったより落胆らくたんした自分がいた。なにか『友人』の話が少しでも聞けるかと期待していたのだ。
 少し前に聖国の中心地で襲撃しゅうげきがあり、その際に『友人』が負傷したと新聞で知った。
 ヴァイスのよく知る人物なので様子を聞くも、大丈夫、何も問題ないというはっきりしない答えしかもらえず、彼の返事とは裏腹うらはらに襲撃後からずっと表に出てきていない。
 平素からその名を聞かない日はなく、何かと話題の渦中かちゅうに居続けている人なので、続報がないのが非常に気にかかっていた。――自分のことを覚えていなくてもよかった。ただお元気でいてくれれば、それだけで満足だった。
「ど、どうかなさいましたか殿下……?」
 隣で徐々に思いつめた様子に変わっていく王子の様子に、アイベルが心配の声をかける。
「……もしかしてヒルトの話を聞いて具合が悪くなったか?」
「当代様を馬鹿にするの、やめろ」
 ソリュード家の人間だった『友人』は、11年前に蒼家にし上げられた。
 蒼家に連れていかれる少し前に知り合い、また会える時を約束していたが、――約束は果たされることなく、そのまま縁遠い存在になった。
 ただ、今は目の前に蒼家の人間がいるのだから、直接その『友人』がどうしているのかを聞けばいい。ヴァイスと違って会話を重ねた感じ、彼らは忖度そんたくなく答えてくれるような気がするのだから。
 ひとつ深く呼吸をし、頭の中に巣食う悪い予感を振り払う。
「あの、……東方天さまは、その……、どうされているんですか?」
 悪い返事が届かないよう祈るように、両の指をからめてにぎる。緊張で指先が冷たい。
「東方天? ――ヤツなら息災にしている。」
 あっけらかんとした回答に思わず顔を上げる。ずっと調子の変わらない淡々とした様子が、つかみどころがないく、社交辞令なのか本当のことなのかわからなった。隣にいる仮面の青年からも何も反応がない。
「先日聖都せいとが大変だったと新聞で読みましたが、その……」
「へぇ、聖都に興味があるのか。――確かに一時混乱があったがよくあることだし、すで暴徒共ぼうとども鎮圧済ちんあつずみだ。」
 今まで淡々とした語り口だったフィフスの声が少し明るくなった。故郷の話ができるのが嬉しいのだろうか。――だが聞きたいこととずれてしまって、どう軌道修正するか迷っていると、
「あの、しばらく東方天さまが姿をお見せにならないようですが、もしかしてお怪我がひどいのでしょうか?」
 アイベルが察したのかうまいこと聞いてくれた。フィフスが少し困ったように腕を組み考えている。
「大した怪我じゃないからもう完治している。表に出ていないのは、……あの事を部外者に言っていいと思うか?」
「……あんなの・・・・が機密事項のつもりか? くだらない。バカの開花宣言でもされた方がトップニュースになれるレベルで心底どうでもいい」
 今まで数言くらいしか返事のなかった左翼から流暢りゅうちょう罵倒ばとうが出てきて驚く。――『バカの開花宣言』というのが罵倒に入るのかわからないが。
 彼の小馬鹿にしたような言動に動じることなく、それもそうかとフィフスは納得した様子だった。
「東方天は長期休暇中だ。――誤解がないように言っておくが療養とかじゃないぞ。ただの休みを取っているだけだ。『就労環境改善策しゅうろうかんきょうかいぜんさく』のひとつで、四方天しほうてんに休暇を取らせる案が出ていてな。」
「……長期休暇?」
 勤労には休息がつきものだろう。ただ、思ってもいなかった答えにきょを突かれる。
「今聖都に方天が四人揃っているからな。ひと月くらいであればひとり欠けても国の運営に支障はない。――それはいいんだが、ラウルスに比べて国民全体の仕事とプラ、プラ、……プライオリティ? のバランスが悪いとかなんとか」
「プライベート」
「プライベートか。――そういう指摘がラウルスから来ている文官たちからあってな。別に休みが欲しいやつはいつでも休めばいいと思うんだが……。意識調査をしたところ、四方天が休まないから聖国うちでは『休みを取る』という意識が人々に不足していると判明したんだ。」
 ……どうやらずっと気にかけていた『友人』は就労環境改善のため表に出てこなかったようだ。想像よりもずっと平和な話題だった。
 こんな話を確かめたと知ったら、ヴァイスはまたからかってくるだろうか。本当に無事でいるならはっきりと教えてくれればよかったのにと心の中で悪態をつく。
 長期休暇中という言葉をしばらく胸中で噛みしめ、ディアスは力んでいた両の手をゆるめる。――大事がなくてよかった。悪い予感が外れたことに安堵する。
「まだ試行錯誤中だから計画が変わることもある。方向性が固まったら周知するかもしれないが、今は言いふらさないでもらえるとありがたい。」
「……わかりました」
 どこかで心安らかに休息をとっているのであれば、また聖都に戻られたころに新聞などで名前を見ることができるだろう。
 安心感からか思わず笑みがこぼれた。表情の変わったディアスをしげしげと見ていたフィフスが近づく。
「なぁ、もしかしてお前――」
 彼の声に反応して少し顔を上げると、眼前に晴天を閉じ込めたかのような青い瞳が現れる。心の奥底まで覗きこんでくるようで、どきりと心臓が跳ねる。
「東方天のファンなのか?」
「……え?」
 ファン――愛好家あいこうか支持者しじしゃといった意味だったか――考えたことがなかった。いや、しかしと考える。
 ふと自分の今までの思考や行動を振り返るに、友人という立場のものよりも、彼女の行動を応援しているという意味では『ファン』というものに近いのではないだろうか。
 今までの在り方について考え込んでいるとフィフスはふっと離れ、違うならいいんだと言葉を残し、姿勢を戻していた。
「……考えたことがなかったんですが、東方天さまの行動を応援しているという意味では、そうなのかもしれません」
 言葉にすると少し恥ずかしさがあったが、ここでは彼にずっと情けない姿ばかり見せている。今更誰に取りつくろっても意味はないだろうと諦めの気持ちと一緒に本音を伝える。――もしかしたら『友人』に伝わるかもという淡い期待も添えて。
「そうか。ならエリーチェと話しが合うかもな。」
 また知らない人の名前が出る。
「聞いたか左翼。学園都市に東方天のファンがいたぞ。しかも王子とはな。――きっとセーレ様の威光のせいかもしれんな。」
 今度は知っている名だ。――その人は分相応のものしか望まず、誰に対しても公平無私でどこまでも謙虚な人だ。しばらく会っていないなと心の中で独り言ちた。
 声をかけられた方は特段反応を示さず、出口に向かって歩きだした。そのまま雨の降りしきる夕闇へと姿を消してしまう。――そういえば、彼は部屋に入ってくるときも濡れている様子がなかったことを今更ながら気付いた。
 まさかそのまま外に出てしまうと思わず、慌ててアイベルが借りていた外套がいとうを取ろうとしていた。
「借りたままで――」
「ヴァイス卿が近くまで来たんだろ。探しに行っただけだろうし気にしなくていい。」
 迎えが来た――。
 ようやくいつもの場所に帰れる。
 普段もそんなに外に出る方ではないが、いつになく長い外出になってしまった。危ない目にあっていたのがなんだか昔のことのように感じる。実際は数刻すうこく程度のことだが。
 今こうしてアイベルも自分も無事でいるのは突如現れた彼のおかげだ。ちらりとフィフスを見た。
 出会ってからずっと淡々とした語り口だったり、表情があまり変わらないせいだろうか。彼に遠慮がないからかもしれないが、自分を飾ろうという気が失せる。彼の少しずれた対応がそう感じさせるのかもしれない。
 ただこの後戻った際に方々からお叱りを受けるのは必須だろう。余計な気付きを得たおかげで、ディアスは少し気落ちしていると、先ほどと同様にフィフスが顔を覗き込んできた。
「ところで、――お前たちは実のところ、出奔しゅっぽんしようとしたのか?」
 真面目な顔で尋ねられる。家出疑惑は払拭したと思っていたが、彼の中に確信がないもののようだ。
「……どこかへ逃げるなど、考えたことはありません」
「お前は女王の孫なんだろ? 女王に無駄に圧力をかけられるとか、めちゃくちゃなこと言われるとか、無茶ぶりをされるとかで困ってないか?」
 彼の中で祖母の扱いがどのようなものなのか気になった。自分に対しても遠慮がないが、祖母のこともあけすけに話す人など身内以外では初めて見た。
 大抵オブラートに包むだけで事足りず、過度に装飾を施したような話し方をする。そのため聞いているだけで疲れるものだ。それだけ皆は祖母のことを畏れているということだろう。
「いえ、……女王陛下からそのような扱いは受けたことはないです。おそらく私にそこまで関心がないかと……」
 そういえば、過去に父や叔父たちはそういう目にあっていたと聞いたことを思い出した。でも少なくとも自分や姉弟きょうだいたちに祖母が強く関心を持っている様子はない。学園のことや公務について指示や報告等でやりとりすることはあるが、直接個人的な話をするような場面はほぼなかった。
「じゃあ他者から不当な扱いを受けているとか、私物がなくなったり壊されたり変なところで見つかったりするか? それともセクハラをされたり、変な噂を流されるとか、変なことを陰で言われるとかあったことは? あとは……、恋人がいなくて笑われるなど理不尽を受けたことはないか?」
 一気に多くのことを尋ねられ気圧される。尋問じんもんされる、ということはこんな感じなのだろうか。
「――ふむ、どれも大きく関わっている問題はなさそうだな。」
 返事をする前になぜか彼が納得している。見つめていたのは心の機微きびを読んでいたからだと気付いた。
「一気に尋ねてすまなかった。これらの出来事はセーレ様やヴァイス卿から聞いたものだ。――他にもこの学園を出た者たちからもこういった話はまま聞いたことがあったんでな。……閉じられた空間でいろんな人間が一様いちように過ごすことは容易ではないんだろう。」
 いつも調子のいいあのヴィアスにも大変な時期があったのか。――むしろこれらの問題を乗り切ったからこそ、あんな性格になってしまったのかと妙に得心とくしんが行った。
「あれこれ詮索せんさくしてすまなかったな。お詫びにもし出奔しゅっぽんしたくなった際は手伝ってやるから気軽に声をかけてくれ。」
 お詫びが出奔の手伝いとは斬新だ。むしろそれは彼らにとって誤解も招きかねない事態になるのではと、良い提案には少しも聞こえなかった。
「出奔の教唆きょうさ、ということですか?」
「ひとりになりたいときなんて誰にでもあるだろう? 思ったよりこの街の治安が悪そうだから、少しの間ひとりになる手伝いくらいはと思っただけなんだが、……確かによくない話し方だったか。」
 ずっと真面目そうに考えている彼を見て、思わず気が抜けてひとつ笑みがこぼれる。少しわかりにくい善意が、ことのほか嬉しいと感じた。
 雨音の奥から不規則な音が聞こえてくる。ぬかるんだ土が跳ね、複数のひずめの音だ。迎えが到着したようだ。
「ようやく来たな。――お疲れ。」
 淡々とした調子の声は変わらないものの、顔を見ると目元を細め柔らかい微笑を湛えていた。また心臓がひとつ跳ねる。ーー誰かに微笑みを向けられたり見られることはよくあるが、いちいち動揺するようなことはなかった。自分でもわからない出来事につい彼を目で追う。
 そんな自分を気に留めることなくきびすを返し、机の上のものを片付けようと手を伸ばしている。
「そうだ、ひとつ頼みがあるんだが――」
 ふっと振り返り、ディアスとアイベルをそれぞれを見比べる。
「ここのドアを壊したことは内緒にしてくれるか? 器物破損きぶつはそんで訴えられると困る……。」
 声のトーンを抑え、壊れたドアをちらりと見る。つられてそちらを見ると、蹴りとばされて無残むざんな姿のドアだったものが部屋の片隅に追いやられていた。あんな場所に転がっていたのか。
 器物破損といっても廃屋だし、王子たる自分たちを助けるためだったのだ。多少の蛮行ばんこうについて黙秘もくひをすることは許されるのではないだろうか。――アイベルに目配せをし、フィフスにわかったと小さく返事をした。
 複数のドアが開け閉めする音がした後、こちらへ向かう足音が届く。――我々の返事に安堵したようでふっと口角を緩め、短く感謝を伝えるとフィフスは片付けに戻った。
 いよいよ入口に人の気配が近づいたため、そちらに視線を向けると、その人物は大仰おおぎょうに腕を広げて入ってきた。
「お待たせ~。――みんな大好きヴァイス卿がただいまさんじたともっ。さてさて~、君たちはじっくりことこと親睦を深めることはできたのかな?」
 肩口まで伸びたブロンドを後ろで短く縛り、葡萄酒ぶどうしゅ彷彿ほうふつとさせるような、見ているだけで酔いかねない赤紫色あかむらさきいろの瞳を細め、満面の笑みをたたえたヴァイスがうっとうしさ全開で現れた。
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