短編集①

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最優令嬢、サリィアルフォートは癒さない

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「と、まあ色々と理由はあるが、一番の問題点は貴様のその行動指針にある」

 その場にうずくまるサリーを見下して冷たい言葉を放っているのは、フラム・ガレット公爵の子息であり、若くしてこの国の魔法師団の団長も務めるエラルド・ガレットという男。

「……ですが私は」

「言い訳は聞きたくないサリー。もう一度問う。救うべき優先順位はなんだ?」

「……ありません。命は全てにおいて平等です」

「そうか、よくわかった。ならばお前との婚約関係もここまでだ」

「私との婚約を破棄される、と?」

「そうだ。理由はただひとつ。貴様は貴様の役割を履き違えているからだ。たかが貧困男爵家の令嬢如きが、私の思想に賛同しないなど話にもならん。今すぐ荷をまとめて国に帰るがいいッ!」

「そんな……エラルド様、本当によろしいのですか?」

「なんだその言い方は? まさか貴様がいないと我が魔法師団が危ういとでも言いたいのか? 確かに貴様はこの国で数少ないヒーラーだが、貴様程度の代わりなど君主である父に頼めばすぐに見つかる。自惚れるなサリー」

「そうですか」

 サリーは膝をパンパンと叩いて、諦めたように立ち上がる。

 エラルドに思いっきり強く頬を叩かれ、痛みでうずくまっていたのだが、その痛みももはや十分に癒えた。

「わかりました。エラルド様がそこまで仰るのでしたら、私は謹んで婚約破棄、承ります」

 サリーはペコリと頭を下げ、エラルドに背を向ける。

 そしてそれ以上は何も言わずに、エラルドの私室から彼女は出て行ったのだった。

「……馬鹿な女だ。私の言う通りにさえしていれば、例え真実の愛がなかろうとも我がガレット家の正妻としてそれなりに幸せに暮らせたであろうに。せいぜいその愚かな思想を抱いたまま、戦火の中で慰み者にでもなるがいい」

 部屋に一人となったエラルドは、ソファーにドンっと腰をおろしながら、呆れ果てたように呟く。

 しかしこの言葉とは裏腹にたったの数日後には、彼自身が大きく後悔するハメになろうとは思いもよらなかったのだった。



        ●○●○●



 神官見習いのサリー・ロンバルトはこの国、サウスバーグ公国の隣国、イーストバーグ公国からエラルドの婚約者としてやって来た貧困男爵家の令嬢だ。

 彼女が隣国の公爵家令息と婚約関係となった理由は両国の関係性にある。

 目下、このサウスバーグとイーストバーグは長年続く領土問題で小競り合いを繰り返していたのだが、昨今、特に戦争の頻度は高まり続けていた。

 その原因はくだらない貴族のプライドに過ぎなかった。両国とも公国と名乗るだけあって治めているのは公爵家なのだが、サウスバーグの君主、フラム・ガレットとイーストバーグの君主、ダイム・スペンサーが互いに敗北を認めずにい続ける為、こじれにこじれてしまっていた。

「エラルド師団長」

「どうしたスウェイン」

 スウェイン、と呼ばれた歴戦の猛者で有名な男はエラルドの側近でもある護衛騎士のひとりだ。

「早馬からの伝達です。数日後、再びイーストバーグの兵団が我が国に向かってくるそうです」

「ほう? それはそれは……」

 これほどおあつらえ向きな事はない、とエラルドは醜悪に笑う。

 おそらくその兵団には間違いなく、先日婚約破棄して追放したあの貧困男爵家の娘、サリーがいるとエラルドは踏んでいた。

 何故なら彼女はいつも率先して戦場に出る事を望んでいたからだ。

 彼女は貴重なヒーラー枠として、エラルドの父に息子の婚約者として指名された。

 エラルドの父でありこの国の君主でもあるフラム・ガレットは陰ながら隣国のイーストバーグに住む者たちを少しずつサウスバーグへと拉致したり、引き込んだりと指示していた。

 全ては戦争で優位に立つ為だ。

 そしてその中で、とある時に見つけたヒーラーのサリーを半強制的に脅してエラルドの婚約者とさせたのだ。

 フラム・ガレットはサリー・ロンバルトが困窮している男爵家だという事を利用し、自分の息子に嫁がなければお前たちのような貧困男爵家など……と、脅したのである。

 エラルドは見た目こそ悪くはないサリーの事を最初はそれなりに気に入っていたのだが、サリーはエラルドの言う事をあまりに聞かなかった。

 エラルドはサリーにまず公爵家である自分たちの命を最優先に守り、他の者は身分の高い者から治癒せよと命じたのだが、サリーは頑なにそれには頷かず、命の危機に瀕している者から治療をすると断固言う事を聞かない。事実、サウスバーグとの戦争でも彼女は戦場に直接赴いては怪我人を片っ端から治療していった。

 その治癒力は見習い神官にしてはそれなりなものではあったが、エラルドがついぞ呆れたのは前回の戦争時での出来事。

 あろうことかサリーは近くで倒れている敵兵、サウスバーグの兵士まで治療し始めた事に激怒した。その事を咎めるとサリーは反論を繰り返し、結果として数日前、エラルドに頬を叩かれついに婚約破棄を命じられたのである。

「これは報復が必要だな……」

 エラルドはそう呟き、醜悪な笑みを浮かべた。



        ●○●○●



 ――もはや何度目となるのかわからないサウスバーグとイーストバーグの戦争が、かくして始まった。

 どちらもまだ戦力差はさほど開いておらず、拮抗した戦いの中、戦場では多くの剣戟や血飛沫が舞う。

「ふん、馬鹿なイーストバーグ人どもめ。この戦に私が率いる魔法師団がいるとは思いもよらんだろう」

 そんな戦場の現場となっている見渡しの良い荒地ではなく、高所にある切り立った崖の上から数十人の魔法師たちを背後に控え、崖下の戦火を見下ろしているのはエラルド・ガレット。

 彼の言葉通り、魔法師団がこの戦争に参加する事は珍しい。何故なら、魔法師というのは貴重で優秀な戦力の為、大きな戦い以外に用いられる事は少ないからだ。

 サウスバーグとイーストバーグの小競り合いもいつの日か本当の決着をつける日が来るだろうが、その日まで貴重な戦力は温存してあるのだ。

 だがエラルドは今日だけは魔法師団を率いた。

 それは今日の戦場にイーストバーグ側がとある重要人物を参入させていると聞いているからだ。

 その人物とは闇の住人、暗殺家業などを生業とする高位貴族、ゾルトバルト家である。

「全く、汚い奴らだ。こんな小さな小競り合いに暗殺者を紛れ込ませるなどとはな」

 情報によるとイーストバーグの君主、ダイム・スペンサーは今日の戦争でテスト的に暗殺者を兵団の中に混ぜ、戦況を大きく優勢に導こうという目論見らしい。それを幾度か繰り返していけば同等戦力でも差が開いていく。そうする事でイーストバーグの戦士、兵士は質が高い事をサウスバーグへ知らしめようと言うのだ。

「くっくっく。そんな卑怯な国へは当然の報復だ」

 エラルドは眼下の戦場に向かって手を伸ばし、

「放てッ!」

 魔法師団の一斉攻撃を開始させた。

 エラルドの取った方法は実に人道に反していた。

 味方の兵士たちもろとも、全てを魔法の餌食にさせてしまうという手段であったからだ。

「はーっはっはっは! 見ろスウェイン! 人がゴミのようだッ!」

「これは凄まじい光景ですね……」

 崖上からの非人道的な一斉攻撃。

 これによって、サウスバーグの軍もイーストバーグ軍も大きなダメージを被った。

「さあ引くぞ! この場所が知れては我々に危険が及ぶ!」

 そうしてエラルドたちは魔法師団を撤退させ、その場を放置した。

「くくく。あとは戦火の中でどうなっているのか、楽しみだ。死んでいれば仕方なし、もし運よく生きているのなら……だ」



        ●○●○●



 エラルドはしばらくして、惨状と成り果てた先の戦場に数人の護衛騎士を付けて赴いた。

 その理由は二つあった。

 ひとつは闇の住人とやらの死体を探す事と、もうひとつはかつての婚約者のサリーの安否確認だ。

 だが、おそらくサリーはまだ生きている。

 魔法攻撃を行なった後の戦場に、斥候を送った際の報告では、女神官らしき死体は見当たらなかったとの事だったからだ。

 だが、それも計算済みだ。

 エラルドはおそらく後衛にて待機していたであろう神官のサリーは、戦場の怪我人を治癒する為に、後からこの場所に来るはずだと睨んでいるからだ。

「う、うう……」

「た、たすけ……ゲホゲホッ!」

 まだかろうじて息のある者たちが声をあげているが、エラルドはそんな事など当然気にしない。

 探しているのは手の甲に刻まれている刻印。

 暗殺家業として知られているゾルトバルト家の者は、必ずその手の甲にゾルトバルトの家門を記したタトゥーが刻まれているからである。

 死体の手の甲を確認しながら荒地を進んでいると、砂埃の中で淡い緑色の光を見つける。

 エラルドはニヤ、っと笑い、側近のスウェイン以外の護衛騎士数人に「行け」と目で合図をした。

 アレはおそらくサリーだ。

 サリーの回復魔法の光だとすぐに理解した。

 だからこそ、護衛騎士たちに予め命じておいたのだ。サリーをこの場で慰み者にせよ、と。

 護衛騎士たちは先に砂埃の光の方へと走っていく。

 エラルドは周囲の死体をひとつひとつ確認してゆっくり進んでいく。

 嬲られているサリーを見るのを楽しみにしながら。

「……妙だな?」

 エラルドは死体を見ていく中で異変に気づく。

 死体の割合がおかしいのである。

「今日の兵士たちの人数は我が軍もイーストバーグもほぼ同等だったはず。何故こんなにも我が軍の死体ばかりが……?」

 と、呟くや否や。

「ぎゃぁあああーーーッ!」

 砂埃の先の方から、男の断末魔が轟く。

「ひ、ひぃいいいいーッ!」

 それと同時に数人の護衛騎士たちがエラルドのもとへと逃げ帰って来たのである。

「なんだ? どうした!?」

「た、大変ですエラルド様! アレは噂にきぐぇぁッ!?」

 護衛騎士のひとりが状況を話そうとした直後、その後頭部に鋭い矢が突き刺さり絶命した。

「ま、まさか……ゾルトバルトの暗殺者か!?」

 エラルドを護るように数人の護衛騎士が彼の前に立つ。

 砂埃の中から小さな人影がひとつ、エラルドたちの方へと歩み寄ってくるのが見える。

 ――それは。

「お久しぶりですね、エラルド様」

 それは、実に不釣り合いな存在だった。

 服装は見慣れた神官法衣でありながらも、全身には多くの返り血を浴び、その右手には小さなナイフを、左手には大きな錫杖を携えていたのだから。

「や、やはり貴様、サリーか! お、お前は一体何を……」

「エラルド様、私は以前言いましたよね。怪我人は平等に救う、と。だからこうして、倒れている兵士たちを救っているのです」

「そ、その右手のナイフはなんだ!?」

「これですか? これは護身用です」

 そう言いながらサリーはすぐ近くに倒れているイーストバーグの兵士の一人に、再び回復魔法を施そうと跪いた。

 だがその兵士は右腕は肘から下を完全に欠損し、頭部も弓矢によって一部が抉れ、内臓すらもやや覗かせる程に腹を斬られており、多量の出血も伴っていて、かろうじて息をしているもののどう見ても致死的状況であった。

「相変わらず甘い女め……。死んだも同然なそのような者に貴様程度の神官見習い風情が治癒魔法などかけたところで……」

 エラルドが小馬鹿にしたようにそう呟いた直後。エラルドと数人の護衛騎士たちは信じられない光景を目にする。

「なっ……!?」

 彼女の魔法はどう見ても普通のヒールだが、それを掛けられた瀕死の兵士はみるみるうちに傷が癒え、欠損した腕すらも完全に再生し、青ざめていた顔は血色を取り戻していった。

 その回復力はこれまでエラルドが見てきた中でも圧倒的な治癒力を誇っており、こんな芸当ができるのは神官クラスでも世界有数の大司教か大賢者くらいなものであった。

「なんだ……その回復魔法は!? サリー、貴様は一体……!?」

「おい、無礼者。この方をどなたと心得ている」

 エラルドの言葉にそう返したのは、彼女の背後から歩み寄る人物。

「なっ……ま、まさかお前は……!?」

 エラルドは目を見開いて驚かされた。

 その人物は初老の男。まさかの大物、イーストバーグの君主、ダイム・スペンサー本人であったからだ。

「エラルド様! あの方はまさか……!?」

 護衛騎士たちも驚きを隠せずにいた。

「ダイム・スペンサー! 君主自ら戦場に赴くとは正気か……!?」

「ほう、お前が悪名高いフラム・ガレットのせがれか。此度の戦争も実に卑怯極まりない方法で兵を壊滅させたようだな」

「卑怯な暗殺者を雇って戦争を有利に働かせようとした貴様たちに言われたくはない」

「暗殺……?」

「知らぬとは言わせぬぞ。ゾルトバルトなどというふざけた人物を参入させているのだろう?」

 ダイム・スペンサーは少しだけ目を丸くして、直後に小さく笑った。

「何も知らぬとは……本当に頭がお花畑なのだな、お前は」

「何……?」

「その前に問うがエラルド・ガレット。お前、よもやこの場から生きて帰れると思っているのか?」

「ふん。そこにいるのは神官見習い女のサリーと、武器を持たぬ王と、瀕死の重傷からつい今しがた回復したばかりの兵士一匹。対してこちらはスウェイン含め護衛騎士がまだ四人。更には私もいる」

 エラルドが勝ち誇ったかのように言うと。

「護衛騎士? そんなものがどこにいる?」

 ダイムは嘲笑うように言った。

「貴様の目は節穴か? 私の前に四人いるであろうが」

「お前の前にいるのが護衛騎士、だというのなら一人は残っているな」

 と、ダイムがにやぁっと笑うや否や、エラルドの前に立っていたはずの護衛騎士三名がその場で、バタリと倒れた。

「……な、なんだ!?」

「毒です、エラルド様。その者らは先程私に襲い掛かってきましたので、無痛の針毒を打たせていただきました。一応致死量ではありませんのでご安心を」

「サ、サリー!? お、お前が!?」

「おい、エラルド。このお方に向かってサリーなどと軽々しく呼ぶでない」

 ダイム・スペンサーはそればかりを言っているが、エラルドにとっては意味がわからない。

「っく。だったらもういい! いけ、スウェイン! 馬鹿な君主の首をここで打ち取り、この戦争に終止符を打つのだ!」

 最後に残されたエラルド側近の護衛騎士スウェインにそう命じると、彼は黙ったままサリーの方へと歩み寄って行った。

「スウェインはそんじょそこらの雑魚兵士とは違う! 大型魔獣すら容易く討伐するほどの腕を持った剣士だ!」

 不敵に笑うエラルドとは打って変わって、サリーは悲しげな瞳をした。

 だがエラルドの予想とは打って変わり、スウェインがサリーの前まで近づくと彼はその場で跪き、

「ただいま戻りました、サリィアルフォート様」

 そう言ってその場で頭を下げた。

「な、何をしているスウェイン!? 何故そんな馬鹿女の前で跪いて……ぐえぁ!?」

 エラルドが驚愕していると、いつの間にか背後にいた兵士たち数人に勢いよく取り押さえられた。

「な、なんだ貴様らは!? いったいどこから……」

「黙れ愚か者が」

「ぎゃっ!」

 減らず口の止まらないエラルドに対し、その顔を蹴り上げたのはつい先程まで自分の忠実な臣下だと思っていたはずのスウェインだった。

「誰が馬鹿女か。このお方をどなたと心得る」

「そ、その女がいったいなんだと言うのだ!?」

 スウェインは大きな溜め息を吐き、呆れていると、

「……愚かなるガレットの愚息、エラルドよ。死にゆく貴様には全て話してやろう」

 今度は変わってダイム・スペンサーが言った。

「このお方こそ、かの高名なゾルトバルト家のご令嬢であらせられるサリィアルフォート・ゾルトバルト様だ」

「なッ……!? サ、サリーがゾルトバルト……!?」

 エラルドが目を見開きサリーの事を見ると、彼女はゆっくりとエラルドの前へと歩み寄る。

「改めて初めまして、エラルド様。大魔導師ザナードとつるぎ聖女せいじょメリアードを両親に持ち、父の暗殺術と母の聖なる魔力を大きく受け継いだゾルトバルト家の三女。サリー・ロンバルトとは仮の姿で、本名をサリィアルフォート・ゾルトバルトと申し上げます」

 サリーは上品にカーテシーを決めて、更には左手の甲を彼に見せつけてそう挨拶を交わす。

「そ、その刻印……ま、まさか本当にお前が……!?」

 その直後。

 ザッザッザッ、と大勢の足跡がサリーの背後から響く。

「な、なんだ、それは……? 何が……どうなって……!?」

 エラルドが驚くのも無理はない。

 何故ならサリーの背後には、先程殲滅したはずのイーストバーグの軍勢が復活していたのだから。

「私たちの軍はただの一人も死者を出す事なく回復させてもらいました」

 サリーはニヤァと口元を歪ませて笑う。

「エラルド様。私は分け隔てなく傷を癒すのがヒーラーとしての役割と存じ上げております。貴方様の婚約者となったのも、あまりに死傷者が多いサウスバーグを内側から建て直す為にあえて貴方様のお父様に気に入られるように動いたのですけれど、ね……」

 だが、サリーの行動は逐一エラルドに咎められ、ついには婚約破棄され追放されてしまった。

 それならば、とサリーもとい、ゾルトバルト家はサウスバーグの君主、その子息はもはや救う価値無しと判断したのである。

「くっ……き、貴様……私を騙していたのかッ!?」

「あなたの傲慢さにはほとほと呆れ果てました。私は私の言葉を真摯に受け止めてくださったイーストバーグの君主、ダイム・スペンサー様の国に助力する事にしたのです」

 サリーのその言葉に、

「そしてこの俺も含め多くの兵士たちはサウスバーグから出る事をすでに決めている。エラルド、貴様たち親子のやり方には皆、辟易としていたからな」

 スウェインがそう言い放つ。

「エラルド様。私はお姉様たちとは違って、あなたの国までをどうにかしようとまでは思いません。なので、あなたたちだけを処分しようと思います」

「な、何を……」

「さようなら、エラルド様。せめて苦しまずに息の根を止めて差し上げますね」

 サリーは儚げに笑って、エラルドの首元にナイフを当てがうのだった。



        ●○●○●



 ――一カ月後。

 長きに渡って続いていたサウスバーグとイーストバーグの戦争はあっけなく終わりを告げた。

 エラルド・ガレット公爵令息が戦場にて戦死した事がきっかけとなってサウスバーグはみるみるうちに崩壊していき、やがてイーストバーグに制圧され国は滅び、元サウスバーグ公国はその領土全てがイーストバーグ公国となった。

「ゾルトバルト様。この度は大変なご助力、誠に痛み入ります」

 イーストバーグの宮殿、謁見の間にて。

 多くの兵士や騎士たちに加え、イーストバーグの君主であるダイム・スペンサーがおよそ自分の娘ほどにまで歳の離れた令嬢に跪き、こうべを垂れている。

「いえ。私は大した事はできませんでした。本当なら……」

 儚い瞳でサリィアルフォートは虚空を見据える。

「それでもゾルトバルト様のおかげで不毛な戦争は終わりを告げ、サウスバーグの民たちも今後、無意味な戦争に怯えることもなくなりましょう」

 ダイム・スペンサーはそう返した。

「ええ、そうですね」

「……」

 そんな中、エラルドの元護衛騎士であったスウェインだけが複雑な面持ちでサリィアルフォートを見ていた。

「……では私はそろそろ祖国ゾルディアへ還ります。お父様やお母様、それにお姉様方にもこの国の行く末を報告しなければなりませんから」

「「ッは!」」

 ダイム・スペンサー含め、多くの兵士たちがサリィアルフォートの前に跪いた。

 彼らは皆、ゾルトバルト家に多大な感謝をしていたが、彼女の心中を深く思っていたのはこの時、スウェイン以外にはいなかった。

「さあ、行きましょう。スウェイン」

「はい、サリィアルフォート様」

 スウェインだけは彼女に付いていく事を許可された。

 サリィアルフォートは単身でイーストバーグの貧困男爵家になりすましていた為、祖国のゾルディア王国へはひとり旅となってしまう事を懸念したスウェインが護衛を買って出たからだ。

 スウェインはサウスバーグに家族がいない。

 正確にはいなくなった。

 暴君であったフラム・ガレット、そしてその子息のエラルド・ガレットの傲慢な戦争の被害によって命を落としていたからであった。

 ゆえに彼は不思議な魅力を持つゾルトバルト家の三女に付いていく事を決めた。

 普通ならばそんな事をサリィアルフォートは許すはずがない。何故ならゾルトバルト家は正式な婚約者以外を招き入れるような真似はしないからだ。

 サリィアルフォートは初めての感情を抱いていたのだが、まだそれがなんなのかはわからない。

 ただ、彼女は――。

「サリィアルフォート様は本当なら、あの時、サウスバーグの軍も助けたかったのですよね? 更にはエラルド・ガレットすらも救いたい、とも」

 二人きりとなった道中でスウェインが尋ねる。

「……」

 サリィアルフォートは語らない。

「貴女はこの世界で信じられないくらいに心の優しい女性だ。しかしその優しさをその強さで覆い隠している。だが、その強さが貴女の心を蝕んでいるのも事実。だからこそ俺はそんな貴女に付いていきたくなった」

 スウェインは見透かしていた。

 彼女が望んでいたのは本当の平和。

 しかし甘い戯言では世界を変えられない事を知っていた彼女は、残酷な行動で終止符を打つという手段を取らざるを得なかったのである。

「サリィアルフォート様。その腕の傷、いつまで治さないのですか?」

 サリィアルフォートは先刻の最後の戦争にて、左腕にやや深手を負った。それはエラルドの行なった卑怯な不意打ち魔法攻撃の際、イーストバーグの兵士を守る為に負った傷だ。

 その傷自体はサリィアルフォートほどの回復魔力があれば数秒で傷跡すら残さず治してしまえる。

 しかし彼女はその傷を止血しかせず、わざと傷跡を残したままにしていた。

「この傷は私への戒めです。エラルド様や多くの命を奪ってしまったこの愚かな私への……」

 ゾルトバルト家の五姉妹の中で三番目に生まれた彼女は、その中でも最も慈悲深く、命の尊さを知る令嬢だった。

 姉妹の中で『最優さいゆうの令嬢』と呼ばれるほどに。

 だからこそ、彼女は優しさとは痛みを知る事と理解しているが為、あえて自分の傷は癒さない。

 そうする事こそが力を持つ者の贖罪だと、彼女は信じているからだ。

(サリィアルフォート様はゾルトバルト家の中でもおそらく、最も異端なのだろう。俺はそんな彼女が放っておけない……)

 サリィアルフォートの身体には無数の傷跡がある事をスウェインは知っていた。

 そんな彼女を救いたいとスウェインは思ったのだ。

(きっとこの先もサリィアルフォート様は自分に厳しく生きられるお方だ。彼女が彼女自身を癒さないのなら……)

 サリィアルフォートは自分を癒さない。

 心の傷を深めようとしていく。

(俺がそんな彼女を癒せるようになりたい。そう、初めて思った)

 スウェインは心より彼女を救いたいと願い、彼女に付いていく決心をし、そんな彼の想いがまるで届いているかのようにサリィアルフォートは彼の同行を許可していた。

 サリィアルフォートは自身を癒さない。

 しかし癒されたいとは思っているのだろう。



 それこそがスウェインという男を同行させる理由なのだから。



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