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2 氷の令嬢
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リエラ・マリアージュは、この国最強の剣士と名高く王国騎士団長も務めるガラム・マリアージュ男爵を父に持つ、下位貴族のいち令嬢だ。
そんな彼女にはひとつ歳下の妹がいる。
「お、お姉様……そ、それは本当なんですの?」
実家のお屋敷。そんなに広くはない居間で、その妹であるカティアが、手に持っていたティーカップをガシャン、と落っことしながら目を見開いていた。
「ええ、本当よ。昨日の夜のお話。ルイス様とは婚約を解消したわ」
「なんでそんな事を!?」
「なんでって、女として見れないって言われたからよ」
「だ、だからってそんな、いきなり簡単に……ッ!」
「いいのよカティア。私とルイス様は元々そういう感じじゃなかったしね。それにマリアージュ家とグランドール家は貴女が繋ぎ止めてくれるのだから問題はないでしょう?」
「問題はないって……それじゃあお姉様はこれからどうするの!?」
「どうもこうもないわ。普通に生活を送るだけよ」
リエラは開き直ったかのように淡々とそう告げて紅茶をすする。
リエラの妹、カティアにも婚約者がいる。
その名はアーヴィング。フルネームをアーヴィング・グランドールといい、つい先日までリエラの婚約者であったルイス・グランドール公爵令息の、これまたひとつ歳下の弟である。
マリアージュ家とグランドール家は、両家の両親が実に親交が深く、リエラたちが産まれるよりも前から自分たちの子供同士を婚姻させようと考えていた。結果、姉妹と兄弟の両方を半強制的に婚約者と定められてしまっていた。
本人たちの意思など、無遠慮に、無配慮に許嫁とされてしまっていたのである。
とは言っても、リエラもカティアも、そしてルイスもアーヴィングも互いの関係性は実に良好であった。
幼い頃から両家に行き来し、四人で遊びまわるのが日常であったからだ。
昔はまだ良かった。
男女の区別も、将来の事も気にせずただ仲の良い友達としていられたから。
だが、ある程度年月が経てば次第に自分たちの立場や状況も理解してくる。
つまりは互いにパートナーとして意識を高めていく。
気づけば妹のカティアと弟のアーヴィングは、二人きりで遊ぶようになる時間が増え、街中では手を繋ぎ、それはそれは理想的な恋人として振る舞っていた。
カティアとアーヴィングの帰りが遅くなったある日、リエラは屋敷の窓から衝撃的なものを見た。
屋敷の門にある灯篭に照らされた明かりの下で、カティアとアーヴィングがキスをしていたのである。
いつも冷静で喜怒哀楽を抑えているリエラもそれには思わず、わあ、と声を出して口に手を当てていた。
――ああ、彼女たちはちゃんと恋をしているのね。
そうリエラは思った。
対してリエラには恋、というものがよくわからないでいた。
(ルイス様の事は好きよ。私の読書や遊びにも付き合ってくれるし、女性用のお洋服や化粧品のお買い物にも嫌な顔せず付き合ってくれるし、昔から言いたい事も言い合えるし、それに、何を言っても彼にはちゃんと真意が伝わってくれるから。でも……)
それが異性における恋なのかと言われると、なんだか違う気がしていた。
というより、彼女は異性に対して恋をする、という概念がずっとわからないままなのである。
「リエラお姉様のルイス様への想いはそんなものだったの!?」
と、カティアは必死にリエラへと訴えるが、そんなものも何も、そもそも根本的にどんなものなのか、リエラにはよくわかっていない。
「……ありがとうカティア。私の将来を心配してくれているのね。確かに今月のデビュタントには間に合わないかもしれないけれど、適当に代わりを探すか、お父様にでもエスコートしてもらうから」
「そういう事を言ってるんじゃ……ッ」
「ほら、そんな風に立ち上がって地団駄踏んだら埃が舞うでしょう? 落ち着いて座りなさいカティア」
「お姉様が落ち着きすぎなんですわ! おかしいですわよこんなの!」
「おかしいと言われてもねえ……。女として見られていないのなら、婚約破棄されても致し方ないのではなくて?」
「ど、どど、どこをどう見たらお姉様ほどの超絶美少女を女として見れないんですの!? やや童顔で整った小顔。青空のように透き通ったマリンブルーの美しい長い髪。小柄なのにしっかりと発達した胸! 悩ましいくびれ! 桃尻! 私が殿方でしたらとっくに襲っていますわよ! 百回はお姉様で色々下卑た妄想を膨らませますわよ!? それを……女として見れない、ですってぇ!? ルイス様は頭がイカれてるんですのッ!?」
「あらあらカティアったら、イカれてるだなんて言葉づかい、はしたないわねえ。とりあえず落ち着いて、紅茶でも嗜みなさい。せっかくのアールグレイが冷めてしまうわ」
「もう! お姉様のとんちんかん! そんなんだから氷の令嬢とか言われちゃうんですからね!」
そう言い残してカティアはダンダンと音を鳴らして、バキィッ! という何かの破砕音と共に屋敷から飛び出して行ってしまった。
「カティアお嬢様! 気分で柱に穴を空けないでくださいませッ!」
という侍女の怒鳴り声がしていた。
それにしてもとんちんかんって今時聞かないわね、と思いつつ全く忙しない子ね、と呟いてリエラは小さく笑う。
「氷の令嬢、ね……」
氷の令嬢、というのはリエラに付けられた陰口みたいなあだ名だ。
この国では成人するまで皆、王立学院に通うのが義務化されている。その学院内でリエラは、愛想の振る舞い方や奇妙な落ち着きぶり、そして変化の乏しい喜怒哀楽から『氷の令嬢』などという皮肉じみた名で密かに呼ばれている。
その事をリエラ自身も知っているが、リエラにはいまいち腑に落ちておらず、
(……これでも私、自分の事を喜怒哀楽が激しい方だと思ってるのだけれど)
と、本人は全くもってとんちんかんな事を思っているので、カティアの言葉はあながち間違っていない。
ルイスに婚約破棄をされた事について、落ち込んでいないわけではない。
だが、リエラには思い当たるフシがある。
それはルイスが自分と同じように、リエラの事を仲の良い幼馴染とは思っていても、恋人としては見ていないのだろうな、と元々感じていたからだ。
何故なら、自分がそうだったからだ。
自分と同じような振る舞いを取るルイスもまた、自分と同じく仲の良い幼馴染であり親友だと、ルイスも思っているに違いないと。
だからこそ、いつかこんな日が来てもおかしくはないと思っていた。
リエラはふぅっと小さく溜め息を吐いて、とりあえず父や母になんて言おうかと悩むのだった。
そんな彼女にはひとつ歳下の妹がいる。
「お、お姉様……そ、それは本当なんですの?」
実家のお屋敷。そんなに広くはない居間で、その妹であるカティアが、手に持っていたティーカップをガシャン、と落っことしながら目を見開いていた。
「ええ、本当よ。昨日の夜のお話。ルイス様とは婚約を解消したわ」
「なんでそんな事を!?」
「なんでって、女として見れないって言われたからよ」
「だ、だからってそんな、いきなり簡単に……ッ!」
「いいのよカティア。私とルイス様は元々そういう感じじゃなかったしね。それにマリアージュ家とグランドール家は貴女が繋ぎ止めてくれるのだから問題はないでしょう?」
「問題はないって……それじゃあお姉様はこれからどうするの!?」
「どうもこうもないわ。普通に生活を送るだけよ」
リエラは開き直ったかのように淡々とそう告げて紅茶をすする。
リエラの妹、カティアにも婚約者がいる。
その名はアーヴィング。フルネームをアーヴィング・グランドールといい、つい先日までリエラの婚約者であったルイス・グランドール公爵令息の、これまたひとつ歳下の弟である。
マリアージュ家とグランドール家は、両家の両親が実に親交が深く、リエラたちが産まれるよりも前から自分たちの子供同士を婚姻させようと考えていた。結果、姉妹と兄弟の両方を半強制的に婚約者と定められてしまっていた。
本人たちの意思など、無遠慮に、無配慮に許嫁とされてしまっていたのである。
とは言っても、リエラもカティアも、そしてルイスもアーヴィングも互いの関係性は実に良好であった。
幼い頃から両家に行き来し、四人で遊びまわるのが日常であったからだ。
昔はまだ良かった。
男女の区別も、将来の事も気にせずただ仲の良い友達としていられたから。
だが、ある程度年月が経てば次第に自分たちの立場や状況も理解してくる。
つまりは互いにパートナーとして意識を高めていく。
気づけば妹のカティアと弟のアーヴィングは、二人きりで遊ぶようになる時間が増え、街中では手を繋ぎ、それはそれは理想的な恋人として振る舞っていた。
カティアとアーヴィングの帰りが遅くなったある日、リエラは屋敷の窓から衝撃的なものを見た。
屋敷の門にある灯篭に照らされた明かりの下で、カティアとアーヴィングがキスをしていたのである。
いつも冷静で喜怒哀楽を抑えているリエラもそれには思わず、わあ、と声を出して口に手を当てていた。
――ああ、彼女たちはちゃんと恋をしているのね。
そうリエラは思った。
対してリエラには恋、というものがよくわからないでいた。
(ルイス様の事は好きよ。私の読書や遊びにも付き合ってくれるし、女性用のお洋服や化粧品のお買い物にも嫌な顔せず付き合ってくれるし、昔から言いたい事も言い合えるし、それに、何を言っても彼にはちゃんと真意が伝わってくれるから。でも……)
それが異性における恋なのかと言われると、なんだか違う気がしていた。
というより、彼女は異性に対して恋をする、という概念がずっとわからないままなのである。
「リエラお姉様のルイス様への想いはそんなものだったの!?」
と、カティアは必死にリエラへと訴えるが、そんなものも何も、そもそも根本的にどんなものなのか、リエラにはよくわかっていない。
「……ありがとうカティア。私の将来を心配してくれているのね。確かに今月のデビュタントには間に合わないかもしれないけれど、適当に代わりを探すか、お父様にでもエスコートしてもらうから」
「そういう事を言ってるんじゃ……ッ」
「ほら、そんな風に立ち上がって地団駄踏んだら埃が舞うでしょう? 落ち着いて座りなさいカティア」
「お姉様が落ち着きすぎなんですわ! おかしいですわよこんなの!」
「おかしいと言われてもねえ……。女として見られていないのなら、婚約破棄されても致し方ないのではなくて?」
「ど、どど、どこをどう見たらお姉様ほどの超絶美少女を女として見れないんですの!? やや童顔で整った小顔。青空のように透き通ったマリンブルーの美しい長い髪。小柄なのにしっかりと発達した胸! 悩ましいくびれ! 桃尻! 私が殿方でしたらとっくに襲っていますわよ! 百回はお姉様で色々下卑た妄想を膨らませますわよ!? それを……女として見れない、ですってぇ!? ルイス様は頭がイカれてるんですのッ!?」
「あらあらカティアったら、イカれてるだなんて言葉づかい、はしたないわねえ。とりあえず落ち着いて、紅茶でも嗜みなさい。せっかくのアールグレイが冷めてしまうわ」
「もう! お姉様のとんちんかん! そんなんだから氷の令嬢とか言われちゃうんですからね!」
そう言い残してカティアはダンダンと音を鳴らして、バキィッ! という何かの破砕音と共に屋敷から飛び出して行ってしまった。
「カティアお嬢様! 気分で柱に穴を空けないでくださいませッ!」
という侍女の怒鳴り声がしていた。
それにしてもとんちんかんって今時聞かないわね、と思いつつ全く忙しない子ね、と呟いてリエラは小さく笑う。
「氷の令嬢、ね……」
氷の令嬢、というのはリエラに付けられた陰口みたいなあだ名だ。
この国では成人するまで皆、王立学院に通うのが義務化されている。その学院内でリエラは、愛想の振る舞い方や奇妙な落ち着きぶり、そして変化の乏しい喜怒哀楽から『氷の令嬢』などという皮肉じみた名で密かに呼ばれている。
その事をリエラ自身も知っているが、リエラにはいまいち腑に落ちておらず、
(……これでも私、自分の事を喜怒哀楽が激しい方だと思ってるのだけれど)
と、本人は全くもってとんちんかんな事を思っているので、カティアの言葉はあながち間違っていない。
ルイスに婚約破棄をされた事について、落ち込んでいないわけではない。
だが、リエラには思い当たるフシがある。
それはルイスが自分と同じように、リエラの事を仲の良い幼馴染とは思っていても、恋人としては見ていないのだろうな、と元々感じていたからだ。
何故なら、自分がそうだったからだ。
自分と同じような振る舞いを取るルイスもまた、自分と同じく仲の良い幼馴染であり親友だと、ルイスも思っているに違いないと。
だからこそ、いつかこんな日が来てもおかしくはないと思っていた。
リエラはふぅっと小さく溜め息を吐いて、とりあえず父や母になんて言おうかと悩むのだった。
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