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第三章 王国を包む闇編

62話 魔力変異症

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「こ、これって……」

 そう、カイン先生に見せられたこのカルテの名前が間違いでなければ、この患者はこの国の王太子。

「そうだ。シエル王太子殿下の最新のカルテだ」

「なるほど……。道理で細部まで事細かにカルテが記載されているわけです」

「だがこの一枚目のカルテだけを見て魔力変異症を疑ったのはこの王宮内でキミだけだ。他の魔導医師たちは風邪の症状以外疑いもしなかったからな」

 それも無理はないだろう。

 魔力変異症自体がかなり稀有な症例だし、直接患者を診なければ見抜くのは難しい。

 そして私は二枚目のカルテを見てやはりかと思った。そちらの方には現状の殿下の症状が更に細かく記載されていたからだ。

 この病気は……。

「担当直入に言おう。デレアくん、シエル殿下の病気を治したい。協力してくれ」

「私からもお願いだよデレア。シエル殿下は私の大切な……人、なんだ。マグナクルス国王陛下からも彼の治療を強く懇願されている」

 カイン先生とグラン様が同じ様にそう懇願してくる。

 グラン様の大切な人……親友とかだろうか。

「王宮には優れた魔導医師が少ない。今はデイブ魔導卿も仕事で他国へ行ってしまっているしな」

 あー、いたな。そんな名前のデブクソ虫。いくら優れた光属性適性持ちの治癒魔導医師だとしても性格がクソ虫ではな。

 しかしこれをどうにかしろと言われても……さすがの私でも情報量が圧倒的に不足している。

「言いたい事はわかる。これだけではどうにもならないのだろう。だから今からシエル殿下に直接会ってもらう」

「え?」

「カルテだけ見て患者を治せというのはあまりに無茶難題すぎるだろう。だから私とグラン様と共にシエル殿下のもとへ行こう」

「で、でもシエル殿下は誰ともお会いにはならないし、素顔も晒さないと聞きます。私の様な者がお会いしてしまってもよろしいのですか?」

「無論、殿下に関する情報は何一つ漏洩禁止だ。その約束だけは守ってもらう、というより強制的に守らせる魔導契約書にサインしてもらうから心配しなくていい」

「それはいいとしても、私が診たところでなんのお役にも立てないかもしれませんよ?」

「それはそれで仕方がない。とにかく一度キミに診て欲しいんだ。デレアくん、よろしく頼む」

「頼むデレア。私からもこの通りだ」

「グ、グラン様!? カイン先生も!」

 カイン先生とグラン様に頭まで下げられてしまっては、私に断る不義理などできるはずもなく。

 私は仕方なくシエル殿下の容態を確認する事に頷く他なかった。



        ●○●○●



 王宮の深奥。

 普段私たちが行き来する事は絶対に叶わない、衛兵によって管理された地下へ続く鍵付きの扉を通され、長く薄暗い地下道を通り、再び目の前に現れた魔導術式によって施錠された大扉。

 その目の前まで私は連れて来られた。

「驚いたかいデレア?」

 グラン様の言葉の通り、私は驚かされている。

 王宮の地下にまさかこんな所があるなんて。

「デレアくん。ここがシエル殿下の私室だ」

「こんな地下の奥が……」

「この先にシエル殿下はいる。最近は特に体調があまり優れないようなので、あまり騒がないでもらえるとありがたい」

 この厳重な隔離。やはり……。

「わかりました」

「うむ。では開くぞ」

 カイン先生が魔導術式の解除印魔力を練り上げて、大扉の鍵を開錠した。

 その中は王族の者が過ごすに相応しい豪華で絢爛な部屋であり、想定よりもずっと広くて様々な設備もあり過ごしやすい空間になっている。

 壁全体には特殊な紋様がびっしりと刻まれている中、その奥に天蓋付きの大きなベッドがあった。

 そこで顔に口元まで隠されている大きな仮面を付けた、少し痩せこけている赤髪の青年が寝かされていた。

 その青年は今眠っているようだ。仮面越しに小さな寝息が聞こえてくる。

 私はこの青年の様子を見て、やはりか、と思わざるを得なかった。

「……デレアくん、驚かないのだな」

「なんとなく予測はしておりましたから」

「そうか……こちらで眠られているお方がシエル王太子殿下だ」

 そうなるとシエル殿下はきっと……。

「殿下はこの部屋が今の人生の全てなのですね」

「さすがはデレアくんだ。そこまで理解しているのならこの病について改めて説明をする必要性はないだろう」

 そう。

 シエル王太子殿下は病に臥せってから、この部屋から出た事がない。

 出す事ができないのだ。

「……本当に魔力変異症なんて病気が実在しているなんて」

 魔力変異症。実に稀有な疾患とされるこの指定難病は、症例が実に少なく、謎が多すぎる病とされている。

 まず基本情報として、魔力変異症になった者は適性属性が周期的に変化していくという点だ。

 その変化の度合いが手指に最も現れやすい。このシエル殿下の場合、多汗と冷え性がそれである。

 更に共通して言える事は、魔力変異症の罹患者は外の世界を不用意に出歩く事ができないという点だ。

 この世界の大気、太陽、土や風、炎や水。ありとあらゆるところに魔力というものは、目には見えない微粒子レベルで存在し、微精霊もまた同様に存在している。

 魔力変異症の人間は、そんな外部の魔力や精霊をいたずらに無意識に刺激し続けてしまう。

 その結果、様々な問題的事象を発生させてしまう。

 突然、突風を巻き起こしてみたり、何もないところから発火させてしまったり、土を隆起させてみたり、はたまた物体を氷漬けにしてしまったり。

 とにかく常時様々な魔力の暴走を続けてしまい、非常に危険な存在となる。

 何故、そうなるのかはわからない。

 だからこそ、こうやって厳重に封印術式の施された空間にて隔離しなければならないのだ。

 そして魔力変異症を引き起こすと常時魔力の具現化をし続けてしまうせいで、疲弊し、このように徐々に痩せこけていくのである。

「ヴィクトリア王国数百年の歴史でも数件しか例を見た事のない難病中の指定難病、魔力変異症。適性魔力が短い時間で変化を続け、それによる体調不良と魔力のコントロール不全による体力の消耗。自身への被害のみならず、周囲への危険性も鑑みて、シエル殿下は長らくこの地下の魔導術式の施された部屋に幽閉される形となった」

 カイン先生が状況をそうまとめてくれた。

 けれどそうなると、私が以前見た大舞踏会のアレは……。

「そうだデレアくん。キミの考え通り、あの大舞踏会にいたシエル殿下は偽物、あるいは影武者とでも言うべき存在だ」

 やはりそうなのか。

 ここに寝ているシエル殿下が魔力変異症なのだとしたら、あのような場に出る事は不可能だ。

「あの大舞踏会でシエル殿下のフリをしていたのはグラン様だ」

「え!?」

 カイン先生の唐突な告白に私は驚き、グラン様を見た。

 確かに身体の線や声色もよく思い出せばあの時のシエル殿下はグラン様に似ている。

 気になるとすれば……。

「うん、髪色だね。あの時私は赤いカツラを着用していたんだ」

「グラン様がそこまでする理由はなんなのですか?」

「それは……」

 グラン様が言い淀む。

「それはシエル殿下の世継ぎを残す為だ」

 代わりにカイン先生が答えてくれた。

「万が一シエル殿下に何かある前に、早急にお妃様を娶り、ヴィクトリア王家の後継者を誕生させてもらわなくてはならないからな」

 そうか。

 しかしそうなるとシエル殿下は……。

「やはり魔力変異症という病が致死率100%というのは本当なのですね」

「それも知っていたか。そう、それをわかっている前提でキミにも診てもらいたかったのだ」

 私も魔力変異症について凄く詳しいわけではない。しかし過去に読んだ文献や魔導書による記述では、魔力変異症を引き起こした罹患者はこれまで例外なく短命でその生涯を終えている事を知っている。

「殿下が魔力変異症を発症したのは今からおよそ七年前だ。当時はただの風邪だと診断されていたが、キミにも見てもらったカルテの通り、その風邪の様な症状が一向に改善されずにいた。それからしばらくして私がこの王宮に仕官した後に、魔力変異症だと診断した」

 カイン先生の説明によると、これを魔力変異症だと診断したのはカイン先生だけだったらしい。

 カイン先生は王宮専属の特級魔導医師として就任したその年に、風邪の症状が良くならないシエル殿下の事をマグナクルス国王陛下から伝えられ、そしてその診断に至ったのだとか。

「魔力変異症は私が知る限り発症したら最長でも十年は生きられない。日に日に体力の衰えていく殿下に対し、私は何もできずにいた」

 カイン先生は悔しそうな顔をして見せた。

「……失礼ですが、カイン先生ほどのお方でも治す事ができない病を、私が診たところでどうなるとも思えないのですが」

「だからデレア。キミには殿下を診てもらった後、第六ダイロクに籠ってもらいたいと思っている」

「え?」

「王宮最大の秘蔵書が山の様にある第六蔵書室。通称、禁書庫きんしょこに眠る伝説級の魔導書にシエル殿下を救えるかもしれない本があるのだ」

「ちょうどキミも第六ダイロクに用事があったのだろう? 好都合だと思わないかい、デレア」

第六ダイロクに? まあキミは本が好きだものな」

 確かにその通りだが、私の用事は彼らの前で済ませるわけにはいかない。

 何せ大盗賊ガレファンドの秘伝書は禁書、つまりその内容を扱えば犯罪者として指名手配されてしまうのだから。

「……安心していいよデレア。キミが第六で読みたがっているガレファンドの秘伝書も勿論読んでいい。その事は内緒にしておくからね」

 グラン様はそっと私の耳に囁いてくれた。

 私はそれで納得する事にした。


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