上 下
56 / 99
第三章 王国を包む闇編

55話 ドリゼラの謝罪

しおりを挟む
 ――翌日。

 私は日の出と共にこそこそと一人で屋敷を出た。

 今日こそ一人でのんびりと図書館で本に囲まれるのだと息巻いていたのだ。もちろん一番の目的は賢人会議の為だが、久々の図書館だから、もしかしたら新刊が何か補充されてるかもしれないと高揚していた。

 ……そう思っていたのに。

「ねえねえお姉様。それは何語なんですの?」

「お姉様お姉様! この魔導書のタイトルはなんて読むんですの!?」

「お姉様、この数式の解き方はどうやるんですの?」

 私の聖域。つまり貴族学院の図書館で私はうんざりさせられていた。

 ドリゼラのやつがずっとくっついてきているからだ。

「なあドリゼラ。私は言っただろう。今日は遊びで図書館に来ているわけじゃないんだぞ。仕事なんだよ」

「う……ご、ごめんなさいお姉様。でも、でも、私、前々からお姉様に色々教えてもらいたくって……」

 くそ、そんな上目遣いで甘えた声を出されると無下にできないじゃないか。

「はあ、仕方のないやつだな。で、今度は何がわからないんだ?」

「はい! えっと、この数式のですね……」

 すっかり懐かれてしまったな。

 私などに引っ付いていないで、愛しのリヒャインのところにでも行けばいいと言ったのだが、お姉様がいる日はお姉様と一緒にいたいなどと抜かしたので仕方なく許可してやったらこのザマだ。

 何がこいつをこれほど劇的に変えてしまったのやら、私には全くもって理解できん。

 まるで本当の姉みたいに慕ってきやがって……。

「あー、ドリゼラじゃない。どうしたの? 今日はお休みよ?」

 などと思っていると、不意に別の声がした。

「あ……サーシャ、ごきげんよう」

「うん、ごきげんよう。休みの日にドリゼラが学院にいるなんて珍しいわね。というか……隣にいるのって確かドリゼラのお姉さん、よね?」

 私も見覚えがある。

 この女は確かドリゼラの同級生で、いつもつるんでる友人の一人だったな。

 この女の言う通り今日は休日だ。だから学院での授業はない。今日学院にいる生徒は何かしらの用事か、生徒会役員、もしくは部活動をしている者たちだけだ。

「え、ええ……そうよ、サーシャ。デレアお姉様よ」

「やっぱりそうよね。あ、なに? もしかしてドリゼラが勉強でも教えてたの? ドリゼラ、頭いいもんね!」

「あ、いえ……」

「それにしてもその数式問題、めちゃくちゃ難解なやつじゃない? 私、お兄様のお勉強で見た事あるから知ってるけれど、それ、学院高等部以上の内容でしょ?」

「う、うん……」

「あー、わかった! なんの取り柄もないお姉さんにせめて勉強くらいは頑張りなさいって事で教えているのね? ドリゼラ、いつも言ってたもんね、ただでさえ見た目も中身も能無しのお姉さんがいて恥ずかしいって」

「ち、ちが! わ、私は……」

「ちょっと、お姉さん。あなた、ちゃんとドリゼラに感謝してあげなさいよ。あなたみたいな不出来な姉がいるからドリゼラはいつもストレスで大変なのよ? わかってるの?」

 私は黙したまま、ドリゼラの顔を横目で見ていた。

「サーシャ、や、やめてよ……。もう違うの……」

「いいのドリゼラ。たまには私みたいな第三者から言ってやんなきゃわからないのよ。こういう馬鹿で無作法な姉にはね」

「聞いて、そうじゃないの! 私の方が今日、お姉様にね……」

「あら? よく見たら魔導書や魔導力学の本まであるじゃない。お姉さん、魔力もないのにそんなの勉強してどうするの? 意味なくない? そもそも平民風情がこの学院にいる事自体、分不相応だというのにね」

「サーシャッ!!」

 ガタン、っとドリゼラが勢いよく席から立ち上がって険しい形相で声を荒げた。

「な、何よドリゼラ? どうしたの?」

 ドリゼラはつかつかとサーシャの方へと歩み寄って行ったので、私はすぐにその背後からドリゼラの腕を掴む。

「やめろドリゼラ」

 私は小声で囁く。

「お、お姉様!?」

 こいつはおそらくサーシャという女に手を上げるつもりだったのだろうと察していた。

 だからこれ以上面倒な事にならないように、私はドリゼラをぐいっと引っ張って後ろに下げさせる。

「そうなの、サーシャさん。私は今ドリゼラに色々と教えてもらっているところなのよ」

 そしてサーシャという女の言葉に合わせて答える。

「やっぱりそうなのね。まあ魔力はなくても学力が高ければ多少は良い仕事に就けるかもしれないし、せいぜいドリゼラを見習って頑張るのよ」

「ええ、ありがとう。頑張るわ。さあ、ドリゼラ。また続きを教えてね」

「お、お姉様……」

 私に合わせろと言う意味を込めて私は軽くドリゼラをこづいた。

「え、ええ。わかりましたわ……」

「そういうわけだからごめんなさいね、サーシャさん」

 私がそう言うとサーシャはドリゼラに手を振って、ようやくその場から立ち去って行った。

 これがいつもの、今まで通りの私への風当たりだ。

 面と向かって嫌味をぶつけられる事もそう珍しくもないし、この程度では今更特別なんとも思わない。

 ただ、振り返った私は思わず目を見開いてしまった。

「……っひ……っひっく。ぐす……お、お姉……様……ごめ、ごめんなさい……うぅ……」

 ドリゼラの奴が顔を両手で覆って、啜り泣いていたからだ。

「何故お前が泣く?」

「だって……お姉様の事……ひっく……」

「あんなのは今更気にもならない。お前が泣く必要も謝る必要も全くない」

「ち、違う、の……。わた、私……私が今までやってきた事が……言ってきた事が……あまりにも愚かで……私は……じ、自分が許せなくって……ごめんなさいお姉様。本当にごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

 どんどんと涙を零すドリゼラを見て、無性にはがゆい気持ちに襲われた。

 私は確かにドリゼラが嫌いだった。

 血の繋がりもない、嫌味なだけの義理の妹。

 妹とさえ思った事もなかった。

 クソ虫だとしか思っていなかった。

 人の感情など持ち合わせるはずもない、クソ虫の末裔。貴族。そのくらいにしか思っていなかったはずだ。

 違うんだ。

 貴族が皆、全てクソ虫なんかじゃない。

 彼らもやはり同じ人間なのだ。

 本当は私も気づいてた。

 気づいていたんだ。

 見ないフリをしていたのは私の方だった。

 ドリゼラはこれほどまでに変わった。

 自分の誤ちに気づいて、私に謝罪を繰り返した。

 彼女はただ未熟なだけで私よりもよほど優れた感受性を持ち合わせている。人を思いやる気持ちもしっかりと持っていたのだ。

 対して私はどうだ?

 何もかも達観したつもりで、人を本当に見下していたのは私の方なんじゃないのか?

 私の方がよほどクソ虫なんじゃないのか?

 人を知れ。

 ギランお父様のその言葉、今なら少しだけわかる気がする。

 私は……あまりにも無知だ。

「すまなかった、ドリゼラ」

 私は彼女の頭をそっと撫でて、謝罪の言葉を口にする。

「え……?」

「お前はこれまでの誤ちを認めて私に素直に謝ってくれた。なのに、私は自分の事を棚に上げてお前に素直に謝った事なんかなかった。すまなかったドリゼラ、許してくれ」

「そんな! お姉様は何にも悪い事なんてしていない! 私はお姉様の境遇も、お姉様の寂しさも全て知ってしまった! リヒャイン様から聞いてしまったの!」

 リヒャインから聞いた、か。

 あの大舞踏会の日の事か。

「お姉様の気持ちなんてこれっぽっちも考えずに、私は私の事ばかりを考えて……だから、本当に悪いのは私だけなんですわ!」

「いや、違う。私もお前たちに歩み寄ろうとしなかった。わざとツンケンしたりして、壁を作っていた。そういう私の態度が問題だったんだ。気づかせてくれてありがとうドリゼラ」

 たくさんの涙に濡れたドリゼラの顔が、凄く切なくて、愛おしく感じた。

 私がコイツのことをそんな風に思うなんて、な。

「さあ、さっきの数式の答え合わせでもしよう。仕方がないから今日は特別にお前が知りたい本とかも読んでやる」

「本当ですの? お姉様」

「ああ。だからもう泣きやめ」

「はい……はい!」

 満面の笑みを浮かべるドリゼラを見て、ああ、これはリヒャインが夢中になるわけだ、と内心納得してしまった。

 そんなこんなで結局この日はほとんどドリゼラに付き合わされてしまうのだが、一応私は私で賢人会議に関する資料等もそれなり読む事はできた。

 それになんだか、一人で本を楽しむ時とはまた違った愉しさをドリゼラに教えてもらえた気がしたから、いいか。

 そう、思った。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「ババアはいらねぇんだよ」と追放されたアラサー聖女はイケメン王子に溺愛されます〜今更私の力が必要だと土下座してももう遅い〜

平山和人
恋愛
聖女として働いていたクレアはある日、新しく着任してきた若い聖女が来たことで追放される。 途方に暮れるクレアは隣国の王子を治療したことがきっかけで、王子からプロポーズされる。 自分より若いイケメンの告白に最初は戸惑うクレアだったが、王子の献身的な態度に絆され、二人は結婚する。 一方、クレアを追放した王子と聖女はクレアがいなくなったことで破滅の道を歩んでいく。

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈 
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

断罪シーンを自分の夢だと思った悪役令嬢はヒロインに成り代わるべく画策する。

メカ喜楽直人
恋愛
さっきまでやってた18禁乙女ゲームの断罪シーンを夢に見てるっぽい? 「アルテシア・シンクレア公爵令嬢、私はお前との婚約を破棄する。このまま修道院に向かい、これまで自分がやってきた行いを深く考え、その罪を贖う一生を終えるがいい!」 冷たい床に顔を押し付けられた屈辱と、両肩を押さえつけられた痛み。 そして、ちらりと顔を上げれば金髪碧眼のザ王子様なキンキラ衣装を身に着けたイケメンが、聞き覚えのある名前を呼んで、婚約破棄を告げているところだった。 自分が夢の中で悪役令嬢になっていることに気が付いた私は、逆ハーに成功したらしい愛され系ヒロインに対抗して自分がヒロインポジを奪い取るべく行動を開始した。

完・前世で聖女だった私、今は魔力0の無能令嬢と判定されたので自由(腐)を謳歌します 〜壁になり殿方たちの愛を見守るため、偽装婚約を頑張ります

恋愛
 聖女として国にこきつかわれ、お飾り妻として王子の婚約者になったところで毒殺された。  心残りは拾って育てていた幼い弟子。  そして、すぐに生まれ変わったシルフィアは聖女になるのを避けるため魔力0の無能令嬢を演じていた。  実家では義理の母と妹に使用人同然の扱いを受けているが、前世より自由がある生活。新しい趣味を見つけ、その道に邁進する日々。  しかし、義妹によって無理やり社交界に出席させられたことで、その日々は崩れる。 「王城の壁になれば他の殿方や騎士の方々が愛を育む様子を見守ることが……そうとなれば、王城の壁になる魔法を開発しなければ!」  目の当たりにした王城での腐の世界(注:勘違い)から、王城の壁となるため大魔導師となった前世の弟子との偽装婚約(勘違い)を頑張るのだが…… 小説家になろう・Noraノベルにも投稿中

【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜

光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。 それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。 自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。 隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。 それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。 私のことは私で何とかします。 ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。 魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。 もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ? これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。 表紙はPhoto AC様よりお借りしております。

【 完結 】「平民上がりの庶子」と言っただなんて誰が言ったんですか?悪い冗談はやめて下さい!

しずもり
恋愛
 ここはチェン王国の貴族子息子女が通う王立学園の食堂だ。確かにこの時期は夜会や学園行事など無い。でもだからってこの国の第二王子が側近候補たちと男爵令嬢を右腕にぶら下げていきなり婚約破棄を宣言しちゃいますか。そうですか。 お昼休憩って案外と短いのですけど、私、まだお昼食べていませんのよ?  突然、婚約破棄を宣言されたのはチェン王国第二王子ヴィンセントの婚約者マリア・べルージュ公爵令嬢だ。彼女はいつも一緒に行動をしているカミラ・ワトソン伯爵令嬢、グレイシー・テネート子爵令嬢、エリザベス・トルーヤ伯爵令嬢たちと昼食を取る為食堂の席に座った所だった。 そこへ現れたのが側近候補と男爵令嬢を連れた第二王子ヴィンセントでマリアを見つけるなり書類のような物をテーブルに叩きつけたのだった。 よくある婚約破棄モノになりますが「ざまぁ」は微ざまぁ程度です。 *なんちゃって異世界モノの緩い設定です。 *登場人物の言葉遣い等(特に心の中での言葉)は現代風になっている事が多いです。 *ざまぁ、は微ざまぁ、になるかなぁ?ぐらいの要素しかありません。

政略結婚した夫の愛人は私の専属メイドだったので離婚しようと思います

結城芙由奈 
恋愛
浮気ですか?どうぞご自由にして下さい。私はここを去りますので 結婚式の前日、政略結婚相手は言った。「お前に永遠の愛は誓わない。何故ならそこに愛など存在しないのだから。」そして迎えた驚くべき結婚式と驚愕の事実。いいでしょう、それほど不本意な結婚ならば離婚してあげましょう。その代わり・・後で後悔しても知りませんよ? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載中

悪役令嬢の正体と真相

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
公爵令嬢アデライードは王宮の舞踏会で、男爵令嬢アネットを虐めた罪を断罪され、婚約者である王太子に婚約を破棄されてしまう。ところがアデライードに悲しんだ様子はなく……? ※「婚約破棄の結末と真相」からタイトル変更しました

処理中です...