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始まり

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「シトリン! 俺のシトリン、ここにいたのか」

 俺を見て目尻を下げた美丈夫が、足早に駆け寄ってきた。そしてヒョイっと俺を

「どうか部屋から出ないでくれ。お前がいなくなったらと思うと、俺は……」

 彼は物憂げな顔で俺に顔をすり寄せると、俺を腕に抱いたまま彼の部屋に運んでいく。

——うーん、気持ちいい。

 この人、やっぱ鍛えてるからか、腕の中に安定感があるんだよな。すごく温かいし。

「俺のシトリン。ここから出るつもりだったのか?」
「ミー」

 違う、と言ってるつもりだけど、この体だと喋られないので、鳴き声になってしまう。それでもこの男——アルヴィンは嬉しそうに破顔した。

「なら良かった。これからもずっと俺と一緒にいような?」

 それはどうだろうな。俺は返答することなく目を閉じる。
 この体はすぐ眠たくなってしまう。そのまま俺は安心感抜群のアルヴィンの腕の中、眠りの中に入っていった。


 そもそも俺は黄水晶シトリンなんて煌びやかな名前じゃない。
 ローランド・グラフトンという名前の、ぱっとしない魔術師だ。もちろん、本当は今みたいに全身モフモフした毛なんて生えていない、ただの人間である。
 元々人間のはずの俺は、色々あって、猫みたいな魔物の姿に変わってしまっている。手には指がなく、四足歩行で、言葉も話せない。猫と違うのは、額に宝石のような魔石が埋まっていることだ。
 この姿から人間に戻れなくなっている俺を拾ったのが、このアルヴィンだった。

「ミャー」

 今だって、あー、と声を出したつもりなのにこんな声になる。うーん、不便だ。

「どうした、シトリン?」
「ナー」

 いや、別に大したことじゃないっす。
 にこにこと俺を見つめる美形。何となく居づらくなり、にゃ、と声を出して、俺は逃げ出した。


◇ ◇ ◇


 俺——ローランド・グラフトンは王宮魔術師だ。といっても、落ちこぼれの。
 栄えある王宮魔術師に選ばれる程度には実力があるはずだが、王宮魔術師という人種は空から隕石を降らせたり、一面を氷漬けにしたりするような化け物じみた奴らばかりである。そんな集団の中で俺は、いわばカスみたいな存在だった。
 俺の使う攻撃魔法は魔術師団が陣営を組む場所からは敵に届かないし、当たったところで威力が弱すぎる。魔力量だって同僚のそれとは池と水たまりぐらい違った。
 故郷で神童扱いをされていた俺の自尊心は、魔術師団に入ってから見事ぽっきりと折られた。まぁ、魔法学園で自分が天才じゃないことは気付いていたけど、ここまで落ちこぼれだとは思わなかったんだ。

 魔物討伐でも、俺の仕事は後方支援だ。だってそれしかできないし。味方の魔法に当たらないように注意しながら、彼らをサポートする。
 魔力回復ポーションを運び、休憩に戻った同僚のために水分を用意する。予備の杖を並べ、怪我をした同僚がいれば救護所に運ぶ。
 そんな風に走り回っている中、魔術師団長の念話が頭に響いた。

——ローランド、魔物の残数確認を頼む。
——はい。

 きた。
 俺は変幻の魔法が使える数少ない魔術師だ。俺が王宮魔術師になれたのは、この魔法が使えたからだと睨んでいる。
 俺はサッと持ち場を離れ、準備をする。
 この魔術師団で唯一、俺が必要とされる時。

 俺はグリフォンに変幻した。そして結界の魔道具を付け、飛び立つ。間違って味方の魔法が当たったら洒落にならないからこれは必需品だ。なかったら確実に即死である。
 空高く飛び上がり、上から魔物の残数を確認する。まだ群れがそこかしこに残っていた。

(うーん、まだそこそこ残ってんなぁ)

 俺は空中をうろうろと飛びながら、地形を確認しつつ、魔物の種類と数を念話で師団長へ伝える。
 もう少し向こうの方も見ておくか。俺は移動のため、いったん高度を上げた。

(うぉ!?)

 結界があるとはいえ、味方の魔法にビビっていた俺は、その時、あまりにも空高く飛び過ぎたらしい。
 経験したことがない風の流れに翻弄され、慌てて体を立て直す。意味不明な風の流れを何とか乗りこなしつつ、高度をさげていく中で、不穏な感覚がした。

(やばい! 結界が……!!)

 魔道具が飛んで行ってしまったらしい。そうならないように対策していたはずだが、この乱気流で外れたのだ。
 これは、とてもまずい。王宮魔術師の魔法は常識外れの威力である。一撃でも魔法が当たれば死ぬ。

——団長、結界の魔道具を落としました!
——なにをしているんだ! お前今どこにいる!?
——オーガの群れの上です。何とかして戻ります。
——よりによってそこか。もう魔法を止められん。ローランド、今は地上に降りるな。遠くに飛べ!

 焦った様子の団長の念話に俺は不安を覚える。ようやく体勢を立てなおし、陣営まで飛ぼうとしたところで、予想外なことが起こった。

(うぉぉ……よりによって、重力攻撃!!)

 王宮魔術師が一帯に重力魔法をかけている。結界をしていたら効かないので問題なかったが、今の俺は生身同然だ。
 翼をうまく動かせず、どんどんと速度が落ち、飛びづらい。というか、浮かんでいることしかできない。しかも、更に悪いことに、やけに魔力の消費が早い。

(嘘だろぉ、もしかして魔力吸収までやってんの? どう考えてもオーバーキルだろうが。魔物からしたらお前らの方がよっぽど鬼だよ!)

 重力魔法と魔力吸収の二重攻撃など、あまりに容赦がなさすぎる。
 俺の魔力は洒落にならない勢いで減っていく。魔力がなくなったら、人の姿に戻ることもできない。変幻の魔法は結構魔力を使うものなのだ。

——ローランド、無事か?
——今のところ無事ですが、もう念話はできません。魔力がこころもとないので!

 俺は一方的に念話を切った。団長相手だが、今は非常事態だ。
 魔力枯渇を起こしたら、しばらく魔力の復活は見込めない。1を10に回復するのと、0を1に回復させるのは訳が違う。俺は魔力量もカスだが、回復力もカスなのだ。

 この重力の中、前に進めもしないのにグリフォンの姿でいる意味もない気がしてきた。かといって今人の姿に戻ったらさらに危ない。地上にはまだ生き残っている魔物がいるし、人間の体は同僚の魔法に耐えられる肉体構造をしていない。

 突如、でかい竜巻が三本、周辺の木をなぎ倒しながらこちらへ向かってきた。風の大魔法だ。進路上にいる魔物を蹴散らしている。

(ぎゃあー! し、死ぬ……!!)

 まじでふざけんなよ、あのバケモンどもが!
 悪態をつきつつ力を振り絞り、風魔法も駆使しながら俺は必死で竜巻をよける。吹き荒れる突風から逃れつつ、とりあえずやり過ごした頃には、満身創痍になっていた。
 翼がかなりやられ、もう飛ぶのが辛い。しかもグリフォンのままだと、地上に降りたときに移動が難しい。

(……カーバンクルになろう)

 猫と兎を混ぜたような姿をした魔物。耳が長く、尻尾はふさふさ。額に魔石があるのが特徴だ。身軽で小型の魔物だから、身を隠しやすいだろう。魔力が尽きる前に、とりあえずカーバンクルに変幻しようと俺は決めた。
 ゆっくりと高度を落とし、地面に近付いていく。

(俺、ここで死ぬかもなぁ)

 しみったれた人生だった。

 田舎の貧乏貴族の四男として生まれ、貧しい幼少期を過ごした。運よく魔法の才があったから王都に出られたけど、家に金がなかった俺はあせあく働きながら魔法学園に通った。
 必死で周囲にくらいつき、やっとの思いで学園を卒業して、ようやく得られた王宮魔術師の職。でも周囲は天才ばかりで、魔術師団での自分の存在価値なんて石ころみたいなものだった。

(猫になりたい人生だった……)

 魔法学園にいた頃、友人の家に誘われたことがある。あの家には猫がいた。その猫は、ただそこに存在することだけを望まれ、愛でられていた。

 俺はあいつが羨ましかった。

 次の人生では金持ちの家の猫になって、ただ可愛がられたい。
 できそこないでも、金がなくても、何の取り柄もなくても。ただ息をするだけで価値がある存在になりたい。あの猫を見て、俺はそう思うようになった。

 そんなことを思い返していたからだろうか。
 カーバンクルに変幻するはずだった俺の体は、猫——いや、猫よりのカーバンクルのような姿になり……それに気が付かないまま地面に到達し、俺はそのまま意識を失った。


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