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本当のヒロインとは何?

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 とりあえずあまり周囲から見えない場所に移動して、涙を流し続けるクリステルをベンチに座らせた。ヴィクトリアが隣に座る。
 昼休みが終わりそうな時間になっているが、どう考えてもまだ彼女は授業に戻れるような状態ではない。

「ミシェル。悪いけれど、わたくしとクリステル様は授業を休むわ。体調を崩したと先生に伝えてくれる?」
「ヴィクトリア様、でも……」
「彼女を一人にできないわ。わたくしは大丈夫だから」

 ヴィクトリアが少し強く言うと、三人は心配そうにしながらも先に教室へ戻ってくれた。


 精霊と思われる光は、ふわふわとクリステルに寄り添っている。
 静かに涙を流し、ヴィクトリアへの謝罪を繰り返す彼女を心配しているのかもしれない。
 精霊とその加護を受けた人間は、友人同士のような対等な関係になるという。きっとこの精霊とクリステルもそうなのだろう。

(いいわね……)

 かつて精霊に会いたいと願った身としては、正直羨ましい。ぼんやりと光を眺めていると、クリステルがおずおずと顔を上げた。

「ヴィクトリア様……」
「落ち着いたかしら?」
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」

 また謝罪をするクリステルに、ヴィクトリアは少しもやりとしてしまう。

「訳が分からないわ。なぜあなたはそんなに謝るの?」

 クリステルは少し目を見張って、それから目を伏せた。

「そうですよね。意味分かんないですよね」
「えぇ。悪いと思うのなら、説明してちょうだい」

 クリステルは数秒逡巡した後、頷くと、静かに話し始めた。

「今から私はもっと意味不明な話をすると思いますけど、一旦聞いてくださいますか」
「……分かったわ」

 光が、クリステルの肩に止まる。クリステルは肩に止まった光を見た。

「私、本当なら精霊から加護を貰う人間じゃなかったんです。本当は……、ヴィクトリア様。あなたが精霊の加護を貰うべきだった」
「……わたくしが?」
「はい。でも私が、横取りしてしまったんです」

 ヴィクトリアはクリステルの言う意味が良く分からなかった。
 精霊の加護は、精霊が与えるものだ。そこに人間の意思は介在しない。現に今クリステルが加護を与えて貰っているのだから、それが全てなのだ。
 クリステルは気の毒なほど顔を蒼褪めさせ、言葉を紡ぎ続ける。

「本当はヴィクトリア様が加護を貰って。それで色んなイベントをこなして。そして、みんなから愛されるはずだったんです」
「いべんと?」
「本当はあなたがヒロインだったの。私、こんなことになるなんて思わなかった。エリオットの……エリオットとヴィクたんの幸せになると思って精霊の加護を貰ったのに、結局私がヴィクたんの未来を歪めちゃうなんて……!」

 クリステルは手で顔を覆うと、さめざめと泣き始めた。
 ヴィクトリアには彼女の言う言葉の意味は殆ど理解できない。しかし、彼女が今、ヴィクトリアに大きな罪悪感を抱いて苦しんでいることだけは伝わった。

「クリステル様」

 ヴィクトリアは彼女の背に手をのせて、ゆっくりとさすった。

「大丈夫よ。私はあなたを責めたりなんてしないわ。あなたなりに考えて、今まで行動してきたのね。今だって、慣れない環境で懸命に頑張っているわ」
「ヴィ、ヴィクトリアさまあっ……」

 自分が今、上手く笑えているだろうか。本当に彼女に何ら含むところなどないと、伝わっているだろうか。うるうるとした瞳を自分に向ける彼女を見ていると、ヴィクトリアは胸がきゅんとした。

(なんて言うか、愛でたくなる子ね)

 なぜか自分にだけ懐いてくれる小動物のような。
 そんなことを考えていると、クリステルが一つ息をついた。

「私の中には……私のものではない記憶があります」

 独白するようにクリステルがつぶやいた。

 別人の記憶を持つという人物の話はヴィクトリアも聞いたことがある。
 かつて、別の文明で生きた記憶を持ち、それを活用する者が存在した。彼らは“渡り人”とよばれ、農業や食文化、医療など、様々な分野に大きく寄与したという。クリステルは精霊術師というだけでなく、渡り人であるのかもしれない。

「その記憶の中で、ヴィクトリア様やエリオット殿下を知っていました。ルシアン王太子殿下も、シリルも、スザンヌも。でも私のせいで、状況が変わってしまいました。本当のルートから外れてしまった」

 ヴィクトリアは、喉から出そうになる沢山の言葉を飲み込み、頷いた。

「……今のわたくしと、あなたの知っている本当のわたくしは、どう違うの?」

 彼女の言葉から推測するに、彼女の中には何かしらの決められた道筋があって、今の状況がそれにそぐわない。それがクリステルにとって後ろめたさを感じる部分なのだろう。
 彼女が知っている本来の道がどんなものなのか……それには少し興味があった。

「ヴィクトリア様が、天使のような心を持った美しい人であるのは変わりません。私の最推しです。でも本当なら、あなたは四年前に精霊の加護を貰って、今みたいにムカつく悪口を言われたりはしないはずでした」

 四年前だと、ヴィクトリアが一三歳のころだ。当時はまだエリオットの婚約者候補で、今ほど悪評も立っていなかった。
 確かにあの頃、精霊の加護を貰っていれば、今と状況は違っていたのかもしれない。

「でも、現にわたくしが精霊様の加護をいただくことはなかったわ」
「それは、私のせいです」
「なぜそうなるの。じゃあ、あなた本当はどういう存在だというの?」
「私は、そもそも登場すらしない人間だったはずなんです。でも、私、どうしても……どうしても、じっとしていられなくて。しょっちゅう教会へ祈りを捧げていました。そしたら、この子が現れて」

 光はくるくると舞い始めた。クリステルは言いづらそうに目線を横にそらす。

「エリオット殿下を助けたいなら、加護を受ければいいって」
「エリオット様を……?」

 そこでなぜエリオットが登場するのかが分からずにヴィクトリアは首をかしげる。

「本当は、エリオット殿下は魔物に襲われて深刻な怪我を負うはずだったんです」
「……!」
「重症のエリオットを助けるために、ヴィクトリア様は祈りを捧げて、精霊から癒しの加護をもらうの。それで、エリオットを助ける。でも、ヴィクトリア様との婚約は白紙になっちゃう。怪我を負ったエリオットが解消するから」

(……エリオット様の婚約者になれない)

 ぞくりと震えそうになった。その未来を想像するだけで、目の前が暗くなり、心が沈んでしまう。

「私、エリオットが大怪我することを知ってるのに。知らんぷりするなんて、できなかった。それで、私が結界を張ったらエリオットが魔物に襲われることはないって思ったら、それしか考えられなくなって……」

 クリステルの語る話は荒唐無稽だが、簡単に妄想だと切り捨てることもできなかった。なぜなら彼女は精霊の加護を受けた女性だから。

 精霊は嘘を嫌う。清らかな人格を好む。

 だから、彼女が何かを偽って私を騙そうとか、そういう意図はないことは確かなのだ。

「ヴィクトリア!」

 唐突に鋭い声がしたので振り返ると、そこにはエリオットがいた。彼は少し厳しい表情をしている。

「エリオット様」

 今は授業中のはずだ。なぜここにいるのだろうと不思議に思いながら、礼をとる。彼はヴィクトリアの隣まで足早にきた。

「何か、あった? 彼女と」

 エリオットの目線はクリステルを捉えている。
 クリステルはひどい状態だ。制服も髪型も乱れている上に、顔は涙でぐちゃぐちゃである。

「……その」

 問われたことに答えようと考えても、今クリステルが打ち明けてくれたことは、とてもヴィクトリアから説明できない。どう答えればいいかと逡巡し、声に詰まってしまう。

「ヴィクトリアが彼女に危害を加えていたと、わざわざ私に進言してくる者がいたんだ。そんなはずはないのは分かっているよ。でも、何かあったみたいだね」

 きっと、遠巻きで様子を見ていた誰かがエリオットに報告したのだろう。
 クリステルは精霊の加護を受けた重要人物だ。彼女が危害を加えられたとなれば大変なことだ。しかも学園内でということになると、在学中の王族であるエリオットの責任にまで話が及んでしまう。

「で、殿下。違います。ヴィクトリア様は、私を心配して付き添ってくださっただけです」

 意を決したように声を出したクリステルが話を遮る。エリオットはクリステルを見た。

「君が公衆の面前で泣いていたと聞いたが」
「私が、その……悲しいことを思い出してしまっただけで。ヴィクトリア様に酷いことを言われたとか、されたということは一切ありません!」
「そんなことは君に言われるまでもなく分かっている。ローラン男爵令嬢。君は淑女教育をもう少し真面目に受けた方が良いと思うよ。皆が見ている中庭で泣いてしまうなど、考えられない」

 常にない冷たい物言いに、ヴィクトリアは驚いてしまう。エリオットは基本的に穏やかで、誰に対しても礼儀を持って接している。そういえば、以前クリステルが生垣に隠れていたときもどこか彼女に冷たかった。

「エリオット様。クリステル様も努力されていますわ。慣れない生活の中で、奮闘されています」
「ヴィクトリア……」
「誤解をされた方もいらっしゃったかもしれませんが、何の問題もございません。でも、エリオット様にご迷惑をおかけしてしまって……申し訳ございません」

 エリオットはヴィクトリアの目をじっと見て、ふと笑った。

「君が謝ることなんて一つもない」

 エリオットはヴィクトリアの肩を抱きよせて、クリステルに目線を移す。彼女は両手を口元に置いて、じっと二人を見ていた。なぜか嬉しそうだ。

「ローラン男爵令嬢。今度、精霊術のことで王宮に来るらしいね」
「はい!」

 クリステルは力強い声で答えた。彼女は学園卒業前から騎士団や魔術師団と共に魔物の生息域に結界を張るらしいので、王宮に行く用事もあるのだ。

「良いマナー教師を知っている。話は通しておくから、良かったらついでに授業を受けて帰るといい」
「……はい……」

 クリステルは先ほどとは打って変わって弱弱しく答えたのだった。


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