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一章 ”カリム村での旅支度” の段

番外編~神々の内緒話……2

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 午後の暖かな陽気に誘われ蝶が花々と戯れる。古風な武家屋敷が建つ庭先に面する一室で、窓辺に咲く桜の花弁を眺めつつ二柱の神が他愛も無い会話をしていた。

「なんぞ、宇受売うずめや。主は我が他世界に赴く事に反対かのう?」

「いえ、大御神が赴く事自体に異論などは露ほども御座いません……。ですが、御身がこの世界より御隠れになるとなれば混乱は必定で御座います。昨日も恒星神の宴では酷く落ち込まれた神々も居られたでしょう」

 ここは日出る国”日本”――――の神話に語られる八百万の神々が聖地”高天原”たかまがはら。八百万の神々を束ねる最高神であるあーちゃんこと”天照大御神”が本来の居を構える最も尊き場所にして、世界のあらゆる諸事を判断する云わば大御神の仕事家でもある。
 そして――

「だからこそ、あの場で話したのじゃよ……何もせずに出掛ける程我は冷酷では無いつもりじゃ。心構えくらいは、とは思うて開いた宴だったが、我もあそこまで魂魄が沈む様を見たのは久方ぶりじゃったわ」

 ――その邸宅の一室で土建工事の如き騒音を撒き散らしながら書類決済をしている黒髪の和服を着た女神こそが、皆さん御馴染み天照大御神である。座卓に座布団のスタイルで正座をしている姿は正に威厳に満ちているが、今日は彼女の手元が何やら凄まじい騒音を撒き散らしているのであった。
 一口に工事現場とは称したが、よくよく聞いてみれば三種の音が折り重なった結果である事が耳のとても良い狼位なら分かるであろう。

「皆が皆、我に頼りすぎているきらいがあるからのう……。幾たびの戦乱を起こして全滅しかけた神界に怒りのあまり殴りこんで”教育”してやったは良い物の、今度は何か有る度に我へと助け舟を求めて来よる。いい加減に少しは各神界で分担をしてもらわんと、我は何時までも一人身よ……次」

 一通り終わったのか、先程までぶれて何かが起きている事だけが唯一分かる手元が視認できる様になった。
 止まった手の先に握られているのは温泉饅頭位の幅を持つ木製の判子が一つ。傍らには大量の決済書類と思わしき紙の束が山積みになり、朱肉自体は器の端を残して綺麗に消え去っている。それに気付いた大御神が朱肉を座卓の引き出しから取り出して充填し、次の書類が机に並ぶまで御茶を啜って小休止を決め込む。

「次は単一宇宙の破壊破砕許可申請の束です」

 書類の束を後ろに山脈もかくやとばかりに携えた彼女は”天宇受売命”あめのうずめのみこと。神話に語り継がれる神界随一の舞踏・芸能を司る女神である。国譲りの儀でも活躍した彼女は天照大御神によって抜擢され、今では大御神の秘書として付き従っている日々を送っているのだ。

 天宇受売命が紙束を差し出せば再び土建工事の音が再開。アスファルトやコンクリートを砕く機械の破砕音が判子を押した書類から、小太鼓叩いた様な音が朱肉缶から、更には雑誌を印刷している音が書類をめくる左手から聞こえる。
 これが合わさって土建工事の現場を彷彿とさせているのだが、一般的な事務作業からは遠く離れているので遠くから音だけ聞けば想像だにしない光景だろう。正に神の御業と言った所だろうか……。

「大御神、次の束で最後で御座います」

「そうか……。では、そろそろ社へと帰るかのう。今日日片付けた物は各神界の最高神へと送ってやるがよい。これの手順書があれば我が妹が拵えた機構の扱いがあ奴等でも正しくやれるじゃろうし、出向しておる神々を日ノ本へ戻す時期も早まるであろうよ」

月読命神つくよみのみことのかみが御作りした機構は簡素でありながら手順も簡単ですが、一旦それが壊れると直して再び使うまでが酷く大変で御座いますれば。各神界の神々でも容易に手出しは出来ぬと存じます」

 まぁの、とため息混じりに判子を押しまくる大御神。すでに山ほどあった紙束の殆どは印を刻まれて、後は各神界の神々宛に発送するだけになっていた。

 ここで月姉こと月読命が拵えた機構について話をしておこう。
 世界と言うものは数多あれど、根幹となる世界を管理維持しているのはこの世界の神々である。宇宙には人が視認・確認できる星々は数あれども、実際は数億分の一程しか認識できていない。勿論、人の科学力が今以上に”進化”すれば何れその領域まで到達することも可能ではあるだろうが。その領域に到達する頃には太陽系は無くなっている可能性の方が高いだろう。
 で、その数多の星々は空間を構成する物質を常に管理・維持しているのが神々の仕事であり生まれた理由なのだ。星の爆発一つとっても神々による調整が行われ、どの場所で何時最後を迎えるのかを管理されている。その管理を少しでも怠れば世界そのものが不安定化し、あらゆる不具合による歪みが起きて宇宙は消滅する事態に陥るのだ。

「さて、八咫烏やたがらすはおるか?」

「――お呼びで御座いましょうか、大御神」

 その事実はかつて神々の間でも周知されてはいなかった……。

「八咫烏よ、この紙束を各神界の最高神へと届ける命をお前に授ける。紙の山一つで神界一つ分じゃ、我の神印で封じておる故に直ぐ分かるじゃろう。此度の仕事は我自身の為に労した物じゃが、仕事自体はあちらでも必要な物じゃからして土産をたんまりと請求してやるがよい」

 神々が戦乱と混乱に明け暮れる中、あくる日別天神の一柱であり宇宙の根源である天之御中主神あめのみなかぬしのかみが大御神へと語りかけてきた事があった。
 彼の神は世界が生まれし時、初まりの神として誕生したものの直ぐに御隠れになり世界と同化した独神であり、天照大御神が誕生するまで神界を束ねた創造神である。当時の神としては大御神と比較しても別格と表現しても憚らないほどの存在が、神々の役割についてと言う名目で高天原に再び実態を模して顕現した。自分達の祖神とも言うべき創造の神が顕現したのだ、当然高天原は騒然となるのは必定。天津神や国津神の垣根を越えて大広場へ八百万の神々が集まり、皆が天之御中主神からの教えを賜る為に座して平伏した程である。

「承知致しました、大御神……では」

「我に土産は要らんからのう~」

 そして伝えられた神々が生まれ存在する理由の根幹、その役割を持つ神々は日ノ本だけではないと言う事実。
 この時、世は神々から人へと治世が移り行く途上にあった。八百万の神々は比較的穏健な神々によって構成されている神界に身を置いていたが、大陸や他の島々にある神界ではそれこそ血みどろの戦によって崩壊しつつある所も幾つか存在したのである。それが神々の黄昏ラグナロクであり、信仰によって生まれた神々が人のうつろいやすい心に引っ張られた結果の果てに消え去る終末の惨劇なのだ。

 この事実を知らされた大御神は急いで使者を他神界の最高神へと送ったが、戦乱に明け暮れる神々は聞く耳を持たず、使者を追い返して更に戦乱の狂気へと身を投じる始末。事態の解決が図れない事を瞬時に悟った大御神は二度、三度と岩戸隠れの儀を執り行い自身の力を高める策に出ざるを得なかったのである。天之岩戸隠れの伝承は主に須佐之男命が乱暴を働き、その顛末に悲観した彼女が岩戸に自らの身を封じる事をもって改心させる御話であるが。実はこの御話にはもう一つの側面があり、岩戸から出た大御神がより尊き神となって力を発揮するという重要な事実があった。
 大御神は岩戸内部に強力な陣を率いて結界を張り、高天原や葦原中津国に満ちる霊力を集めては吸収し己が力を高めた。その力は岩戸から出た際に天之御中主神から開口一番”大御神よ、ちょっと張り切りすぎかな~なんて思うんだ” なんて御言葉を冷や汗混じりに頂く位には高ぶり、溢れ迸る神力は近づくだけで万物を滅する程の高まりを見せた。力の弱い神々などは御身を目にしただけで消滅し、さしもの三貴子が二柱を以ってしても比較するのが馬鹿らしいと言わせたと程に……。

「御疲れ様でした、大御神。本日の日程はこれにて全て完了致しました」

「左様か……では天宇受売命や、我は社へと帰る故に後始末を頼んだぞ」

 最高神であり太陽神でもあり大慈母神の顔も持つ大御神は、全てが反転したかに見える形相と力で以って先ずは大陸の神界へと歩を進めた。当時は斉天大聖・孫悟空が暴れまわり封神演技の仙人達が数多く命を落とした大戦が繰り広げられており、大御神は一応の確認と返答を受けて聞く耳持たずと判断した後に一旦纏めて神界事全てを灰燼に帰した。善も悪もどちらでも関係無く殲滅する様は、仙人や神々の魂に深く刻み付けられ皆が平静を取り戻すには十分過ぎて逆に畏怖の念を抱かせるまでに至る。
 漸く落ち着きを取り戻した大陸神界は、よくよく見れば邪気によって仙人や神々が狂わされていたと判明。全てを滅して再び復活させた大御神の御業によって見事に邪気は祓われ、最高神である伏儀と女媧ふっき じょか、それに神農しんのうの三皇へと事情説明が行われた。

「はい、しかと受け賜りました」

「ん~……、ではの」

 次いでギリシャ地方に歩を進めた大御神は、嫉妬や憎愛に混乱するギリシャ神界を同じ手順で”説得”。そうして次々と神界を”説得”して周った大御神が旅の結果で世界の安定化に進んでいく。

 しかして、世は常に難しいもので……。神々の頭数がそろった所でどうすれば世界を支え安定管理できるかを知るものは少なく、尚且つ専門分野に当たる権能が必要になる為に知識だけではなく力も必要になってくる始末。これでは元の木阿弥と感じた月読命が八百万の創造神達を集めて、皆で分散・管理する一つの機構を完成させる為に研究へと邁進したのである。
 結果、神七世の再来と言わしめた怒涛の七日間によって見事機構は完成。さっそく出来上がった機構と共に八百万の神々が世界各地の神界へとサラリーマン宜しく派遣されて、現在も日々研修と相成っている訳だ。

「今日の晩飯はなんじゃろな~っと……ふぅ」

 そんな大御神の苦労や頑張りも当然目的があっての事。異世界に奏慈を行かせたのもその目的に達する為の布石なのだが、しかしながらそろそろ大御神自身が焦れて来た御様子である。ため息混じりに吐き出した思いは高天原の空へと上り、やがて大御神の顔には物憂げながらも女性の色香が浮かぶ。
 屋敷の廊下には桜の花弁がはらはらと舞い散り、既に見頃を過ぎた枝には新たな葉の芽が付き始めている。その様子を見ているようで見ていない大御神は、日差し傾く午後の空に手を翳して今一度息を吐き歩き出した。

「――今日で一週間か……短い様で長いのう」

 奏慈が異世界に旅立ち早一週間、大御神が帰る社には彼は今居ない。この世に生まれた時から彼を見守り、導き、育んできた大御神は、こんなに長い時間離れ離れになるのは初めての事だった。日に日に増す心の隙間風に、大御神のため息と物憂げな顔を見る神々も増えている。

「じゃが、これで漸く……おほほほ」

 一週間仕事に明け暮れ漸く休日だ、俺は休める――と言う世の中のサラリーマンお父さんの如く疲れた笑みを桜の木々に見せ、天照大御神は若干のふら付きをお供に社へと帰っていった。

 旅立ちまで後――――……
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