友達の肩書き

菅井群青

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不器用な人 千紘side

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 その日の晩はバーのバイトが入っていた。
スタッフルームに行くと朔也が気怠そうにソファーに横になり脚を投げ出していた。小休憩中らしい。

「お疲れ様」

「お疲れ様、朔也くん今日ラストまで?」

「いや、多分千紘さんと同じタイミングかも」

 黒のジャケットを羽織り黒の前掛けをすると千紘は一気に夜の仕事モードになる。この仕事の時には満面の笑みより微かな笑みの方がいいらしい。

 今日もそれなりに忙しかった。
 朔也と一緒に店を出ると外の風が心地よかった。バーのバイトをすると夜空を見上げたくなる。

 朔也も同じ気持ちらしくタバコを吸いながら雲に隠れる月を眺めていた。

「……今日、千紘さんの家に行っていい?」

「何? どうしたの? 平日だからゲームはねー……」

「千紘さん……ムードないよね、俺男だけど」

 千紘は笑って朔也の髪をぐしゃぐしゃに搔きまわす。きっと、彰の事で何かあったのだろう。

「バカね、そんな気ないくせに……あ、この間言ってたゲーム貸してあげるからそれを夜通しやりなさいな」

「へいへい。じゃ、取りに行くよ」

 朔也はタバコの火を消すと千紘と一緒に歩き始めた。二人で最寄りのバスの停留所に向かう。

 以前はこうして琢磨と夜道を歩いていたのに今はこうして別の人と歩いている。こうやって琢磨が昔になっていくのかな……。

「ちょっとここで待ってて?」

 アパートの前で朔也を待たせて部屋にゲームのソフトを取りに行く。それを手にするとすぐに階段を駆け下りた。

「ごめん、おまた──せ……」

 道に朔也ともう一人立っているのが見えた。その後ろ姿だけでもう誰か分かってしまった。会いたかったその人の姿に胸がむず痒くなる。

「琢磨──」

 スーツ姿の琢磨が朔也くんと向かい合うように立っていた。琢磨が私に気付き振り返る……見つめ合っていると朔也くんが楽しそうに私たちを見た。

「どうして──」

「あ、千紘さん……ありがとう。ちょうだい」

 朔也がいつもと変わらない調子で千紘に声をかける。あまりに自然すぎて千紘の方が戸惑う。

「あ、あ、うん」

 千紘が琢磨の横を通り過ぎて朔也の元へと行くと急に朔也が千紘の体を反転させて琢磨と向かい合わせる。

「え?」

 朔也は何も言わずに背後から千紘を抱きしめた。胸の前と首を取り囲むように朔也の腕が見える。頰に朔也の柔らかい髪が当たっているのを感じた。耳朶に朔也の唇が触れている。吐息が熱くて緊張する──。

「……これが、の顔?」

 目の前の琢磨の表情に戸惑いと怒りが混ざっているのがわかる。
 この顔は千紘にでも分かる……嫉妬だ──。

「千紘さん、この人、本気で千紘さんのこと好きだよ……よく見てあげて」

 琢磨が突然私の手を取ると自分の方へ引き寄せた。その勢いで琢磨の胸に顔がぶつかる。痛くはない、ただ、琢磨の胸に閉じ込められている……琢磨の香りがする。

「悪い……千紘は渡せない──」

 琢磨の声は今まで聞いたことがないほど低く、静かだった……。いつも明るい無邪気な声がこんなにも芯に響くように変わるなんて信じられなかった。

「あ、いいですよ、持って行ってください。俺、好きな奴いるんで」

 朔也は降参するように両手を上げるとゆっくりと背後へ後ずさる。その手には千紘オススメのゲームのソフトがあった。

「じゃ、コレ借りるね。またね」

朔也はそのまま暗闇へと消えた。

「「…………」」

 二人きりになると沈黙が続いた。千紘も何から話せばいいのか分からない。胸の中から解放されたものの掴まれたままの腕が……熱い──。

「千紘──」
「はい」

「千紘──俺、桃香ちゃんと別れた……」
「うん、聞いたよ……桃香ちゃんから。残念、だったね……」

 千紘は琢磨が切なそうに話すのを聞いていた。桃香も琢磨も辛そうだ。

 琢磨が掴んでいた腕の力を強めた。息を飲んで私の顔を見つめる。その時に辛そうにしているのは私だと気付く。琢磨は私を慰めるように労るような瞳で見つめていた。

「俺──今更でバカみたいだけど、千紘が、好きだ」

 琢磨の指が頰に触れた。信じられなくて琢磨の顔を、瞳を見つめた。琢磨に触れられると背筋に鳥肌が立つ。もっと触れて欲しいと願ってしまう。

「琢磨……」

「俺、千紘が、千紘が、好きだ──」


 これは夢? 空耳?

 千紘は瞬きを繰り返し何度も確認する。

 夢……じゃない、信じられない。

 開かれた瞳から一筋涙が流れた。琢磨の瞳は真剣だった。琢磨は千紘から目を逸らさない。あり得ないことが起こった、琢磨が私に告白している。

 琢磨じゃないみたいだ……こんな目の色をした琢磨を知らない。

「……千紘?」

「ふ……っ……嘘、でしょ……?」

「嘘じゃない。好きだ。信じられないのも分かる、俺も初めは驚いた。でも……千紘への気持ちはもう間違えようがない」

 千紘は首を左右に振り顔を歪ませて泣き出す。嬉しいのに……怖かった。信じたいのに、胸が痛い。

 そんな訳ない。琢磨は今まで公言してきたのに自分だけが特別な訳ない。可愛くもない、女らしくもない自分がその例外になり、琢磨を変えさせるほどの存在にはどうしても思えなかった。

「友達、じゃないの? 私──」

「千紘を思うと……胸が苦しくて、触れたくなるのは──友達じゃないだろ。好きだ……誰よりも一緒にいてほしい。嘘じゃない。本当かどうかは……千紘が一番俺の事を分かるだろ」

「たく、ま──」

 琢磨は正直だ。いつだってまっすぐだ。照れ臭そうに思いを口にする琢磨の顔が赤い。
 見て分かる、分かってる……琢磨は本気で私を好きだと言ってくれている。今までとは違う……琢磨は、私を──求めてくれている。

 信じて、良いのね? 自分は特別なんだって思ってもバチは当たらないのよね?

 琢磨は千紘の頭を抱えるように抱きしめた。千紘は琢磨の存在を感じたくてゆっくりと背中に手を回す。琢磨の温もりに千紘は思わず笑いながら泣いてしまう。絶対叶わないと思っていた恋だった。琢磨の背中だけを見つめてきた。今はこうして一つになるように体を寄せている。

「……遅くなって、いっぱい傷つけてごめんな」

「……っ、琢磨は、悪くないのに──私が好きだっただけ、側にいたくて、気持ちを隠していただけ、琢磨は悪く……ない──」

 優しい琢磨に涙が止まらない。きっとメイクも何もかもがめちゃくちゃだ……でも琢磨はそれでもそっと頭を撫でてくれた。

 言いたい……もう一度伝えたい──。

「好きなの、琢磨が、好き──」

 琢磨は黙って頷くといつもの笑顔で笑った。久しぶりに見る琢磨の満面の笑みだ。千紘の目尻にキスをすると愛おしそうに瞳を覗いた。

 琢磨の指が千紘の唇に触れる。琢磨がその唇をじっと見つめる──琢磨の表情が欲情に染まるのを千紘は黙って見ていた。   

 きっと、私も同じだ。

「千紘……」

 二人の顔が近づく。

 繋がる瞬間まで琢磨も千紘も互いの唇から目が離せない……親しくてもこんなに近くで顔を寄せ合った事はない。

 ゆっくりとぎこちない動きで顔を上げた……琢磨の喉仏が見えて一気に欲望が湧く。体が自然と引き寄せられていく……琢磨の鼻先から唇にかけての曲線が視界に入る。

 琢磨だ、琢磨がそこにいる──。

 唇が触れる瞬間視線が合った。胸が跳ねた……。

「…………っ」

 私たちはキスをした。初めてのキスのように喜びで心が震えた。一瞬琢磨の熱に驚いたがすぐに体温が混じり合って分からなくなる。数日前のキスとは違う……心も体も一つになったみたいだ。

 千紘は無意識に涙を流しながらキスをした。何度も諦めようと思った。琢磨に彼女ができるたびに痛む心を隠して笑ってそばにいた。あの頃の自分の為に泣いていた。

 千紘はこのまま時が止まれば良いと思った。ただただそう思った……。




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