100のキスをあなたに

菅井群青

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93.サイダー

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「行ってきます」

 いつものように百円玉を握りしめて自宅の裏通りにポツンと置かれた自動販売機へと向かう。この自動販売機は私が幼い頃から設置されているのだが何年経ってもワンコインでジュースが買える愛護的な自販機だ。

 炭酸好きな私はここへ足繁く通っている。最寄りのコンビニは遠いので意外に利用者は多い。

 風呂上がりの火照った体を冷ますにもばっちりだ。ここへ向かうのが風呂上がりの楽しみになっている。

「フフフーン、フフフン」

 鼻歌交じりで自動販売機まで向かう。スウェット姿に父さんのサンダルという色気も何もない服装だが、ここは私の庭、テリトリーなので問題ない。

 ガチャン

 お金を投入しいつものようにサイダーのボタンを押す。

 缶が落ちる音がするとニヤニヤが止まらない。すぐに屈んでサイダーの缶を取り出す。

 プシュッ

 炭酸が抜ける音と細かい泡が弾ける音がする。缶を握る手が悴むほど冷え切ったサイダーは最高に美味い。

 缶を口に近づけると上から缶を奪われた。さなざらサイダーが天に召されるように見えた。

「あぁ! サイダー!」

 愛しのサイダーを奪ったのは一歳年上で幼馴染の瞬太だ。部活帰りらしく野球のユニフォームのままだ。喉が渇いていたのだろう……喉が何度も上下に動くのを私は見つめていた。

 一番、一番美味しいところが…… !

「瞬ちゃんひどい! 私のサイダー!」

「愛菜は炭酸好きだけどそんなに飲めないだろ?」

「…………」

 確かに私は炭酸は少し飲むだけで満足するタイプではある。だが、開けたてのサイダーは最高に好きだ! 譲りたくない!

「ほら……」

「…………やった」

 怒った愛菜の顔を見てまずいと思ったのか瞬太はサイダー缶を手渡す。愛菜に笑顔が戻りいざ飲もうと缶を口に付ける。

「危ないっ!」

 狭い路地を凄いスピードでスポーツカーが通り抜ける。瞬太は愛菜の腕を掴むと引き寄せた。

 車が消えると瞬太は車が去った方角を睨む。

「危ないな……まったく……おい、愛菜──あ……」

 愛菜の前髪や顔、そして胸元にサイダーがかかり濡れていた……そして缶の本体は無残にも床に転がっていた。

「あ、あの……愛菜──」

「……帰る」

 愛菜はそのまま家へと歩き出した。瞬太は慌ててカバンから財布を出しサイダーのボタンを連打する。出てきたサイダーを握り愛菜の後を追う。

「……ちょっと待て! 愛菜! 悪かった!」

 愛菜の前を遮ると手にサイダーの缶を握らせる。

「…………」
「ごめん、ふざけすぎた」

 愛菜は泣いていた。幸せな時間を奪われて愛菜は悲しかった。風呂も入り直さなければならない。幸せな時間が最悪なものになった。

 年甲斐もなく泣いてるのを瞬太にバレたくなかった。炭酸ジュース如きでと思われそうだ。

 恥ずかしくて愛菜が瞬太の顔を見てより一層泣き出してしまう。瞬太は部活カバンを放り投げると愛菜の肩を抱くと泣き止むように背中を撫でる。

「泣き虫だな──泣き止めって!」

 愛菜は泣き止まない。通り過ぎた犬の散歩中の中年の女性が非難の目で瞬太を見た。

「くそ……しょうがない」

 瞬太は愛菜の額にキスをした。
 幼い頃から泣き止まない愛菜に瞬太はキスをしていた。こうすると愛菜はどんなに泣いていても不思議と泣き止んだ。

 案の定愛菜は泣き止み瞬太を見上げる。ただ、私たちは幼くはない……愛菜が真っ赤になっていると瞬太も反応して頬を赤らめた。もう何年もこのおまじないはしていなかった。
愛菜を泣かせるシュチュエーションがなくなっていた。

「あー……なんか、甘いな」

「サイダーが掛かってたから……」

「そうか、それでなんだな、そう……だよな」

 瞬太はカバンを持ちそのまま立ち去った。
愛菜はもらったサイダーを開けて一口飲んだ。爽やかなサイダーが喉を通っていく。

「何か……いつもより、甘い?」

 一人首を傾げた愛菜だった。

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