100のキスをあなたに

菅井群青

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82.先輩

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 私には好きな人がいる。

 きっと彼はいつもの定位置で休憩中だろう。部屋のドアを開けるとやはり茶革の古ぼけたソファーに腰掛け昼寝していた。この部屋は生徒会室の横にある書庫だ。

 彼は私の一つ上の先輩……山田道幸、この高校の生徒会長だ。

 高校生らしからぬガタイの良さはラグビー部だからだろう。練習の為のグランドが取れないこともあるのでその時は他のラグビー部員は基礎練習をし、山田は生徒会業務があると言ってここへサボりに来る。
 ラグビー部の副部長らしからぬ不真面目さだ。

 音を立てぬようにドアを閉めるとそっと山田に近付く──。

 ネクタイを取り、白いシャツの襟元のボタンを外している。パイプ椅子をオットマン代わりに足を投げ出し安らかな表情を浮かべている。

 日に焼けた横顔を見つめる。精悍な鼻から唇にかけてのラインを追っていく。
 
 涼子は一年生で生徒会に入った。山田と初めて話したのは生徒会室だった。

『生徒会長の山田だ──槇原だな? よろしく』

『はい……』

 体が大きくて目力があって圧倒された。豪快なものの言い方や笑い方に反して繊細な文字や几帳面にタオルを折り畳んでカバンに入れるような所にどんどん惹かれていった。

 涼子は見た目は地味で言葉数も少ない方だ。真面目を絵に描いたようなそんな女だ。

 山田は生徒会長をしていそうにないほど、明るく、社交的で──不真面目だ。現に今も部活をサボって昼寝中だ。

 あまりにも私たちは違う……でも、惹かれちゃうんだよな──。

 告白する勇気もなく、こうして寝顔見て満足して書庫を出て行く。その繰り返しだ。それだけで十分だった。涼子は次の生徒会には立候補しないつもりだ。

 二年になれば医大に現役合格するための勉強が待っている……それに先輩も受験だ。会わなくなれば、この淡い気持ちも消えるだろう……。

「……今まで、ありがとうございました」

 涼子は呟くとそのまま立ち上がりドアへと向かう。そっとドアを開け部屋を出た──。

「……!!」

 部屋を出たはずの私の体は再び部屋の中へ引き戻された。目の前で古い引き戸が閉まる。

 背後に山田の気配を感じる。握られた腕は熱くて痛い。

「「…………」」

 沈黙が流れる。
 涼子はゆっくりと後ろを振りかえった。見上げるとそこにはやはり山田が立っていた。戸惑ったようなそんな表情をしている。涼子の腕を握ったままだった事に気付いて慌てて手を離す。

「……悪い」

「いえ……」

「悪い、なんか……と違ったから──」

「あ──」

 バレていた。寝顔を見に来ていた事を……バレていた。

「ごめんなさい」

 涼子は顔を上げられない。恥ずかしすぎて穴があったら入りたい……。

「過去のアルバムを──取りに来ただろう?」

 一番最初に偶然書庫で眠る先輩と遭遇した時だ。あの日先輩の寝顔に見惚れてしまったんだ。

『ではまた……』

 そう呟いてその場を立ち去った。あれからこの言葉が別れの言葉になっていた。

 山田は涼子の手を握る。

「もう、来ない気だろう? いつも──ではまたって出て行くのに……」

「あ……」
 
 涼子が黙るとそのまま山田は涼子を引き寄せた。抱きしめ方を知らないようにぎこちない動きで抱きしめる。

 力加減が分からないのか、壊れ物に触れるようだ。まさかこんな事になるなんて夢にも思わなかった。涼子は涙を流す。

 良いのだろうか? 思い上がって良いのか? 先輩も同じ気持ちだと、そう思っても──。

「槇原、好き、だ」

 抱き合い触れ合った胸から山田の声が響いた。心臓も壊れそうに脈を打っている。

「先輩……」

 涼子は見上げると山田の真っ赤な顔を見つめた。きっと私も同じ顔をしているはずだ。それに──今私と同じ事を思っているだろう。そうであってほしい……。

 キス、したい──。

 何秒か見つめ合っていたが二人の唇がゆっくりと磁石のように近付く。

 重なり合った瞬間涼子はもう何も考えられなくなった。触れ合った唇が熱くて、胸の中がじくじく疼く。

 山田が離れると涼子は閉じていた瞼を開ける。涙がポロポロと零れ落ちた。感情がぐちゃぐちゃで分からなくなる。

「槇、原……」

「先輩、ずっと、ずっと好きでした──」

 涼子の涙に山田はどうすればいいか分からず再び抱きしめた。涼子の泣き顔が笑い泣きに変わるまでそう時間はかからなかった。
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