忘れられたら苦労しない

菅井群青

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19.砂浜

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 潮の香りがする──気づくと俺は砂浜に佇んでいた。

 いつだったか希と行った海を思い出す。あの日も今みたいに海が荒れて青というよりもグレーがかっていた。

「大輝ー、悪いんだけどそこのビンとってくんない?」

 後ろから声が掛かり振り返る。黒のサロペットを着た希が砂浜にしゃがみこみ必死に砂山を作っている。一人でどうやらトンネルを作成中らしい。俺はしゃがみこみ逆側から掘ってやろうとする。

「ちょっと! 大輝は何もしないでよ。私一人でやるんだから」

 希は頬を膨らませて俺の手助けを断る。

「なんだよ、俺がこっちから掘ればいいだろ?」

「……ダメ。だって、もう大輝はいないんだもん」

「何言って──」

 突然希が立ち上がり俺を見下ろす。その表情は切なそうだ。その時にようやく俺は希がこの世にいないことを思い出した──希は、二年前に死んだ。

「もう、大輝は私のこと忘れたいんでしょ?」

「違う……そんなことない」

「私の幻を見た後、泣いてるじゃない。辛いんでしょ?」

「辛く、ない。希を消す方が辛い」

 大輝は涙が止まらない。どうしようもなく溢れ出てくる。顔がくしゃくしゃになるのを腕で隠す。

「頼むから、そんな、事言うなよ……俺は──」

「大輝……まだ分かんないの? きっともう分かってるはずだよ」

 希は俺に近づくと頰に触れた。その手は温かかった。

「希……」

「大輝……幸せになって」

 希は満面の笑みでこちらを見た。


「……!!」

 大輝は上半身を起こした。
 いつもの自分の部屋だ。朝日が昇りカーテンの隙間から陽の光が漏れる。掌で頬を拭うと濡れていた。夢を見て泣いていたらしい。

「なんて、夢見てんだよ……俺……」

 ベッドの上で胡座をかく。もう涙は出ない。夢とは思えないほどリアルだった。

── 大輝……幸せになって。

 夢で聞いた希の声が耳にへばりついている。希からそんな言葉を聞いたことがないのに、どうしてこんな言葉が夢に出てきたのだろう。

 忘れたい? そんなことない。忘れたくないんだ。忘れられないんだ。ずっとそう思っていたのに……。

 涼香ちゃん──涼香ちゃんと会ってから俺の中の何かが変わり始めた。

 愛した男に捨てられても一途に思い、二年前の違いに戸惑い、それでも愛したいという涼香の姿に俺の中の何かが触れた。

 生きている──そう思った。

 涼香ちゃんといると生きていると感じた。すぐ思っていることが表情に出て、人のために泣いて、しっかり食べて、飲んで、笑って、自分より大きい体の俺を慰めて、抱きしめて……。出会って間もないが……凍った俺の心をあっという間に溶かし始めた。

 人前で泣くのだって、記憶にあるのは希が死んだときぐらいだ。涼香ちゃんの前で泣いてしまった時は自分でも驚いた。胸の温もりに涙腺が壊れたのが分かった。

 涼香ちゃんの前でなら、涙腺が緩むのが自分でわかる。それはやっぱり心の友、心友だからだろう。

 希……俺は、忘れたくないんだ。本当に……。だから、あんな風に切なそうな顔をするな。

「砂山、逆から俺が掘ってやるから」

 大輝は一人呟いた。




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