忘れられたら苦労しない

菅井群青

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29.大輝の変化

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 洋介は十二時丁度になろうとする壁時計を睨みつける。あと、二十秒、十秒……よし!

「昼休憩だーいっと……メシだメシ」

 洋介はデスクのファイルを片付けると大輝の方を見た。たった今十二時になったところだというのに大輝のデスクに女性社員が集まっている。

 あー、またか……。

 洋介は財布を持ち怠そうに大輝のデスクへと向かう。


「えー? またですか? 浜崎さんまた先約ー?」

「はい、すみません……じゃあ失礼し──」

「美味しいイタリアンがあるんですけど、一緒に行きましょうよ! 遠藤さんも一緒に!」

「いや、遠藤は女性とは食事できないみたいで……じゃあ失礼──」


 逃げようとする大輝の腕が背の小さい女に捕まる。胸の谷間に腕が挟まれた。大輝は動かすわけにもいかずその場に固まった。

 押しが強い女性社員達に大輝は困ったように笑うことしかできない。邪険にするわけにもいかず、かと言って口で勝てそうもない。

「……おーい、大輝、お前魚介もチーズも無理だろ。俺はもう今日はサバの味噌煮定食って決まってんだ! 行くぞ!」

 洋介が大輝の腕を掴み引っ張る。しばらく歩くと大輝の腕を離す。振り返って大輝の方を見るとげっそりとしていた。ここ三日これの繰り返しだ。

「洋介、悪いな。おれ明日から昼前トイレに篭るから」

「今日は魚介とチーズか、もうさすがに誘いにくくなっただろうな、向こうも」

 最近大輝はモテる。その理由を洋介は分かっていた。

 元スポーツマンだし顔も悪くない、なにより仕事が割とできる男だからモテなくはなかったのだが、ここ数年は皆に壁を作っていたし、表情も硬かったので近づく女がいなかっただけだ。影では、大輝はクールで硬派だと割と人気があった。

 最近あの無表情ばかりだった大輝の表情が優しくなった。いい意味で隙ができた。それはきっと涼香ちゃんのおかげだ。それはいいんだけど、覆われていた柵が外されたと気づいた獣達が我先にと獲物を狙いだした。

 それほど、大輝の表情は豊かになった。

 ふわっと笑うとそれまでイライラモードで仕事をしていたあの怖い御局様ですら頰を赤らめ上機嫌で仕事に戻る……。お、恐ろしい力だ……。それに本人は気付いていない。

「最近、このあたりオープンの店ばっかりなんだってな」

 今も呑気なことを言ってやがる。
 まったく、俺も今更モテたいわけではないが、コイツが羨ましい。

 元々こんな優しく笑う奴だったか? 希ちゃんと出会う前の大輝の記憶は曖昧だ。もう三年も前だ。三年も、大輝は哀しみと行き場のなくした愛情を抱えていた。

 店に行きサバの味噌煮定食と生姜焼き定食を注文した。昼間の時間帯ということもあり店は大賑わいだ。

「なぁ……?」

「ん?」

「いつ告白するんだ? 涼香ちゃんに」

「……あぁ。それだけど、俺言っても大丈夫か?」

「なんで?」

 大輝は一瞬気まずそうな表情をして白飯を口に含む。

「少し前まで希のことで相談乗ってもらって、涼香ちゃんに色々……いや、それはまぁいいや。とりあえず、突然言って、なんだコイツ、心変わり早いってならないか?」

 涼香に抱きしめてられたり、胸を貸してもらって涙を流したりなんてことは洋介にも言えない。

「あー、そういう事? どうなんだろうな……俺は、いや、まぁ……いいと思うが」

 若干変な反応になったのを大輝が気付いた。

「あ、なんだ……今思い出した。確かお前と弘子ちゃんの出会い──」

「な、なんでお前が知ってんだ! あ、涼香ちゃん! 涼香ちゃんだろ! 聞いたんだな! くそっ……」

 洋介はサバの味噌煮を切り分け大きく口を開けるとご飯を掻き込んでそのまま味噌汁を口に含む。耳が赤くなった洋介は席を斜めに向け大輝を避ける。必死の抵抗だ。

「プププ……まぁ、いや、悪い。今の相談は忘れてくれ、気にすることないっていうのは分かったから」

 大輝は思い出して笑う。赤くなった洋介は可愛い。

 涼香ちゃんから聞いた遠藤夫妻の馴れ初めは俺のつまらない悩みを解決した。

 恋に、時間なんてものは関係ないってことを。
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