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2.拉致

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 ガチャン──

 ドアが閉まるとそこは間取りこそ同じだが全く知らない他人の部屋だ。

 カチ

 暗闇の中……背後で鍵がかけられたような音が聞こえた。ドアのそばで感じる気配は間違いなくあのヤク中男だろう。

 ここは、叫んではいけない。
 落ち着いて、話しかけよう。刺激してはいけない。

「えーっと……」

「すみません……もう限界で」

 あっという間に男は華子の腕を掴み簡易の台所を抜け部屋の中へと連れていく。華子は靴さえも脱げていない。男はベッドに華子を放り投げるとそのままの勢いで ベッドになだれ込んできた。

 体に感じる重みと、脇腹に感じる男の腕に華子は思考が停止する。

 ひいいぃ!まぢか!

 声にならない叫び声を上げた。しかしいつになっても襲われない。首元に感じる男の頭も力なくベッドに沈んでいるようだ。

「スー……スー……」

 規則正しい寝息が聞こえた。

 いや、まさか今からだぜって時に寝るか?恐る恐る腕を叩いてみたり、頭をベシベシと叩いてみるが全く動かない。

「おーい……あの──え?大丈夫ですか?」

 もしかしたらクスリのせいかもしれない。
 華子は身を捩りおぶさっていた男の体を押しのけると手探りで電気のスイッチを探す。同じ間取りなのが幸いだったようでいとも簡単に電気がつく。

 明るくなった部屋に映し出されたのは綺麗に整頓されたベッドに、スーツ姿の男の穏やかな寝顔だった。
 一応口元に手のひらを当ててみて再度呼吸を確かめる。ホッとしてその場にしゃがみこむ。

 よかった。死んだんじゃなかった。

 ベッドの上の男は確かに「助けてください……」と言った。本当に切羽詰まっていたのが華子にも分かった。一体部屋に連れてきて何をどうしようとしたか知らないが、男の寝顔は穏やかで幸せそうだ。
 よく状況がつかめないまま華子は立ち上がると、男の足元にそっとタオルケットを掛けてやる。拉致されそうになった相手に何をしてるんだと自分でも思うが、この寝顔を見ているとそうする方が自然な気がした。
 部屋からそっと出て行こうとするとパソコンが置かれているデスクの壁に目をやる。

「……え?」

 そこにはベンチに座りながら本を読む華子を描いた絵が貼られていた──。




 次の朝華子はいつものように洗面台で顔を洗っていた。いつもと違うのは華子の目の下にはクマが出来ていた事だ。今日は土曜日で仕事も休みだからよかったものの、この顔じゃ営業先のエロオヤジに「お盛んだね」なんて言われるに決まっている。

「寝れなかった……」

 昨晩初めてのストーカーさんに会ってしまった。一晩で多くの経験値を得た気分だ。

 尾行
 拉致
 監禁
 強姦未遂(?)
 そしてあの絵──

 ふふふ……さすがにここまでだと笑えてくる。一晩考えて華子はこのアパートを早急に退去する事にした。服を着替えると華子は不動産に行こうと玄関で靴を履いていた。一刻の猶予もない……やべえ奴が上の階にいる。

 ピーンポーン

 朝から宅急便らしい。ちょうど玄関いるので疑いもせずにドアを開けた。そこには昨日のヤク中ストーカー男がスウェット姿で立っていた。華子の姿を捉えた瞬間男が驚いた顔をしていた。

 バタン

 速攻で閉めた。自分でも驚くほど素早い引きの力だ。

「あの!すみません!あの!」

 ドアの向こうから切なそうな声が聞こえてくる。
 まさか自分の部屋が知られているとは思わなかった。昨日でバレたのか?ってか警察に通報した方がいいのか?

「昨日はすみませんでした。俺、もう限界で…」

「…………」

「あなたが寝さしてくれないからずっと苦しくて……」

 なんのことを言っているのか全くわからない。寝る?苦しい?なんの話だ。寝さしてくれないのはそっちだろう。

 そこへ何やら足音とともにマダム達の声が聞こえる。土曜の朝はマダム達の井戸端会議が至る所で開催されることを忘れていた。このアパートは年配の一人暮らしのが多い。近くに温泉、下にはコインランドリー、歩いてすぐ総合病院とスーパー……まさしく高齢者のユートピアだ。

 あらま、あんなかわいい男の子を限界まで襲うなんて……。

 んま、聞きました?ここの女の人一睡もさせずに奉仕させてたみたいね、純粋そうな顔して性欲の塊ね……。

 ほらみて、あの男の子目の下クマが……可哀想に……途中で寝ちゃったみたいね。あんな若い子が負けるなんて……。

 マダム達の声に一気に脳が覚醒する。
 いやいや、待て待て、襲われたのは私だし、睡眠不足なのも私だ。

「あなた大丈夫?ここの住人?ここの人とどういう関係?」

 ヒートアップしたマダム達がいろいろ詮索し始めた。まずい、このままだと私は可愛い男子を手篭めにした超ドS絶倫女だ。

 私は迷わずドアを開け放った。

「あらどうもおはようございます。さ、入って!母さんは元気にしている?のゲームに付き合うのって大変なのよねー、今から一緒にやろ?ねっ?」

 男の腕を掴むと無理やり部屋に引っ張り込む。 

 ガチャン──

 ドアを閉めると男の口をすぐさま手で押さえる。頼むから何も言わないでほしい。

「…………」
「…………」


 変な話だ。昨日は押し込まれ今日は私が引っ張り込む。

 すぐにマダム達は自分達の勘違いに気付いたらしい。口々に話し出してホホホと高笑いする声が聞こえる。

 あら?勘違いだったみたいね。

 あらやだ、あたしったら昼ドラ見過ぎかしらね?

 あんなイケメンにあんなワカメみたいな髪の姉がいるなんて意外ね

 誰がワカメだ。失敬な。
 
 ぞろぞろとマダム達が家々に帰っていく足音を確認すると大きく息を吐いた。

「あ、あの──」
「あんたね……平穏な私の生活脅かさないでよ……」

「すみません、でもどうしても俺にはあなたが必要なんです──あなたが居ないと……眠れないんです」

「……は?」

 男は辛そうな顔をしている。だけど、明らかに昨晩会った時よりも瞳の色が穏やかな気がする。目の充血がだいぶ良くなっている。昨日よく眠れたようだ。

「お願いです……俺と添い寝をしてください」

 男の眼は真剣だ。決して冗談ではない雰囲気だ。

「……はぁ……」

 すっとぼけたような華子の声が部屋に響いた。




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