財閥の犬と遊びましょう

菅井群青

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63.カモフラージュ

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 雫は天洋の真剣な表情に動揺し視線を逸らした。天洋の気持ちは嬉しいが雫は天洋の事を何も知らなかった。好きという感情どころか、ろくに話しもしていない、天洋は雫の心が分かっているようだった。

「分かってる。これから俺のことを知ってほしいんだ。それに……誠大よりも俺の方が女心を理解できる。誠大に……勝るはずだ」

「いや、あの……」

「春日雫、本当に誠大なんかと……誠大のどこが良いんだ? あんたは金や権力なんて興味ないだろ……どうして……」

「どこって言うか……何から言ったら良いんでしょうね。あの、ちょっと……」

 雫は天洋の押しの強さに怯みっぱなしだ。天洋は雫に顔を寄せる……至近距離の天洋の顔はキレイで心臓に悪い。中性的な雰囲気を持つ天洋だが、その瞳は男らしかった……。真剣な気持ちを嘘で返すのは申し訳なかった。

 いつのまにか誠大が立ち上がりこちらを見ていた。雫が助けを呼ぶのを待っているようだった。誠大の視線は真っ直ぐだった……雫は息を呑む。

 だめだ。ここでネタバラシしたら……。みんなそのために頑張ってくれたんだから……みんな私のために……。天洋さまには悪いけど……本当のことは言えない。それに……天洋さまの気持ちには応えられない──謝らなきゃ。

 雫が勢いよく天洋に頭を下げた。

「すみません、天洋さま……気持ちに応えられません……私、誠大さまとお付き合いしていますので諦めてください」

 天洋は覚悟していたが雫の言葉に少なからず傷付いたように見えた。天洋は雫の瞳を覗き込んだ。

「もしかして、さ……誠大の恋人っていうのは俺を諦めさせる嘘じゃないの?」

「それは、パーティが羨ましいと私が言っていたので……誠大さまは、約束を守ってくださいました。恋人として一緒に来れて……良かったです」

 嘘と真実が混ざり合った。天洋のことがありパーティに参加したのは間違いなかった。雫は天洋の顔が見られなくなった。胸の中でじりじりと燻っていく……罪悪感、自己嫌悪感が募る。天洋は隣の部屋の誠大に目をやるとわざとらしく溜息を吐いた。

「そっか。……改めて聞くけど、誠大の、どこが良いんだ?」

「え? あぁ、誠大さまは……すぐムキになるけど、真剣に私と向き合ってくれます。一緒にいて……楽しいです。調……遊んでいる時なんて本当に必死で、悪知恵が働くのか結構白熱して……誠大さまは笑っていると、可愛いです」

 誠大と叩いて被ってジャンケンポンをしたことを思い出して口元が緩んだ。その雫の言葉を聞き、天洋は一層嫌そうな顔をした。天洋は振り絞るように声を出した。その表情は本当に辛そうだった。
 
「俺の方が……先に出会っていたのにな──俺が先に告白してたら……」

「天洋さま……」

 天洋は振り切るように息を吐くと鼻で笑った。

「いいんだ、ありがとう」

「あ……あの、その、すみません」

「大丈夫。俺って意外に丈夫なんだ。慰めてくれる女もたくさんいるから……気にしないでいいよ。会場の女の子たちが待ってるだろうしね」

 天洋は嬌笑を浮かべて誰かを思い描いているようだった。天洋が自分の為に明るく振る舞っているのが分かった。雫は心の中で何度も天洋に詫びた。出会ってからずっと女遊びの激しいとんでもない悪人とばかり思っていたのに……この数分間で雫の天洋の印象は大きく変わった。雫はいつか天洋に真実を話し、きちんと謝罪できるように願った。

「もう、いいだろ……天洋」

「ああ。全部聞こえてたんだろ……殴るか? 恋人に告白した男だぞ」

「……振られたんだ、殴る必要はない。それに、この間思いっきり殴ってる……もう構うな」

 雫は落ち込んだように顔を伏せたままだった。手を組んだまま動こうとしない。誠大は雫の前に立つと顎を掴み、沈んだ顔を上げさせた。雫の顔を見て誠大は眉間にしわを寄せた。

「間抜けな顔だな」

 頬を挟み込むと左右から圧迫した。雫の唇がタコのように歪んだ。誠大は吹き出して笑うとすかさず額にデコピンをした。雫は誠大の突然の仕打ちに頬を膨らませる。その顔色はみるみる赤くなる

「大丈夫か? 無理をさせて悪かった──帰ろう」

 誠大に手を握られると雫は泣きそうになった。暖かくて大きかった。天洋に一礼すると二人は部屋を出て行った。天洋はしばらくそのドアから目が離せなかった。

 
 木戸は会場を抜け出して真守を尾行していた。真守は周りを警戒したのちエレベーターに乗り込んだ。それはホテルに直接向かうエレベーターだった。到着した階数を確認すると木戸は慌てて非常階段を上った。

 木戸が目的の階に到着すると廊下には誰の姿もなかった。既にこのいずれかの部屋に入ってしまったのだろう。木戸は姿を潜めながら携帯電話で電話を掛ける……コール音が鳴りだすと木戸は廊下を歩き出した。すると思わぬことが起きた……長い廊下の奥のドアが開き、携帯電話を握りしめた真守が出てきた。木戸は通行人のふりをして廊下を歩き続けた。真守の姿を見た木戸はすぐさま携帯電話の通話を切った。真守は間違い電話と思い再び部屋の中に入って行った。

 電話に出るのに部屋を出るなんて……既に誰かと一緒にいるのか……? 

 電話の着信音か、声が聞こえて真守がいる部屋が分かるかと思っていたが、まさか本人が出てくるとは想定外だった。

 部屋の中から入れ替わるように背の低い小柄な男が出てきた。短い髪を金髪に近い色に染めており小猿のようだ。白のジャケットの襟元からサテン生地の黒襟を覗かせている。首に光る金色のネックレスに思わず目がいく。木戸は廊下にある柱の影に隠れていた。壁にもたれ掛かると緊張を取るように深呼吸をした。

 なんだ? あの男は……実業家か? いや、でもあの服のセンスは……ヤクザか?

 小柄の男は周りを見渡し誰もいないことを確認すると部屋に戻った。尾行されていないか警戒しているようだった。木戸はゆっくりと部屋の方へ近づいて行く。

 こんな事なら車だけじゃ無くて本人に盗聴器つけときたかったな。くそ……まさかこんな日に動きがあるなんて予想外だ。

 木戸は覗き穴に映らないように身を屈めてドアに耳を当てる。微かに声が聞こえる。真守の声ともう一人男の声が聞こえる。ドアに厚みがありうまく声が聞こえない。

「本……こ……くれ……? わ……」

「ははは……と…むす……しょう……」

 なんだ? 随分と明るい声が聞こえる。相手は誰だ?

 木戸が相手の声を拾おうと聴覚に集中させていると廊下の向こうから足音が聞こえた。慌てて立ち上がると再び柱の影に身を隠した。反対方向からスーツを着た男がやってきて真守たちの部屋のドアを激しく叩く。すぐにドアが開かれ中から西園寺が出てきた。木戸は危険を察知しすぐにその場から姿を消した。

「どうした?」

「ドアの前に誰かがいたようです……申し訳ありません」

「何だと? おい、追え!」

 西園寺が顎をしゃくると中にいた数人の男たちが木戸が逃げた方角に走り出した。西園寺はニコリと微笑むと難しい顔をした真守に声を掛けた。

「どこかの犬が嗅ぎ回っているようですな」

「大丈夫なのか? あの事が漏れたら……」

「なぁに、大丈夫ですよ。知ってもどうせ手遅れです……我々に従うだけですよ」

 心配そうな真守を横目に西園寺は豪快に笑った。そばに立っていた小柄な男は一礼すると部屋の外に出た。その会話をエレベーターの死角に身を潜めて美智が聞いていた。美智は慌ててエレベーターに乗り込んだ。



 
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