財閥の犬と遊びましょう

菅井群青

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61.淡い薔薇の色

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 誠大と似ているが天洋の方が服装が派手で一見するとホストのようだ。それに誠大と違い少し女性のような色気がある。

 雫と目が合うと天洋は会釈をした。天洋は何かを言い掛けたがすぐに口を閉じてしまった。雫に一歩近づくとすると誠大が天洋の肩に触れて押し戻した。二人の睨み合いが続く中、木戸の音声が誠大の耳に届いた。真守が会場の外に出たという連絡だった。嫌なタイミングに誠大はインカムに手を当てた。

「追え、こっちは大丈夫だ。構わない」

 誠大のインカムを見て天洋は面倒臭そうな顔をした。遠巻きにいる若いモデルらしき女たちが天洋を見て物欲しそうに微笑む。天洋が一瞥するが再び雫を見つめ続ける。いつもなら天洋の方から声を掛けてくるのに一向にその気配がないので女たちが不思議そうに小声で話す。女好きとして知られる天洋狙いの女達だ。

「東郷さん、今日はどうしたのかしら……いつもなら誘ってくださるのに」

「ええ、彼が来るから張り切ったのに……今日は構ってくれないのかな」

 野次馬が鬱陶しくなったのか天洋は雫の手を取ると会場の外に出ようとする。即座に誠大がその手を払うと雫の手を握った。守るように前に出た誠大と天洋が睨み合う。一気に空気が張り詰めた──。

「昔からお前はしつこい。俺の特注の望遠鏡を欲しがった時と同じだ。ストーカーか?」

「は? 誠大も俺の後を良く追っかけていたよな? 俺の物を欲しがっただろう……この外道が」

 二人は周囲に聞こえないように言い合うと火花を散らす。言葉とは裏腹に微笑みを絶やさない二人に雫は気味の悪さを感じた。天洋に至っては満面の笑みでふざけるように誠大の肩を叩く。言葉と見た目が全く違う二人だった。

「話がある……春日雫に用があるんだ」

「話を? ベッドに引き摺り込むのが先か? 天洋、お前を信用しろと?──」

 二人の会話は平行線だ。周りの人間も興味津々で二人の様子を伺い出した。

 非常にまずい……。ケンカや不仲なんて仕事に支障があるんじゃ……二人とも代表取締役とかでしょ、噂になると立場が危うくなるとかないの? いや、韓国ドラマとかだったら株主総会で辞職……ダメだ! ダメダメ! 殴り合いになる前にどうにかしなきゃ……。

 互いに全く引こうとしない二人の間を雫が割って入った。

「わ、わー、本当? 二人とも酔ったのね! よっし! じゃ行きましょう、連れて行きまーす」


 周りの視線を避ける為、雫は慌てて腕を取ると会場の外へと二人を引っ張り出した。会場の花である二人を連れ去った雫に女たちは顔を見合わせた。会場を出た天洋は沈黙に冷静さを取り戻した。「こっちだ……」と言い、誠大に顎でしゃくる。
 
 群青色の絨毯が敷き詰められた廊下を歩きながら雫は不安そうに誠大を見た。すると突然天洋の前に美智が現れた……天洋に会釈すると誠大の方へ視線を送る……その瞳は冷たく、普段の美智とは別人のようだった。天洋は突然現れた美女に驚いた様子だったが、すぐに誠大の元でメイドとして働いている人間だと気がついた。

「……君は、そっか、君も招待されたのか?」

「はい。失礼します──」

 美智は天洋の腕を取るとあっという間に背中に回し関節を固めた。崩れ落ちた天洋の背中に手をつき、ひねった肩を更に締め上げた。

「がぁ! な、なん……離せっ──」

 天洋は痛みで声を上げたが美智は聞こえないふりをしてじっと天洋を見つめていた。美智は怒っているのが伝わった。雫は慌てて美智に駆け寄った。

「美智! 美智ってば! 大丈夫だから、やめて!」

「離してやれ……源」

 誠大の声に美智は苦悶の表情を浮かべつつも天洋を解放した。天洋は立ち上がると肩を回して捻られた肩を庇うようにして摩った。その瞳は驚き戸惑っているようだった。ただのメイドの美智に関節技をきめられるとは夢にも思っていなかった。モデルのようなスレンダーな体から繰り出された素早く正確な技に驚いた。

「失礼しました。何かが起こったのかと思いまして……」

「は……なるほど……」

 冷笑を浮かべる美智の瞳に怒りを感じた。天洋は美智の腕を掴んだまま離そうとしない雫を見て二人の関係を理解した。美智にとって雫は守るべき存在であり、雫を傷つけた自分の事を恨んでいる事を悟った。

「源……大丈夫だ。木戸の方を頼む」

「……はい」

 美智が鋭い視線を送ると天洋は何も言わずにその視線を受けた。怒るわけでもない……あの日の事を弁明するわけでもない。美智は天洋の表情が穏やかだったのが意外だった。美智は何となく天洋が根っからの悪人ではないのだろうと感じた。

「美智ありがとう、気を付けて……」

 美智は雫の手を握ると頷いた。美智は三人に会釈をすると会場の中へと消えた。廊下の奥へと天洋が歩みを進めると目の前にエレベーターが現れた。天洋が到着したエレベーターに乗り込み雫たちを待つ。このエレベーターの到着先はホテルのはずだ。二人は乗るのを躊躇い顔を見合わせた。

「心配しないでいい。勘繰るなよ、野次馬がいない所に行くだけだ」

「……ああ」

 二人が乗り込むと静かに扉が閉まった。三人がいるとは思えないほど沈黙が続いた。雫が緊張で息を呑むと誠大が握った手を強く握り返した。雫は誠大が「心配するな」と言っているのが分かった。目的の階に到着すると天洋がカードキーを取り出してとある部屋のドアを開けた。

 何人まで利用できるか知らないが明らかに一般人お断りの部屋なのが分かる。俗に言うスイートルームだ。天洋が部屋に入ると自動でスタンドライトが点灯した……薄暗い部屋の窓から大都市の夜景が見えた。窓のそばに立つ天洋が二人を振り返ると……その表情は寂しげだった。誠大は天洋に厳しい視線を送る。

「天洋、分かってるのか? 彼女は俺の恋人だぞ……」

「そうだろうな……今晩の二人を見ていて特別な関係な事は分かったけど、俺も彼女に話したいことがあるんだ。この間は、冷静じゃなかった……それは、謝る……悪かった」

「…………」

 天洋が謝罪の意を伝えると誠大は困ったような顔をした。二人は不仲で関係は薄いものの長い付き合いだ。天洋の性格は熟知していた筈だった。こんな風に自分に謝意を伝えることなどしたこともない。プライドも何もかも捨てた天洋に何が起こったのか誠大は気になった。雫の方を見ると小さく頷いた。

「誠大さま……私大丈夫です。天洋さまとお話しして良いですか? なんか……そうした方がいい気が──」

「無理するな。怖いんだろ……」

 誠大が雫の頬を包んだ。目を細めた誠大の表情は本物の恋人に見せる顔のようで雫は顔を赤らめた。勘違いしてしまいそうになった。

「誠大さまが……そばにいてくれるんですから、平気です」

 雫が微笑み返すと天洋へと一歩近付いた。天洋と雫は静かに見つめ合った。天洋の瞳が微かに揺れるのが分かると雫が小さく頷いた。

「春日雫……」

 天洋が雫に近付くと勢いよく頭を下げた。隣の誠大も動揺しているのか天洋の姿から目が離せない。天洋が頭を下げたまま絞り出すように声を出した。

「……っ、申し訳なかった。傷つけるつもりは無かったんだ。本当だ……本当に、ごめん」

「え? あーえっと……」

 雫は突然の謝罪に戸惑う。本当に天洋なのか顔を覗いた。噂に聞く天洋とは違う気がした。ナルシストで、女好きで、遊び人で、金持ち特有の性格の悪さがあるがそれが許されるほど美しい男だと……そう聞いていたのに目の前の天洋は全く別人だった。天洋は顔を上げると誠大を一瞥した。

「二人で話したい。奥の部屋で待っててくれ」

「あり得ない」

「誠大……俺はそこまで下劣じゃないだろ。頼む」

「…………」

 天洋の様子に誠大は難しい顔をした。雫が平気だと言うように頷くと「すぐ呼べ、そこにいる」と言い奥の部屋のソファーに腰掛けた。天洋が雫に椅子に腰掛けるように促すと雫のドレス姿を見つめて笑った。

「美しいな。想像していたよりずっと」

「え……あはは、またまた……お上手で」

 褒められることに慣れていない雫は顔を赤らめ必死で手を振り誤魔化す。天洋はそんな雫を見て破顔した。

「あの日、都合の良い夢だと勘違いしてしまった。酔っていたとはいえ、許されることじゃないけど、どうか許してほしい」

 雫はあの日抵抗した後、天洋の様子が変わった事を思い出した。微かに震えていた事を思い出し雫は頷く。雫は手を組み直して少しずつ言葉を紡ぐ。

「お酒って、怖いですよね。私もお酒で失敗した事あります……でも、その時皆許してくれたんです。だから、いいです。天洋さまが謝ってくれたから……忘れます」

「ありがとう……あー、良かった。マジで、嬉しい」

 天洋の表情が明るくなる。緊張していたのだろう……無意識に何度も拳を握り直している。雫は天洋がみんなが言うほど悪い人間ではないんじゃないかと思った。隣の部屋では誠大が足を組み苛立ちを抑えるように腕を組んでいた。

「あの……気になっていたんですけど、天洋さまはどうして私の名前をご存知なんですか?」

「ああ、そっか。話せば長くなるけど……とりあえずこれを受け取ってくれるか?」

 天洋がベッドのそばに置いていた一輪の薔薇を雫に手渡した。赤でも白でもない……菫色のような藤紫の薔薇だった。柔らかそうな薔薇の花弁を指でなぞる。その瞬間叩きつけられてボロボロになった花束が雫の脳裏をかすめた。

「あ……」
「思い出したのか?」

 天洋は雫の表情を見て、微かでも自分の記憶が残っている事を知り微笑んだ。

「これを手渡したくて、ずっと探してたんだ。春日雫……俺は、あんたに告白しようと思ってた」

「告白──告白って、その、あの……」

「……惹かれたんだ。俺はあんたが好きだ、好き──なんだ」

 天洋の真剣な眼差しが雫を捉えて離さない。雫は何を話せばいいか分からなかった。

 奥の部屋にまで天洋の告白は聞こえていた。誠大は立ち上がろうとするが、思い留まり背もたれに体を預けた。振り返り二人の様子を見た……見つめ合ったまま動かない二人に心がざわついた。

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