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誠大は社長室の椅子に座ったまま窓際に追いやられていた。椅子の足が壁に当たりこれ以上は後退り出来ない。視線は泳ぎ背後の窓を気にするそぶりを見せる……高層ビルなので何となく恐怖感がある。
「危ないだろう、待て……」
目の前には郡司が静かに誠大を見下ろしている。いや、まるで全能の神ゼウスのような冷たい視線だ。あれから誠大は昨晩雫と何があったのか郡司に問い詰められていた。白状すると郡司の怒りの琴線に触れた。誠大の首を摘み上げて妖艶に微笑んだ。
「誰が、誰のふりをして、誰を呼び出して愛の告白をして……傷つけたのです? ん? どこのクズの話です?」
「ちょ、落ち着け……俺は良かれと思ってだな──」
誠大に言い分に郡司はより目を吊り上げた。誠大はこれ以上言い訳しても火に油を注ぐようなものだと口を閉じた。郡司は誠大から手を離すとわざとらしく溜息をついた。
「なんて事を……雫さまがそんな人間じゃない事ぐらい分かったでしょう? どうしてそんな事を……」
「悪かった。調教師の、お前に対しての態度がおかしくて……つい……。やり過ぎた、とは思う」
誠大の落ち込んだ様子に郡司は腕を組み直した。誠大は幼い頃郡司に怒られていた事を思い出した。同じ年齢だが大人びていた郡司はこうして暴走する誠大を叱り付けていた。その当時は執事としてというよりも兄貴分としてだったが……今もその関係が影響している。
「いいですか。今晩雫さまに謝罪をしてください。殴られても許しを乞うのです」
「何で俺がもう一回殴られなきゃ──いや、なんでもない……」
郡司の背後に暗黒のオーラが出ていて即座に態度を翻した。こうなった郡司に歯向かうのは良くない……後になって何倍もの報復として返ってくる。顔は綺麗だが中身は悪魔が住んでいる事を誠大は知っている。
誠大は貼られた口元の絆創膏を剥がすとそれを引き出しに入れた。大事そうにする姿を見て郡司は隠れて笑った。どうして絆創膏を捨てないのかという言葉は飲み込んだ。
◇
雫は誠大の部屋の前で緊張して冷や汗を掻いていた。まだドアはノック出来ていない。
あの一件以来の調教の時間だ……。あれから冷静さを取り戻し、自分がいかに恐ろしい事をしたのかが分かってきた。本気で頬を殴り、冷たいプールに突き落とした。日本で最も財力がある男をだ。
今日用事で立ち寄った本屋で経済雑誌に誠大が載っているのを見た。腕を組みニコリともしないその姿はいつもと変わらないようだ。財閥らしい媚を売らない感じが清々しい。雫は誠大の体に被るように書かれていた文句に絶句した。
日本経済のすべてを担う男
期待度百パーセントの言葉に大きく溜息をつく。木戸の言っていたことは本当だったようだ。日本経済を牛耳っている男を敵に回してしまえば自分は日本で仕事がなくなるかも知れない……。
うー、なんであんなことしちゃったんだろう。謝ってくれたけどこっちが謝らなきゃダメじゃない? 額から血が出るぐらい土下座しないとダメなんじゃないかな? あぁ、なんでプールに突き落とすのよ……。あぁ、時よ戻ってくれ……。
雫がドアの前で唸っていると突然開くはずのないドアが開いた。目の前にはネクタイを外した誠大が雫を見下ろしていた。野獣のように眉間に皺を寄せた誠大と目が合う……雫はハムスターのように手を縮こませて固まった。
「あ、ああの……誠大さま……そ、その節は──うわっ!」
「…………」
誠大は何も言わずに雫を部屋へと引きずり込んだ。ドアを閉めると雫を壁に追い込み距離を詰める。怒られるのかとびくついていたが誠大は無言で睨み続ける。誠大が徐ろに雫の後れ毛に触れた。
え……?
誠大が雫の頭に顎を置く。腕で囲まれているわけでもない、逃げられないはずはないのに雫はなぜか体が動かなかった。誠大の吐息が髪に当たる……。
雫はただ、じっと誠大の首元を見つめていた。胸元のシャツのボタンが外されて肌が見えている。それだけなのに雫は心臓が壊れそうだ。
そうだ……押入れの時も、プールの時も、この香りがした。そっか、この匂いは誠大さまの香りなんだ。
「君は……俺の調教師だろう」
「はい? まぁ、一応……」
突然頭上から降りてきた誠大の声に雫は顔を上げた。思いのほか誠大の顔が近くにあった……顔が真っ赤に染まっていくのが分かった。誠大の細められた目と男らしい唇や顎のラインに心拍数が跳ね上がった。大嫌いなはずなのに、目が離せない……。
なぜか昨晩の告白の言葉を思い出した。偽物の告白を……。
「じゃあ……暗闇で抱きしめられてもちゃんと違いが分かる様にしろ」
「いや、さすがにもう分かります……でも、もうそんな事する必要な──っ!?」
一瞬キスをされたのかと思った。
誠大は突然自分の頬を雫の額に付けた。それは──まるで犬が見せる愛情の仕草の様だ。
「分かっている。傷つけて……悪かった」
誠大は声を絞り出すと雫の髪や頬を撫でた。その仕草になぜか雫は苦しくなった。まるで自分が誠大の所有物の様に感じた。抵抗できるはずなのに、拘束もされていないのになぜか動いてはだめだと感じた。
誠大は雫の頭のお団子に手を添えた。誠大は自分の行動を振り返り一人動揺していた。誠大自身よく分からない感情が沸いていた……触れたくて、感じたかった。
「私も、すみませんでした……」
「…………」
「もう、プールに突き落としたり、しませんから……郡司さんと間違えません」
「当然だ」
誠大は雫の腕を引きソファーへと座らせた。何か話をするのかと思ったが誠大はいつもの様に新聞を読み出した。雫は態度の変わりように声を掛け辛くなり黙り込んだ。一人胸の鼓動の激しさに苦しむ。
コンコンコン
ドアを叩く音が響くと郡司がワゴンに紅茶を乗せてやって来た。
「お待たせいたしました、今夜は紅茶に致しました。今夜の茶葉は──」
郡司が部屋に漂う変な空気に気付いた。
雫はソファーに座ったまま頬をふぐの様に膨らませている。頬がピンクに染まっているがその瞳揺れていた。
誠大は普段よりも真剣に新聞を読んでいる様だ。しかしその新聞は昨日の新聞だ。昨日の晩に読み終わったはずなのだがなぜか初めて目を通す様に頷きながら読み進めている。
なんとか仲直りできたようですね……。
「さ! さぁ、美味しい紅茶をどうぞ」
郡司は何も気づかないふりをして紅茶をカップに注いだ。
その後二人はケンカをしながら【スピード】で熱い勝負を繰り広げた。容赦なく雫は次々とカードを繰り出した。その晩雫は一歩も譲らず誠大に大勝した。
「危ないだろう、待て……」
目の前には郡司が静かに誠大を見下ろしている。いや、まるで全能の神ゼウスのような冷たい視線だ。あれから誠大は昨晩雫と何があったのか郡司に問い詰められていた。白状すると郡司の怒りの琴線に触れた。誠大の首を摘み上げて妖艶に微笑んだ。
「誰が、誰のふりをして、誰を呼び出して愛の告白をして……傷つけたのです? ん? どこのクズの話です?」
「ちょ、落ち着け……俺は良かれと思ってだな──」
誠大に言い分に郡司はより目を吊り上げた。誠大はこれ以上言い訳しても火に油を注ぐようなものだと口を閉じた。郡司は誠大から手を離すとわざとらしく溜息をついた。
「なんて事を……雫さまがそんな人間じゃない事ぐらい分かったでしょう? どうしてそんな事を……」
「悪かった。調教師の、お前に対しての態度がおかしくて……つい……。やり過ぎた、とは思う」
誠大の落ち込んだ様子に郡司は腕を組み直した。誠大は幼い頃郡司に怒られていた事を思い出した。同じ年齢だが大人びていた郡司はこうして暴走する誠大を叱り付けていた。その当時は執事としてというよりも兄貴分としてだったが……今もその関係が影響している。
「いいですか。今晩雫さまに謝罪をしてください。殴られても許しを乞うのです」
「何で俺がもう一回殴られなきゃ──いや、なんでもない……」
郡司の背後に暗黒のオーラが出ていて即座に態度を翻した。こうなった郡司に歯向かうのは良くない……後になって何倍もの報復として返ってくる。顔は綺麗だが中身は悪魔が住んでいる事を誠大は知っている。
誠大は貼られた口元の絆創膏を剥がすとそれを引き出しに入れた。大事そうにする姿を見て郡司は隠れて笑った。どうして絆創膏を捨てないのかという言葉は飲み込んだ。
◇
雫は誠大の部屋の前で緊張して冷や汗を掻いていた。まだドアはノック出来ていない。
あの一件以来の調教の時間だ……。あれから冷静さを取り戻し、自分がいかに恐ろしい事をしたのかが分かってきた。本気で頬を殴り、冷たいプールに突き落とした。日本で最も財力がある男をだ。
今日用事で立ち寄った本屋で経済雑誌に誠大が載っているのを見た。腕を組みニコリともしないその姿はいつもと変わらないようだ。財閥らしい媚を売らない感じが清々しい。雫は誠大の体に被るように書かれていた文句に絶句した。
日本経済のすべてを担う男
期待度百パーセントの言葉に大きく溜息をつく。木戸の言っていたことは本当だったようだ。日本経済を牛耳っている男を敵に回してしまえば自分は日本で仕事がなくなるかも知れない……。
うー、なんであんなことしちゃったんだろう。謝ってくれたけどこっちが謝らなきゃダメじゃない? 額から血が出るぐらい土下座しないとダメなんじゃないかな? あぁ、なんでプールに突き落とすのよ……。あぁ、時よ戻ってくれ……。
雫がドアの前で唸っていると突然開くはずのないドアが開いた。目の前にはネクタイを外した誠大が雫を見下ろしていた。野獣のように眉間に皺を寄せた誠大と目が合う……雫はハムスターのように手を縮こませて固まった。
「あ、ああの……誠大さま……そ、その節は──うわっ!」
「…………」
誠大は何も言わずに雫を部屋へと引きずり込んだ。ドアを閉めると雫を壁に追い込み距離を詰める。怒られるのかとびくついていたが誠大は無言で睨み続ける。誠大が徐ろに雫の後れ毛に触れた。
え……?
誠大が雫の頭に顎を置く。腕で囲まれているわけでもない、逃げられないはずはないのに雫はなぜか体が動かなかった。誠大の吐息が髪に当たる……。
雫はただ、じっと誠大の首元を見つめていた。胸元のシャツのボタンが外されて肌が見えている。それだけなのに雫は心臓が壊れそうだ。
そうだ……押入れの時も、プールの時も、この香りがした。そっか、この匂いは誠大さまの香りなんだ。
「君は……俺の調教師だろう」
「はい? まぁ、一応……」
突然頭上から降りてきた誠大の声に雫は顔を上げた。思いのほか誠大の顔が近くにあった……顔が真っ赤に染まっていくのが分かった。誠大の細められた目と男らしい唇や顎のラインに心拍数が跳ね上がった。大嫌いなはずなのに、目が離せない……。
なぜか昨晩の告白の言葉を思い出した。偽物の告白を……。
「じゃあ……暗闇で抱きしめられてもちゃんと違いが分かる様にしろ」
「いや、さすがにもう分かります……でも、もうそんな事する必要な──っ!?」
一瞬キスをされたのかと思った。
誠大は突然自分の頬を雫の額に付けた。それは──まるで犬が見せる愛情の仕草の様だ。
「分かっている。傷つけて……悪かった」
誠大は声を絞り出すと雫の髪や頬を撫でた。その仕草になぜか雫は苦しくなった。まるで自分が誠大の所有物の様に感じた。抵抗できるはずなのに、拘束もされていないのになぜか動いてはだめだと感じた。
誠大は雫の頭のお団子に手を添えた。誠大は自分の行動を振り返り一人動揺していた。誠大自身よく分からない感情が沸いていた……触れたくて、感じたかった。
「私も、すみませんでした……」
「…………」
「もう、プールに突き落としたり、しませんから……郡司さんと間違えません」
「当然だ」
誠大は雫の腕を引きソファーへと座らせた。何か話をするのかと思ったが誠大はいつもの様に新聞を読み出した。雫は態度の変わりように声を掛け辛くなり黙り込んだ。一人胸の鼓動の激しさに苦しむ。
コンコンコン
ドアを叩く音が響くと郡司がワゴンに紅茶を乗せてやって来た。
「お待たせいたしました、今夜は紅茶に致しました。今夜の茶葉は──」
郡司が部屋に漂う変な空気に気付いた。
雫はソファーに座ったまま頬をふぐの様に膨らませている。頬がピンクに染まっているがその瞳揺れていた。
誠大は普段よりも真剣に新聞を読んでいる様だ。しかしその新聞は昨日の新聞だ。昨日の晩に読み終わったはずなのだがなぜか初めて目を通す様に頷きながら読み進めている。
なんとか仲直りできたようですね……。
「さ! さぁ、美味しい紅茶をどうぞ」
郡司は何も気づかないふりをして紅茶をカップに注いだ。
その後二人はケンカをしながら【スピード】で熱い勝負を繰り広げた。容赦なく雫は次々とカードを繰り出した。その晩雫は一歩も譲らず誠大に大勝した。
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