財閥の犬と遊びましょう

菅井群青

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19.木戸の草取り

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 すっかり秋の空になり鱗雲が見える。肌寒く感じるが太陽の日差しが降り注ぐ時間は心地良い。昼寝に最高の日だ。そんな中、木戸は一人地面の雑草を引き抜いていた。

「あー、なんでこんな日に草抜きなんかしなきゃいけねぇのかな……あーマジ転職したい」

 木戸は犬舎を囲っているフェンスに沿って雑草処理の作業中だ。先日オフィス街を三周したのち草取りを命じられた。全く意味が分からない……海外から帰国したばかりの部下を労わる温かい心を財閥は持ち合わせていないらしい。木戸は鬱憤を解消すべく力一杯雑草を掴んでは無理やり引き抜き続ける。

「ねぇ……何やってんの? 護衛は?」

 木戸が顔を上げると洗濯物カゴを抱えた美智が立っていた。どうやら大量のシーツを干し場に持っていく途中らしい。木戸は固まった腰を支えながら立ち上がる。囃子なしでは動けない。

「俺が好きでやってると思ってんの? あーダルい。お前手伝えよ」

「え、なんで? 私は別の仕事があるから……」

「いいのか……バラしても」

 木戸の言葉に美智の顔色が変わる。目を細めて木戸を見下ろす。美智は面倒臭そうにカゴを置くとブチブチと小さな雑草を引きちぎる。「おい、根から抜けよ? 茎からはダメだ」と木戸のアドバイスを聞き律儀に草抜きをやり直す。無言で作業する美智を面白そうに木戸は見ていた。一頻り作業すると美智は立ち上がった。

「あとは一人でやんなよ。シーツがシワになっちゃうから……じゃ……」

「真面目ちゃんだもんな……オッケーオッケー、また用事があったら呼びに行くから」

 木戸の言葉に美智が露骨に嫌な顔をする。そのまま勢い良くカゴを引き上げると走って干し場へと消えていった。その後ろ姿を見て木戸は頰を指で掻いた。

「ちょーっと、遊びすぎたか……」

 木戸が再びしゃがみ込み雑草に手を伸ばそうとすると目の前のオオバコが毛むくじゃらの足によって潰された。木戸が恐る恐る顔を上げるとジャックが虫けらを見るような冷たい瞳で見ていた。威嚇するように犬歯を見せている。

「え、何で? 雑草だろ? お前のもんじゃない……あ、もしかして大好物? 便秘薬か?」

 じりじりとジャックの構えが低くなり木戸に襲い掛かろうとする。木戸は腕を乙女のように胸の前で組んだ。これで腕は噛まれないはずだ。
 木戸は息を呑み後ろへと下がっていく……その時叫び声が聞こえた。

「待て! お座り!」

 ジャックは耳をぴくりと動かしてその場におとなしく座る。犬舎の方からオーバーオール姿の雫が駆け寄ってくる。どうやらジャックの小屋を掃除中だったようだ。雫が慌てて木戸に駆け寄ると体中を触れて噛まれていないか確認する。

「木戸さんすみません、大丈夫でしたか? お怪我は?」

「大丈夫だ、何ともない。助かったよ」

 木戸と雫はそばのベンチに腰を掛けた。木戸は中腰の姿勢で痛みが走るようで腰に拳を当ててトントンと叩く。その様子を見て雫が苦笑いを浮かべた。

「そもそも護衛係なのにどうして草取りを?」

「あー、それがよく分かんないんだよ、突然草取りをしろって言うもんだから──財閥の言うことは分かんないな。ま、雫ちゃんに会えたし良かったよ」

 木戸が頭をかきながら顔を赤らめた。お世辞を言う木戸に思わず笑ってしまう。

「フフフ、あ、そうだ」
「どうした?」

 雫は木戸にここで待つように言うと犬舎へ消えた。しばらくして木戸の元へ戻ってくると木戸の掌にコロンと丸まったおにぎりを手渡した。

「頑張っている木戸さんにご褒美です。おかか入りのおにぎりです、良かったら 食べて下さい」

 木戸は感動していた。最近の若い子に珍しく優しい子だと思った。心に滲みて一人だったら泣いていたかもしれない。年齢を重ねると涙脆くなるのは本当らしい。

「ありがとう、頂くよ」
「じゃ、また」

 雫とジャックが犬舎へと戻るのを見送ると木戸はおにぎりをポケットに入れて草取りを再開した。 


 約束通り三時間みっちり草取りをして愛車のバイクに跨り出勤した。会社に到着し誠大に草取りの報告をすると興味がないようで一瞥するとそのまま書類へと視線を戻した。

 おのれ……俺のガラスの腰をどうしてくれるんだ? 金持ちはこれだから困る。

「お疲れ様でした。疲れたでしょう? お昼ご飯を取りましょうか?」

 郡司が優しく声を掛ける。木戸が部屋の時計を見るとすっかりランチタイムを逃してしまっていた。

「あ、腹減ったな……お、待てよ? 確か雫ちゃんがくれたおにぎりがここに──あ、あった」

 木戸はポケットからおにぎりを取り出すとサランラップを丁寧にめくった。木戸が頬張ろうとするとその手を誰かに制された。振り返ると郡司が肩を、誠大がおにぎりを持った腕をすごい力で掴んでいた。さっきまで確かに仕事をしていたはずの二人が突然木戸の体を押さえ込んでいる。まるで犯人確保の瞬間のようだ。

 え? なんだ? ここは飲食禁止だったっけか?

「あ、外で食べないとまずかったですか?」

「木戸さん……草抜きをしていたんですよね? 今、雫さまが──何と言いました?」

 郡司さんが女を一発で落としそうな笑顔で俺を見下ろす。男の俺でもこの顔で迫られれば心臓に悪い。美しい男というのはこの世に存在するのだとこの男に出会って初めて知った。

「え? あ、いや、ちゃんとしてたけど……途中で雫ちゃんに会ってお手製のおにぎりを──イッテェ!! ちょっと! 痛いですよ、誠大さま!」

 誠大に掴まれた腕の骨が軋んだ気がした。誠大の顔は無表情だがどことなく顔色が悪い。その力で手に持っていたおにぎりが木戸の手からポロリと落ちる。それを器用に誠大は逆の手でキャッチする。
 郡司が木戸の腕を組むとドアに向けて歩き始めた。

「木戸さん、私と一緒に近所の定食屋に行きませんか? 美味しいサバの煮込みがあるのですが……」

「え? あ……俺、このおかか入りのおにぎりが──」

「二度とサバの煮込みが食べられなくなっても……ですか?」

「え? 気軽なお誘いじゃねぇの? サバって絶滅危惧種だっけ?」

 痺れを切らした郡司が木戸の首根っこを掴んで部屋から退室する。部屋に残された誠大は手の中のまん丸おにぎりをじっと見つめていたが、それを口にすることは出来なかった。このおにぎりは自分の物ではない。デスクへと戻るとそのおにぎりを掌に乗せて包み込んでみた。

「……小さい、手だな」

 誠大は確かめるようにおにぎりを握った。
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