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泣く背中
苦悩 遼side
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「おい、菊田、休憩だぞ! 降りて来い!」
「はい!」
建築中の一軒家の屋根で作業していた遼に先輩が声を掛けた。炎天下で遼は防水シートを屋根の基礎に打ち付ける作業をしていた。
「お疲れ様です」
遼が降りてくると先輩はもう温かい茶を啜っていた。シルバー色の表面がボコボコと変形した魔法瓶の水筒からカップに茶を注ぐとそれを遼に差し出す。何年も愛用している魔法瓶の中身は奥さんのゴボウ茶かゴーヤ茶だ。
「飲めよ、熱いが、熱中症予防になる」
「あ、すみません」
先輩はいつもこうして俺の体の事を気遣ってくれる、本当に有難い。熱い茶を息を吹きかけ冷ましていると先輩が笑い出す。図体がでかい割に猫舌な遼が幼く見えた。
「お前もそろそろ嫁をもらったらどうだ」
「あ……あはは、そうですね、出来れば」
結婚、か……。紗英の笑顔が頭に浮かんだ。
結婚できるのなら紗英としたい。だけれど、紗英は仕事が大切で、今は結婚なんて興味はないだろう。自分で考えて寂しくなってしまった。……バカだな。
先輩は茶を啜りながら持ってきた茶菓子を口の中に放り込む。その表情は優しい。
「菊田、お前……優しいな」
「え? 何ですか急に……そんな事ないですよ」
「いやいや、優しいよ。自分よりも相手のことを考える……若いのによくできた男だと思う」
先輩はくしゃっとしわを寄せて笑った。焼けた肌に真っ白な歯が際立つ。その笑顔に胸の奥がズキッと痛んだ。
「だからこそ俺はお前を大事にしてくれる人と結婚して欲しいと思うよ。優しいから尚更そう思っちまうのかもな……」
先輩は俺の表情を読んだのだろうか。先輩の言葉が胸に染みる。
あぁ、俺我慢していたのかな。紗英がいいから、紗英じゃないとダメだからって無理してたのかな。待つのは、寂しいのは苦じゃないって思い込もうとしていた──きっと、俺は……寂しいんだ。
「ありがとうございます。ちゃんと幸せになりますから……」
「そうでないと困る。菊田が笑わないと現場は寂しいからな」
先輩はそう言って笑った。
その日いつものようにシャワーで汗を流し、洗濯物を回した。作業着を手際よく外に干すとシワを伸ばした。
「よし……と」
部屋に戻ると、紗英ともし一緒に生活していたらどうなんだろうと想像してみる。考えてみるが紗英のエプロン姿が想像できない。なぜかいつものグレーのスーツ姿だ。
俺一人……かもしれない。一緒に住んでも紗英は俺よりも遅い。俺は朝早くから現場に向かう。紗英は最近も帰ってから勉強をしていると言っていた。
結婚なんて程遠い……同棲でもすれ違いの生活に耐えられなくなるかもしれない……俺、バカだな。こんなにも紗英を愛しているのに、紗英は俺を抱きしめてくれるのに……どうしてこんなにも不安なんだろう。
週に一回は無理でも二週間に一回は会えるしデートもする。もちろんベッドで愛し合ったりもする。会える頻度こそ少ないが体は繋がっている。うん、ちゃんと恋人同士だ。大丈夫だ、大丈夫……。心だってちゃんと繋がってる──。
ベッドに仰向けになると腕で目を覆う。心に急に降り落ちてきたこの冷たいものは何なんだろう……切なくなる必要なんてないのに。
紗英に、会いたい──抱きしめたい。夢じゃなくて、本物に会いたい。
テーブルに置いていた携帯電話が震えだした。
「……だれだ、コレ──」
見知らぬ番号が表示されていた。仕事関係の電話かもしれない。遼は通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『もしもし、あ──待ちぼうけさん?』
待ちぼうけ──あ、あの時の……。
「あぁ、君か。あの時はどうも……」
まさか向こうから電話が掛かってくるとは思わなかった。電話の向こうの女がふふッと声に出して笑った。
『話を聞いてあげるって言ってたんだけど、ごめん、飲むの付き合ってくれない? 今日』
「あ──いや、俺平日は……それに彼女がいるから」
『アンタは飲まなくていいし、彼女がいるのは知ってる。ただ、今の私の気持ちを一番分かってくれそうだったから……ごめん、やっぱいいや。変なこと言ってごめんね。じゃ──』
「いや、ちょっと待って!……少しだけ、付き合う」
遼はとっさに引き止めていた。なぜかわからないけど、彼女の気持ちが分かった。今、遼も聞いて欲しかった。この不安を──。
『仕事があるなら少しだけ……じゃ、一時間だけ付き合ってね』
「分かった」
待ち合わせ場所を決めると電話を切った。遼はガクンと項垂れた。約束したそばから罪悪感を感じた。それでも行かなきゃダメな気がした。
浮気じゃない、そんな気もない……。会わなくても良かったのに敢えて会う選択をした自分が情けなかった。部屋の時計を見て溜息をつく。平日にこんな風に出かけることはほぼ無い。
「何やってんだ、俺……」
遼は身支度をして待ち合わせ場所に向かった。
「はい!」
建築中の一軒家の屋根で作業していた遼に先輩が声を掛けた。炎天下で遼は防水シートを屋根の基礎に打ち付ける作業をしていた。
「お疲れ様です」
遼が降りてくると先輩はもう温かい茶を啜っていた。シルバー色の表面がボコボコと変形した魔法瓶の水筒からカップに茶を注ぐとそれを遼に差し出す。何年も愛用している魔法瓶の中身は奥さんのゴボウ茶かゴーヤ茶だ。
「飲めよ、熱いが、熱中症予防になる」
「あ、すみません」
先輩はいつもこうして俺の体の事を気遣ってくれる、本当に有難い。熱い茶を息を吹きかけ冷ましていると先輩が笑い出す。図体がでかい割に猫舌な遼が幼く見えた。
「お前もそろそろ嫁をもらったらどうだ」
「あ……あはは、そうですね、出来れば」
結婚、か……。紗英の笑顔が頭に浮かんだ。
結婚できるのなら紗英としたい。だけれど、紗英は仕事が大切で、今は結婚なんて興味はないだろう。自分で考えて寂しくなってしまった。……バカだな。
先輩は茶を啜りながら持ってきた茶菓子を口の中に放り込む。その表情は優しい。
「菊田、お前……優しいな」
「え? 何ですか急に……そんな事ないですよ」
「いやいや、優しいよ。自分よりも相手のことを考える……若いのによくできた男だと思う」
先輩はくしゃっとしわを寄せて笑った。焼けた肌に真っ白な歯が際立つ。その笑顔に胸の奥がズキッと痛んだ。
「だからこそ俺はお前を大事にしてくれる人と結婚して欲しいと思うよ。優しいから尚更そう思っちまうのかもな……」
先輩は俺の表情を読んだのだろうか。先輩の言葉が胸に染みる。
あぁ、俺我慢していたのかな。紗英がいいから、紗英じゃないとダメだからって無理してたのかな。待つのは、寂しいのは苦じゃないって思い込もうとしていた──きっと、俺は……寂しいんだ。
「ありがとうございます。ちゃんと幸せになりますから……」
「そうでないと困る。菊田が笑わないと現場は寂しいからな」
先輩はそう言って笑った。
その日いつものようにシャワーで汗を流し、洗濯物を回した。作業着を手際よく外に干すとシワを伸ばした。
「よし……と」
部屋に戻ると、紗英ともし一緒に生活していたらどうなんだろうと想像してみる。考えてみるが紗英のエプロン姿が想像できない。なぜかいつものグレーのスーツ姿だ。
俺一人……かもしれない。一緒に住んでも紗英は俺よりも遅い。俺は朝早くから現場に向かう。紗英は最近も帰ってから勉強をしていると言っていた。
結婚なんて程遠い……同棲でもすれ違いの生活に耐えられなくなるかもしれない……俺、バカだな。こんなにも紗英を愛しているのに、紗英は俺を抱きしめてくれるのに……どうしてこんなにも不安なんだろう。
週に一回は無理でも二週間に一回は会えるしデートもする。もちろんベッドで愛し合ったりもする。会える頻度こそ少ないが体は繋がっている。うん、ちゃんと恋人同士だ。大丈夫だ、大丈夫……。心だってちゃんと繋がってる──。
ベッドに仰向けになると腕で目を覆う。心に急に降り落ちてきたこの冷たいものは何なんだろう……切なくなる必要なんてないのに。
紗英に、会いたい──抱きしめたい。夢じゃなくて、本物に会いたい。
テーブルに置いていた携帯電話が震えだした。
「……だれだ、コレ──」
見知らぬ番号が表示されていた。仕事関係の電話かもしれない。遼は通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『もしもし、あ──待ちぼうけさん?』
待ちぼうけ──あ、あの時の……。
「あぁ、君か。あの時はどうも……」
まさか向こうから電話が掛かってくるとは思わなかった。電話の向こうの女がふふッと声に出して笑った。
『話を聞いてあげるって言ってたんだけど、ごめん、飲むの付き合ってくれない? 今日』
「あ──いや、俺平日は……それに彼女がいるから」
『アンタは飲まなくていいし、彼女がいるのは知ってる。ただ、今の私の気持ちを一番分かってくれそうだったから……ごめん、やっぱいいや。変なこと言ってごめんね。じゃ──』
「いや、ちょっと待って!……少しだけ、付き合う」
遼はとっさに引き止めていた。なぜかわからないけど、彼女の気持ちが分かった。今、遼も聞いて欲しかった。この不安を──。
『仕事があるなら少しだけ……じゃ、一時間だけ付き合ってね』
「分かった」
待ち合わせ場所を決めると電話を切った。遼はガクンと項垂れた。約束したそばから罪悪感を感じた。それでも行かなきゃダメな気がした。
浮気じゃない、そんな気もない……。会わなくても良かったのに敢えて会う選択をした自分が情けなかった。部屋の時計を見て溜息をつく。平日にこんな風に出かけることはほぼ無い。
「何やってんだ、俺……」
遼は身支度をして待ち合わせ場所に向かった。
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