売り言葉に買い言葉

菅井群青

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34.欠点だらけ

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 貴弘が部屋を飛び出して行った後風香は玄関で蹲って泣いていた。泣きじゃくっていて自分の姿の酷さに気付きふと我に帰る。風香は泣くのを止めるとシャワーを浴びた。洗面台に映る自分の姿を見て貴弘はこんな自分を見て好きだと言ってくれたのかと落ち込んだ。でも、その大切な告白の事を自分は覚えていないし、引越しのことも話をする前に貴弘に知られてしまった……最悪だ。嫌われても仕方がないと思った。でも、嫌いと言われるとは……。

「大嫌い──か……」

 風香は身支度を整えると外出した。今日は不動産屋に行って手付金を納めなければならないのだが契約の際に飼う予定の動物の写真が必要だと言われた。貴弘のことを考えると気が重かったが今日契約しなければ森くんの立ち退きが差し迫っている。風香は森くんのイケメン写真を撮りに会社に向かった。業種柄日曜日でも何人かの社員がビル内にいる。だが昨晩の忘年会の後だからだろうかいつもより少なく感じた。遠いところからでも風香の匂いが分かるのか森くんが嬉しそうにその場で高速回転し喜びを爆発させている。

「こんにちは、いい子ね──あ、これお土産だよ。新しいおもちゃだよー」

 森くんは鼻をひくつかせながらも自分の物だと分かっているようで風香の手から奪い取ると嬉しそうに噛み始めた。出だしは順調だ。後はどれぐらいこのおもちゃが耐えられるかだ。風香がその隙に森くんの写真を撮ろうとするが動き回りブレていい写真を撮ることができない。

「あ、んもう。ちょっと……あ。動かないで。森くんが化け物になった──あ、ブレた」

「……ふ、楽しそうですね」

 風香が振り返ると淡いブルーの作業着姿の澤がいた。風香は慌てて体を起こすと澤に謝った。朧げな記憶ながら澤に送ってもらった事は間違いなかった。きっと面倒くさかった事だろう。腰が折れ曲がるほど風香が頭を下げる。澤はその様子に慌てて風香の肩に触れると頭を上げさせた。

「ごめんなさい、澤くん……本当に迷惑かけちゃって──」

「いえいえ、一人ぐらい泥酔してくれないと。せっかく車で来たんですからね」

 澤は笑いながら昨晩のことを思い返していた。酔った風香は普段と違い隙だらけだった。自分だったからよかったものの、他の男ならホテルに連れ込まれるのは間違いない。

「もう良いですから。もうお酒は飲まないでください、禁止です」

 風香は春子にもアルコール禁止令が出ていた事を澤には言えなかった。何人もの人にこうして禁止されるという事はよほど酒癖が悪いに違いない。風香は再度酒の席でのアルコール摂取に細心の注意を払うことを心に誓った。
 澤は風香の顔をじっと見ていたが風香と目が合うと優しく微笑んだ。

「あ、そうだ。森くんと一緒に住む家が見つかったの」

「そうなんですね、よかったなぁ、森くん。遠くに行かなくて済んだな」

 澤は森の背中を優しく撫でた。おもちゃに夢中だった森くんはおもちゃを手放し澤に飛び掛かった。澤も風香と同時期に社長から森くんの引き取りの打診があった。澤も悩んだが現実的に不可能だった。仕事も遅くなるし、何より急な出張もある……森くんを孤独にしてしまう事はしたくないと思った。その点風香は会社の事務で出張等もなく基本的には定時で帰宅できる部署だ。

「会えなくなるな……。森くん、寂しいよ」

「澤くん……」

 澤は寂しそうに森くんを抱きしめた。風香はその背中を見て是非家まで来て欲しいと、森くんに会いにきてと言えなかった。そんなこと言って澤を誤解させたくなかった。風香は唇を結ぶと澤の背中に向かって呟いた。

「ごめんなさい……澤くん、私、澤くんと付き合えない。好きな人が……いるから」
 
「知ってます。振られることももちろん覚悟してましたから……いいんです。でも──」

 澤は振り返ると悲しそうに笑った。腕を伸ばして風香の頬を優しく撫でると少し目を細めた。澤の手は冷たかった。風香は澤の不意打ちに身動きが取れなかった。ただ、じっとその真剣な視線を受け止めた。

「──俺も、男だから……好きな子が泣いてるのを見て放って置けませんよ。あの人で、本当にいいんですか?」

 風香は澤の言葉に顔が赤くなった。きっと澤くんみたいな人と一緒にいられたら幸せだと思う。居心地がいいと思う……現にこの場所で澤くんに会うと元気をもらった。どうして私はこの手を取ることができないんだろう。

「貴……あの人は、ガサツで、口も悪いし、必要なことは言わないし、自分勝手で、わがままでどうしようも無くて──バカで、大嫌いっていわれたし、私たちの間には愛なんてなくて、一ミリも上手くいく可能性なんてないの……私もあの人の前だとわがままで嫌な女になっちゃう……最悪なの。なんで、好きだと思うのか……」

 風香は貴弘の嫌な所なら息継ぎなしで言い続けられると思った。思い返してみても嫌な所が多すぎる……。風香は貴弘に洗脳でもされてしまったのではないかと思った。そうでなければおかしかった。澤は風香の困惑顔を見て少し羨ましそうに笑った……納得したように頷くと口を開く。

「えっと……それ、堪らなく好きってことですよね?」

「え?」

「その人の事しっかり理解しようとしないと……そこまでダメなところ言えませんよ。渡辺さんはそんな彼が好きなんですね……誰にでも優しい渡辺さんをわがままにさせる人なら……俺は、勝ち目はないですね──もう分かりました。ありがとうございます!」

 澤は頭を掻くとすっきりとしたように破顔した。その表情を見て風香もようやく笑顔を見せた。澤の言葉は不思議と自分の気持ちを振り返るきっかけになった。

「こちらこそ……ありがとう。本当に──ん? 嘘でしょ! 森くん!」

 ふと足元を見ると森くんの側に車に轢かれたようにぺったんこになった元おもちゃがあった。早速穴が開き、中の綿が引き出されていた。アメリカ製の耐久性を謳っていたおもちゃは森くんの牙の餌食になった。呆気ない終焉だった……。澤くんはそれを見て一瞬固まったものの腹を抱えて笑い出した。「最高! さすがだな」と森くんの頭を撫で続けていた。

「渡辺さん、これからも足長おじさんをさせてください。この世の中で森くんの歯に耐えられるおもちゃを探してプレゼントしますから」

「ええ、お願いします。ありがとう」

 二人は自然と握手をした。澤の表情は吹っ切れたようだった。風香は澤の想いに応えられなかったが更に澤という人間が好きになった。




 澤に別れを告げ風香は近所の公園に森くんとやってきた。公園は季節的な事もあるのか人がまばらだった。きっと年末にかけてクリスマスや色々な行事で皆追われているのだろう。風香は公園の周りの歩道を歩きながら貴弘のことを考えていた……。貴弘の最後の言葉を思い出しなぜか怒りがふつふつと沸いてきた。泣いていた自分が情けなくもなってきた。陰極まれば陽になる……悲しみの底をつき怒りに転じた。

「大嫌い、ですって? 絶対バスケがしたくなったとか言っても絶対使わせないから。そっちが大嫌いならこっちは超嫌いだし。そうよ、そうよ! あんなやつほっといて森くんと新生活を始めるわよ。部屋は余っているけど良いもん。どうせ誰か泊まりに来た時にも使えるし。大家さんはいい人だし……」

 あの時だ。あの時にちゃんと貴弘に伝えてないからだ。いや、何度も好きだって言うタイミングがあった。ただ、怖くて……意気地なしだった。ただの同居人の腐れ縁が犬のために引っ越しをしたいと言えば誰だって怒るだろう。しかも犬嫌いだ。風香も急展開で慌てていたのもあるが、ちゃんと予め言っておくべきだった。たとえ断られようともしつこく一緒に住もうと言えば……変わったのかな。

「あー、ダメだ。自己中心的思考だ!」

 風香の感情は荒れに荒れまくっていた。側から見れば表情がコロコロ変わりおかしな人間だろう。

 何よ、貴弘の……馬鹿っていうか……私が一番馬鹿……。

 風香がそばにあった手摺に掴まり項垂れているとリードで繋がれた森くんが心配そうに見上げていた。今は森くんを安心させてあげなければ。私がこんな落ち込んでいたら森くんが不安になる。

「ちゃんとご飯食べさせてあげるからね! お庭で自由に遊べるからね! ちゃんと身を粉にして働くからね!」

 モフモフな体を抱きしめると森くんはとりあえず風香にお手をしようとした。その時風香のカバンの中の携帯電話が震えたが風香は気が付かなかった──。
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