売り言葉に買い言葉

菅井群青

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17.厚い壁

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 給湯室で電気ケトルの湯が湧くのを壁に寄りかかり待っていた。カップにインスタントコーヒーの粉を放り込み貴弘は溜め息をつく。パイプ椅子に腰をかけた有川は頬を膨らませて貴弘を睨み続けている。貴弘は視線を合わさぬようにそっぽを向いた。

「なぁ、高畑ー、頼むって……一生のお願い!」

「前に合コンの欠員に参加してやった時に一生のお願いは消えたはずだろ」

 カップに湯を注ぐと貴弘は有川を残し給湯室を出た。すれ違う同僚に会釈をしながらひたすら後ろから追いかけてくる有川を無視し続ける。痺れを切らした有川は後ろから貴弘を羽交い締めした。有川はしつこい……こうなると面倒臭いのを貴弘は知っている。立ち止まり睨みつけると有川はわざとらしく瞬きを繰り返した……全く可愛くもない。

「何でだよー、いいじゃん。家に遊びに行くだけじゃん。まさか……風香ちゃんが心配とか? 嫉妬とか?」

「……黙れ」

 あの晩高熱で足元がふらつく俺を心配して有川と速水さんが家まで送ってくれた。平気だと言い張ったが有川たちは頑として聞かなかった。有川は心配をして言ってくれていたと思うがどこかで風香に会いたい気持ちもあったのだと思う。正直有り難かったが……その代償は大きかった。あの日から有川は風香と友達になりたいとしつこく紹介しろだの、家に呼べだの……ここ数日暇さえあれば俺の後ろを付いて回っている。

「可愛いよなー、肌も白くてさ甘い石鹸の匂いがして……独り占めしたくなるのも分かるよ、うんうん。そりゃ──キスマークも付けたくなるよな?」

 他の同僚に聞こえないように貴弘の耳元で囁いた。貴弘が舌打ちをすると有川の頭を軽く叩いて席に戻った。あの晩まさか来客があるとは思わなかったのだろう……風香は随分と無防備な服装だった。Tシャツの襟元に隠れるように絆創膏が貼られていた事に有川は気付きカマをかけてきた。貴弘もその絆創膏に心当たりがあった。風呂場でキスをしている時に思わず自分の跡をつけたいと思ってしまった。そこまで強くはしなかったつもりだが肌の白い風香には十分だったようだ。

 そんな関係でもないのに……なに独占欲全面に出してんだろう……ダサすぎる。

 貴弘は風香を好きだと認識できたものの風香にどう接すればいいのか分からなくなっていた。あれから数日風香と最低限の会話はするものの風香の体に触れないようにしている。どこもかしこも柔らかい風香に触れるのは危険だ。



 退社時間になり会社を出たところで有川と別れると駅に向かって一人歩き始めた。忘年会シーズン到来だ。駅前には今から飲み会に向かう人々で溢れかえっている。人混みの中を縫うように歩いていると背中を誰かに叩かれた。

「ちょっと、高畑くん! お疲れ様。歩くの早いんだねーやっと捕まえた」

「あぁ、速水さんお疲れ様」

 振り返るととそこにはグレーのコートを着た速水さんが立っていた。会社からここまで俺を追いかけてきたのだろう頬が赤く息も上がっている。早く帰ろうと急ぎ足になってしまっていたので俺に追い付くのに随分走ったようだ。

「高畑くん、あのね、今晩空いてないかな? この間言っていた詫びってやつお願いしていい?」

 あの晩速水さんも家まで送ってくれたと聞き有川に連絡先を聞き、御礼のメールを送った。その時に機会があれば晩ご飯をご馳走してほしいと言われていた。まさかこんな早くその機会が訪れるとは思っても見なかったが……。

 貴弘は速水から好意を持たれている事に気がついていたが、迷惑をかけたお詫びはすべきだろうとご馳走する事にした。ただ、それだけだ。今晩きちんとその気がない事を伝える事にした。貴弘は腕時計を見て携帯電話をポケットから取り出す。今晩は貴弘が晩ご飯を作る予定でいた。急いで風香に連絡をしたほうがいいだろう。

「ごめん、ちょっと連絡していい?」
「ええ、もちろん」

 貴弘は速水から少し距離を取ると風香に電話を掛けた。何回かの呼び出し音の後気の抜けた声が聞こえてきた。風香の声におもわず笑みが溢れる。姿が見えなくても表情が分かるのはどうしてだろう……何年もの間離れていたはずなのに。風香に晩ご飯を食べて帰る事を伝えると酒は飲むなと釘を刺された。強い口調だがきっと体の事を心配してくれているのだろう。母親のような口調を繰り返すので貴弘は相槌を繰り返すと電話を切った。速水の方を振り返ると人混みから少し離れたところで街路樹のイルミネーションを見上げていた。貴弘が自分の方へ歩いて来るのに気づくと優しく微笑んだ。

「お待たせ。じゃ、行こうか……嫌いなものは無い?」

「うん。雑食なんで大丈夫」

「頼もしいな。よし、じゃ色々食べられる所に行こうか」

 二人は駅のそばにある洋食店に入った。老舗の洋食店でデミグラスソースのハンバーグが美味しいと有名な店だ。速水は貴弘と同じものを注文すると興奮したように食べ進めていた。明るい速水は女性らしさもあるが一緒にいて同性のように気が楽だった。別腹のアイスクリームを食べながら速水は少し躊躇いながら風香のことを尋ねてきた。

「有川くんから少し聞いたけど……彼女は幼馴染みなんだね? その……彼女、なのよね?」

「あぁ、彼女じゃない。色々あって一緒に住む事になって……俺の片思いなんだ」

 貴弘は正直に答えた……嘘を言うことは誠実では無いと思った。速水は頷きながら貴弘の話を聞いていた。貴弘は恥ずかしそうに首の後ろを撫でた。こんな風に自分の恋心を伝えるなんて学生みたいでむず痒い。速水はそんな貴弘を見て眩しそうに目を細めた。

「……あの日、有川くんがタクシーを捕まえている間にね、私たちバス停のベンチに座っていたの。その時にね、本当に微かな声で誰かの名前を呟いていたの。あの後部屋から女性が顔を覗かせて驚いたけど……有川くんが彼女の事を風香ちゃんって呼んでいるのを聞いて、あぁ、そうかって思った」

 速水は切なそうな表情をしていた。いつも笑顔の彼女が見せるその表情は貴弘を動揺させた。貴弘は速水にきちんと伝えようと口を開いた。

「速水さん、ごめん。俺、速水さんの気持ちに──」

「好き──高畑くんが好き。あの子の代わりでもいいから付き合って欲しい」

 速水は少し頬を赤らめつつもしっかりとした口調で言い切った。貴弘は速水の潤んだ瞳を見つめていた──。
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