売り言葉に買い言葉

菅井群青

文字の大きさ
上 下
15 / 41

15.再び 貴弘side

しおりを挟む
 次の日、貴弘はいつも通り出勤した。上司や同僚に迷惑をかけたことを謝罪すると溜まった仕事を片付けるべく黙々と作業を開始した。傷めた右肩は随分と楽だ。動かせば痛みがあるものの突き刺さる様な自発痛は無くなった。ただ、肩を怪我したことよりももっと大事件が起こってしまった……。

「あー……えっと、肩だけ怪我したんだよな? 負のオーラ酷くないか?」

 悪友の有川が話しかけてくるが貴弘は一瞥し溜息を漏らす。パソコン画面に視線を移し悲しげな表情で仕事を続けている。先日の鬼のような表情から一転、憂いを帯びた何とも言えない顔をしている。だが、タイピングは素早くそれでいて正確だ。まるで腕から下が別人のように軽やかに動き続ける。

 いつも黙々と仕事をするこいつらしくない。こりゃ余程のことがあったかな……。きっと、例の幼馴染みか……。しょうがない、俺の出番だな。

 覇気がない貴弘を見て有川は貴弘のパソコン画面の淵に付箋を貼った。貴弘が視線を移すと黄色の付箋には有川の大きな字で【今晩付き合え。元気出してやる】と書かれていた。貴弘は力なく頷くと有川は自分の席へと戻って行った。休んだ分を取り戻すべく貴弘は昼休憩も惜しんで仕事に邁進した。

 帰宅時間になり貴弘はパソコンの電源を切ると同じく帰宅準備をしている有川の椅子の背もたれを鞄で叩いた。

「おい、行くぞ。いつもの居酒屋でいいか?」

「焦るなって……はいはい。ってか、俺金欠だからよろしくな」

 有川は悪戯っぽい笑みを浮かべると貴弘の肩を組んだ。貴弘は少し微笑むとそのままエレベーターに向かって歩き出した。
 有川は世渡り上手だ。いつもへらへらして笑っていて、人見知りもしない。友人も多くいる。そんな男が俺みたいな奴と一緒につるんでくれるのは有り難い。こうして様子がおかしいとさり気なく気を利かしてくれる。身長も俺よりも高く割といいガタイをしているこいつの欠点は一つだけだ。女好きの遊び人だ。

「お、いつもより混んでるな……平日なのにな。奥空いてるぞ、行こう」

 有川は店内に入るといつものように席に座って生ビールを頼んだ。注文した品が届くまでの間有川は声を潜めて貴弘にだけ声が聞こえるように顔を寄せた。その表情は楽しんでいる。

「んで? とうとうヤっちゃった?」

「バカ。いや、ヤってない……ヤってないんだけど……やらかした」

 貴弘は昨日の風呂場の一件を思い出して自己嫌悪に陥っていた。揶揄うだけのつもりがいつのまにか我を忘れて風香に酔ってしまった。後悔の波が押し寄せては引きを繰り返す。どうしても素直になれない。風香にはどうしてもそんな態度をとってしまう。掌を見つめて昨日の胸の感触を思い出し頭を抱える貴弘を有川が冷めた目で見ていた。

「よく分かんないけど……欲求不満じゃねぇの? 今彼女いないし……無防備な幼馴染が部屋の中をうろちょろしてたら正常な男はやらかすかもな」

「いや、風香は無防備じゃない。ただ……」
「……ただ?」

 貴弘はビールを勢いよく飲むとやさぐれたように息を吐く。店内は賑わっていてあちらこちらで笑い声が上がる。有川は貴弘の言葉を逃すまいと前のめりになった。

「風香は恥ずかしがり屋で男と話すと顔を赤らめる奴だったのに……いつのまにか、経験豊富な奴になっててイライラした。ムカつくんだ、男の影に」

「……は?」

 有川の口からすっとぼけた声が出た。貴弘の言うそれは嫉妬というやつだ。しかもどう考えても幼馴染に向けたものじゃない。貴弘は有川の口が開いたままなことに気づき舌打ちをしてビールを飲み干した。貴弘は自分で訳の分からないことを言っているのは分かっていた。でも、正直な気持ちだった。有川にしか言えない、こんな馬鹿みたいなこと。

「それって、嫉妬してんの? 嫉妬してやらかしてんの? それ言うなら高畑も何人も付き合ってんじゃん」

「分かってる。風香には……意外というか……その、セフレまでいるらしい──」

 有川は貴弘の言葉にネクタイを緩めた。思わず背もたれに寄り掛かるとと大きく頷いた。幼馴染がセフレ持ちだなんてかなりの衝撃だ。しかも話によると純情だと思っていたらしいのでその反動は相当なものだったろう。

「マジか。いや、まぁ……それはすごいな」

 有川は貴弘の気持ちが分かった。黙って貴弘の肩を叩いて慰める。その肩の重みに貴弘は苦笑いを浮かべることしか出来なかった。それからしばらく酒を酌み交わしながら他愛もない話をしていると背後から声が掛かった。

「あー、やっぱり、有川くんじゃない」

「あれ? 速水さん、徳永さんまで……」

 有川は意外そうに声を上げる。席と席の間の通路に同年代ぐらいの女性が数人立っていた。どうやら店を後にする途中で有川に気が付いて声を掛けてきたらしい。

 貴弘は聞き覚えのある名前だが、一瞬ど忘れして反応ができなかった。有川に話しかける速水の姿を見て少し前に有川が言っていた紹介したい女性だと思い出した。確かにどことなく風香に似ている。速水は貴弘の視線に気がつくと頬を赤らめて笑った。

「今晩は、何か……付いている? 高畑くん」

「あー、気にしないで。今日はコイツ酔っているから」

 有川は貴弘の頭を殴ると誤魔化すように笑った。徳永が速水と高畑の顔を見て嬉しそうに速水と目配せをした。

「よかったら一緒に飲まない? まだ飲み足りないなって思ってたの」

 速水さんの後ろに立っていたパーマをかけた女性が有川に声をかける。有川は快諾し隣の空いていた席をくっ付けると店員に飲み物のメニューを持ってくるように声をかけた。さすがとしか言いようがない早技だ。合コン、飲み会の幹事を任せられることが多い有川の俊敏な動きに貴弘は思わず笑ってしまった。今夜は有川と二人で飲みたいとは言い出せない空気になってしまった。それから男二人のしんみりとした飲み会から賑やかなものへと変わった。
 有川はぼうっとした俺を心配して目配せをした。俺がいつもより酔いが回っていることに気がついているのだろう。手を上げて大丈夫だと合図をする。

 貴弘の横には速水が座り、頼んだサラダを取り分けてくれた。黒髪が艶やかでいい香りがした。速水は嬉しそうに貴弘に声を掛けた。

「良かった、高畑くんと一度話してみたいと思っていたの」

「あー、そうなんだ……」

 貴弘は愛想笑いをしながら頷いた。有川と徳永は気を利かせて他のメンバーと馬鹿話を繰り広げている。貴弘は仕方なく速水と二人で世間話をした。
 速水の育った地元はあまり治安の良くない地域らしく話のネタが尽きる事はなかった。珍事件や地元であった武勇伝など速水の話は面白かった。純粋そうに見えてなかなか活発な女性らしい。「一周まわって真面目になった」と舌を出して笑う速水はとても明るかった。

 時折耳に掛ける黒髪を見て貴弘は風香を思い出していた。速水の背格好は風香に似ているが全然違う。

 風香はもっと柔らかいオーラが出ているし、甘くて首筋がもっと白くて……って、俺ダメだ、酒で脳が毒されている……。

 貴弘は昨日の記憶を思い出し額を押さえる。肩の炎症のせいで随分と早く酒が回ったようだ。目眩がし始めた。速水は心配そうに貴弘の顔を覗くが貴弘は「ありがとう、平気だから」と言い席を立った。一人トイレに向かい水で顔を洗った。冷たさで一瞬頭が冴えた。

 認めたくはないが、認めざるを得ない……俺は、風香が好きだ。まさかこの年で初恋が再び再燃するとは思わなかった。過ぎ去ったはずの恋は淡かったはずだが、時が経ち濾されたように思いが濃くなったように思えた。風香に関しては大人気なくなるのはそのせいだ。惚れた女と一つ屋根の下……しかも相手は俺の事を同居しているただの幼馴染みと思っているはずだ……実のところどう思っているか聞いてみたいがその一線は大きい。

 もうそろそろ宴はお開きだろう。貴弘は頬を叩いて皆が待つ席へと戻った。
 
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

王宮医務室にお休みはありません。~休日出勤に疲れていたら、結婚前提のお付き合いを希望していたらしい騎士さまとデートをすることになりました。~

石河 翠
恋愛
王宮の医務室に勤める主人公。彼女は、連続する遅番と休日出勤に疲れはてていた。そんなある日、彼女はひそかに片思いをしていた騎士ウィリアムから夕食に誘われる。 食事に向かう途中、彼女は憧れていたお菓子「マリトッツォ」をウィリアムと美味しく食べるのだった。 そして休日出勤の当日。なぜか、彼女は怒り心頭の男になぐりこまれる。なんと、彼女に仕事を押しつけている先輩は、父親には自分が仕事を押しつけられていると話していたらしい。 しかし、そんな先輩にも実は誰にも相談できない事情があったのだ。ピンチに陥る彼女を救ったのは、やはりウィリアム。ふたりの距離は急速に近づいて……。 何事にも真面目で一生懸命な主人公と、誠実な騎士との恋物語。 扉絵は管澤捻さまに描いていただきました。 小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。

聖獣の卵を保護するため、騎士団長と契約結婚いたします。仮の妻なのに、なぜか大切にされすぎていて、溺愛されていると勘違いしてしまいそうです

石河 翠
恋愛
騎士団の食堂で働くエリカは、自宅の庭で聖獣の卵を発見する。 聖獣が大好きなエリカは保護を希望するが、領主に卵を預けるようにと言われてしまった。卵の保護主は、魔力や財力、社会的な地位が重要視されるというのだ。 やけになったエリカは場末の酒場で酔っ払ったあげく、通りすがりの騎士団長に契約結婚してほしいと唐突に泣きつく。すると意外にもその場で承諾されてしまった。 女っ気のない堅物な騎士団長だったはずが、妻となったエリカへの態度は甘く優しいもので、彼女は思わずときめいてしまい……。 素直でまっすぐ一生懸命なヒロインと、実はヒロインにずっと片思いしていた真面目な騎士団長の恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID749781)をお借りしております。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

せっかくですもの、特別な一日を過ごしましょう。いっそ愛を失ってしまえば、女性は誰よりも優しくなれるのですよ。ご存知ありませんでしたか、閣下?

石河 翠
恋愛
夫と折り合いが悪く、嫁ぎ先で冷遇されたあげく離婚することになったイヴ。 彼女はせっかくだからと、屋敷で夫と過ごす最後の日を特別な一日にすることに決める。何かにつけてぶつかりあっていたが、最後くらいは夫の望み通りに振る舞ってみることにしたのだ。 夫の愛人のことを軽蔑していたが、男の操縦方法については学ぶところがあったのだと気がつく彼女。 一方、突然彼女を好ましく感じ始めた夫は、離婚届の提出を取り止めるよう提案するが……。 愛することを止めたがゆえに、夫のわがままにも優しく接することができるようになった妻と、そんな妻の気持ちを最後まで理解できなかった愚かな夫のお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID25290252)をお借りしております。

告白さえできずに失恋したので、酒場でやけ酒しています。目が覚めたら、なぜか夜会の前夜に戻っていました。

石河 翠
恋愛
ほんのり想いを寄せていたイケメン文官に、告白する間もなく失恋した主人公。その夜、彼女は親友の魔導士にくだを巻きながら、酒場でやけ酒をしていた。見事に酔いつぶれる彼女。 いつもならば二日酔いとともに目が覚めるはずが、不思議なほど爽やかな気持ちで起き上がる。なんと彼女は、失恋する前の日の晩に戻ってきていたのだ。 前回の失敗をすべて回避すれば、好きなひとと付き合うこともできるはず。そう考えて動き始める彼女だったが……。 ちょっとがさつだけれどまっすぐで優しいヒロインと、そんな彼女のことを一途に思っていた魔導士の恋物語。ハッピーエンドです。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。

人違いラブレターに慣れていたので今回の手紙もスルーしたら、片思いしていた男の子に告白されました。この手紙が、間違いじゃないって本当ですか?

石河 翠
恋愛
クラス内に「ワタナベ」がふたりいるため、「可愛いほうのワタナベさん」宛のラブレターをしょっちゅう受け取ってしまう「そうじゃないほうのワタナベさん」こと主人公の「わたし」。 ある日「わたし」は下駄箱で、万年筆で丁寧に宛名を書いたラブレターを見つける。またかとがっかりした「わたし」は、その手紙をもうひとりの「ワタナベ」の下駄箱へ入れる。 ところが、その話を聞いた隣のクラスのサイトウくんは、「わたし」が驚くほど動揺してしまう。 実はその手紙は本当に彼女宛だったことが判明する。そしてその手紙を書いた「地味なほうのサイトウくん」にも大きな秘密があって……。 「真面目」以外にとりえがないと思っている「わたし」と、そんな彼女を見守るサイトウくんの少女マンガのような恋のおはなし。 小説家になろう及びエブリスタにも投稿しています。 扉絵は汐の音さまに描いていただきました。

あなたのそばにいられるなら、卒業試験に落ちても構いません! そう思っていたのに、いきなり永久就職決定からの溺愛って、そんなのありですか?

石河 翠
恋愛
騎士を養成する騎士訓練校の卒業試験で、不合格になり続けている少女カレン。彼女が卒業試験でわざと失敗するのには、理由があった。 彼女は、教官である美貌の騎士フィリップに恋をしているのだ。 本当は料理が得意な彼女だが、「料理音痴」と笑われてもフィリップのそばにいたいと願っている。 ところがカレンはフィリップから、次の卒業試験で不合格になったら、騎士になる資格を永久に失うと告げられる。このままでは見知らぬ男に嫁がされてしまうと慌てる彼女。 本来の実力を発揮したカレンはだが、卒業試験当日、思いもよらない事実を知らされることになる。毛嫌いしていた見知らぬ婚約者の正体は実は……。 大好きなひとのために突き進むちょっと思い込みの激しい主人公と、なぜか主人公に思いが伝わらないまま外堀を必死で埋め続けるヒーロー。両片想いですれ違うふたりの恋物語。ハッピーエンドです。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

処理中です...