売り言葉に買い言葉

菅井群青

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7.挑発 風香side

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「ん……眩しい……」

 風香は目が覚めると掛け布団が胸から下だけに掛かっていた。いつも全身覆われていなければ落ち着かないのだが珍しくこのスタイルで寝てしまっていたようだ。布団を頭まで引き上げると再び眠りにつこうとして風香は目を開けた。瞳を左右に動かして今置かれている状況を確認する。風香は掛け布団を放り投げると立ち上がった。

「ここ、私の部屋……だよね? あれ?」

 恐る恐るリビングを覗いてみるといつも通りの光景が広がっていた。

 夢か……お酒を飲む夢なんて、羽目を外したいのかな。

 風香は欠伸をしながらトイレに向かうと台所に酒の缶が置かれていることに気が付き、足を止める……。

 ま、まさか……嘘、でしょ。

 一瞬脳裏に貴弘の顔のドアップが浮かんだ。エコーが掛かった貴弘の声が追うように聞こえた。

『……誘ってるのか?』

 風香は昨晩の醜態の記憶を取り戻した。正確には思い出せないが、ざっくりとした記憶の分だけでも十分にアウトだ。終わりだ。
 風香が頭を抱えていると向かいの引き戸が開き、顔色の悪い貴弘と目が合った。貴弘は風香に気づくとあからさまに嫌そうな顔をして舌打ちをする。寝癖のついた頭を乱暴に掻くと風香を無視してトイレへと消えた。

 まずい、非常にまずい。怒っているに違いない。当然だ。酔っ払って貴弘に絡んでしまった……。

 貴弘と面と向かって話すのは気まずいので風香は洗面台に立ち歯磨きをし始めた。これでなんとかやり過ごすしかない……。よりによって今日は休日だ。だから酒を飲もうという話になったことを思い出し風香は地団駄を踏む。

「……ちょっと、端に寄れ」
「むぐ?」

 トイレから出てきた貴弘はあろうことか私の隣に立ち歯磨きを始めた。横一列に並んで歯磨きをするなんて保育園以来だ。しばらく無言で歯ブラシをする。シャコシャコと歯を磨く音だけが聞こえる。ストレスだろうか、呼吸がしにくい……。

 歯磨きを終えると風香は集団行動の競技中のようにきびきびとした動きで自分の部屋へと向かう。ベッドに逃げ込み再び掛け布団を頭からすっぽり被ると心臓の鼓動が治るように大きく息を吐いた。アルコール禁止令が出たのについ見栄を貼ってしまった……貴弘に言われるとムキになってしまうのは昔からの悪い癖だ。
 部屋のドアがノックされると返事を待たずに貴弘が部屋へと入って来た。ベッドのそばに立っている気配がして風香は息を止める。

「おい、酔っ払い、起きてるんだろ」

「……覚えてないんだけど、何かした?」

 貴弘の声色に思わず記憶がない事にした。嘘ではない、間違ってはいない……実際にうろ覚えなのだから。貴弘がベッドの端に腰かけるとスプリングが沈んだ。風香はきつく瞼を閉じた。貴弘が掛け布団に手をかけるとゆっくりと捲る。その動作は楽しんでいるようだ。

「ふーん、覚えてないのか?」

「いや、うん、きれいさっぱり」

 勘弁してほしい。分からないけど貴弘を殴ったのかも知れない……嘔吐して迷惑をかけたのかも知れない……いや、もしかしてキスをしたのかも知れない。いや、それはないか……貴弘がそんな事許すはずがない。

 まさか風香は貴弘からキスをしたとは思っていないようだ。


「介抱してくれたのは感謝してるし迷惑を掛けたのは──」
「キスだ」

「……はい?」
「キス、したぞ」

 貴弘の言葉に風香は飛び起きた。目の前に貴弘の顔がある事に気づき顔を真っ赤にさせてその唇を凝視する。

 貴弘のこの唇に、キスを──?

 風香は息を飲むと乾いた声で笑った。変な沈黙を破るように風香の声が部屋に響くが貴弘の表情は変わらない。じっと風香の顔を見つめていた。

「あー、あはは、キスぐらい平気よね? いい大人だしね、ね?」

「……そうだな。俺たちは大人だもんな。キスなんて、普通だな」

 貴弘は腕を組むと大きく頷いた。風香はその様子にあからさまに安堵した表情を見せた。どうやら貴弘は無かったことにしてくれるらしい。風香はいつもの調子に戻り貴弘の肩を何発か殴った。

「ごめんごめん、気をつけるからさ──」
「してみろ」

 貴弘が親指で自身の下唇をなぞった。風香は貴弘の言っている意味がよく分からない。

「……はい?」

「キスしろ、俺に……。覚えてないのか? キスが上手くなりたいんだろ?」

 風香は声が出ない。冗談じゃないと思う……それは本当に自分が言いそうなことだった。風香はキスが苦手だった。息継ぎも下手だし、まず緊張でガチガチになり元彼に苦笑いされた。最初こそ反応が可愛いと言われたが何回キスしてもその反応だとさすがに面倒臭いらしい。たった一ヶ月も満たなかった唯一の元彼だ。

「あ、そうか……覚えてないんだったな。ビビったなー、風香はキスが上手そうなのにな。まさか下手だとは──」

「え? いやいや……、下手じゃないから。酔って冗談言っただけ」

 貴弘がベッドに上がると風香にじりじりと迫る。風香はどうしても貴弘の唇ばかりに視線がいってしまう……触れなくても自分の頬が真っ赤になっているのが分かった。

「下手じゃないって……証明してくんなきゃ信じない──キス、しろ。今すぐ……」

 貴弘の目が本気なことに気づいて風香は唇をきつく結んだ。

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