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菅井群青

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29.好きな気持ち

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「うー、斎藤さん! 行かないでくださぁい」

「いや、終電が──」

 頰を赤く染めた中川が結衣の腰に腕を回し帰ろうとするのを食い止める。

 今日は中川の歓迎会と、結衣の昇進を兼ねたお祝いだ。あれから白川の件で忙しく動いていたがようやく落ち着きを取り戻していた。

「中川ちゃん、ほら帰るわよ」

 坂上が中川の腕掴み引っ張るがなにぶん体格がいいので容易ではない。面倒くさがりな木下と、帰宅を待つ奥さんのカミナリが落ちることを何より恐れる武田はいつのまにか姿を消していた。中川と坂上が道の向こうへ消えて行くと、牧田と結衣の二人きりになった。

「帰りましょうか、送ります」

 牧田が結衣の歩くペースに合わせて歩き始めた。二人きりになるのは本当に久しぶりで昔のことを思い出していた。少し前のことなのに、随分と二人の関係や取り巻く環境が変わった。顔を合わせるたびにいざこざがあったのが嘘のようだ。

 横を歩く横田は珍しくTシャツを着ている。五年後の彼を思い出してしまう。相変わらず変な服の趣味だが、今着ているのは外出用なのかもしれない。おしゃれな幾何学模様が目を引く服だ。
 色々な話をしているうちに、あっという間に結衣のアパートについた。

「牧田くん、ちょっと見せたいものがあるの。よかったら、上がっていって」

 結衣の言葉に牧田が躊躇していると「取って食べないわよ」と言って笑う結衣を見て苦笑いを浮かべた。

「ここに座ってて」

 結衣の部屋に入ると、と変わらぬ匂いがして牧田は少し微笑む。居間に牧田を座らせると、冷蔵庫から酔い覚ましの水を手渡す。

「ありがとうございます」

 牧田は思っていたより水を欲していたみたいだ、喉が冷やされて気持ちがいい。
 結衣が物置に入ってしばらくすると布にかけられた四角いものを手に現れた。結衣がギリギリ抱えられる物だがそこまで重たくはないらしい。

 牧田の向かいに座ると、結衣はゆっくりとその布を取った。牧田の目が大きく開かれた。

「見て、私の新作……桜欄おうらん

「おう、らん……」

 一枚の立派な桜の木の絵が彫られていた。その木の真ん中から二手に手前に開けられるようになっている。まるで小さなドアだ──。
 桜の部分や空の部分、木の根など、ところどころに穴が開けられ向こうの景色が見える。上に向かって咲き誇る桜の美しさに牧田は感動した。

 これは室内用のドアに使う窓らしい。最近リノベーションの流行で部屋の区切りとして室内窓をつける住宅が多い。その窓に取り付けて程よい採光と目隠し、風通しに良いだろうと作っていたらしい。欄間のような役割だ。

 桜の欄間、桜欄おうらん

「これを、牧田くんに最初に見て欲しかったの……」

「これを、俺に……?」

 牧田は【桜欄】に近づき優しく触れる。結衣の顔を見下ろすと静かに微笑んでいた。
 どんなに怖かっただろう。どんなに勇気が必要だっただろう。裏切られた経験がありながらこうして俺に見せるのは、きっと俺を信じたいと思ってくれているのだろう。

 結衣の思いを汲み取り、牧田の心は熱くなった。牧田が何も言わずにいるのを不安げに見上げる結衣と、牧田の視線が合うと牧田は結衣の両頬を包み込み口づけをした。結衣は驚愕で目を大きく開いたがゆっくりと瞼を閉じた──。

 牧田は優しく結衣を抱いた。結衣はこれほど大事にされていると感じる事はなかった。牧田に翻弄されながらも行為の最中に何度も思いを伝えた。「好き」とうわ言のように言う結衣の頭を何度も撫で「大丈夫だ」と、「好きだ」と言った。


 結衣の部屋は朝日が入らない。まだまだ薄暗い部屋の中で結衣は目が覚めた。小さなベッドに二人の大人が裸で抱き合っている。牧田の体の熱に結衣は顔を赤らめる。いわゆる、抱き枕状態なのだが、牧田が寝ている間にシャワーを浴びたい。
 ゆっくりと体をよじって体を起こした結衣の腹部に牧田が抱きつく。

「ひゃ!?」

「……どこに行くんです?」

 寝癖がつき一気に幼くなった牧田が結衣を見上げる。昨晩あの頭を引き寄せて口付けたことを思い出してみるみる真っ赤になる。

「シャワーに──」

「そうですね、行きましょう」

「──!?  ちょっと、あのっ!」

 牧田は結衣をそのまま抱え上げると風呂場へと向かう。真っ赤になり抗議の声を上げる結衣を見て牧田は声を出して笑った。しばらくの間風呂場からは二人の笑い声が響いていた。
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