KNOCK

菅井群青

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23.さようなら

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 牧田はベッドの上で胡座を掻き。ノックをした。確かに、七回叩いた。それなのに向こうから返事がない。こういう場合もあるかもしれないと思うが、パーティーの日から二日続けて繋がらない。

(もう二度と会えないのか?)

 牧田は指ではなく握り拳で窓を叩く。一呼吸間が開いた後……か細い声が聞こえた気がした。牧田が慌てて引き戸を開ける。目の前には夕日が差し込んでいる結衣の物置があった。また繋がる場所が違っていた。結衣は壁にもたれかかったまま小さく蹲っていた。

「先輩──」

 俺がここへ来たことを知っているはずだ。それなのに目の前の先輩は顔を上げようとせず、更に自分の体を小さくさせるように腕に力を込めている。
 珍しく白いワイシャツに黒のパンツ姿だ。

「……知ってたんでしょ?」

 結衣の声は掠れていた。
 部屋から見える一角には現在と同じように白い布が掛けられている。牧田は胸がしんと冷たくなる。痛みを通り越して心臓が凍ったようだ。

 いつかはこの場面が来ると分かっていた。その時自分はどうすべきか、慰めて辞めるなと励ましてやろうか、それとも白川を呼ぶように言おうかと思っていた。それなのに──俺の口は役立たずだった。

「知っていました。途中から……」

「どうして、言わなかったの?」

 結衣の言葉は静かだった。「言えなかった」と言うと「そう……」とだけ言った。沈黙が続いていた。

 俺は五年前、まだ大学生だ。ちょうどフランスにいた頃かもしれない。向こうの大学で同じ日本から来た友達とその雑誌の特集を見ていた。なぜ俺は日本にいなかったんだろう。この時から武田さんに誘われて《Design.mochi》にも足を運んだこともあるのに。なぜ俺はこんなにも無力で、彼女の四年も後に生まれてしまったんだろう。

 現代の結衣ははようやく長い月日を経て一歩前に足を踏み出した。だけど、目の前にいる結衣は、今から五年もつらい生活を送る。

 この過去は、変えられない。この先輩は過去の記憶でしかない。過去を変えることは出来ないと分かってはいるけれど、つらい。

 牧田が俯いていると、結衣がガラスの前に座った。結衣の顔は涙でぐちゃぐちゃで、真っ赤だった。牧田が結衣の頰に触れるようにガラスをなぞる。

「五年後、私は幸せにしてる?」

「ええ」

「あなたが、そばにいるの?」

 結衣の言葉に牧田は返事に詰まる。その言葉の表現には違う意味がある。つい最近まで邪険にしていたと言ったらどんな反応をするのだろう。

「言えないのならいいの。ただ居てくれたらいいなと思っただけ」

 結衣は肩をすくめて笑うとガラスに手を置く。泣き腫らした顔に夕日が差し込み濡れたまつ毛がキラリと光る。

「──です」

「え?」

「素敵なんです、五年後の先輩の──デザイン画」

 牧田の顔をじっと見て、結衣が口元を押さえて笑い出す。笑うのを我慢しているようで牧田にはなぜそんなに笑うことがあるのか分からない。結衣は頷きながらひとしきり笑うと嬉しそうに牧田へと近づく。

「あなた、私が好きなのね」

 牧田の返事がないのが返事だと結衣は分かっていた。五年後の自分に少し嫉妬をした。そして、これから頑張って生きていこうと思った。

「あなたに出会えてよかったわ。会社を辞めて実家に帰ろうかと思ったけど……ありがとう」

 ガラスに置かれた手に牧田の手が重なる。結衣がその手を握るように指を曲げた。

「……っ、先輩──先輩なら大丈夫です。待ってます……」

「ありがとう、牧田くん……」

 ビシッ……ビシッ!

 二人の間にあった分厚いガラスにヒビが入り始めた。目の前の結衣の戸惑った顔が見える。別れの時なのだとなぜか二人は分かった。
 牧田が微笑むと結衣も微笑んだ。

 大きな音がして先輩の部屋が粉々に砕けて下へ落ちていく……。前に見た隣のビルの壁があるだけだ。先輩は笑って前を向こうとしていた。それが救いだった。俺との事は覚えていないだろうけれど、前向きな気持ちだけは覚えておいて欲しかった。




 気がつくと涙が枯れたのか物置の中で寝てしまっていた。既に日は沈み部屋の中は薄暗い。

「……何してたっけ?」

 ポケットには辞表届けが入ったままだ。明日にでも出そうと思っていたが、なぜか悩み始めている。
《Design.mochi》から離れたくない。そんな気持ちになれたことに自分自身も驚いていた。人間眠ると頭の整理ができると言うのは本当だったようだ。
 ゴミ箱に入っていた丸めた写真の折り目を伸ばすと作業台の角へ貼る。そっと白い布をかけ直すと結衣は物置から出て行った。
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