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「おはようございます」
「おはよう」
結衣の欠伸を噛み殺した顔を見て坂上が苦笑いをする。結衣は仕事資料のファイルを手渡すと坂上は自身の部屋へと向かう。
次々と出勤したデザイナーたちにその日必要な資料や修正箇所、取材依頼等の連絡事項が挟まれたファイルを渡すのが結衣の朝の日課だ。この作成のため普段から帰りが遅くなっている。他の部ではしてないようだが、結衣はデザイナーに仕事に集中できるように最大限気を使っていた。他の部は多忙なためマネージャーの数も多いが、アンティーク部は結衣一人で四人を受け持っている。いつも通り牧田が最後に出勤した。牧田は低血圧らしく朝が極端に弱い。結衣がファイルを手渡すと眉間にしわを寄せて中身を確認する。
「担当者を変更出来ましたか?」
挨拶もせず昨日の確認をする。もう慣れてしまったが相変わらず嫌な男だ。挨拶もできない男なんて社会人としてどうなんだと言いたいが結衣以外の人間にはきちんと礼儀を守っているので何も言えない。
「昨日本社に赴き、話をしました。引き継ぎは出来次第すぐにとおっしゃってましたよ」
結衣が満面の笑みで見上げると訝しげな表情でこちらを見下ろす。ファイルを閉じ抑揚無く礼を言うとそのまま部屋へと消えていく。
(可愛げないヤツ……五年後はマシなのに)
比較するわけではないが昨晩会った牧田との違いを感じ溜息が出る。今の牧田に彼の爪の垢を煎じてやりたい。少なくとも未来の牧田に結衣は好感を持てた。あんなに感情を出せられるのならなぜ出さないのか。五年であんなに人間変われるのかと感心していた。
(五年……私も人のこと言えないか)
物思いにふけっていると牧田の呼ぶ声が聞こえてきて慌てて部屋へと向かう。
結衣は少し開かれたままのドアから顔をのぞかせノックをする。机に座りデザイン画らしきものから目を離さずに牧田が声を掛けると結衣はそのまま部屋へと入る。
「座ってください」
促されるように四人掛けのテーブルの椅子へ腰掛ける。この部屋は牧田の趣味らしく黒のアイアンと切りっぱなしの丸太やコルクなど俗に言う超男前インテリアだ。趣味の良さは結衣も認めざるを得ない。出来ることならこの部屋に住みたいほど木目が生きたインテリアばかりだ。
未来の牧田の部屋はまた雰囲気が違っていた。少し和テイストが入っていた事を思い出していた。
「──聞いてます?」
「あ、すみません」
いつのまにか牧田が話し始めていたようだ。慌てて手帳を広げペンを握る。牧田が今手掛けている大きな仕事はとある図書館の椅子だ。改装を手がける建築士がイメージしている雰囲気と牧田のシンプルかつ温もりのあるデザインがピッタリ合うとオファーが来た。ちなみに担当者を変えろと言っていた件とは違う。牧田も公共機関の仕事は初めてで気合が入っているようで、何度もデザイン画をくるくると回して熟考している。結衣に視線を送ると突然牧田はテーブルに候補三枚を並べた。
「……どれが気に入りましたか?」
驚いた。本当に驚いた。
牧田がそんな風に自分に聞いたことなどない。ましてやデザイナーでもない自分に意見を求めるなど皆無だ。
突然の事に固まっていると牧田が腕を組み結衣の返答を待っているようだ。ゴクリと何かを飲み込むと結衣はゆっくりと一枚一枚手に取り眺めていく。最後の一枚のデザイン画を手に取ると大きな木の下で本を読む自分の姿を想像した。自分の人生の何倍も生きた木に身を任せると思うとじわりと心が温かくなる……そんなデザインだった。
牧田は何も言わずにその様子を見ていた。結衣が自分の意見を言うべきか渋っていると突然牧田が結衣が気に入ったデザイン画を手前に引き寄せた。
(まさか……いや、なんでだろう。何も言っていないのに……)
結衣は表情に出さないことが多い。随分前から他人に心を読まれるのが嫌いだ。仮面を被る社会なら生きやすいのにとさえ思ったこともある。
「ありがとうございます……また用があれば呼びますので」
「はぁ……」
牧田は立ち上がるとデスクに戻りまた黙々と鉛筆を走らせる。何かまた上から降りてきたのかもしれない。何も言わず一礼すると結衣は退室した。
結衣は振り返ると自嘲気味に微笑む。すぐに表情を消すと何事もなかったかのように歩き始めた。
「おはよう」
結衣の欠伸を噛み殺した顔を見て坂上が苦笑いをする。結衣は仕事資料のファイルを手渡すと坂上は自身の部屋へと向かう。
次々と出勤したデザイナーたちにその日必要な資料や修正箇所、取材依頼等の連絡事項が挟まれたファイルを渡すのが結衣の朝の日課だ。この作成のため普段から帰りが遅くなっている。他の部ではしてないようだが、結衣はデザイナーに仕事に集中できるように最大限気を使っていた。他の部は多忙なためマネージャーの数も多いが、アンティーク部は結衣一人で四人を受け持っている。いつも通り牧田が最後に出勤した。牧田は低血圧らしく朝が極端に弱い。結衣がファイルを手渡すと眉間にしわを寄せて中身を確認する。
「担当者を変更出来ましたか?」
挨拶もせず昨日の確認をする。もう慣れてしまったが相変わらず嫌な男だ。挨拶もできない男なんて社会人としてどうなんだと言いたいが結衣以外の人間にはきちんと礼儀を守っているので何も言えない。
「昨日本社に赴き、話をしました。引き継ぎは出来次第すぐにとおっしゃってましたよ」
結衣が満面の笑みで見上げると訝しげな表情でこちらを見下ろす。ファイルを閉じ抑揚無く礼を言うとそのまま部屋へと消えていく。
(可愛げないヤツ……五年後はマシなのに)
比較するわけではないが昨晩会った牧田との違いを感じ溜息が出る。今の牧田に彼の爪の垢を煎じてやりたい。少なくとも未来の牧田に結衣は好感を持てた。あんなに感情を出せられるのならなぜ出さないのか。五年であんなに人間変われるのかと感心していた。
(五年……私も人のこと言えないか)
物思いにふけっていると牧田の呼ぶ声が聞こえてきて慌てて部屋へと向かう。
結衣は少し開かれたままのドアから顔をのぞかせノックをする。机に座りデザイン画らしきものから目を離さずに牧田が声を掛けると結衣はそのまま部屋へと入る。
「座ってください」
促されるように四人掛けのテーブルの椅子へ腰掛ける。この部屋は牧田の趣味らしく黒のアイアンと切りっぱなしの丸太やコルクなど俗に言う超男前インテリアだ。趣味の良さは結衣も認めざるを得ない。出来ることならこの部屋に住みたいほど木目が生きたインテリアばかりだ。
未来の牧田の部屋はまた雰囲気が違っていた。少し和テイストが入っていた事を思い出していた。
「──聞いてます?」
「あ、すみません」
いつのまにか牧田が話し始めていたようだ。慌てて手帳を広げペンを握る。牧田が今手掛けている大きな仕事はとある図書館の椅子だ。改装を手がける建築士がイメージしている雰囲気と牧田のシンプルかつ温もりのあるデザインがピッタリ合うとオファーが来た。ちなみに担当者を変えろと言っていた件とは違う。牧田も公共機関の仕事は初めてで気合が入っているようで、何度もデザイン画をくるくると回して熟考している。結衣に視線を送ると突然牧田はテーブルに候補三枚を並べた。
「……どれが気に入りましたか?」
驚いた。本当に驚いた。
牧田がそんな風に自分に聞いたことなどない。ましてやデザイナーでもない自分に意見を求めるなど皆無だ。
突然の事に固まっていると牧田が腕を組み結衣の返答を待っているようだ。ゴクリと何かを飲み込むと結衣はゆっくりと一枚一枚手に取り眺めていく。最後の一枚のデザイン画を手に取ると大きな木の下で本を読む自分の姿を想像した。自分の人生の何倍も生きた木に身を任せると思うとじわりと心が温かくなる……そんなデザインだった。
牧田は何も言わずにその様子を見ていた。結衣が自分の意見を言うべきか渋っていると突然牧田が結衣が気に入ったデザイン画を手前に引き寄せた。
(まさか……いや、なんでだろう。何も言っていないのに……)
結衣は表情に出さないことが多い。随分前から他人に心を読まれるのが嫌いだ。仮面を被る社会なら生きやすいのにとさえ思ったこともある。
「ありがとうございます……また用があれば呼びますので」
「はぁ……」
牧田は立ち上がるとデスクに戻りまた黙々と鉛筆を走らせる。何かまた上から降りてきたのかもしれない。何も言わず一礼すると結衣は退室した。
結衣は振り返ると自嘲気味に微笑む。すぐに表情を消すと何事もなかったかのように歩き始めた。
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