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第一章
87.重なる
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晶はその日抜糸と経過観察の為に病院を訪れていた。面会謝絶中という設定なので熊田の部屋で処置を行ってもらった。
まだ腰を回旋したり背中を反らしたりすると引き攣るような感覚はあるが自然に良くなると説明を受けた。
「よし、あ、そういえば高人に、組長に会ったんだって?」
診察を終えた熊田が髭を撫でつけながらこちらを見る。左右のもみあげから顎にかけて繋がった立派な髭に思わず目がいく。
「あ、お友達ですか?」
「幼馴染だ。ところで、高人がお前さんの事大層気に入ってたぞ。若い頃の小春ちゃんそっくりだって」
拳人の母親の事だと話の流れから理解する。やはりあの時に組長には全てバレていたらしい。抱きしめられたのだから当たり前かもしれない。平たい胸でも一応ある事はある。
「高人はな、ケンカは負け無しだしあの見かけだろ? 男にも女にもモテてなー。でも昔から小春ちゃん一筋な硬派な男だよ」
昔を懐かしみながら微笑む。熊田が椅子の背もたれに体を任せると椅子がギシギシと壊れそうな音がする。そのまま背伸びをすれば一発アウトだろう。
「あの日出かけてなきゃあんな事にもならなかったかも知らないな……」
あの日──小春は趣味の陶芸教室へ向かっていた。かなりの腕前で友人と店を開こうという話まで出だした頃だった。その帰りに通り魔に襲われ帰らぬ人となった……。
「そうだったんですね……無念でしょうね」
晶は残された拳人の気持ちが痛いほどわかった。突然奪われる命ほど心をえぐられるものはない。
命が消えた時、残された人間の何かを一緒に持ち去られてしまうんだ。悲しみや苦しみや憎しみ……その他の陰の感情を置きざりにしたまま。
「あれから高人は変わった。陶芸なんかしたこともなかったのに突然組長の座を下りて黙々と皿なんかの焼き物を作り続けた。何日も徹夜でそれこそ不眠不休だ……体を壊しやしないかと気が気じゃなかったよ。命日の後はやっぱり今でも焼き続けるんだ。じっとできないんだろう」
晶は涙を抑えられない。熊田も昔を振り返り感極まったようだ。ティッシュを掴み取ると晶に押し付け、自身も箱ごと抱え込み鼻をすする。
「でも、今年は違った。命日の次の日に俺に会いにきたんだ。あんな事初めてだよ……高人も拳人も、よろしくな」
何も返事が出来なかった。今の自分じゃ微笑むことしか出来ない。処置の礼をすると病院をあとにした。
簡単にはい、とは言えなかった……。
抜糸の報告の為その足で若林組へと向かった。この屋敷で過ごしていた和室へ案内されるとなんだが懐かしい気持ちになった。短い間だったがこの部屋に来ると気持ちが落ち着く。
ジェイがいつのまにか隣に座っていて背伸びをしている。晶はジェイがいつもそばにいてくれていることが嬉しかった。
「あたしに取り憑いてるわけ?」
『取り憑くだなんて物騒やな。しょうがないから居てやってるだけや』
ジェイがムスッとしてこちらを睨む。年が同じということもあってかなんだか揶揄いたくなる。
「ジェイ……あんた私のこと好きなのね……通りで……困ったなぁ……」
きっと『あほか!誰かお前のことなんか──』と騒ぎ出すだろうと晶がちらりとジェイの顔を見ると意外な反応をしていた。
え──?
真っ赤な顔をしてこちらをじっと見ている。晶も同じく固まっていると我に帰ったジェイがあわあわと捲し立て始めた。
『ふ、ふざけんなや! お前なんぞ好きになるわけないやろ。男みたいな見た目も中途半端で胸も小さいし、俺は巨乳がタイプなんや!』
「……随分とボロクソ言うわね」
晶が頬を膨らませるとジェイが興奮が冷めやらないようで背を向ける。謝られるべきなのはこちらの方だ。かなり傷ついた。
部屋の外から小鉄の呼ぶ声が聞こえる。
「ちょっといいか?」
小鉄が遠慮がちに部屋に入ってくると一枚の名刺を渡す。先日ここへやってきたあの警官のものらしい。
「こいつの事を調べて欲しいんだ。いざという時の保険として」
「分かりました」
晶が名刺を受け取ると小鉄が何かを言いかけて黙る。
「……あの事、誰にも言わないから、なんでも相談しろよな! 兄貴だと思っていいし! なっ!」
息継ぎもせず一気に言い切ると口を閉じて晶の返事を待っている。もしかしてこの事を言うためにわざわざ部屋に出向いてくれたのかもしれない。
「はい、小鉄さん。ありがとう」
晶は心が温まるのを感じた。小鉄の心遣いが有り難かった。小動物系の二人が一緒だと周りに小さなピンクのお花が咲いているように見える。微笑ましい絵にジェイもつられて微笑む。
その後警察署の内部事情など小鉄に聞いたりした。きっとこの後役に立つだろう。
『佳奈さんが重なってたんやけど、あれは不思議な感じやったな……』
警察のことを話す小鉄の背中を見てジェイは憑依された時の事を思い出していた。ジェイが小鉄の体に触れる。突然小鉄の体がビクンと痙攣する。
『へ? ちょっ……』
「小鉄さん?──え、ちょっとジェイ!」
指先が触れた瞬間小鉄さんの背中に自分の指が沈んだのがわかった。ジェイの体が小鉄に吸い込まれるようにして重なり、小鉄が再び胸を押さえて体を跳ねさせる。
「し、しっかり! 小鉄さん!」
前屈みになって動かなくなった小鉄の顔を晶が叩く。反応がない小鉄に晶は人を呼ぼうと立ち上がった。
「大丈夫や……」
晶の腕を取ると小鉄は体を起こす。首を回して周りを見渡す。
「晶……俺、憑依できてもうたみたい」
冗談ではない。明らかに目の前にいるのは小鉄ではないのが分かる。ジェイの話し方、ジェイの笑い方をした小鉄がそこにいた。
まだ腰を回旋したり背中を反らしたりすると引き攣るような感覚はあるが自然に良くなると説明を受けた。
「よし、あ、そういえば高人に、組長に会ったんだって?」
診察を終えた熊田が髭を撫でつけながらこちらを見る。左右のもみあげから顎にかけて繋がった立派な髭に思わず目がいく。
「あ、お友達ですか?」
「幼馴染だ。ところで、高人がお前さんの事大層気に入ってたぞ。若い頃の小春ちゃんそっくりだって」
拳人の母親の事だと話の流れから理解する。やはりあの時に組長には全てバレていたらしい。抱きしめられたのだから当たり前かもしれない。平たい胸でも一応ある事はある。
「高人はな、ケンカは負け無しだしあの見かけだろ? 男にも女にもモテてなー。でも昔から小春ちゃん一筋な硬派な男だよ」
昔を懐かしみながら微笑む。熊田が椅子の背もたれに体を任せると椅子がギシギシと壊れそうな音がする。そのまま背伸びをすれば一発アウトだろう。
「あの日出かけてなきゃあんな事にもならなかったかも知らないな……」
あの日──小春は趣味の陶芸教室へ向かっていた。かなりの腕前で友人と店を開こうという話まで出だした頃だった。その帰りに通り魔に襲われ帰らぬ人となった……。
「そうだったんですね……無念でしょうね」
晶は残された拳人の気持ちが痛いほどわかった。突然奪われる命ほど心をえぐられるものはない。
命が消えた時、残された人間の何かを一緒に持ち去られてしまうんだ。悲しみや苦しみや憎しみ……その他の陰の感情を置きざりにしたまま。
「あれから高人は変わった。陶芸なんかしたこともなかったのに突然組長の座を下りて黙々と皿なんかの焼き物を作り続けた。何日も徹夜でそれこそ不眠不休だ……体を壊しやしないかと気が気じゃなかったよ。命日の後はやっぱり今でも焼き続けるんだ。じっとできないんだろう」
晶は涙を抑えられない。熊田も昔を振り返り感極まったようだ。ティッシュを掴み取ると晶に押し付け、自身も箱ごと抱え込み鼻をすする。
「でも、今年は違った。命日の次の日に俺に会いにきたんだ。あんな事初めてだよ……高人も拳人も、よろしくな」
何も返事が出来なかった。今の自分じゃ微笑むことしか出来ない。処置の礼をすると病院をあとにした。
簡単にはい、とは言えなかった……。
抜糸の報告の為その足で若林組へと向かった。この屋敷で過ごしていた和室へ案内されるとなんだが懐かしい気持ちになった。短い間だったがこの部屋に来ると気持ちが落ち着く。
ジェイがいつのまにか隣に座っていて背伸びをしている。晶はジェイがいつもそばにいてくれていることが嬉しかった。
「あたしに取り憑いてるわけ?」
『取り憑くだなんて物騒やな。しょうがないから居てやってるだけや』
ジェイがムスッとしてこちらを睨む。年が同じということもあってかなんだか揶揄いたくなる。
「ジェイ……あんた私のこと好きなのね……通りで……困ったなぁ……」
きっと『あほか!誰かお前のことなんか──』と騒ぎ出すだろうと晶がちらりとジェイの顔を見ると意外な反応をしていた。
え──?
真っ赤な顔をしてこちらをじっと見ている。晶も同じく固まっていると我に帰ったジェイがあわあわと捲し立て始めた。
『ふ、ふざけんなや! お前なんぞ好きになるわけないやろ。男みたいな見た目も中途半端で胸も小さいし、俺は巨乳がタイプなんや!』
「……随分とボロクソ言うわね」
晶が頬を膨らませるとジェイが興奮が冷めやらないようで背を向ける。謝られるべきなのはこちらの方だ。かなり傷ついた。
部屋の外から小鉄の呼ぶ声が聞こえる。
「ちょっといいか?」
小鉄が遠慮がちに部屋に入ってくると一枚の名刺を渡す。先日ここへやってきたあの警官のものらしい。
「こいつの事を調べて欲しいんだ。いざという時の保険として」
「分かりました」
晶が名刺を受け取ると小鉄が何かを言いかけて黙る。
「……あの事、誰にも言わないから、なんでも相談しろよな! 兄貴だと思っていいし! なっ!」
息継ぎもせず一気に言い切ると口を閉じて晶の返事を待っている。もしかしてこの事を言うためにわざわざ部屋に出向いてくれたのかもしれない。
「はい、小鉄さん。ありがとう」
晶は心が温まるのを感じた。小鉄の心遣いが有り難かった。小動物系の二人が一緒だと周りに小さなピンクのお花が咲いているように見える。微笑ましい絵にジェイもつられて微笑む。
その後警察署の内部事情など小鉄に聞いたりした。きっとこの後役に立つだろう。
『佳奈さんが重なってたんやけど、あれは不思議な感じやったな……』
警察のことを話す小鉄の背中を見てジェイは憑依された時の事を思い出していた。ジェイが小鉄の体に触れる。突然小鉄の体がビクンと痙攣する。
『へ? ちょっ……』
「小鉄さん?──え、ちょっとジェイ!」
指先が触れた瞬間小鉄さんの背中に自分の指が沈んだのがわかった。ジェイの体が小鉄に吸い込まれるようにして重なり、小鉄が再び胸を押さえて体を跳ねさせる。
「し、しっかり! 小鉄さん!」
前屈みになって動かなくなった小鉄の顔を晶が叩く。反応がない小鉄に晶は人を呼ぼうと立ち上がった。
「大丈夫や……」
晶の腕を取ると小鉄は体を起こす。首を回して周りを見渡す。
「晶……俺、憑依できてもうたみたい」
冗談ではない。明らかに目の前にいるのは小鉄ではないのが分かる。ジェイの話し方、ジェイの笑い方をした小鉄がそこにいた。
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