霊とヤクザと統計学を侮るなかれ

菅井群青

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第一章 

74.覚醒

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 どこかで嗅いだことのある匂いがする。ああ、そうだ。この匂いは──大嫌いな別れの匂いだ。

 晶が目覚めるとそこは病室の一室だった。自分の腕に刺さる点滴の管が視界に入るとようやく何故ここにいるのかを思い出す。

 生きて、たのね……。

 起き上がろうとすると腹部に鈍い痛みがする。体を起こすのを諦めるとそのまま周りを見渡す。意識を取り戻した晶に気付きジェイがすぐに駆け寄ってきた。

『晶! おい、大丈夫か? 分かるんか? 声出せるんか?』

 意識がなかったからだろうか、ジェイの声が響く。エコーが掛かったように聞こえて脳が震えるようだ。

「……っ、頭に、響く。元気よ……」

 晶の声にジェイは眉間にしわを寄せる。ほっとしたようで険しい顔がみるみる穏やかになっていく……。晶の声を聞けて緊張の糸が緩んだ。

『守られへんくて、ごめん……』

 ジェイが泣くまいと耐えているのが分かって晶は首を横に振る。

「私は大丈夫だから。ジェイ──」

『ん? なんや……』

「助けてくれて、ありがとね」

 気怠い腕を挙げて晶の手がジェイの頭を掠める。撫でられたと気付いたジェイの顔はみるみる真っ赤になる。それを隠すように俯いたジェイは何も言わなかった。

 その後意識がない間の出来事をジェイから聞く。随分拳人たちに迷惑をかけてしまっていたようだ。
 
「みんなは?」

『あの二人はお化け退治と見張り役や銀角さんは知らん』

 病院には地縛霊や浮遊霊がたくさんいて晶にもちょっかいをかけようとするのでマルがずっと追い払い続けているらしい。タケは宿泊所に待機中だそうだ。

ジェイが『またちょっかいかけたらしばいたる……』とぶつぶつ言いながら壁や窓……ベッドの下などを点検している。晶の意識のない間苦労をかけたらしい。

 病院ほど幽霊が多い場所はないだろう。今も看護師の幽霊が晶の意識が戻った事を知らせようと枕元のナースコールを押すが透けてしまい辛そうに顔を歪めている。晶は「ありがとう」と声をかけると真っ青な顔をした看護師は優しく微笑んだ。

 病室のドアが開くと拳人とヤスが入ってきた。晶が目を覚ましているのに気付くと慌てて駆け寄る。

「晶! 大丈夫か?」

 拳人の大声には頭痛もエコーも無かった。幽霊の声だけにこの症状が出ているようだ。

 拳人がベッドに駆け寄ると心配そうに晶の顔を見つめる。拳人の顔を見て晶は正直泣きそうになった。必死で奥歯を噛み締めて堪える。
 ヤスがナースコールを押すと看護師が駆けつけ、すぐに熊田も姿を現した。熊田は晶の元気そうな様子に安心したようだ。晶にいくつか問診をすると丁寧に記入していく。

「うん、バイタルも異常ないね。もう大丈夫だろう──拳人、お前この子に危ないことさせるなよ」

 どうやら拳人と親交があるようだ。熊のような風貌で無精髭が似合う医師だった。名札にはKUMADAと書かれている。これ以上ぴったりな名はないだろう。
 明日以降の消毒の説明を終えると熊田が晶の肩に手を置き、優しげな表情で見下ろしている。肩に触れた肉厚の手の感触は本物のクマのようだ。

「ゆっくりするんだ、いいね?」

「あ、はい。ありがとうございます」

 満足そうに微笑むと熊田は点滴を外すように指示をし、病室を後にした。拳人がパイプ椅子に座るとヤスが拳人に何かを耳打ちすると病室をあとにした。

「「…………」」

 沈黙が病室を支配する。
 晶はちらりと拳人に目をやるが拳人は少し俯いたまま黙り込んでいた。

 き、気まずい……えっと、えっと──。

「あ、あの……若、ご迷惑を──」
「悪かった」

 晶の声を遮るように拳人が声を出した。拳人が顔を上げると眉間にしわを寄せている。晶と目が合うと申し訳なさそうに視線を逸らした。

「俺の、せいで──俺があの女のことを調べさせたからだろう?」

 道で気を失っていた舎弟が女に襲われたと言っていた。ナイフの使い手で女の殺し屋は直しか思い当たらない。

「いえ、そんな……身の危険があるのは承知してますから……若のせいでは……」

 再び沈黙が続く……。二人の様子を見ていたジェイは気まずさに耐えかねて晶に声を掛ける。

『あー、ちょっと、マルの加勢に行ってくるわ。さっきそこの芝生で捕まってたの見えたし』

 晶は小さく頷くとジェイは窓の外の幽霊に喧嘩を売られそのまま怒号と共に消えた。

「──目が覚めて、あ、生きてたんだって思いました。あの時死ぬんだって思ってたので……目が覚めて病院にいて驚きました。ありがとう、ございました」

 晶は目が覚めた時の事を話し始めた。本当に生きていたよかった。体が殺されて魂が抜けたのかと思った。

「……晶、お前は──死が怖くないのか? それとも……死にたいのか?」

「え……」

 拳人の語尾に怒りが含んでいるのに気付く。死にかけていたのに晶があまりに淡々としていて拳人は怒っていた。

 晶は死を恐れてもない。嘆いてもいない。どこか客観的な物の言い方に拳人は引っかかった。

「お前は高い所から飛ぶし、どこか死んでからと勘違いしていないか? 死ねば、終わりなんだぞ? 自分の命を、なんだと思ってる!」

 拳人が声を荒げる。
 晶はそんなつもりで言ったのではなかった。命を軽視しているつもりなどなかった。
いや、そう思っていた。幽霊と一緒に生活することで少し生死の境界が曖昧になってるのは否めなかった。

 私……なんかおかしくなってきてるのかな……。

 すれ違うヤスを無視して拳人は部屋を出て行った。

「若? どちらに……どうしたんだ?」

 ヤスが拳人の様子に驚く。晶は眉下げて苦笑いを浮かべていた。

「……命を軽視するなと怒られてしまいました」

「母親の命日にお前が殺されかけたんだ……無理もない。お前の傷口を押さえて必死で助けようとしたんだぞ? 屋敷に帰ろうともしないし……お前の容体が安定するまでは寝ようともなさらなかった」

「そう、だったんです、ね……私ちゃんとお礼も言えていなくて……」

 ヤスは晶の肩に触れる。それだけで大丈夫だと言ってもらえているようで晶は涙腺が緩みそうになる。

「ところで……晶、一つ聞きたいんだが……」

 ヤスが晶の黒のリュックを取り出した。その中からあるものを取り出して晶に見せる。その眼光は鋭い。

「これを、どこで手に入れた?」

 ヤスの手にはあの水晶玉が握られていた。
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