霊とヤクザと統計学を侮るなかれ

菅井群青

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第一章 

65.船越の謎2

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 高級住宅街が立ち並ぶ一画の、小高い丘の中腹にある屋敷に慌てた様子で駆け込む男がいた。玄関には大きな松の木が横に向かって伸びている。荒削りな木の板の表札は力強く【ふなこし】と彫られている。若林組の屋敷よりは狭小ながら庭の手入れも行き届いており、純和風で映画の撮影に使えそうなほどだ。檜の薫りに包まれて癒しの空間であるはずのこの屋敷は朝から張りつめた空気に包まれている。

「それで? 見つからなかったのに帰って来たの?」

 太一がにっこりと目の前の男に微笑むと戻って来たばかりの男が震えている。太一が男に近付くと男は慌てて額を畳に擦り付けるように土下座をして許しを請う。

「す、すみませんでした組長──」

「女ひとり見つけられないだなんて……。もういいよ、下がって」

 男が謝り続けながら部屋を出ていくと、太一は床の間に置かれた刀を手に取り胡座をかいて座る。部屋にいた男達が一瞬目を剥くがすぐに俯き固まっている。その中に直が座っていたが他の男達と違い太一から目を逸らさなかった。太一はそんな直が気に入っていた。普段は目も合わさないのにこういう時は逆に視線を切らない変わり者だ。

「直、本当に子猫ちゃんはいなかった?……一人で逃げたの?……アイツが絡んでるんじゃない?」

「いえ、若林組も消息を追っているようです。おそらく一人かと……。あの女をそばに置くことで組長が落ち着くのであれば追いますが……」

 直の静かで冷たさを帯びた声に思わず太一が笑い出した。

「フフフ……じゃあお願いね」

 太一は刀を畳に放り投げると部屋を出ていった。直はその背中を黙って見つめていたがすぐに屋敷を後にした。

 船越組の庭先には小さな池が作られている。先代が作ったものだが小ぶりな鯉が何匹か優雅に泳いでいる。太一はその緩やかで力強い泳ぎをじっと見つめていた。

『太一、あの娘はもう見つからんだろう。諦めろ』

 田崎が後ろから声を掛けると太一が子どものように「嫌だ」と即答する。

『ちっ……勝手にしろ』

 田崎は舌打ちするとそれ以上何も言わない。どこかへ行ってしまったのだろう。

「どうしてお前の声は聞こえるのに、母さんの声は聞けないんだろうな……」

 太一は小石を池に投げ込むと池の向こうに見える東屋が目に留まった。この東屋は池と共に作られたものでかなりの年数が経っていた。そして父は生前よくここで過ごすことが多かった。
 大きな花瓶から小さな鳥の置物まである。どれも土の色が生きていて味わい深い。父がどこからか持ってきて東屋に飾っていた事を思い出す。詳しく教えてはくれなかったが父親はその焼き物たちを慈しむように見つめていた。

 東屋に入ってみると、前回の台風で花瓶が倒れて一部欠けてしまっていた。太一は花瓶を手に取るとかけらをその中へと放り込んだ。父亡き後わざわざ修繕することも無いだろう。

 ん……なんだ?

 底の部分に指が当たると何やら刻まれているようだ。滑って落とさぬようひっくり返してみるとそこには花とそこへ差し込む光をイメージしたマークが彫られていた。隣の焼き物の底にも同じマークがある。調べてみると東屋に置かれていた全ての作品にこの裏印があった。

 この作家の作品だけここに集められているのか──父さんはなぜこんなことを?

 太一は欠けた焼き物を手に取り屋敷へと戻る。先代の前から庭の手入れを任している初老の使用人の元へと向かうと焼き物の事を問いただした。男は申し訳なさそうな顔をしながらも持っていた花瓶を受け取る。

「……あれはもう随分と長い間屋敷に届いている物なのです。私共には詳しくはお話されませんでしたが、先代はあれが届くとすぐに東屋へとご自身で運ばれておりました。特別な物なのだと仰っておりました……」

 焼き物に特別なこだわりのない父がなぜあの作者にこだわりを抱いていたのだろうか。

「実は先代からの遺言で、もし自分の死後に焼き物が届いたら東屋へ飾るように申しつけられておりました──坊ちゃんには内密にと……」

 男は言いにくそうに目を逸らすと「不確かですが……」と前置きをする。

「今年も……届くと思います。五日後に──」

「……どういうこと?」

 その日は太一の母、陽子の命日だった。
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