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第一章
57.メゾン・クリスタル
しおりを挟む「わかった……また何かあれば連絡しろ」
事務所にいたヤスは通話を切ると携帯電話をソファーに放り投げる。物を大切にするヤスらしくない様子に拳人は声を掛ける。そばにいた小鉄も横目で様子を伺っている。
「何かわかったか? 駅前の土地の売買の件か?」
「いえ……まだ途中ですので、また細かく分かり次第お伝えいたします」
ヤスのよそよそしさに気づかぬふりをしてそのまま書類へと視線を戻す。恐らくはまだ俺の耳に入れなくない内容だったのだろう。
拳人は時計を見ると身支度を始める。昨日の事を謝るためにアパートへ行くつもりだ。
自分の口からヤクザだと告白して船越組とのことや自分の気持ちを話さなければと考えていた。拳人が立ち上がるとヤスが拳人の前を遮る。
「……あそこへ行かれるおつもりですか?」
「それがどうした」
「あの方は……船越組と深く関わりがある女だとご存知なのでは?」
黙ってやり取りを聞いていた小鉄も目をまん丸とさせて二人を交互に見る。
「調べたところ船越組の組長があのアパートに入るのを見た者がいました……若、あの女が若を窮地に追い込んだのでは? 出会ったのももしかして──」
「黙れ──」
拳人は小さく首を横に振ると伏し目がちになる。拳人は自分自身に言い聞かせているようだ。
「あいつに限ってそれはない。出会ったのも俺が──いや、いい。とにかくあいつはそんな奴じゃないんだ……」
拳人の絞り出すような声にヤスはそれ以上話を続けることができなかった。一番苦しんでいるのは拳人自身なのは明らかだった。
拳人は車に乗り込むとアパートへと急いだ。
きっと、メゾンを傷つけてしまっただろう。あの時の潤んだ目を思い出して胸が苦しくなる。話を聞いてやる余裕がなかった事が悔やまれる。
車をアパートの前に停めると助手席にいたヤスに付いてくるように言う。今まではヤクザである事を隠していたが、もう隠す必要はない。運転席の小鉄に待つようにいうと心配そうな顔をしてこちらを見ていた。
呼ばれたヤスは一瞬戸惑った様子だったが、すぐに拳人の後ろに続く。
二階へと上ると拳人はいつもと違うことに気づく。店の看板が外されてドアの周りに置いてあった全ての物がなくなり殺風景だ。
なぜ看板が……? イスも無くなっている……。
すぐさま店のインターホンを鳴らすが誰もいないようだ。隣の自宅も同様だ。ドアを叩くが反応がない。嫌な予感がして店の電話を鳴らしてみると、機械音がして「この番号は現在使われておりません」と抑揚のない音声が流れる。
嘘だろ、昨日の今日だぞ……そんなバカな……。
「ヤス、ドアを開けろ」
「はい」
ヤスが道具を取り出すとドアノブに金具を突っ込んでいる。古い建物のドアなので最近のものより簡単な構造だ。ものの数秒でガチャリと解錠された音がする。
拳人がドアを開くとそこは──無だった。
部屋はもぬけの殻だった。
家財道具も一切なく、慌てていたのか片付けもされていない。ゴミ袋が壁際に数個積まれて置かれている。長い間タンスが置かれていた場所には確かに四角い跡があり、その部分だけが色褪せずに鮮やかない草の色が残っている。
「慌てて、出て行った様子ですね……」
確かにメゾンの部屋の匂いがするのに物が無いせいでやけに自分の声が反響する。
ここは本当にあの部屋なのか? 最後のメゾンの潤んだ瞳を思い出し胸が痛くなる。
「俺から……逃げたのか?」
「若……」
まだ言えていない……何も──どこだ、メゾン……。
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